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レディー・ガガ演じる「グッチ夫人」は原作でどう描かれている? 『ハウス・オブ・グッチ』試し読み

高級ブランドGUCCIの三代目社長が殺害された。容疑者は、元妻――。
1995年3月、GUCCI三代目社長マウリツィオ・グッチが殺害された。多くの容疑者たちの中で捜査線上に浮かび上がった黒幕は、社長の元妻であるパトリツィア。
世界的ブランドを興したグッチ一族の禍根はどうして生まれたのか? 殺されたマウリツィオ・グッチと運命の女性パトリツィアの印象的な出会いの場面を、『ハウス・オブ・グッチ』(サラ・ゲイ・フォーデン:著、実川元子:訳/ハヤカワ・ノンフィクション文庫)から【本文試し読み】で紹介します。
映画化され話題のストーリーを、「映画よりさらにリアルに」炙りだします。

ハウス・オブ・グッチ(早川書房)
『ハウス・オブ・グッチ(上下巻)』早川書房

4章 若きグッチたちの反乱

「よく目を開いて見るんだ、マウリツィオ」。ロドルフォ〔編集部注:グッチ創業者のグッチオ・グッチの四男であり、マウリツィオ・グッチの父〕が大声で叱りつけた。「あの女の子のことを調べさせたよ。私はまったく気に入らないね。低俗で野心的で、金のことしか頭にない成り上がりじゃないか。マウリツィオ、あの子はおまえにふさわしくない」

マウリツィオは必死で冷静さを保とうとし、部屋から逃げ出したい気持ちをぐっと抑えて足の重心を移動した。人と正面切って衝突することが大の苦手で、とくに支配的な自分の父親とは喧嘩できない。「パパ、別れられないよ。愛しているんだ」。やっとそれだけいった。

「愛だと!」。ロドルフォは鼻で笑った。「愛がどうのこうのという話じゃないんだ。あの子がおまえの金目当てだということが問題なんだよ。そうはさせない。あの子のことは忘れなさい。ニューヨークに旅行してきてはどうだ? あそこにはもっといい子がたくさんいるよ」

マウリツィオは怒りであふれてきた涙をぐっとこらえた。「ママが死んでから、パパはぼくのことなんてぜんぜん考えてくれたことがないじゃないか!」。彼はわめいた。

「心配なのは仕事だけだろ。ぼくの悩みや気持ちなんかどうだっていいんだ! ぼくはパパの命令にしたがうロボットじゃない! もういやだ。パパが嫌いでもかまやしない。ぼくはパトリツィアとつきあう」

ロドルフォは驚愕して茫然と息子を見つめた。引っ込み思案でおとなしいと思っていたマウリツィオが、生まれてはじめて自分に言い返したのだ。息子がこれまで見せたことがなかったほどの強い意志を示し、くるりと踵を返して部屋から走り出て階段を駆け上がるのを見送った。

マウリツィオはスーツケースに身の回りのものを詰めた。家を出ていく。父を説得するなんて無駄だ。パトリツィアをあきらめることはできない。父とは縁を切るつもりだ。

「おまえには一銭もやらないからな!」。ロドルフォは脅した。「聞こえているか? おまえもあの子も私から一銭たりとも受け取れないから覚悟しておけ」

パトリツィア・レッジャーニがそのすみれ色の瞳と小柄な身体でマウリツィオを魅了したのは、1970年11月23日、二人がはじめて出会った夜のことだった。彼はひと目惚れだった。彼女にとっては、その出会いはミラノでもっとも有名な若い独身男性、しかもイタリアでもっとも魅力的なブランドの御曹司を征服する第一歩だった。

マウリツィオは友人ヴィットリア・オルランドの社交界デビューを祝うパーティーに出席するほとんど全員を知っていた。オルランド家の邸宅は、街路樹が植わり、裕福な事業家たちが多く住んでいる高級住宅街ジャルディーニ通りにある。

パーティーの出席者は街の有力者の息子や娘たちばかりで、みなマウリツィオの知り合いだ。夏になるとミラノから車で3時間のところにあるサンタマルゲリータのリグリア海岸に毎年同じ顔ぶれが集まる。レストランやディスコも併設された人気のある海の家、バーニョ・デル・コーヴォでは、人気ポップ歌手のパティ・プラーヴォ、ミルヴァやジョヴァンニ・バッティスティなどがライブを催すのが恒例だった。

