ウェイプスウィード文庫カバー_cmyk

瀬尾つかさ「ウェイプスウィード」① 25世紀、人類のものではなくなった地球で

7月5日(木)発売の瀬尾つかさ氏による海洋SF『ウェイプスウィード ヨルの惑星』。全3話からなる本作のうち、第1話「ウェイプスウィード」を毎日更新で全文公開いたします。年刊日本SF傑作選にも選ばれた、遠い未来の地球と人類をめぐる物語をお楽しみください。


 クチャナラの娘ヨルは、十二歳ながら、村の同年代の子どもたちと違って夜更かしする癖がある。
 知識の館に住んでいるからだ。畑も海の仕事も手伝わなくていいし、なにより日が暮れてからも明かりにことかかない。だからヨルは、その日も寝静まった村を一望できる知識の丘から、首をうーんと上に傾けて夜空を見上げていた。
 雲ひとつない星空を、無数の流星が駆け抜けていく。
 流れ星は吉兆だからヨルは夜空を眺めるのだ、と村の大人たちがいう。なぜならヨルの一族の女性は、皆、巫女なのだから。
 いや、あれは天人たちの涙なのだという者もいる。天人の涙が海に墜ち、海中でウェイプスウィードに捕まえられて、人間の魂になるのだと。だから流れ星に祈ることで子どもを授かることができる。そんなおとぎ話を真剣に語る。
 違う、とヨルは首を振る。その仕事を称して単に巫女、と呼ばれることもあるが、ヨルの一族はカミサマにお伺いを立てたりしない。でもヨルがそんなことをいっても、誰も信じてくれないのだ。
 流れ星も同じだ。地球の引力に曳かれた隕石や人工的にできたデブリが大気圏で燃え尽きるそのありさまが流れ星なのだと、ヨルは知っている。知識の館の本たちが教えてくれた。なのに大人たちはヨルの知る「真実」をこれっぽっちも聞いてくれない。もちろん同年代の子どもたちも。
 ヨルの教師である本たちは、それは仕方ないことなのだ、とヨルを慰める。彼らには迷信を振り払う前提となる知識がないのだという。ヨルの一族が幼い頃から本たちに習う科学や言語、社会、それにもちろん数学は、大半の村人にとって無意味で無価値なものなのだと。
 ではなぜ、とヨルは二年前、革表紙の本のかたちをしたロボットに訊ねた。自分のまわりをトテトテ歩きまわる彼らは、ヨルの教師であり、友でもある。
「どうしてわたしは、お勉強をしなくちゃいけないの」
 蛇腹関節の手足を持つ本の一冊が、身をそらしてその表紙を彼女に向けた。題名は古い文字だから読めないけれど、竜に向けて杖を振り上げる魔法使いの絵が描かれている本だった。
「勉強は嫌いか」
「そんなことないよ、ドラ」
 ヨルは首を振った。ドラゴンから取って、ドラ。それがこの本の愛称だ。
 むしろ逆だ。大好き。知る、ということはとてもとても好き。できれば知識の館の奥にある、紙の本の置き場に一日中、籠っていたいくらい好き。
「でも、どうしてわたしだけなのかな。わたしたちの一族だけなのかな」
「魚を捕るのにも、畑をつくるのにも、きみたちの知識は必要ない」
「わたしのお勉強は、いらないことかな」
「きみの仕事には必要なことだ。どの仕事につくかで、必要とされるものは変わる。それにほら、お医者さんだってたくさん勉強しているだろう」
「お医者さんはこの島のひとじゃないよ」
「勉強が終わった人が派遣されてくるからね。一か所で集中的に勉強させた方が効率的なんだ。学校っていうんだよ。彼らもまた特別なんだ」
 本のかたちをしたロボットは、自分のお腹の紙をぱらぱらめくった。真ん中あたりでぱらぱらがピタリと止まる。おおきく広げられたページには、いまはもうポッドから出てこない、ヨルのばあちゃんの顔がいっぱいに映し出されていた。
 しわくちゃの顔をさらにしわくちゃにして笑いながら、ばあちゃんが語る。
「いいかい、ヨル。島には、外の世界と接触できる人間が必要なんだよ。ずっとずっと昔のひとがそう決めたんだ。あたしも昔は悩んだもんだよ。あんたもじきに、この意味がわかる」
「ばあちゃんはいつ、わかったの」
「ポッドに入ってからかねえ」
 ばあちゃんは笑った。ポッドに入る前は歯が半分しかなかったけれど、いまはすべての歯が真っ白に生えそろっている。ご飯のおかずを噛みちぎるのに苦労しなくても済むようになったのかな、とヨルは思った。よかったね、ばあちゃん。
「わたしもはやく、ポッドに入りたいな。ばあちゃんに会いたいよ」
「ヨルは気が早いねえ」
 ばあちゃんはけらけら笑った。
「だけどまずは、ちゃんと元気な子を産まないとね。巫女には跡継ぎが必要だ。ヨルがお母さんにならなきゃいけない」
「妹たちがいるよ」
 ヨルの母はこの前年、事故で死んでいた。ポッドに入ることができなかった。残されたヨルとふたりの妹は、父と本たちに育てられた。
「はやくばあちゃんに会いたい」
 だけどばあちゃんは、「ヨルはいい子だね」といって、少しさみしそうに笑っただけだった。
 そんなやりとりから、二年が経つ。あの頃はよくわからなかったことも、知らなかったこともあった。いまはあの頃よりずっといろいろなことを理解している。でもヨルは、今日も夜空を見上げていた。流れ星はばあちゃんがいつもコンタクトしている外の世界から来るのだ。流れ星を眺めていると、狭い島にいてはわからない外の世界のことを考えてしまう。いつか外の世界を見てみたい。そう強く思う。
 無理なことは理解していた。ヨルは長女としてしっかり勤めを果たさなければならないから。それがヨルの一族の義務だから。
 今日の流星はずいぶん多かった。黙って草むらに座っているだけでじっとりと汗がにじんでくる。そういえばもうすぐ、雨季が来る。去年も、その前の年も、雨季の少し前くらいに流れ星が多かった。
 そうだ、と不意に思い出す。三年前のこんな日に、特大の流れ星が墜ちて……。
 ヨルは目を瞠った。
 彼女の視界の中央に、ひときわ明るい星が現れたのだ。とびきりの流れ星が、水平線の彼方に墜ちた。
「……分裂、した」
 ヨルは呟く。彼女の目が確かなら、いまの流れ星が彼方に墜ちる寸前、ちいさななにかが流れ星から分離した。
 少し遅れて、ヨルの耳に埋め込まれた無線端末が軽い電子音をたてた。
「脱出カプセルだよ」
 ばあちゃんの声がする。
「夜明けと共に捜索の舟を出させる。こぎボートじゃなくて、電気で動くでかいやつだ。悪いけど、ヨル。村長の家までひとっ走りしておくれ」
 こんな夜中に、村長の家に行けというのか。
 先代が亡くなって、いまの村長はカエルのように太ったその息子だ。きっと嫌味をいわれるだろう。彼は自分の権限が及ばない巫女の一族を嫌い抜いている。
 とはいえ、とヨルはため息をついて立ち上がる。父の言葉では、村長は動かない。いまわが家で一番、強い言葉を持つヨルが行くしかなかった。
 ヨルは星明かりを頼りに丘を駆け下りる。



