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カルト教団の生き残り、破滅へ向かう僕の人生を聞いてくれ。『サバイバー』序章

『ファイト・クラブ』原作者のチャック・パラニュークによるカルト小説『サバイバー』の冒頭を掲載します。本書は章番号と紙版のページ数が通常の書籍と逆になっている、文字通り“終わりから始まる物語”。2022年の世界にあってなお加速し続けるドライブ感をお楽しみください。

『サバイバー〔新版〕』(ハヤカワ文庫NV)

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テスト、テスト。1、2、3。

テスト、テスト。1、2、3。

きっとちゃんと動いてるんだろう。僕にはわからない。録音されてるのかどうか、確かめようがない。

もしちゃんと録れてるなら、このまま聞いてくれ。聞いてくれてるなら、あんたが発見したのは、すべてが間違ったほうに転がった物語だ。こいつは2039便のボイスレコーダーだ。世間がブラックボックスと呼ぶあれさ。ただし実物はオレンジ色で、なかのエンドレスのワイヤが最後に録音された1周分を永久に残す。あんたが発見したのは、ここに至るまでの顛末を明かす物語だ。

いや、遠慮はいらない。

ワイヤが白く輝くまでこいつを熱してみてもいい。まったく同じ話が再生されるから。

テスト、テスト。1、2、3。

聞いてくれてるなら、最初に伝えておく。乗客は全員無事で家に戻っている。乗客は、ニューヘブリディーズ諸島で、業界用語を借りれば、降機した。そのあと、パイロットと僕だけがふたたび空に飛び立ち、パイロットはどこかの上空でパラシュートを背負って脱出した。水の上だった。世間で大洋と呼ばれているものの上空だ。

何度でも繰り返す。誓って言うが、僕は人殺しじゃない。

それに、僕はここに独りきりだ。

まさに〝さまよえるオランダ人〟だ。

聞いてくれてるなら、伝えておく。僕は2039便のコクピットに独りでいて、あらかた気の抜けたウォッカとジンの幼児サイズの瓶が窓と計器パネルの前にずらり整列している。キャビンには、乗客が食い残したチキンキエフまたはビーフストロガノフのちっちゃなトレーがそのまま残っていて、エアコンディショナーが残飯の匂いをせっせと浄化している。雑誌は読みかけのページが開いたままだ。どの座席にも乗客の姿はなくて、そろって手洗いに行っているだけだと言い張ろうと思えばできる。放置されたプラスチック製のステレオ方式のヘッドフォンから、機内放送の音楽が小さく漏れている。

下界の天候と隔絶された高々度を行くこのボーイング747-400型タイムカプセルが運んでいるのは僕1人と、200食分の余り物のチョコレートケーキで、二階にはピアノバーがあり、螺旋階段を上っていけば、カクテルのおかわりをいつでも楽しめる。

細部まで逐一話して退屈させるのは本意じゃないが、この機はオートパイロットで航行していて、このまま燃料切れまで飛び続ける。パイロットによると、フレームアウトというらしい。1度に1つずつ、最後には全エンジンがフレームアウトする。きみの行く手に待つものを説明しておきたいとパイロットは言い、ジェットエンジンの仕組みやヴェンチュリ効果から始めて、フラップのキャンバーを大きくすると揚力も大きくなるとか、4つのエンジンがみんなフレームアウトしたらこの機は重量200トンのグライダーになるとか、微に入り細をうがった説明で僕を退屈させた。オートパイロットが機のバランスを保って直進させるように働くから、グライダーに変身したこいつは、パイロット呼ぶところの〝安定降下〟を始める。

