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小川楽喜『標本作家』第二章① バーバラ・バートン 二十一世紀の恋愛小説家

第10回ハヤカワSFコンテスト大賞受賞作、小川楽喜『標本作家』第一章「終古の人籃」特別公開に引き続き、第二章「文人十傑」もあわせて特別公開いたします。本記事を含めて全九回、一日一節ずつ更新いたします。
また、『標本作家』特別公開は第二章までとなります。第三章「痛苦の質量」以降につきましては、本書をご購入のうえお楽しみいただけますと幸いです。

小川楽喜『標本作家』(四六判・上製)
刊行日:2023年1月24日(電子版同時配信)
定価:2,530円(10%税込)
装幀:坂野公一(welle design)
ISBN:9784152102065


(「第一章 終古の人籃」はこちらの記事で掲載しています。)


第二章 文人十傑ぶんじんじっけつ

 バーバラ・バートン。二十一世紀の恋愛小説家。
 人類史でもっとも商業的な成功をおさめた作家です。作品数は三千を超え、それらの販売数は五十億部を上回ったといわれています。
 作品数最多。販売数最多。およそ三ヶ月の、世界を周遊するハネムーンのあいだに書いた小説の数は、四十二で、これも最多。いくつもの世界記録の樹立者であり、自他ともに認める「ロマンスの女王」でした。作家としてだけでなく、歴史家、脚本家、慈善活動家、講演家、テレビタレントなどといった顔ももち、それらの分野にも多大な貢献を果たしました。明るく奔放で、誰にでも気さくに話しかけ、人生の一幕一幕を宝石のように輝かせることのできた女性です。きっと彼女は、世界のすべてを愛そうとしていたのではないでしょうか。その愛情の質量は、彼女ひとりでは抱えきれないほどに大きく、つねにそのけ口を求めて彼女の内側からあふれ出ていました。小説の執筆はもちろんのこと、自分のまわりにいる人々のために笑顔をたやさず、また、自分のまわりにいない人々のためにも多数の社会福祉やチャリティー活動を通じて支援しました。孤児の教育問題、老人ホームの環境改善、助産婦の待遇改善、地雷の除去についての問題──それらにともなう政治的な発言も辞さず、社交界、政界、経済界、出版界のそれぞれで少なからぬ影響をおよぼす存在となったのです。さながら、ほかのどれよりも大きく咲きほこった薔薇のように。
 およそ八十年にわたる創作活動と並行してメディアにも露出しつづけ、脚光をあびてきましたが、もっとも世間の印象に残っているのは円熟期に達したころの華麗なたたずまいでしょう。六十をすぎてなお意気衝天な彼女は、その白髪を紫色の帽子でおおい、あでやかなドレスに身をつつんで活動していました。どんなに多忙でもほがらかに微笑むそのさまは、まさに英国最後の貴婦人といった風格をただよわせ、〈終古の人籃〉においてもその姿のままで収容されています。絢爛豪華な淑女。ラブロマンスの天才。情熱的な十代の乙女の心と、理性的な大人としての見識をあわせもつ、人間的魅力にあふれた小説家。それがバーバラ・バートンという作家の、私からみた人物評でした。
「──やっぱりね、これからは逢おうと思っているのよ」
 ある日、巡稿にきていた私にむけ、バーバラはそう告げました。「百年ごとにね」
 不意に切りだされたその話の意味するところに、けれども私は察しをつけることができました。夫のことでしょう。〈異才混淆〉に協力するかわりに彼女が手に入れたもの。生前に愛していた人々との再会。
 バーバラ・バートンは二十一世紀の末に、ちょうど百歳で死亡しました。おおむね人生を謳歌したといっていいものでしたが、最期をむかえるまでの数年間は寝たきりとなって、夫のルイス・バートンをはじめとする大勢の人たちに介護される日々を送りました。〈終古の人籃〉へとやってきた彼女は、このことを憶えていませんでした。無理もなく、当時は認知症にもなっていたため、自分がどういう状態にあるのかさえ自覚できなかったのです。資料によっておのれの晩年のありようを知ると、最期まで世話をしてくれた家族や友人の深い愛に感動し、どうにかして彼ら──自分を支えてくれたすべての人々──に感謝の意を伝えるすべはないかと、そう考えるようになりました。
 そこに持ちかけられたのが〈異才混淆〉でした。バーバラはおのれの才能を〈異才混淆〉と分かちあう見返りとして、生前に関わったことのある人々との再会を、玲伎種に願い出ました。
 この願いは受理されました。本来、〈終古の人籃〉は、創作活動でめざましい成果をあげた人物でなければ立ち入れない領域ですが(巡稿者である私や玲伎種たちは例外です)、バーバラの知人縁者にかぎっては、百年に一度、一週間だけ、この館に逗留することが許されたのです。彼女の指定した人物なら、誰でもひとり、その期間には呼び寄せることができます。百年ごとに、誰でも、何度でも──
