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「危機を救う経済学」と絶賛されたベストセラーが文庫化!『財政赤字の神話 MMT入門』試し読み

財政赤字が膨らめば国家は破綻する、社会保障などの給付制度を持続させることは財政的に不可能……これら旧来の常識がもし間違っているとしたら?
MMT(現代貨幣理論)のレンズを通して財政を見直し、経済学のパラダイムシフトを起こす。ベストセラー『財政赤字の神話 MMT入門』(ステファニー・ケルトン、土方奈美訳/早川書房)の本文試し読みを特別公開します。

財政赤字の神話 MMT入門 早川書房
『財政赤字の神話 MMT入門』早川書房

序章 バンパーステッカーの衝撃

2008年。カンザス州ローレンスの自宅から、当時経済学を教えていたミズーリ大学カンザスシティ校に向かう道すがら、目の前を走るメルセデスのSUVのバンパーに貼られたステッカーが目に入った。描かれていたのは少し猫背で立つ男の姿だ。ズボンのポケットはすべてベロンと裏返しになっている。表情は険しく深刻だ。赤と白のストライプのズボンに紺のジャケット、星柄のシルクハット。「アンクル・サム」(アメリカ政府を擬人化したキャラクター)だ。

このバンパーステッカーを貼った運転手と同じように、アメリカではいまや多くの国民が、政府は完全に破綻しており、社会が直面する重大な課題に立ち向かう資金もない、と考えている。

医療、インフラ、教育、気候変動など議論のテーマが何であっても、常に同じ問いがつきまとう。「そうは言っても、どうやってその費用をまかなうんだ」と。あのバンパーステッカーは国家の財政問題、とりわけ財政赤字の大きさに対する強い不満と不安を象徴していた。

あらゆる政党の政治家が財政赤字を厳しく批判してきたのだから、政府が無節操にお金を使うことに対して国民が憤るのも当然だ。実際、個人が政府のようなお金の使い方をすれば、たちまちステッカーに描かれたみじめなアンクル・サムのように無一文になってしまう。

だが国の財政が、家計のそれとは根本的に違っていたらどうか。本書を通じて、財政赤字という怪物が実在しないことを証明してみせたらどうだろう。国民と地球を最優先にする経済の実現は可能であり、資金を確保することが問題なのではないと、説得力を持って示せたらどうか。

コペルニクスとその後に続いた科学者たちは、地球が太陽の周囲をまわっているのであってその逆ではないと証明し、宇宙に対する人々の認識を変えた。財政赤字と経済との関係性についても、同じようなブレークスルーが必要だ。国民の幸福を増大させるための選択肢は、私たちが思っている以上に多い。だからそれを妨げてきた神話の正体を見きわめなければならない。

本書では私が先頭に立って提唱してきた現代貨幣理論(MMT)というレンズを用いて、このコペルニクス的転回を説明していく。ここで提示する主な主張は、アメリカ、イギリス、日本、オーストラリア、カナダなど、政府が不換通貨を独占的に発行するすべての通貨主権国に当てはまる。

MMTは、財政赤字のほとんどが国民経済に有益なものであることを示し、政治と経済に対する従来の見方を一変させる。財政赤字は必要なものだ。財政赤字に対するこれまでの認識や対応は、不完全で不正確であることが多かった。私たちは均衡予算という見当違いな目標を追いかけるのではなく、主権通貨の可能性を追求しながら、豊かさがごく一部の人々に集中するのではなく幅広く共有されるような「経済の均衡」を目指すべきだ。

これまで財政という世界の中心は、納税者だと考えられてきた。それは政府には独自の資金がまったくないと考えられていたためだ。政府の活動をまかなう資金は、つまるところすべて私たち国民が拠出しなければならない、と。それに対してMMTは、あらゆる政府支出をまかなうのは納税者ではなく、通貨の発行体、すなわち政府自身であるという認識に立ち、これまでの理解を根本から覆す。

