【作家ガイド】逸脱的ロマンチストの肖像──チャック・パラニュークの現在地
第2長篇『サバイバー』が17年ぶりに復刊し、いま日本でも再び注目を集めている作家、チャック・パラニューク。傑作と名高い『ファイト・クラブ』の原作者でありながらも長らく邦訳の途絶えていた小説家の現在を、アメリカ文学研究者の青木耕平さんに解説していただきました。本記事は今月発売のSFマガジン4月号にも掲載予定、特別にウェブで先行公開!
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逸脱的ロマンチストの肖像
──チャック・パラニュークの現在地
青木耕平
●フー・ザ・ファック・イズ・チャック・パラニューク?
チャック・パラニュークとは何者か? 一部の批評家はいう、チャック・パラニュークはニヒリストだ。厭世的なメッセージを発し、暴力と破壊を誘発する危険な扇動者だ。かたや、熱狂的な読者はパラニュークを風刺家だと呼ぶ。彼の生きる時代を批評的に切り取る、知的な先導者だと称える。パラニュークさん、あなたはご自身をどう言い表しますか? そう尋ねられると、彼は決まってこう答える──「ロマンチスト」
本稿は、パラニュークの第2長編『サバイバー』の新版刊行を記念して書かれた。パラニューク作品に初めて出会う読者を想定し、まずは作家の出自と第5長編『ララバイ』までの既訳作品群を確認したい。その後、『ララバイ』以降のキャリアを概観し、作家の現在地を明らかにすべく、目下の最新作『インヴェンション・オブ・サウンド』の概略を示す。
●『ファイトクラブ』から『ララバイ』まで
1962年、アメリカ合衆国ワシントン州にパラニュークは生まれた。オレゴン大学に進学しジャーナリズムを専攻したが、ジャーナリストとしてのキャリアは実を結ぶことはなかった。多額の学業ローンを背負い、したくもない仕事をし、学友との関係も切れ、鬱々として日々を過ごしていたある日、彼は知人に教会に誘われる。そこで何気なく手にしたメッセージカードには「ホスピスに行き、死にかけている患者を外に連れ出せ」という指令が書いてあった。サポート・グループに行きたいから車を出してくれ、そう頼まれたパラニュークは癌患者の共助会に赴く。付添ゆえに沈黙を保つパラニュークを見て、患者たちは重病であると勘違いし、彼に優しく接してくれた。その夜、彼はぐっすりと眠り、翌朝起きると精神が回復していることに気付いた。パラニュークはまた、「カコフォニー協会(ソサエティー)」のメンバーでもあった。単調な日々の仕事に倦んだ協会員たちは自身の生活に混沌を求めた。休日のたびにパラニュークは集団キャンプに行き、山奥で夜通し殴りあいの喧嘩をした──この私的な経験が、1996年の商業デビュー作『ファイト・クラブ』へと結実する。
1999年に映画化された『ファイト・クラブ』は、劇場収入こそ低調であったがDVD化されると全世界で大ヒットを記録した。DVD版の冒頭には、タイラー・ダーデンからの警告(WARNING)が掲げられている──「仕事を辞めろ。喧嘩を始めろ。生きていることを証明しろ。自分の人間性を主張できないのなら、お前はただの統計の数字だ」。全世界を熱狂させたタイラーの確信に満ちた強い言葉の裏にあったのは、作家パラニュークの実人生に他ならない。
当時のアメリカ文芸シーンを賑わせた潮流に、「トランスグレッシヴ・フィクション」と呼ばれるジャンルがあった。トランスグレッシヴ(transgressive)とは、「逸脱する」「越境する」「踏み越える」「慣習に逆らう」等を意味する形容詞であり、支配的な規範を暴力的に転覆せんとする小説をさす。この呼称自体が新たに作り出されたもので、その源流としてウィリアム・バロウズ、J.G.バラードらが先人として遡及的に措定され、ブレット・イーストン・エリス、アーヴィン・ウェルシュがそれにつらなる現代の書き手とされた。『ファイト・クラブ』の成功によりパラニュークもまたトランスグレッシヴ・フィクションの最先端の作家と見做されるようになった。彼自身も、そう呼ばれることを受け入れていた──「私はトランスグレッシヴ・フィクションを書きたいし、そう呼ばれる作品が好きだ。それらの物語のなかで、人々は行動を起こすことで違う生き方を見つける」
たとえそれが不快で社会撹乱的で非常識なものであろうとも、孤独を抱えて生きる人間が行動を起こし、生き方を変え、自分の属すコミュニティを見つける。これが初期パラニューク作品に通底するテーマであり、これらの物語は全て、作家の人生と密接に繋がっている。
