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現実と虚構の境目が溶解していく世界で。『インヴェンション・オブ・サウンド』書評(文・セメントTHING)

SFマガジン4月号に掲載された『インヴェンション・オブ・サウンド』の書評をウェブ公開します。本書の著者、チャック・パラニューク本人が日本の読者に向けて語る配信イベントが3/25開催! 

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本物のようにリアルな「悲鳴」を作り出すことを生業にしている音響効果技師、ミッツィ・アイヴス。17年前の娘の失踪から立ち直れず、ダークウェブ上の児童ポルノにその手がかりを必死で探し続ける男、ゲイツ・フォスター。二人の人生はやがて思いがけない形で交わり、凄まじいカタストロフへと向かっていく。

パラニューク、18年ぶりの新刊邦訳だ。しかしファンであればあるほど、今作には驚くに違いない。この作品のトーンは、決して明るくはなかった過去作と比べても、あまりにも暗く陰鬱であるからだ。

悲鳴を通して苦痛を商品化し続けるミッツィは、睡眠薬とアルコールの健忘作用で自身の行為の結果から逃避している。フォスターは長年の自責と後悔の念で抜け殻のようになっており、彼の「生きる力になっている」(p.30)のは、小児性愛者への激烈な憎悪のみという悲惨さだ。彼らには過去作においてわずかな希望としてあった、自己変革の契機すら与えられない。深く傷ついた人物たちが自分を見失い、絶望の淵で苦しむ様を、パラニュークは冷徹な三人称の語りで描き出していく。彼の代名詞でもある爽快に疾走する一人称の視点は、今作には存在しない。

911以後、パラニュークが初期の作風を貫くことが難しくなったのは事実だ。「支配的な規範を暴力的に転覆せんとする小説」は、書くことが困難になったと彼は何度も公言している。だがそれ以上に、ここ20年の変化の影響を見逃すことはできない。

メディアはSNSを筆頭に際限なく拡張し、生活は隅々まで商品化された。フェイクニュースが世論を動かし、新たな共同体を求める一部のグループは陰謀論の隆盛と「騒乱メイヘム」を招いた。なにが「本物」なのかという感覚すら、もはや定かではない。かつてパラニュークが悲劇的なものとして描いた終末論的ビジョンは現実になり、ラディカルな転覆の可能性は潰えた。あとには混乱と諦念があるばかりだ。

そんな状況を抉り取るパラニュークの筆致は、しかしこのうえなく彼らしいニヒルで頽廃的な魅力に満ちている。冒頭が素晴らしい。鋭く切り詰められた文体が、その陶酔的なリズムをもって描き出すのは、水疱と睡眠薬――身体と商品の区別すら曖昧になった、爛熟した資本主義の一場面だ。人間の身体や苦痛を記録し「コモディティ化」(p.85)する場所として、ハリウッドとダークウェブを交錯させる視点には、消費社会への痛烈な批判が垣間見える。音響技術に関する無数の蘊蓄や、読者の予想を裏切り怒涛の展開をみせるプロットには、長年のファンも満足するだろう。破綻した父娘の関係が中心に置かれているところも、機能不全家族の肖像を描いてきたこの作家ならではだ。形式やトーンが変わっても、過去作と変わらぬ批判精神やテーマ性をもって、パラニュークは時代と向き合っている。

今作の虚無感は、同じく音響効果技師が主人公のブライアン・デ・パルマ『ミッドナイトクロス』の、冷え切った絶望と響き合う。たかが映画。たかが虚構。だがその奥底には、すべてが崩壊してもなお、どうしようもなく生は続くというドライな現実の感触がある。「生の実感」を追求する規格外の作家、チャック・パラニュークの現在地がここだ。現実と虚構の境目が溶解していく世界で、彼は虚構の側から現実を見据えている。

(文・セメントTHING)

『インヴェンション・オブ・サウンド』


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