本書で説明するとおり税金にはたしかに重要な目的があるが、税金が政府支出の財源であるという考えは幻想だ。

私も初めてこうした考えに触れたときには懐疑的だった。受け入れまいと抵抗したほどだ。経済学者としての修業を始めたばかりの頃は、財政・金融政策を徹底的に研究し、MMTの主張を論破しようとしていた。だがそうした研究を初めての査読付き論文として出版する頃には、自分のかつての認識が誤っていたことに気づいていた。MMTの中核となる思想は当初、突飛なものに思われたが、結局は正しかった。

MMTはある意味、財政システムが本当はどのように機能するかを説明する、党派とはかかわりのない「レンズ」と言える。特定のイデオロギーや政党に依拠してはいない。むしろ経済的に何が可能かを明確にすることによって、財政的可能性が問題となって膠着しがちな政策論争をとりまく状況を一変させる。特定の政策変更が財政に及ぼす影響だけに注目するのではなく、経済と社会に及ぼす影響を広範に見る。

こうした思想を初めて提唱したのはジョン・メイナード・ケインズと同時代に生きたアバ・P・ラーナーだ。ラーナーはそれを「機能的財政論」と名づけた。財政をその働きや機能によって評価するという発想だ。

重要なのは、政策がインフレの制御と完全雇用の維持に寄与し、所得や富の公平な分配につながっているかであって、毎年予算がどれだけ枠を超過したかではない。

社会の抱えるあらゆる問題は単に財政支出を増やせば解決するなどと、もちろん私は考えてはいない。予算に「財政的」制約がないからといって、政府ができること(そしてすべきこと)に「実物的」制約がないわけではない。どの国の経済にも内なる制限速度がある。それを決めるのは「実物的な生産能力」、すなわち技術の水準、土地、労働者、工場、機械などの生産要素の量と質である。

経済がすでにフルスピードで走っているところに政府がさらに支出を増やそうとすれば、インフレが加速する。制約はたしかにある。しかしそれは政府の支出能力や財政赤字ではない。インフレ圧力と実体経済の資源だ。MMTは真の制約と、私たちが自らに課した誤解に基づく不必要な制約とを区別する。

みなさんもおそらく、MMTの主張を裏づけるような事態を現実世界で目の当たりにしてきたのではないだろうか。私の場合、アメリカ連邦議会上院で働いていたときがそうだった。社会保障制度の話題が持ちあがるたびに、あるいは下院議員が教育や医療への支出を増やそうと提案するたびに、政府の赤字を増やさずにどうやってそれを「まかなう」のだという反論が山のように出てきた。だがみなさんはお気づきだろうか。防衛費の拡大、銀行の救済、あるいは富裕層への減税が議論されるときには、たとえそれが財政赤字を大幅に増やすものであっても問題になったことは一度もない。政治家の票につながるなら、政府は必ず自らの優先課題に必要な資金を手当てできる。そういう仕組みなのだ。

財政赤字はフランクリン・D・ルーズベルト大統領が1930年代にニューディール政策を実行する妨げにはならなかった。ジョン・F・ケネディ大統領が人類を月に送る計画を諦める理由にもならなかった。そして財政赤字を理由に議会が戦争を承認しなかったことは一度もない。

それは議会に財政権力があるからだ。議会が何かを本当にやりたいと思えば、資金は必ず手当てできる。政治家にその気があれば、今日にでも国民の生活水準を引き上げ、アメリカの長期的繁栄に不可欠な教育、技術、堅牢なインフラへの公共投資を増やすための法律を成立させることができる。財政支出をするか、しないかは政治判断だ。もちろん、あらゆる法律が経済に及ぼす影響はしっかり吟味しなければならない。しかし恣意的な財政目標や、いわゆる「財政健全化」を信奉するあまり、財政支出を制約することがあってはならない

本書にはこの他、コロナショックと長期的経済停滞にあえぐ日本に向けた「日本版著者序文」も収録。この続きは本書でご確認ください。

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