「2010年代、世界で最もSFを愛した作家」伴名練1万字メッセージ
8月20日に短篇集『なめらかな世界と、その敵』を上梓するSF作家・伴名練さん。発売後に公開予定だった「あとがきにかえて」ですが、届いた原稿の内容がまったく「あとがき」ではなく(本書のネタバレになっておらず)、それでいて一刻も早く世に広げたい熱量だったため、緊急公開します。何はともあれ、読んでください。(編集部)
※本原稿は書籍ではなく、SFマガジン10月号(8/24発売)に掲載されます。
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あとがきにかえて
運が良かったのだと思う。
1988年生まれである私の小学生時代は、1994年の4月から2000年の3月だった。この時期、子ども向けのSF叢書が新刊で刊行されることはなかった。
なぜそんなことが分かるかと言うと、ネット上に、「少年少女SF小説全集の興亡」という題名の、国際子ども図書館資料情報課長(平成25年度当時)の西尾初紀氏がまとめたPDF資料が存在しており、そこに児童向けSF叢書の刊行年表が示されているからだ。その年表を見れば、1960年代末から70年代前半にかけて、「SF」の名を冠したジュブナイル叢書が矢継ぎ早に刊行されていること、その波が80年代半ば頃から収まり、92年まで刊行された《ペップ21世紀ライブラリー》から01年の《星新一ショートショートセレクション》まで長期間、断絶する様が一目瞭然となる。そんな空白の時代だったから、新刊書店で「SF」を謳う児童書に出会うのは、難しい環境にあったと思う。
それでも、私は運が良かった。
小学2年生の学級文庫には、国土社の、今日泊亜蘭『シュリー号の宇宙漂流記』が収まっていた。世界中の誰も気づかないと思うが、私の作品「かみ☆ふぁみ!」の末尾に、書かれることのない次話予告めいた内容が載っているのはこの本の影響だ。小学校の図書室には、同じ《創作子どもSF全集》シリーズが揃っていた。これは69~71年に刊行された叢書だが、私が読んだのは恐らく81~82年に出た改装版だったのだろう。
矢野徹『孤島ひとりぼっち』、北川幸比古『日本子ども遊撃隊』、豊田有恒『少年エスパー戦隊』、福島正実『宇宙にかける橋』、光瀬龍『あの炎をくぐれ!』、三田村信行『遠くまでゆく日』、佐野美津男『だけどぼくは海を見た』……日本SFの第一世代作家と、児童文学作家が描いた物語は、日常からの決定的な遠さで、幼い私の心を強烈に引き付けた。そればかりでなくあの小学校の図書室には、恐ろしく年季の入った、鶴書房版の光瀬龍『明日への追跡』(78年)や福島正実『リュイテン太陽』(76年)が当然のように並んでいた。いつ除籍処分になってもおかしくないボロボロの本たちが、表紙に刻まれた「SF」の文字で私を呼び寄せた。
小学校から歩いて5分の、市の図書館の分室では、《SFこども図書館》(76年)が並んでいた。私が人生で初めて手に取った海外SFである、シェリフ『ついらくした月』をはじめ、ガーンズバック『27世紀の発明王』(『ラルフ124C41+』)、ウィンダム『深海の宇宙怪物』(『海竜めざめる』)、ハインライン『超能力部隊』(「深淵」)、ベルヌ『地底探検』、アシモフ『くるったロボット』(『われはロボット』)、ウエルズ『月世界探検』、バローズ『火星の王女』、ラインスター『黒い宇宙船』、ドイル『恐竜の世界』、スミス『宇宙の超高速船』(『宇宙のスカイラーク』)、クレメント『星からきた探偵』(『20億の針』)、クラーク『海底パトロール』(『海底牧場』)、ステープルドン『超人の島』(『オッド・ジョン』)、ジョーンズ『合成怪物』、ハミルトン『キャプテン・フューチャー』……ニューウエーブ以前のSFが小学2年生の私に対してほとんど総力戦を仕掛けてきたあの叢書、貪るように読み耽ったシリーズは、私が中学生になった頃に廃棄された。
