知ってるつもり帯付

複雑なこの世界に立ち向かうため、人間は「物語」を生み出した――池谷裕二さん推薦の『知ってるつもり』試し読み③

発売直後から話題沸騰の『知ってるつもり——無知の科学』(スティーブン・スローマン&フィリップ・ファーンバック、土方奈美訳)。本作には脳研究者・東京大学教授の池谷裕二さんが推薦文を寄せてくださっています。

「知的生物たるヒトはその高度な知性ゆえに無知の罠から逃れられない。気の毒すぎて「私」という生物がますます愛おしく感じられます」

『知ってるつもり』本文より、池谷さんの感じた「愛おしさ」の正体がうかがえる箇所を抜粋公開します。


イディッシュの民話にこんなものがある。

商店主がある朝店に来ると、ショー・ウィンドウにスプレーで下品な落書きがされていた。商店主は落書きをすっかりきれいにしたが、翌日また同じことが起きた。そこで一計を案じた。3日目、近所の不良が集まってきて落書きをすると、彼らに10ドルを支払い、その労力に感謝した。翌日も同じように不良たちに礼を言ったが、今度は5ドルしか払わなかった。その後も店を汚す不良たちにカネを払い続けたが、その金額は徐々に減っていき、ついに1ドルになった。すると不良たちは姿を見せなくなった。これっぽっちしかカネをもらえないのに、商店主を困らせるためにこれだけの手間をかけてもしかたがない、と思ったからだ。

この眉唾ものの物語は、実は因果関係に関する教訓を伝えている。人間の行動の理由は何か、どうすれば動機付けを操作し、相手にもとの理由とは異なる理由から行動していると思い込ませられるかを伝えている。

人間の動機に関する物語は多く、世界がどんな仕組みで動いているのか、私たちはどのようにふるまうべきかといったさまざまな気づきを与えてくれる。聖書の物語のなかにはすべての起源、すなわち世界がどのように誕生したかを論じているものもあれば、さまざまな行動の結果とその理由を説明し、それゆえに特定の行動は正しく、他のものが誤っていると伝えているものもある。アダムとイブの物語は神の命令に従うことを教え、カインとアベルの物語は兄弟を愛せと説く。おとぎ話や都市伝説は、何を避けるべきか、何が危険なのか、信頼すべき相手をどうやって見分けるかを伝えている。英雄的行為に関する物語は、人間の秘める驚くべき可能性を教えてくれる。

人間は出来事の因果を理解するために、自然と物語を作る。だから私たちの身の回りには、これほど物語があふれているのだ。1940年代に、フリッツ・ハイダーとマリアンヌ・ジンメルが行った社会心理学の古典的研究がある。被験者に、画面上を円が一つ、三角形が二つ動き回るシンプルなアニメーションフィルムを見せる。それだけだ。音もなく、字幕もない。ときどき二つの図形が近づいたり、一つの図形がもう一つを追いかけたり、図形同士がケンカをしたりしているような場面がある。すると被験者は、そこに円や三角形以上のものを読み取る。それをロマンチックなドラマのように解釈するのだ。人間はあらゆるところに物語を見いだす。


優れた物語は、単に何が起きたかを描写するだけではない。起きていないこと、少なくともまだ起きていないことにもからめて、世の中がどのような仕組みになっているのかを伝える。シェークスピアの『マクベス』のなかで、マクベス夫人がダンカン王を殺した後、手を洗いつづける場面がある。

「消えろ、このしみ、消えろ。一つ二つ、鐘の音、やるのは今だ。地獄は薄暗い!」

ここからは架空の登場人物の悔恨の情だけではなく、殺人が感情にどのような影響を及ぼすかもわかる。因果の法則が学べる。人を殺すと、決して消えることのない罪の意識にさいなまれることになる、と。

優れた物語には、特定の場面だけでなく、私たちが体験しうるさまざまな場面に当てはまる教訓が含まれている。

そういう意味では、物語を作るのには、人間以外の動物がおよそ持ちえない能力が必要とされる。世界の因果関係のメカニズムに対する理解に基づいて、まったく別の世界を構築する能力である。物語は、今と何かが違っていたら、世界はどうなっていただろうと想像するのに役立つ。それが明確なのがサイエンス・フィクション(SF)だ。SF作家は、異星人が存在する世界、幸せを保証するクスリ、あるいは世界を乗っ取るロボットの存在する世界を読者に想像させる。だが他のタイプの物語にも、別の世界は登場する。特に私たちが自分自身に語る物語がそうだ。たとえば、あなたは自分がロックスターだと想像することがあるかもしれない。その結果はどんなものだろう? そこでこの世
界の仕組みについての自らの理解に基づき、ロックスターになることはどんな結果を引き起こすかを考える。たとえばすてきなホテルに滞在して、移動するときはリムジンに乗り、ファンのためにサインするのに膨大な時間を割くようになるかもしれない。妄想の内容はどんなことでもいい。存在しうる他の世界を想像するのは、人間の重要な特徴だ。これは反事実的思考と呼ばれ、因果的推論の能力があるからこそ可能になる。