 バーバラは歓喜しました。百年に一度、ひとりだけという制約はあるものの、それをくりかえせば、すべての人たちに礼を伝えることができる──自分は不死なのだから、この行為が途切れることはない──と、はじめのうちは無邪気にそう受けとめていたのです。が、百年目をむかえるより先に、ある疑念が彼女の頭から離れなくなりました。
 人類は滅亡したはずなのに、私の大切な人たちはどこからやって来て、どこへ去っていくのだろう──
 それを疑問に思うまでは、単純に、生き返るものとばかり考えていたそうです。しかし、ほんの一週間、この館で逗留したあとに、どこへ行ってしまうというのでしょう。玲伎種の社会で保護されるのでしょうか。百年ごとに、誰が呼び出されるかもわからないのに? 生き返った彼らにとって、百年というサイクルは長すぎるのではないでしょうか。私たちと同じく、不死固定化処置を受けるのでしょうか。作家として活動することもない人間に対して、玲伎種はそこまでのコストを割いてくれるのでしょうか。「再会」に関するくわしい条件を知らなかったバーバラは、それを問いただすためにコンスタンスと意思の疎通をこころみました。明確に言語化された回答はもらえなかったようですが、まとめると、次のような内容であったらしいのです。
「生前のバーバラ・バートンと関わった人間の情報はすべて引き出せる状態にしている。要請があるたびに個体として復元し、期間がすぎると自壊する」
 ────。
 つまり、生き返らせるというよりも、まったく同一の個体を作りだし、それをバーバラにあてがうということなのでした。前者と、後者に、どれだけの違いがあるのかはわかりません。肉体的には原子配列のレベルで一致し、精神的にも、その人のもっていた記憶や知識を全部かき集めて、そこから生じる人格までも完全に再現できたのなら、それはもう本人と何が違うというのでしょうか。そう思える一方で、はるか昔に認知症となったバーバラを助け、支えてくれた「その人」とはあきらかに違うともいえるのです。なぜなら、その当時のバーバラに触れた手はすでに消失しており、その当時のバーバラを思いやった心もまたすでに霧散しており、新たに作りなおしたとしても、その当時のものとは連続してつながっていないのですから、、、、、、、、、、、、、、、、、
「別にね、ほんとうに本物かどうかだなんて、そこはそんなに、こだわっているわけじゃないの」
 バーバラは胸のうちを吐露してくれました。「だけどね、一週間がすぎたら自壊するっていうところがね……。それって、要するに死んでしまうっていうことでしょう? そうじゃない方法はあるのってコンスタンスに訊ねたら、あの子、無いって答えるんですもの。困ってしまうわ。私の自己満足のために、百年ごとに誰かが生き返って──厳密にはそうじゃないけど、私にとっては同じようなものだから、この表現を使わせてもらうわね──、そのたびに死ぬだなんて、あんまりじゃないの。ええ、もちろん、誰だっていつかは死ぬわ。だけど、いつ死ぬかわからないままに生きるのと、いつ死ぬかを決定づけられて生きるのとでは、そこに宿る意味も違ってくるでしょう。私が殺すようなものなのよ。そして、感謝の気持ちを伝えたところで、それは、持ち越されてはいかないのよ。コンスタンスに確認したわ。自壊って、苦痛をともなうものなのって。自壊のそのときまで、一緒にいることはできないのって。どちらも回答はノーだったわ。でもね、苦痛のあるなしにかかわらず、私は、私の大切な人がまた死ぬのが耐えられないし、死にぎわを看取れないなんていうのも、いや。何より、こんな遠い未来の世界で、たった一週間だけ呼び戻されて、そのあとまた死ぬことになるだなんて、あまりにもその人たちが可哀そうじゃない──」
 彼女はきわめて冷静に話してくれましたが、その陰で、自分の指定ひとつでどうとでもなる人の命や尊厳の、その軽さを嘆いていました。復元された人々の真偽や同一性には執着せず、ただただ彼らの身の上と、その一週間後におとずれる運命を思って、悲しんだのです。だから彼女は、誰とも再会しようとはしませんでした。自分の都合のためだけに、ごくわずかな生と死を押しつけるのは残酷すぎる──そう考えたのでしょう。およそ五百年でした。そうやって彼女が、誰とも逢わず、ひっそりと耐えしのんで、孤独のなかにつつまれていたのは。
「──逢おうと思っているのよ」
 ぽつり、と、ある日。そう洩らしたのです。