1999年、パラニュークは第2長編『サバイバー』を上梓したのち、第3長編『インヴィジブル・モンスターズ』を刊行する。語り手=主人公は銃弾で顎を撃ち抜かれ「モンスター」のような見た目となった女性で、物語はルッキズム、トランスジェンダーの問題に踏み込んでいく。同作では、語り手の兄がゲイであることを理由に両親から侮蔑され勘当された過去の家庭問題が、トラウマとなって回帰する。背景にあるのは、1980年代に蔓延したエイズ問題と、同性愛を排除した保守的なアメリカ社会だ。デビュー以前から構想されていた同作は、その内容の過激さゆえに原稿を持ち込んだ全ての出版社から刊行を拒否されていた。センセーショナルだから、耳目を集めるからと、商業的な理由からパラニュークはテーマを選ぶのではない。彼にとって、小説を書くことそのものが「生き方を変える行動」だった。2004年、彼は自身が同性愛者であることを、長年連れ添っている同性パートナーがいることを公にした。周囲の無理解と偏見に晒され思春期を生きた登場人物もまた、作家自身がモデルだった。
2001年の第4長編『チョーク!』の主人公=語り手はセックス中毒患者で、彼は「自分自身に対する謀反」を起こし、人生を縛っていた母親と訣別する。「芸術は幸福からは決して生まれないのよ」──物語作中の幼少期に母から投げかけられたこの台詞は、作家を縛る呪いの言葉でもある。パラニュークの両親は、彼が14歳の時に離婚している。1999年、パラニュークの父親は、女性とデートしている最中に、その女性の元恋人によって惨殺された。証拠隠滅を図った犯人は遺体を焼いた。パラニュークは、遺族として法廷で死刑を望むかどうか尋ねられ、悩み抜いた末に死刑判決を求めた。その葛藤から、「人を自在に殺める力を持ったとして、その力を平和のために行使するのは悪いことだろうか?」と逡巡する語り手をもつ『ララバイ』が2002年に刊行された。英語圏では今も『ララバイ』が『デスノート』(2003年連載開始)の元ネタではないかと話題になることがある。
さて、ここまで紹介した作品は全て邦訳がある。新たに興味を持たれた読者は、ぜひ書店ないし図書館で読むことをお勧めする。次項からは、日本の読者に未だ知られていない『ララバイ』以降の作品について論じたい。
●911同時多発テロ以降のパラニューク
現在、トランスグレッシヴ・フィクションという呼称は一般に用いられることはなく、あったとしてもそれは否定的な意味しか持ち得ない。映画『ポストカーズ・フロム・ザ・フューチャー:ザ・チャック・パラニューク・ドキュメンタリー』(日本未公開)のなかで、パラニューク自身がその理由を説明している:
ハイジャックされた飛行機が世界貿易センタービルに激突する瞬間を、二つのビルが崩落する様をテレビの上で目撃した21世紀の私たちは、20世紀末に書かれた『ファイト・クラブ』と『サバイバー』を読み、同時多発テロを想起しないことは難しい。以降、パラニュークは方向転換を余儀なくされ、新たな作風を模索していく。
『ララバイ』にいたるまでの長編五作品はその全てが「語り手=主人公」の一人称小説だったが、2003年発表の第6長編『ダイアリー』で、作家は「あなた」に語りかける二人称日記という語りを採用した。心理的ホラーともいうべき『ダイアリー』は、「あなた」と呼びかけられた読者の想像力に侵入した。その悲しい証左がある。2013年、ロサンゼルスのホテルの貯水槽からエルサ・ラムという大学生の遺体が見つかった。ラム自身がSNSやブログを愛用する若者だったことから現代の悲劇であると大きく報道をされると、ラムのブログのフロントページに掲げられていた言葉に注目が集まった。それは、『ダイアリー』からの一節だった──「人生を無駄にしているという考えにあなたはいつも悩まされている」
2005年発表の『ホーンテッド』は、23の短編より構成される小説(ノヴェル)であるが、冒頭におさめられた「はらわた(Guts)」こそ、『ファイト・クラブ』以降のパラニュークの最も有名な作品と言って間違いない。刊行前、パラニュークはプロモーション・ツアーでアメリカを回り、各会場で「はらわた」を読み上げ、のべ60人以上の聴衆を失神させた。これは都市伝説や誇張された数字ではなく、先に挙げたドキュメンタリー映画のカメラが、気を失い床に崩れ落ちる観客の姿を実際にとらえている。「はらわた」の内容を思い出すだけで内臓が震え出し息苦しくなるのだが、知りたい読者も多いと思われるので、以下に概要を記そう。短編「はらわた」の語り手は「聖腸無」(saint gut free)と名乗る痩せぎすの男で、彼は自ら経験した「おぞましい結果に終わったマスターベーション」の話を披露する。その内容とは………………………………………………………………………………………………………………………………………………すみません、失神してました。