ケンガセンは三十二歳で、これが三度目のウェイプスウィード・プロジェクトへの参加だった。
 初参加はまだ大学生だった頃だ。彼の生まれた木星圏のコロニーがいまでは数少ない一G環境であったため、彼は知らないうちにプロジェクトのリストに加えられていた。火星生まれで柳のような体格をした教授に抗議すると、彼は院への推薦状をちらつかせてきた。しかも特待生扱いである。
「きみもなにかと入り用だろう」
 単身、地球圏まではるばる旅してきたケンガセンは慢性的に金欠だった。
 以来、本人の興味とは別に、ケンガセンはプロジェクトのエリートとしての道を歩むことになった。
 ウェイプスウィードに興味なんてなかった。ましてや遠い昔に祖先が捨てた地球などには。
 ところが研究してみると、現在の地球環境というのはこれがなかなかに面白かった。二十五世紀の地球は、ミノトン現象によって両極の氷が溶け出して海面の水位が上昇し、大陸部では大嵐が荒れ狂い、かつてとは様変わりしている。現在の地球を支配しているのは、島嶼部にわずか残った人類ではなく、エルグレナと呼ばれるミドリムシの変異体である。国土が海に没することから逃れようとした、とある国がつくり出したと噂されるこの奇妙な生物は、地球上のあらゆる生命形態に浸食し、これらと共生し、改造していった。
 ことに海のジャングルの覇王、ウェイプスウィードときたら、その複雑かつ微妙な生命形態に眩暈を覚えるほどだ。
 二度目のプロジェクトで採集されたウェイプスウィードはしかし、実験中の事故により組成が解析される前に全滅してしまった。冷凍保存されていた分まで、そのすべてが。もともとコロニーに移されたウェイプスウィードは生育状態が芳しくなかった。性急な実験スケジュールも一因だろう。だがこうなった以上、三度目のプロジェクトでは、なんとしても完全な状態のウェイプスウィードを手に入れる必要があった。
 問題はやはり、地球に無人機を投下することが政治的に極めて困難なことだった。コロニーの市民団体はいつだって「無節操な無人機の投入は地球を汚す」と反対する。じゃあ無節操でなければよいではないかと木星圏生まれとしては思うのだけれど、教授によればそう簡単にはいかないらしい。地球圏コロニーの政治というのはひどく複雑だ。
 最年少のケンガセンを始め、大気圏突入シャトルに乗り込む四人にかけられた期待は、だから非常におおきかったのである。投入された資金も、シャトルに装備された品々も、すべてが過去最大の規模であった。
 にもかかわらず、シャトルは突入時に事故を起こした。
 カプセルで脱出できたのは、ケンガセンだけだった。彼ひとりを載せた脱出カプセルは、荒れた海の上をひと晩中漂い続けた。
 胃の中がからっぽになったあとも吐き続け、完全にグロッキーになった頃、カプセルの頭上を叩く規則正しい音が聞こえてきた。
「返答、求む」
 幼い子どものものらしき、少々ぎこちない標準語が、外部スピーカーから流れ出した。
「動けるなら、入口のロック、外して。無理なら、ボートで、曳く」
 現地住民だ。混濁した意識でケンガセンは考えた。やつらの不格好なボートで荒れる海を曳航されたらどうなるだろう。きっとカプセルはぼこんぼこん揺れる。そんなのはごめんだった。これ以上、揺れる世界にいたくない。コロニーのかたい大地が恋しかった。木星圏が恋しい。おうちかえりたい。
 幼児退行する思考を追い出して、ケンガセンはマイクのスイッチを押した。
「ハッチを開ける。少し待ってくれ」
「了解」
 高い声の現地住民は、そういった後、現地語に切り替えた。ケンガセンも多少なら、島嶼部で使われている言語についての知識がある。かろうじて聞き取れた言葉は、『ばあちゃん、いうとおり、した。答え、すぐきた』。
 ばあちゃん、策士だな。
 ケンガセンは苦笑いして、震える指を制御盤に伸ばした。さて、ハッチの開閉装置がきちんと動いてくれればいいのだが。