マウリツィオは酒もタバコもたしなまず、話術で人を楽しませる才能もまだ開花していなかった。ひょろひょろと背が高かった彼は、ティーンエイジャーのころに2、3回女の子とデートしたことはあっても、真剣につきあったことはまだ一度もなかった。ロドルフォはちゃんとした家庭の娘でないかぎりつきあってはならないと口を酸っぱくして息子に警告し、良家の娘以外と息子がつき合おうとしたら即刻禁止した。

マウリツィオはその夜退屈していた。パトリツィアが身体の線を強調する真っ赤なドレスで登場するまでは。ひと目見た瞬間、彼は彼女から目を離すことができなくなった。やぼったいタキシードを着ていたマウリツィオは、ある有名ビジネスマンの息子とグラスを片手にしゃべりながらも、パトリツィアが友人たちと笑ったりしゃべったりする姿から目を離せず、会話が上の空になっていた。

黒いアイライナーでくっきりと縁取られ、マスカラがしっかり塗られて強烈な印象を与えるすみれ色の瞳を、ときおりちらりと盗むように彼のほうに向けたが、惚けたように突っ立って自分を見つめている黒髪の若者に彼女は気づかないふりを装っていた。彼のことはよく知っていた。同じ建物に住んでいるヴィットリアが、彼のすべてをパトリツィアに話していた。

マウリツィオはついに友人のほうに身体を寄せてそっと聞いた。「あそこにいる赤いドレスのエリザベス・テイラーに似た子は誰?」

友人はにやりと笑って教えた。「ああ、あの子はパトリツィアっていって、ミラノで輸送業を手広くやっているフェルナンド・レッジャーニの娘だよ」。ひと呼吸おいて意味ありげにつけ足した。「21歳で、あの子ならいけると思うよ」

マウリツィオはレッジャーニという名前を聞いたことがなかったし、たいてい女の子のほうから寄ってきてくれたから、つきあってほしいと申し込むことに慣れていなかった。だが今回は勇気をふりしぼって、部屋の向こう側で友だちとしゃべっているパトリツィアのほうに近づいていった。高く細いグラスに入ったパンチを手渡すことで、きっかけをつかもうとした。

「ねえ、会うのははじめてだよね?」。グラスを渡すときにそっと彼女の指にふれながら彼は聞いた。ボーイフレンドがいるかどうかを確かめる彼流の問いかけだった。

「あなたが私に気づかなかっただけじゃないの?」。媚びを含んだ口調でいうと、まつげをいったんふせてから目を上げ、すみれ色の瞳で彼の顔をまっすぐに見つめた。

「エリザベス・テイラーに似てるっていわれたことない?」。彼は聞いた。

お世辞に喜んで彼女はくすくす笑いながら彼をじっと見つめた。

「私のほうがずっといいと思ってるわ」。濃い赤で縁取りしてピンクの口紅をぽってりと塗った唇を、誘惑するようにとがらせて彼女は返した。

マウリツィオは頭のてっぺんから爪先まで興奮でぞくぞくした。撃ち抜かれたみたいに彼女に魅せられた彼は、言葉を失ってうっとりと見つめるばかりだ。何かいわなくてはと必死で言葉を探した彼は、ぎこちなく聞いた。「ああ、えーっと、その、お父さんは何をしているの?」。声が震えたことに気づいて頬が真っ赤に染まった。

「トラックの運転手よ」。彼女はまたくすくす笑いながら答え、マウリツィオの顔にとまどうような表情が浮かんだのを見てはじけるような笑い声を上げた。

「あの、その、えーっと、お父さんはビジネスマンじゃないの?」。口ごもりながら彼が聞いた。

「バカねえ」。パトリツィアの笑い声はいっそう高くなった。彼の関心を惹いたばかりか、どうやら夢中にさせたらしいとわかった。〔編集部注:パトリツィアの父は実際には運送会社の経営者〕

当時の彼女の友人たちは、パトリツィアが財産だけでなく、家柄もいい男性と結婚したいことを少しも隠さなかったと断言する。「パトリツィアは私の友人のものすごく金持ちの実業家とつきあっていたのに、彼の家がさほど有名ではないとお母さんがいったからふっちゃったのよ」とある友人はいう。

マウリツィオとパトリツィアは、サンタマルゲリータでほかのカップルとダブルデートをするようになったが、つきあい始めてすぐに、パトリツィアは考えていたほど二人の関係はうまくいかないことに気づいた。原因は父と息子の関係だった。(略)