あの分室には、ミステリーと抱き合わせになっている叢書も並んでいた。国土社の《少年SF・ミステリー文庫》、表紙イラストの印象的な82~83年刊行版で、ベリャーエフ『地球の狂った日』、バローズ『ペルシダ王国の恐怖』、シャーレッド『タイムカメラの秘密』(「努力」)、ラインスター『宇宙大激震』が読めた。あかね書房《少年少女世界推理文学全集》には、シオドマク/ハインライン『人工頭脳の怪/ノバ爆発の恐怖』、アシモフ/ベリャーエフ『暗黒星雲/生きている首』が入っていた。
私が小学4年生の頃、人生で初めて手に取った『SF短篇集』も、やはり同じ分室に存在していた、横田順彌編による《ジュニアSF選》シリーズ(87年)だった。その目次はこうだ。
『月こそわが故郷』……矢野徹「CTA102番星人」、眉村卓「月こそわが故郷」、森下一仁「若草の星」、小松左京「危険な誘拐」、横田順彌「宇宙のファイアマン」。
『呪われた翼』……光瀬龍「SOS宇宙船シルバー号」、津山紘一「恋するコンピュー太」、広瀬正「おねえさんはあそこに」、かんべむさし「ダイ君の変身」、山田正紀「呪われた翼」。
『果てしなき多元宇宙』……福島正実「われは海の子」、森下一仁「もうひとつのルール」、筒井康隆「果てしなき多元宇宙」、星新一「所有者」、豊田有恒「霧の中のとびら」。
『クロッカスの少年』……堀晃「ふるさとは宇宙船」、眉村卓「テスト」、今日泊亜蘭「次に来るもの」、横田順彌「クロッカスの少年」、豊田有恒「植民星アルテアⅣ」。
『赤いさばくの上で』……矢野徹「フレンドシップ2」、福島正実「赤いさばくの上で」、梶尾真治「美亜へ贈る真珠」、平井和正「赤ん暴君」、筒井康隆「デラックス狂詩曲」。
元々児童向けに書かれた短篇から、SFマガジンに発表された短篇まで幅広く収録されたこのラインナップには、あまりに鮮烈な記憶を刻み、自分がデビュー以降に書いた小説に影響を及ぼしている作品さえ含まれている。
市民図書館に足を延ばせば、あかね書房《少年少女世界SF文学全集》――アシモフ『鋼鉄都市』、ベリャーエフ『両棲人間』、シェクリイ『不死販売株式会社』、ウェルズ『宇宙戦争』、ハインライン『さまよう都市宇宙船』(『宇宙の孤児』)、ウィンダム『怪奇植物トリフィドの侵略』、そういった作品群が、私が早川書房の棚に辿り着くまでの時代を支えた。
長々と作品タイトルを書き連ねてきたのは、こうすれば伝わるだろうと思ったからだ。
つまり、ジャンルSFの読者であれば、前述のような傑作群が、小学校低学年から中学年の子どもに纏めて注ぎ込まれたという事実を知ったら、私の読書人生の始まりがとてつもなく幸福なものであったこと、90年代の後半を過ごした小学生にはあり得ないような幸運に支えられたものだったことが、恐らく伝わるだろう、ということだ。
『SF』と銘打つ児童向け叢書が刊行される時、そこには作家自身のモチベーションの他にも、編集者の意向、ブームに乗った出版社の商業的戦略、社会の関心など、様々な力学が存在しているだろう。
けれども、多くの場合、「次の世代にもSFファンになって欲しい」という祈りはきっと込められているはずだ。その祈りが届いたかどうかは、10年先、あるいは20年先まで分からないし、届いたと声高に表明できる場も少ないだろう。
だから私は、今ここで叫びたい。
私がSFを読み続け、作家になり、SF短篇集を出すことができたのは、小学生の頃、学校や地域の図書館に、背表紙や表紙に「SF」と大書された児童向け叢書が存在していて、私がそれらを読むうちに、「SF」と銘打たれた物語が面白い本だと信じるようになっていたからだ。多くの人の力のおかげで、私は今ここにいて、こうやって文章を書いている。
私の幸運の2つ目は、大学時代、SF研において多くの出会いに恵まれたことだが、どうしても私的な内容になってしまうので、ここでは省略する。ただ、大学時代からこれまで、たくさんの作品に巡り会えたこと、SF知識を増やせたこと、SFへの関心を持ち続けられたことは、SF研での繋がりによる部分が非常に大きいことは述べておきたい。
幸運の3つ目は、私が執筆を開始した時期が、大森望・日下三蔵編の《年刊日本SF傑作選》の発行期間と重なっていたことだろう。