そういう降下も気分が変わってよさそうだなと僕は言った。あんたは知らないだろうけど、僕は乱気流に巻きこまれたみたいな1年を過ごしてきたからね。

パイロットはパラシュートの下に、エンジニアにデザインさせたかと思うような、寝ぼけた色をしたつまらない制服を着たままだった。それにさえ目をつぶれば、パイロットは実に協力的だった。頭に拳銃を突きつけられ、燃料はあとどのくらい残っているか、その量でどのくらい飛べるのかと迫られたのが僕だったら、あそこまでいい奴ではいられない。パイロットは、自分がパラシュートを頼りに海の上に飛び出したあと巡航高度まで戻す方法を僕に伝授した。フライトレコーダーの存在と仕組みも教えた。

4基のエンジンは、左から右に、1から4の番号が振られている。

安定降下は、地表へのノーズダイブで終わる。これをパイロットは降下の最終段階と呼び、飛行機は時速35キロでまっすぐ地表に突っこむ。この速度をパイロットは終端速度と呼ぶ。同じ質量の物体はすべて同じ速度で落下する。それからパイロットは、ニュートン物理学とピサの斜塔について入念な講義を始め、万物の進む速度を鈍らせた。

パイロットは言う。「1から10まで鵜呑みにしないでくれ。知識を試されるのはずいぶん久しぶりだから」

パイロットによると、APU、またの呼称を補助動力源は、機体が地表に衝突する瞬間まで発電を続ける。

パイロットによると、僕の五感が生きているうちは、エアコンとステレオ音楽の恩恵にあずかれる。

僕が最後に何かを感じたのは、ずいぶん前の話さと僕は言う。1年くらい前かな。僕の最優先事項は、拳銃を早く下ろせるように、パイロットを飛行機から追い払うことだ。

ずっとこいつを握り締めているから、手が痺れてもう何も感じない。

単独ハイジャック計画を練るとき忘れがちなことがある。どこかの時点で人質から目を離してトイレに行く必要に迫られる可能性だ。

ポートヴィラに着陸する前、僕は拳銃を片手にキャビンを駆け回り、乗客とクルーに食事を供した。飲み物のおかわりはいかがですか。枕をお持ちしましょうか。僕は全員に尋ねた。主菜はチキンとビーフのどちらにいたしましょう。食後のコーヒーはカフェイン抜き、それともレギュラーで?

フードサービスは唯一僕が他人より確実に秀でている分野だ。今回のサービスで悔やまれるのは、一方の手が拳銃でふさがっていたせいで、給仕に駆け回るのを片手ですませるしかなかったところだ。

着陸し、乗客とクルーが降機するあいだ、僕はキャビン前方の乗降扉の脇に立って、申し訳ないと言い続けた。ご不便をお詫び申し上げます。みなさまの安全で楽しい旅をお祈りいたしております。 何たらかんたら航空をご利用くださいまして、まことにありがとうございました。

パイロットと僕だけになると、機はふたたび離陸した。

飛び降りる少し前、パイロットは僕にこう教えた。エンジンが1基止まるたびに、第1エンジンだか第3エンジンだか何番エンジンだかがフレームアウトしたと警告が繰り返される。全エンジンが停止したあとも飛び続けるには、機首を上げておくしかない。それにはステアリングホイールを手前に引くだけでいい。パイロットは操縦桿(ヨーク)と呼んだ。ヨークを引いて、尾翼の昇降舵とかいう部品を動かす。速度は落ちるが、高度は保てる。速度と高度の二者択一と思えるが、どっちを選ぼうと結局は機首から地面に激突することになる。

もう充分だよ、と僕はパイロットに言った。別に飛行機の操縦資格を取ろうってわけじゃないんだから。小便が漏れそうだった。さっさと乗降扉の向こうに消えてほしかった。

それから、175ノットまで減速した。細部まで聞かせて退屈させるのは本意じゃないが、高度を10000フィートよりも下げ、前方の乗降扉を引き開けた。次の瞬間パイロットは消え、僕は扉を閉める前に乗降口の縁に立って、はなむけの小便を垂れた。