専制君主のような父親の横暴な姿勢に怯えていた上に神経質なところがあったマウリツィオは、いっさい逆らわなかった。彼が心から信頼して仲間だと認めていたのは、ロドルフォが1965年に出張に出かけるとき運転手として雇った12歳年上のルイージ・ピロヴァーノだけだった。マウリツィオが17歳のときのことだ。お小遣いが足りなくなると、ルイージはせがまれただけ渡した。駐車違反の罰金が科せられたときにはかわりに払ってくれた。女の子とデートに出かけるときには車を貸してくれた。すべてロドルフォの了解の上のことだった。

マウリツィオがミラノのカトリック大学法学部に進学すると、ロドルフォは息子があまりにも人を簡単に信じてだまされやすいことを心配した。ある日、父は息子に懇々といって聞かせた。

「忘れてはいけないよ、マウリツィオ。おまえはグッチ家の人間だ。ほかの人たちとはちがう。おまえを引っかけようとする女は大勢いるだろう。おまえの金を目当てにする女だ。用心することだ。おまえのような若い男を虜にしてのし上がっていこうとする女性がいると心しておくことだ」

夏になると、友だちがイタリアの海岸で遊んでいる間、マウリツィオは伯父のアルド〔編集部注:アルド・グッチは、マウリツィオの父 ロドルフォ・グッチの兄にあたる。創業者グッチオ・グッチの次男〕が拡大をはかっているグッチ・アメリカの仕事を手伝うためにニューヨークに行かされた。マウリツィオはどんなことでもロドルフォに従い、心配をかけるようなことをしたことがなかった。ジャルディーニ通りで開かれたあのパーティーまでは。

最初、マウリツィオはパトリツィアのことを父に話すことができなかった。ふだんと変わらず、彼は毎日父と夕飯をともにし、父は自分が食べ終わるまで息子が席を立つのを許さなかった。息子のじりじりと落ち着かない様子に気づいたロドルフォはわざとゆっくりと食事をして、息子が苦悶の表情を浮かべるほどにいらだつまで引き延ばした。ロドルフォが食べ終わった直後、マウリツィオは席を立って飛ぶようにレストランで待つパトリツィアのもとに駆けつけ、その日2回目のディナーをともにした。

マウリツィオは自分よりはるかに世間を知り経験豊富なパトリツィアに圧倒されていた。魅惑的な外見が美容室と鏡の前で何時間もかけて作り上げられた人工的な美だとしても、彼はまったく気にしなかった。マウリツィオは彼女のすべてに夢中で、2回目のデートで結婚を申し込んだ。

マウリツィオの変化にロドルフォが気づくのにさして時間はかからなかった。ある日彼は電話料金の請求書を手に息子を問いつめた。

「マウリツィオ!」

「はい、パパ」。隣の部屋にいたマウリツィオはそのただならぬ声音に飛び上がった。

「この電話をかけたのはおまえか?」。書斎をのぞいた息子に父は聞いた。マウリツィオは真っ赤になって答えられなかった。

「マウリツィオ、答えなさい。この電話料金はただごとではないぞ!」

「パパ」。いよいよ来るべきときが来たとマウリツィオはため息をついた。部屋に入りながら彼はいった。「恋人ができたんだ。愛してる。結婚したい」(略)

マウリツィオにパトリツィアとの恋愛を打ち明けられて、ロドルフォは仰天した。「おまえの年で結婚だと?」。ロドルフォは雷を落とした。「おまえはまだ若い。学生の身分で、われわれの会社で研修を受けてもいないんだぞ」。父の反対をマウリツィオは黙って聞いていた。

いつかグッチのトップになってもらいたいと父は息子を教育してきた。アルドの息子たちには誰一人グッチの仕事を継ぐのにふさわしい人材がいない、と兄自身も気づいていることをロドルフォは見抜いていた。

「それでおまえがつきあっている幸運なガールフレンドはいったい誰なんだ?」。ロドルフォは不安な面持ちでたずねた。マウリツィオが告げた名前にロドルフォは心あたりがなく、これが一過性の恋で、その子に興味を失ってくれることを祈るばかりだった。

たぶんロドルフォのおめがねにかなうようなマウリツィオの相手はいなかっただろう。 

マウリツィオがパトリツィアとつきあって6週間が過ぎたころ、一気に緊張が高まる出来事が起こった。

映画ではレディー・ガガが演じるパトリツィア・レッジャーニ。三代目社長のマウリツィオ・グッチを演じるのはアダム・ドライバー。
パトリツィアとグッチ家の関係はどう展開するのか? 気になるこの続きは、ぜひ本書でお確かめください。

試し読み 1章(マウリツィオ・グッチ殺人事件)は▶こちらから

『ハウス・オブ・グッチ』映画予告映像は▶こちらから

▶映画『ハウス・オブ・グッチ』公式サイト

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