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『地下鉄道』の著者が新作で挑んだのは「ジェットコースター的展開の犯罪小説」。コルソン・ホワイトヘッド『ハーレム・シャッフル』の読みどころを語る(訳者・藤井光)

アメリカ文学最高峰のピュリッツァー賞を『地下鉄道』と『ニッケル・ボーイズ』で連続受賞した小説家コルソン・ホワイトヘッド。
その新作『ハーレム・シャッフル』は、強盗ものの映画をきっかけに書かれたという。刊行後、たちまちニューヨーク・タイムズ・ベストセラーとなり、狙いどおり、魅力的なキャラクターとスリリングな展開が米国のメディアから高く評価されています。その読みどころを、訳者の藤井光氏が語ります。

ハーレム・シャッフル
コルソン・ホワイトヘッド、藤井 光 訳
2023年11月21日発売/416頁/定価2,970円(税込)

◉訳者あとがき

藤井光

本書『ハーレム・シャッフル』は、2021年に発表されたコルソン・ホワイトヘッド(Colson Whitehead)の小説Harlem Shuffleの全訳である。1999年に『直観主義者』(The Intuitionist、未訳)でデビューして以来、ホワイトヘッドが発表した長篇小説は、これで8冊を数えることになった。

ニューヨーク市に生まれ、マンハッタンで育ったホワイトヘッドにとって、ニューヨークという都市は逃れがたい磁場のようなものであると言っていい。『直観主義者』は、時代も場所も明示されてはいないが、20世紀中葉のニューヨークをモデルとした大都市での高層建築物のエレベーター検査を軸とする物語だった。その後も、2009年の自伝的小説『サグ・ハーバー』(Sag Harbor、未訳)では1985年のニューヨーク近郊のロング・アイランドでの夏の人間模様が語られ、2011年の『ゾーン・ワン』(Zone One、未訳)は、ウイルスの感染症が猛威を振るった結果ゾンビ化した人間を、主人公が職務としてニューヨーク市内で発見して処分するという物語設定を選んでいる。

一方で、過去10年ほどのホワイトヘッドは、ニューヨークから離れて物語を作ることを模索していたかに見える。作家としての注目度をさらなる高みに押し上げた、2016年の『地下鉄道』(The Underground Railroad、谷崎由依訳)は、奴隷制時代のアメリカ南部ジョージアから北部に向けての脱出を試みる黒人奴隷コーラを追う、ある種の旅の物語だった。それに続いて、2作連続でピュリッツァー賞小説部門を受賞することになった2019年刊行の『ニッケル・ボーイズ』(The Nickel Boys、拙訳)でも、主な舞台は南部フロリダ州であり、公民権運動が高まりを見せる1960年代前半にフロリダの少年院に入ることになった少年エルウッド・カーティスの経験する試練を中心として展開していく。ただし、『ニッケル・ボーイズ』では中盤以降、後日譚にあたるニューヨークでのエルウッドの日々が重要性を増すというプロットが採用されている。それはある種、一度離れてみようとしたニューヨークに、作家の想像力が帰還していく旅でもあったのかもしれない。それを引き継ぐ『ハーレム・シャッフル』は、ニューヨークの街それ自体がひとりの登場人物ともいえるような小説に仕上がっている。

題名からも明らかなように、本書の主な舞台となるのはニューヨーク市マンハッタン北部にあるハーレム地区である。地区の歴史は、17世紀のオランダによる入植にまで遡り、現在もオランダにある都市ハールレムにちなんで命名された。その後は農業用地として利用されていたが、19世紀後半の南北戦争後に都市計画の一環で開発が進み、住居用建物の建設ラッシュの後、1893年に合衆国で発生した恐慌で空き家が急増し、アフリカ系アメリカ人に入居の機会が訪れたこと、南部やカリブ海、マンハッタン南部からの人口移動が起こったことに後押しされ、1910年代にはハーレムはアフリカ系の人口が中心となっていた。1910年代後半から1930年代なかばにかけては、ラングストン・ヒューズやゾラ・ニール・ハーストンら、アフリカ系の作家による文芸活動が花開き、いわゆる「ハーレム・ルネサンス」の舞台ともなった。加えて、本書でも名前が言及される、デューク・エリントンやキャブ・キャロウェイらを代表格とするジャズ音楽など、ハーレムは豊かで多層的なアフリカ系文化が育まれる場だった。ニューヨークの物語に繰り返し戻ってくるアフリカ系作家のホワイトヘッドが、ハーレムを舞台とするのは、ある意味では必然にも思えるかもしれない。

『ハーレム・シャッフル』について、作者ホワイトヘッドは、2014年に着想を得たと語っている。強盗ものの映画をレンタルしようと考えたついでに、自分でもその題材で一冊書いてみるのはどうか、と思ったことがきっかけだったという(〈エスクァイア〉のインタビュー)。ただし、当時は『地下鉄道』の執筆に取りかかる時期だったために後回しになり、『地下鉄道』完成後は、ちょうどアメリカで大統領選挙が行われてトランプ政権が誕生するという状況であり、『ニッケル・ボーイズ』のテーマがより緊急性を持っていたため、その執筆に集中することになった。その2冊がいずれも組織的な暴力という主題を軸としていたため、その後に『ハーレム・シャッフル』を執筆していて少し気が楽になった、とホワイトヘッドは言う。

ハーレムを舞台として、犯罪小説という形式で書かれている本書は、テンポのよいサスペンスと魅力的な登場人物、生き生きとした会話など、さまざまな面で娯楽性に満ちている。とはいえ、それまでのホワイトヘッド作品にあった社会的な主題が消えたわけではない。ホワイトヘッドのデビュー作『直観主義者』は、エレベーターの検査という思わぬ切り口から、現在の境遇よりも「上昇」しようとするアフリカ系アメリカ人の直面する問題を描いていた。それ以降も、アフリカ系アメリカ人にとっての社会的な上昇という主題は、この作家が折に触れて立ち返るテーマであり、本書も例外ではない。