なぜ私たちは反事実的思考をするのか。なぜこれほど自然に反事実的世界について推論し、物語をつむぐのか。おそらくその主な理由は、別の行動シナリオを検討するためだ。これまでと何かを変えると世界はどうなるか想像するのは、たやすいことだ。髪型を変えたらどうなるだろう? 新しい芝刈り機を購入したら、あるいは家を売ってヨットを買ったら? このような仮定の行動について思いを巡らすことができるので、ときにはそれを実践してみる。新しい髪型を思いつけない者は、美容院に行って斬新な髪型にしてもらうことはできない(たまたまそうなってしまう場合はあるが)。新たな権利に関する法案、あるいは新しい掃除機を思い描くことができない者も、それを手に入れること
はできないだろう。反事実的思考をする能力は、特別な行動と当たり前の行動のどちらも可能にする。

人類最大の発見のなかには、反事実的な思考実験の産物もある。ガリレオが質量が異なっても落下速度は変わらないことを証明するため、ピサの斜塔から重りを落とした話は有名だ。この出来事が実際にあったかをめぐって歴史家の意見は分かれているが、この実験が行われるはるか以前に、ガリレオは頭のなかの実験によって結果を正しく予測していたことはわかっている。一六世紀の著書『運動について』では、重さの異なる物体を二つ、紐で結んで落下させたらどうなるかを予想している。そして自らの思考のよりどころであった物理法則の理解に基づき、二つの物体が重量にかかわらず同じ速度で落下することを正確に推測していた。

ガリレオほど洞察力に優れてはいないものの、私たちもみな、日常的にガリレオと同じような思考をしている。意思決定をするときには、ちょっとした脳内シミュレーションをして、その場の状況にふさわしい因果法則の理解に基づき、異なる行動シナリオがどのような結果をもたらしそうか検討する。道が渋滞しているときには、あまり時間をかけずにさまざまなルートを思い浮かべ、一番空いていそうなものを選ぶ。昼食に何を食べようか決めるとき、さまざまなメニューとその味を思い浮かべ、それが今自分の望んでいるものか考える人もいるだろう。このような脳内シミュレーションは、自分や他者に語る「ミニ物語」と言える。その目的は、今自分が置かれている状況とは異なる因果的シナリオを思い浮かべ、検討することだ。

物語は人々が因果情報と教訓を伝え合うため、また経験を共有し、コミュニティの集団的記憶を形成し、物事に対する考え方を説明し、伝えるために使われる。コミュニティが特定の物語を支持するとき、そこに込められた姿勢も受け入れているのである。1773年にボストン港で茶箱を海に投げ捨てた「自由の民」の物語をするとき、アメリカ人はそこに込められた圧政に対する誇り高き抵抗の物語を語っている。一方、その当時茶箱を台無しにされたイギリスの商人たちが語っていたのは、泥棒のようなごろつきどもに灸をすえてやらなければならない、という筋書きだった。このように物語は一般的に個人ではなくコミュニティに属するものであり、そのコミュニティの信念体系と密接に結びついている。

物語には共有物という性質があるかもしれないが、それを語る個人には、それに見合った認知システムが備わっていなければならない。因果体系を思い描き、思考する私たちの認知システムの能力には限界があり、個人レベルでは世界の複雑さに対処できない。物語が、ときに過剰に物事を単純化するきらいがあるのはこのためだろう。たいていの人がヘンリー八世について知っているのは、とにかく好色で、だから妻が六人もいて、しかもほとんど誰とも長続きしなかった一因であるということぐらいだ。現実世界と同じような複雑な物語は、覚えることも語ることもできない。

ただどれほど単純化されていても、物語は世界の因果関係を伝えている。だからそれを語る個人には、その物語が伝えようとしている因果性を理解できる認知システムが備わっていなければならない。主人公やその敵役が何を達成しようとしており、それを妨げるどのような障害があり、それがどのように克服されるのか(あるいはされないのか)を理解できるような認知システムが必要だ。いずれも世界を特定の状態に導こうとする行為主体をめぐる因果を伝えている。人間にとって最も自然なコミュニケーションの手法である物語が、有効な行動を生み出す思考と同じリソース、つまり因果的知識に依拠しているのは決して偶然ではない。

(『知ってるつもり』より抜粋)

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