デビュー後、特に執筆依頼が来るわけでもなく、出版社に原稿を送っても掲載されないという状態が続いていた私は、同人誌に短篇を発表しそれが《年刊日本SF傑作選》に再録されるのを祈るという手法で、何とかSF界に少しでも作品が届くように活動を続けていた。それが報われたのは、大森・日下両氏が同人誌作品もチェックするという労力をかけていたからであり、傑作選の模範の一つとされた《日本SFベスト集成》シリーズで、編者の筒井康隆が同じスタンスを取っていたからでもある。日本SF史で2度しかない、年次傑作選が編まれる時代に居合わせたことと、その編者が同人誌にも目を向けていたことが、私にとっては大いなる福音だった。
SFに限ったことでもないが、「短篇」は散逸してしまう確率が、長篇以上に高い。1度歴史に埋もれてしまえば、誰かが雑誌などから発掘して1冊に纏めて出版するという作業が、長篇単体の復刊よりも手間がかかることが多いからだ。再録アンソロジーは、散逸への対抗手段としても大きな役割を果たす企画だが、日本SFの歴史において、年次別傑作選が刊行できていた期間は、それが叶わなかった期間より遥かに短い。
年刊のSF傑作選からもう少し縛りを緩めると、88年に刊行を開始した、日本文藝家協会編による短篇小説の年次別傑作選《現代の小説》は、01年に《短篇ベストコレクション――現代の小説》と改題して現在まで続いており、例年、SF作品を複数掲載している(たとえば1987年発表作を収録した第1巻には、筒井康隆「夢の検閲官」、川又千秋「あなたは しにました」、その他SF作家の短編群が収録されている)。傑作SF短篇をジャンル外の読者にも毎年読んでもらえる好企画である一方、全ジャンルの小説から収録作を選ぶため、ここへの収録は狭き門だ。
SFマガジン発表作に限っては、同誌の掲載作から精選した年次別アンソロジーとして《S-Fマガジン・セレクション》が、81年分から90年分まで刊行されている。大原まり子「ほうけ頭」、中井紀夫「死んだ恋人からの手紙」など、初出誌かこのアンソロジーでしか読めないような名作も多数収めているが、一方で、このアンソロジー自体も刊行から久しく、収録作が忘却されつつあるのも事実だ。
この辺りで、「作品が埋もれることが問題といっても、埋もれるからにはそれぞれの作品にクオリティ上の難があったからではないか」という反応もあるかもしれない。だから反証を1つ出させてほしい。
短篇集の日本SFオールタイムベストを選ぶなら必ず上位に食い込んでくるであろう、飛浩隆『象られた力』の初刊は04年。しかし、収録された4作品の初出はそれぞれ、「デュオ」(SFマガジン92年10月号)「夜と泥の」(同87年4月号)、「〝呪界〟のほとり」(同85年1月号)、「象られた力」(同88年9,10月号)で、92年の時点で短篇集が出せる状況だったにもかかわらず、商業的事情によってか、そこから12年にわたってこれらの作品群は、SFマガジンのバックナンバーか《S-Fマガジン・セレクション》(か、飛作品をファンがまとめた同人誌)を取り寄せる以外に読む手段がなかったのである。
日本SFオールタイムベスト作品の1つである「象られた力」が、15年近く読むことも困難で、新しくSF読者になった者には存在さえ気づきにくいものだった、という事実を鑑みれば、埋もれさせてはならない作品が、今なお大量に埋もれている可能性を考慮せざるを得なくなる。
これに近い時代のSF作家で、多くの短篇が雑誌に埋もれ再発見されないままになっている例を、1人挙げたい。
中井紀夫は奇想小説「山の上の交響楽」で日本SF史に長く記憶されている――中井作品の熱心なファンであれば、『なめらかな世界と、その敵』収録作のうちの一篇が、中井紀夫の某短篇の影響のもと書かれていることはお気づきだろう――その中井紀夫の、個人短篇集収録済作品が47作であるのに対し、未収録作品は40本近くあり、しかもその中には、中篇「花のなかであたしを殺して」を始め、10本ほどのSFマガジン掲載作品も含まれている。中井紀夫のSFマガジン掲載作は、短篇集に入ったものより入らなかったものの方が多いのである。未収録の全短篇を読んだ者ならば、重要な作品のいくつかが短篇集に入っていないことや、『山の上の交響楽』が中井紀夫という才能の氷山の一角にすぎないことに気づくはずだ。