あんなに胸のすく経験は生まれて初めてだった。

サー・アイザック・ニュートンが正しければ、パイロットはとくに濡れることなく地上に降りたはずだ。

そんなわけで僕はいま、オートパイロットに頼り、マッハ0.83または真対気速度時速およそ732キロで西へ向けて飛んでいる。この速度と緯度では、太陽は一点から動かない。時間が静止する。僕は39000フィートの巡航高度を保って雲の上を飛び、太平洋を横切り、破滅に向けて、オーストラリアに向けて、僕の物語の結末に向けて、南西に延びる直線を描いている。4基あるエンジンの最後の1つがフレームアウトするまで。

テスト、テスト。1、2、3。

念のため、あんたが聞いてるこれは、2039便のボイスレコーダーだ。

この高度なら、いいかい、この速度なら、乗客分の重量がない飛行機なら、あと6時間、うまくいけば7時間分の燃料が残っているとパイロットは言う。

とすると、早回しでしゃべったほうがよさそうだ。

ボイスレコーダーは、僕がコクピットで発する言葉を漏らさず記録するはずだ。そして僕の物語は、数千億の破片になって飛び散ることはなく、1000トンのジェット燃料で燃やされても生き延びるはずだ。飛行機が墜落すると、ボイスレコーダーの捜索が始まる。僕の物語はかならず生き残る。

テスト、テスト。1、2、3。

飛び降りる寸前、開いたキャビンの乗降口の際に立ち、軍用艦に追跡され、目に見えないレーダーで追尾されるなか、エンジンの甲高い唸りと暴風に耐えながら、パラシュートを着けたパイロットは、肩越しに僕に怒鳴った。「なぜそんなに死にたい?」

僕は怒鳴り返した。録音を聴いてくれればわかるよ。

「そういうことなら」パイロットは怒鳴った。「せいぜい数時間しかないことを忘れるな。それともう1つ」パイロットは怒鳴った。「燃料切れは唐突だ。自伝の途中で死ぬ可能性もあることを忘れるな」

僕は怒鳴り返した。そんなの言われなくてもわかってるさ。

どうせなら、僕がまだ知らないことを教えてくれ。

そしてパイロットは飛び下りた。僕は小便をすませてキャビンのドアを元どおりに閉めた。コクピットに戻り、スロットルを前に押し、ヨークを引いて、安全な高度まで上昇した。ボタンを押せば、あとはオートパイロットにおまかせだ。というわけで、話はいまここに戻る。

これを聞いてるなら、2039便の決して破壊されないブラックボックスに耳を傾けているなら、この飛行機が最後の降下を終えた地点に行って残骸に目をこらしてみてくれ。機体の壊れ具合とクレーターを見れば、僕がパイロットの資格を持っていないとわかるはずだ。これを聞いてるなら、僕は死んだとわかるはずだ。

だが、僕にはあと数時間、身の上を語るゆとりが残されている。

数時間もあれば、最後まで語れる可能性だってなくはないだろう。

テスト、テスト。1、2、3。

どちらを向いても青く澄みきった空が広がっている。太陽は真円で、燃えていて、すぐ目の前に浮かんでいる。雲の上では、いつだって快晴だ。

よし、初めからやり直そう。頭に戻ろうじゃないか。

2039便。ここに至るいきさつ。テイク1。

用意。

念のため。僕はいま最高に爽快な気分でいる。

用意。

すでに10分も無駄にしてしまった。

用意。

アクション。



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続きは書籍版でお楽しみください。

『サバイバー〔新版〕』チャック・パラニューク/池田真紀子訳

〈STORY〉
上空で燃料が底をつき、エンジンが一基ずつ停止を始めた航空機のコクピット。ただ独り残ったハイジャック犯である僕は、ブラックボックスに自身の半生を物語る。カルト教団で過ごした過去。外の世界での奉仕活動。とある電話を通じて狂い始める日常。集団自殺で崩壊した教団の生き残りとしてメディアから持て囃される狂騒。それら全てが最悪の方向へ転んでしまった人生を――『ファイト・クラブ』を超える傑作カルト小説