『ハーレム・シャッフル』は、1950年代終盤から1960年代前半に設定され、ハーレム地区で生まれ育ったアフリカ系男性レイモンド・カーニーを主人公として進んでいく。カーニーは愛する妻と小さな子どもという家庭に恵まれ、ハーレムで家具店を経営しているという「表の顔」と同時に、盗品の売買に関わる「裏の顔」も持っている。カーニーの父親は地元の犯罪者であり、従弟のフレディもしばしば怪しげな仕事に手を染めている。その「生まれ」と、自力で築き上げた生活のふたつを抱え、折り合いをつけるのに苦労しつつ、カーニーは次々に降りかかる難題に対処することになる。

3つの中篇小説がひとつにまとまったのが『ハーレム・シャッフル』だ、とホワイトヘッドが形容しているように、本書を構成する3部は、1959年・1961年・1964年に設定され、それぞれが独立した物語となっている。1959年は作者いわく「ストリートから見た、ハーレムの犯罪模様」、1961年はハーレムの上流社会、1964年はニューヨーク全体の権力構造が背景となり、いずれの年も、主人公カーニーに思わぬトラブルが降りかかり、敵が立ちはだかる。カーニーは妻と子どもや自分の店、さらには従弟のフレディを守ろうとどうにか苦闘するなかで、ハーレムにとどまらず、ニューヨークという街の新たな顔を知るようになる。

物語のリアリティを損なわないように、ホワイトヘッドは時代考証をかなり綿密に行い、実在のギャングやその妻の回顧録を読み、新聞のアーカイブで当時の出来事を調べたほか、ユーチューブで1960年代のハーレムの映像を観て当時の物価を確認するなどして万全を期したという(〈エスクァイア〉のインタビュー)。その結果、街角の音や気温の感覚にいたるまで、臨場感に満ちた描写が、スピード感あるストーリー展開を支えることになった。

南部での人種隔離政策と公民権運動を背景とする前作『ニッケル・ボーイズ』とほぼ同時期の北部ニューヨークを舞台とする『ハーレム・シャッフル』でも、アフリカ系アメリカ人であるカーニーの経験に、人種差別という問題は常について回る。物語のいたるところに、差別による不当な扱いは影を落としているが、それを凝縮しているのが、第三部の背景となる、1964年7月にハーレムで起きた暴動だろう。作中で述べられる、15歳のアフリカ系少年ジェイムズ・パウエルが非番の白人警官によって射殺された事件は実際に起きた出来事である。それをきっかけに、ハーレムでは6日間にわたって抗議活動や警官隊との衝突、商店の略奪などが発生した。ホワイトヘッドによれば、『ハーレム・シャッフル』を2020年に書き終えた翌日、ミネソタ州ミネアポリスでアフリカ系男性のジョージ・フロイドが白人警察官の手によって死亡したことへの抗議活動が始まったという。それは偶然の一致ではあるが、過去から現在まで続く、アフリカ系市民を取り巻く合衆国の厳しい現実を示しているだろう。

本書はアメリカで2021年に刊行され、ただちに大きな反響を呼んだ。〈ニューヨーク・タイムズ〉や〈ガーディアン〉といった有力紙は軒並み好意的に反応し、夏のハーレムの活気あふれる描写、犯罪小説というジャンルの形式を借りて人種や都市開発の問題を巧みに織り込む語りの手腕、説得力のある人物造形などを高く評価した。それがうまく日本語でも伝えられているかどうかは心もとないが、読者の判断を仰ぎたいと思う。

レイモンド・カーニーを中心とするハーレムの人間ドラマに対する、ホワイトヘッドの愛着も相当なものだったらしく、その後、本書を皮切りとする《ハーレム三部作》の構想が明かされた。そして、早くも2023年夏には第二作にあたるCrook Manifestoが発表された。物語は『ハーレム・シャッフル』を引き継ぐ1970年代のハーレムに設定され、生き生きとした人物描写と切れのあるユーモアに満ちた熟練の語り口で、本書に並ぶ評価を勝ち取っている。

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◉著者紹介

コルソン・ホワイトヘッド
写真(C)Hiroshi Hayakawa ©Hayakawa Publishing Corporation

コルソン・ホワイトヘッド
Colson Whitehead

1969年ニューヨーク市生まれ。現代アメリカを代表する作家のひとり。
2016年に発表した長篇小説『地下鉄道』(ハヤカワ文庫刊)は、ピュリッツァー賞、全米図書賞、アーサー・C・クラーク賞など7つの文学賞を受賞した。2019年発表の『ニッケル・ボーイズ』(早川書房刊)で再びピュリッツァー賞を受賞し、同賞を2度受賞した史上4人目の作家となった。
2021年、ニューヨークを舞台とする本書『ハーレム・シャッフル』を刊行すると、有力紙誌から高く評価され、ベストセラーとなる。やがて本書からはじまる《ハーレム3部作》の構想を明かし、2023年夏に第2巻Crook Manifestoを発表した。

◉訳者略歴

藤井光
東京大学大学院准教授 訳書『ニ ッケル・ボーイズ』コルソン・ホワイトヘッド,『すべての見えない光』アンソニー・ド ーア,『その丘が黄金ならば』C・パム・ジ ャン,『サブリナ』ニック・ドルナソ(以上早川書房刊),『血を分けた子ども』オクテイヴィア・E・バトラー他多数 著書『ターミ ナルから荒れ地へ』他

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ハーレム・シャッフル』は、2023年11月21日より、紙と電子同時発売です。

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