中井紀夫に限らず、この時代(80年代末から90年代半ばまで)のSFマガジンの中でさえ、作家側が連載を中断したというようなイレギュラーを除いても、大場惑、草上仁、東野司、橋元淳一郎、松尾由美、岬兄悟、水見稜、森下一仁などの短篇が、相当数、短篇集に未収録の状態にある。
《S-Fマガジン・セレクション》が途切れて以降のSFマガジンには、(遥か後年に年刊日本SF傑作選が始まったとはいえ)未だに個人短篇集に入っていない作品が多く眠っており、「奇跡の石」「ダーフの島」で2度のSFマガジン読者賞を受賞しているにもかかわらず紙の短篇集が未刊行の藤田雅矢をはじめ、(『SFマガジン700』収録作家を省いても)深堀骨、林巧、新城カズマ、小田雅久仁など2冊目の、あるいは1冊目の短篇集が編まれるべき作家が少なくない。普段は長篇を執筆しているがSFマガジンに初登場するために1度だけ短篇を書いたような作家の小説なども、やはり見過ごされやすく、しかも既に膨大な数にのぼっている。
それでも、SFマガジン中心に活躍した作家の作品はまだましな方で、他の雑誌に目を向ければ、忘れられている短篇は更に増える。
〈奇想天外〉誌は、『てめえらそこをどきやがれ! 「奇想天外」傑作選』『奇想天外 復刻版 アンソロジー』が編まれたのみで、短篇集が少なからず刊行された津山紘一でさえ現代の読者の知名度が非常に低いことからも分かるように、岸田理生や中原涼や宮本宗明や大和眞也といった作家の同誌初出作品は、改めて光を当てられなければ遠からずSF史から消えるだろう。
〈SFアドベンチャー〉に目を向けると、太田健一・鏡明・西秋生・柾悟郎・水見稜らの作品などが放置されたままだ。同じ徳間書店の〈SFJapan〉でも、谷口裕貴や吉川良太郎や八杉将司といった日本SF新人賞作家の短篇が載り続けたまま短篇集になっておらず、秋口ぎぐる(川上亮)、清涼院流水、森橋ビンゴなどのSF短篇も手付かずのままだ。
〈小松左京マガジン〉掲載の、平谷美樹「五芒の雪」、機本伸司「エディアカラの末裔」など小松左京賞受賞作家の短篇も、(上田早夕里「ブルーグラス」を除いて)まだ短篇集に入っていない。
《異形コレクション》は『侵略!』『悪魔の発明』『月の物語』『宇宙生物ゾーン』『ロボットの夜』『進化論』などSFメインの巻も少なくないが、堀晃「ハリー博士の自動輪―あるいは第三種永久機関―」、野尻抱介「月に祈るもの」、谷口裕貴「貂の女伯爵、万年城を攻略す」など、世が世なら年刊傑作選に入っていただろう短篇集未収録作品に溢れている。
《SFバカ本》は全12冊を数え、《NOVA》以前は日本最長だったSFアンソロジーシリーズで、牧野修「踊るバビロン」や森奈津子「西城秀樹のおかげです」などのオールタイムベスト作の初出媒体でもあるのだが、岡崎弘明や東野司などの、一読忘れがたい作品が眠っている。
〈獅子王〉や〈グリフォン〉といったSFジャンルに近い雑誌ならともかく、中間小説誌のSF特集号に至っては、後からだと存在を探ることさえ困難である。年刊日本SF傑作選刊行後なら巻末の概況で知れるが、〈小説NON〉の98年3月号(谷甲州「ダンカイ先生」や薄井ゆうじ「眠れない街」などの初出)とか、〈小説すばる〉の01年8月号(小林泰三「予め決定されている明日」や田中啓文「イルカは笑う」などの初出)が実質SF特集だったことなどに現代で気づくのは難しい。一時期の〈小説club〉に日本SF作家のショートショートが毎月のように発表されていたことを知っている人が、どのくらいいるだろうか。
オリジナルアンソロジー初出の作品も、他のアンソロジーへの転載が忌避されたり短篇集収録が後回しになったりするために、結果的に幻の作品になってしまうことが少なくない。近年のオリジナルアンソロジーの百花繚乱ぶりは喜ばしいが、アンソロジーが刊行されるごとに「その本を手に入れなければ読むことができない短篇」が増えるのだから、作品を評価しすくいあげるという課題はより重要になる。