●『ファイト・クラブ2』と、受難の時代
今日においても、一般の人々が言及し研究者が論文を書くパラニューク作品のほとんどは『ファイト・クラブ』から『ホーンテッド』までに限定されている。口述伝記形式の『ラント』(2007)、全体主義を扱った政治小説『ピグミー』(2009)、地獄を舞台とした『ダムド』その続編『ドゥームド』(2011、2013)と、旺盛に作品を発表し続けたが、その多くは実験的であって、すでにある読者コミュニティの外に届くことはなかった。ニューヨークタイムズは『ビューティフル・ユー』(2014)の書評で、セックス遊具が引き起こすオルガズムによって世界支配を企むというその設定の卓抜さを褒めながらも、「パラニュークはアイデアの作家だ。しかしそれは必ずしも作品が傑作であることを意味しない」と手厳しく切り捨てた。この評言は、同時期のパラニューク作品全体への的確な批評となっていると言えよう。
2014年に入ると、『ファイト・クラブ2』の連載が始まった。この続編は、「オルタナ右翼」と呼ばれる者たちが映画『ファイト・クラブ』を反フェミニズム的に曲解し、極右のみならず極左からもタイラー・ダーデンが偶像視され政治利用されている現状に対する、原作作者からのメタ的な介入であった。物語とタイラーを生み出した責任を引き受けようという真摯な試みだが、それは必ずしも作品が傑作であることを意味しない。
そうして2016年、ドナルド・トランプが大統領選挙に勝利した。「トランスグレッシブ」は、オルタナ右翼を形容する言葉となり、トランプの過激な言動は「トランスグレッション」という語と共に多く報じられた。2019年には全米主要メディアの多くが映画『ファイト・クラブ』公開20周年を総括する記事を発表、作品をトランプ大統領や有毒な男性性と結びつける批判的論調が多くを占めた。
●そして、『インヴェンション・オブ・サウンド』へ
パラニュークに吹いていた厳しい風は、2020年に変わり始める。創作指南本『コンシダー・ディス』のなかで、「好かれるような本を書くな、忘れられない本を書け」と若い書き手にアドバイスを送ったパラニュークは、そのアドバイスを自身が取り入れたかのように、2020年9月、忘れることの困難な傑作、『インヴェンション・オブ・サウンド』を上梓した。15年前に失踪した娘を探し続ける男性主人公の目的は、「子供に暴力を与える全ての者たちを拷問する」こと。もう一人の女性主人公はハリウッドで働く音像創作家で、真にリアルな「叫び」を収集し作り出すことを生業としている。彼女の望みは、「全世界が同時に発する叫びを録音する」ことだ。ダークウェブや陰謀論といった流行の派手なトピックを取り入れながらも筆致は抑制が効いており、三人称の語りは緊密で、プロットは見事に練り上げられている。暗く、重く、暴力的で、目を背けたくなるこの悲劇は、間違いなくパラニューク近年の最高傑作だ。「ローカス・マガジン」は初期作品の鋭さが戻ってきたと絶賛、「ニューヨーク・ジャーナル・オブ・ブックス」もパラニュークの文芸シーン復帰を祝福した。「ストージー」誌は、本作におけるテーマを「女性に対する暴力」、「子供に対する暴力」、「人道に対する暴力」とし、「誰もがおそれて囁きさえ出来ない物事を、パラニュークは大声で叫ぶ」と評した。
『インヴェンション・オブ・サウンド』は、エコー・チェンバーを不協和音で打ち倒し、フィルターバブルを大音量で破裂させる。ロマンチックでニヒルなパラニュークの新作を日本語で読みたいと、あなたはそう思ったはずだ。『ファイトクラブ』の結語をもじり、こう願って本稿を閉じよう──「ミスター・パラニューク、あなたの復帰を心よりお待ちしています」
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チャック・パラニュークの今後の復刊/新刊事情は、こちらの通り。どうぞよろしくお願いいたします。