 兆候はありました。もしも……という、仮定の話として、ほかの人はあきらめるにしろ、夫に、夫のルイス・バートンに逢えたとしたら──などと、巡稿者である私に語りかけるようになっていたのです。さっきまでの話と矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、そうなるまでに、五百年という月日が流れました。もともと、たくさんの人たちとパーティーを催したり、人の輪を作ったりするのが大好きなバーバラ・バートンという人物が、人恋しさを訴えるのに、充分な時間がすぎたとはいえないでしょうか。もはや限界だったのです。逢おうと思えばその人に逢える権利をもっているのに、それを行使せずにいる自制心を保つのは。……こらえきれなくなってしまって、その権利を使ったとして、誰がそれを責められるでしょう。
 はたして、それは実現されました。夫との再会。バーバラは六十代の、若々しさは失っているけれど、きれいな、笑顔のすてきな貴婦人の姿で。ルイスもまた、同じ年代の、心から妻のことを愛している、その当時の姿のままで。ふたりは熟年夫婦としての一週間をすごしました。そして離れ離れになりました。それから百年。また再会。また百年。再会。夫のほうの記憶は持ち越されません。そのつど作りなおされるので、百年ごとの思い出も各個体の自壊とともに破棄されるのです。バーバラもそれは承知の上で接していました。それで充分だと彼女は語っていました。
 玲伎種はおそろしい種族だと私は思います。五百年をすぎて、おそるおそる権利を使いはじめた彼女を相手に、さらなる可能性を示しました。それは、ルイス・バートンの肉体年齢も、精神年齢も、バーバラの指定どおりに復元できるというもの。
 復元後の、〈終古の人籃〉にやってきてからの記憶は引き継げませんが、それ以前の──つまり生前のルイス・バートンの記憶ならば──何歳のころの人格にするのも自由。同様に、何歳の肉体にするのも自由。望むなら、六十歳の人格を宿した、二十歳のルイスを作ることも、六歳の人格を宿した、三十歳のルイスを作ることも可能なのだそうです。
 バーバラはこの可能性に手を伸ばしました。肉体年齢と精神年齢を大幅にずらすような指定はしませんでしたが、まだ彼女と出逢っていない少年時代の夫と知りあったり、認知症になった彼女を支えた老年の夫と話しあったり、さまざまな形での逢瀬をくりかえしたのです。私はその様子を、百年に一度の〈終古の人籃〉の風物詩として見守ってきました。
「ねえ、メアリ。……私ね、まだあの人に感謝の言葉を伝えられていないの。いざとなったら、毎回、いいそびれてしまってね。それに、自壊についても割りきれたわけじゃないから、いつも罪悪感で狂ってしまいそうになるのよ。……でもね、その両方を解決する、とってもすてきな方法を見つけたの。コンスタンスも了承したから、きっとうまくいくと思うわ」
 そういって私に微笑む彼女は、すでに罪悪感で狂ってしまったあとだったのかもしれません。彼女のとった解決法は、その正気を疑わずにはいられない、予想外のものでした。
 百年に一度の別れのたびに、復元したルイス・バートンの脳細胞の一部を、自分のそれと入れ替えていったのです。
 当初は一部でなくほぼ半分の入れ替えを望んだそうですが、コンスタンスから却下され、どうにか許可がおりたのが、その脳手術だったらしいのです。
 不死固定化処置を受けた自分の脳に、ルイスの脳細胞が混ざれば、それは永遠に保管されると、彼女はそう考えているようでした。じっさいには、人間の代謝機能と不死固定化処置がどのように作用しあっているか不明なため、なんともいえません。しかし彼女にとっては「入れ替えた」という事実そのものが、重要なことのようでした。
「ねえ、人の心ってどこから生まれてくると思う? もしも、脳の働きによって心が生まれてくるのなら──」そこでバーバラは、貴婦人の笑みを浮かべました。「私の心と彼の心が溶けあって、口にするまでもなく、この感謝の気持ちが伝わるようになるんじゃないかしら。私があの人になれば、もう自壊せずにすんで、これから先、あの人の心をすべて、永遠にとどめておくことができるんじゃないかしら」
 一回の手術につき、一%。──入れ替える脳細胞の量です。百年ごとに一%なら、一万年で一〇〇%に達します。彼女がこの行為におよんで数万年が経過しました。バーバラの心はバーバラの心のままで、夫の人格が顕在化することはありませんでした。彼女は目的をはたしたのでしょうか。彼女が求めていたものは、こんな凄惨な、名状しがたい蜜月だったのでしょうか。いくつもの世界記録をもつロマンスの女王は、今日も自室で、ひとり、恋愛小説を書きつづけています。……

 (以下、第9節に続く)

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