WEB雑誌「SFオンライン」は休刊久しく、平文で書かれていた記事ページは未だにインターネットアーカイブから読むことができるが、小説作品はダウンロード販売されていたために、(山本弘「ミラーガール」、野尻抱介「沈黙のフライバイ」、森奈津子「いなくなった猫の話」などの紙になった一部の作品を除いて)読める手段がなくなり、小川一水「PLANETALINK」をはじめとする幾つかの中短篇がサルベージ不可能になっている。
電子媒体で言えば他にも、SF作家の書店「PlanetariArt」で販売された、伊野隆之、片理誠、八杉将司の短篇はプラットフォームの終了によって入手不可になっているし、小松左京賞・日本SF新人賞の作家13人が短篇を寄せた、電子雑誌『月刊アレ!』の2013年2月号【日本SF作家クラブ50周年記念小説特集】も、廃刊によって手に入らなくなっている。
同人誌にもSF短篇は発表され続けている。日本SFで同人誌の傑作選が商業で編まれたのは『宇宙塵』と『パラドックス』『ネオ・ヌル』くらいだが、その3誌以外でも、山本弘「シュレディンガーのチョコパフェ」や小川一水「Live me Me.」、三方行成「竜とダイヤモンド」のように、同人誌初出の名作というのは数限りなくあるだろうし、しかも年々同人活動しているSF作家は増え続けており、個人に把握しきれる量ではなくなっている。
ここまで、日本のSF短篇の未回収ぶりを述べてきたが、ゼロ年代以降は、《年刊日本SF傑作選》の他にも、『贈る物語 Wonder』、《日本SF・名作集成》、『ゼロ年代SF傑作選』、《ゼロ年代日本SFベスト集成》、《不思議の扉》、『てのひらの宇宙 星雲賞短編SF傑作選』、《日本SF全集》、『SFマガジン700 日本編』、《日本SF短編50》、『楽園追放 rewired サイバーパンクSF傑作選』、『誤解するカド ファーストコンタクトSF傑作選』、『revisions 時間Sfアンソロジー』、《SFショートストーリー傑作セレクション》など、幾多の再録アンソロジーが世に送り出され続けており、状況は少しずつ改善に向かっていると言えよう。
特に、瀬名秀明の発案のもと、北原尚彦、日下三蔵、星敬、山岸真によって編まれた『日本SF短編50』は、実作のみならず、作者紹介や各年のSF状況も掲載されており、日本SFの歴史を概観するうえで、長山靖生『日本SF精神史【完全版】』、日下三蔵『日本SF全集・総解説』などと並んで重要である。
それにしても、こうして近年の再録アンソロジーの精華を並べてみると、多くが大森望・日下三蔵両氏の尽力によるものだということが歴然となる。大森氏は《NOVA》の刊行、日下氏は《ふしぎ文学館》シリーズをはじめとする日本作家の短篇集企画などでも、日本SF短篇への貢献は計り知れない。それゆえにこそ、この2人に頼り過ぎている現状は危ういとも感じる。
日本SFの歴史を紐解いてみると、作家としてSFを「書く」ことのある人間がアンソロジーを編むことが多かった。
福島正実は《SFエロチック》シリーズで第1世代の作品を世にPRしたし、『S-Fマガジン・ベスト No.2』に、海外短篇と一緒に筒井俊隆「消去」、高橋泰邦「宇宙塵」、山田好夫「地球エゴイズム」などを収録していたのも、雑誌掲載短篇を歴史から消失させまいという想いからだろう。石川喬司との共編『世界SF全集32〈日本のSF〉現代編』に、星新一・小松左京・光瀬龍・眉村卓・筒井康隆・豊田有恒・矢野徹・石川喬司・半村良・福島正実・平井和正・山野浩一・河野典生といった現代のジャンル読者にもお馴染みの名前の他、谷川俊太郎・北杜夫・倉橋由美子・安部公房・手塚治虫といった名前も並んでいるのは、SFというジャンルの守備範囲の広さを知らしめる意味もあったのだろう。
石川喬司・伊藤典夫編『夢の中の女 ロマンSF傑作選』では、第一世代の顔ぶれに混じって、鈴木いづみ「魔女見習い」、山川方夫「待っている女」、斎藤哲夫「卵」、戸川昌子「聖女」などが並んでいるが、ページ数的にも、藤本泉「十億トンの恋」をSFマガジン掲載のまま忘れられた作品にしないようにという意図が強くうかがえる。
野田昌宏は、私の世代にはどちらかといえば国内作品より海外作品の紹介のイメージが強いが、半村良「誕生――マリー・セレスト号への挑戦」で始まり小松左京「お糸」を巻末に置く、トリッキーなコンセプトの『四次元への飛行――航空SF傑作集』を編んでいる。
SFの周縁部では、筒井康隆編『12のアップルパイ―ユーモア小説フェスティバル』のほか、日本ペンクラブ編のアンソロジーで、筒井康隆選『実験小説名作選』、眉村卓選『幻覚のメロディ』、半村良選『幻想小説名作選』、栗本薫選『いま、危険な愛に目覚めて』などで、文豪の短篇と、第1・第2世代SF作家の短篇が共演していた。
一時期SF作家が多く執筆していたコバルト文庫では、豊田有恒編『ロマンチックSF傑作選』『ユーモアSF傑作選』『ホラーSF傑作選』、豊田有恒・星敬編『恋する銀河 ロマンチックSF傑作選』、星敬編『タイムトラベルSF傑作選』など立て続けに再録SFアンソロジーが刊行されていた。
2005年に刊行された、夢枕獏・大倉貴之編《日本SF・名作集成》全10巻は、大活字本という特殊な形態のため、SF読者の目に留まる率が低かったのではないかと思うが、中身のセレクションは、ベテランの名作に混じって、小林恭二「首の信長」、中島らも「日の出通り商店街いきいきデー」、景山民夫「地球防衛軍、ふたたび」など、発表時に年刊傑作選が有ったら収録されたかもしれない境界作家の短篇にも目配りがなされている。
2010年代の再録アンソロジー企画がごく一部の編者によってなされているのは、労力に対して編者の利益が――もしかしたら、出版社の利益も――少ないからだろうというのは承知している。だが、日本SFの「書き手」が編者をつとめた往年の再録アンソロジー群が、SFシーンに大きな利益を生んでいたこともまた事実である。
随分長くなってしまった。私がここまで紙幅を使って言いたかったのは、現代のSF作家にも、ぜひ、自分の好きな作品を集めて再録アンソロジーの企画を通して欲しい、ということである。そういった本を編む人間が増えれば、面白い作品が掘り起こされる機会も増えるだろう。それに私は単純に、他人の編むアンソロジーを読むのが好きなのだ。本当は、編者を務めて欲しいSF作家を一人ひとり名指ししたい気持ちだが、それは自重する。
もちろん、日本で発表された全てのSF短篇をサルベージして光を当てるべきだ、などと言っているのではない。雑誌に1度発表されたきりの作品は、作者自身が再録を望んでいないとか、そもそもが後世に延命させるつもりなどなく、発表された時代に最大瞬間風速を出すために書かれた物語というものも、当然存在するだろう(私の「ひかりより速く、ゆるやかに」もそういう瞬間風速を目指して書いたものである)。
それでも、本当に多くの、現代の読者にも届く傑作が、人目に触れる機会を得られていないと私は考えている。その不備を少しでも解消していくために、ぜひ、力を貸してほしい。
そしてこういう提案をするからには、何の後ろ盾もない新人作家とはいえ、まず自分自身が先陣を切る必要があるだろう。
私がこの原稿を早川書房に送った後、次に取り掛かる仕事は、特に早川書房側から依頼が来ている訳でもない、日本SFの再録アンソロジーの企画書を作成して、一方的に送り付けることである。恐らく簡単に企画は通るまいし、実現には長い年月もかかるだろう。それでも、自分の作品を書くこと以外に、そういった形でも恩返しをできるよう、可能な限り努力していきたい。
願わくは、次の世代にも、幸運を。
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伴名練『なめらかな世界と、その敵』
8/20発売(Amazon)
【8/16追記:発売前重版決定!】
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