 ケンガセンが次に目覚めたのは、白いシーツが敷かれた清潔なベッドの上だった。たしかカプセルの外に出たところで強烈な太陽の光と潮の臭いに、気が遠くなって……。
 首を振って起き上がる。手足を動かしてみる。どこも痛くない。
 十メートル四方ほどの、あまり天井が高くない部屋だった。左右を見ると、クリーム色のタイルに囲まれた室内には、窓がない。横開きの自動ドアがひとつきり。ベッドの他にあるものといえば、彼をじっと見つめる無骨な監視カメラくらいだった。
 てっきり木組みの小屋にでも放り込まれると思ったが、と首をひねっていると、ドアがスライドして、十二歳前後の少女が入ってきた。白い布地の貫頭衣をまとい、健康に日焼けした少女だ。くりくりとした眼が素早く動いて、ケンガセンの全身を観察する。折れそうなほど細い手を後ろに組んで、ゆっくりと歩を進めてくる。
 少女のそばに本のかたちをしたロボットが付き従っていた。古めかしい装幀の革製の書籍を真似たその身体から、蛇腹関節の金属の四肢がにょきっと生えている。
 少女はベッドから二歩の距離で立ち止まると、つかの間、視線を宙に彷徨わせ、ちいさく現地語でなにごとか呟いた。それからケンガセンと目を合わせ、コロニー標準語で話し出す。
「わたしはヨル、この子は、ドラ。ここはクチャナラ島の村にある知識の館の一室。検査が終わるまで、もうしばらく、あなたをここに閉じ込め……」
「ヨル、閉じ込める、はダメだ」
 ドラと呼ばれた歩く本が、素早く現地語で遮った。
 ヨルと名乗った少女はちらりと足もとの本に視線をやり、それから耳に手を当てた。現地語で『わかった、ドラのいう通りにする』とぼそぼそ呟く。
「閉じ込めない。……ここで身体を休めて」
「ヨル、フォローが下手だ」
 ドラが、コロニー標準語でちゃかす。ヨルは顔をしかめて、ロボットの頭部を叩いた。


 ケンガセンは苦笑いした。いまのはドラが道化になることで、ヨルの非礼を帳消しにしてほしいというポーズなのだろうと理解する。どのみちケンガセンは田舎生まれだ、面倒な外交のプロトコルなど知ったことではない。軽く手を振って気にしていないことを示す。
「わたしはケンガセンという。ヨルは誰と話しているのだろうか」
「ばあちゃん。ばあちゃんはポッドに入っているから、わたしは代理」
 彼女のいうポッドとはなんだ。ケンガセンは首をかしげた。なんらかの通信端末だろうか。現地の習慣には詳しくないが、島嶼群では島でひと家族、必ず大脱出以前の知識の継承を行っているという。そうした一族がいまも宇宙のコロニーと接触をしているのだと。ケンガセンが素早く救助されたのも、教授たちがこの島と連絡を取ってくれたおかげだろう。目の前の少女はそういった家の者に違いない。島嶼部で普通に暮らす限りまったく不要な知識であるはずのコロニー標準語を習得しているのが、なによりの証拠である。
「わたしがあなたの世話をする。なんでもいってほしい」
「では、なにか食べるものを頼む。腹がすいて仕方がないんだ」
「了解。ばあちゃんがいってる。胃が荒れている人は、まずスープでお腹を慣らすべき」
「それで構わない。なるべく早く頼むよ」
 しばらくしてヨルが運んできたあつあつのスープは海草がたっぷり入っていて魚のダシがきいていた。匂いだけでお腹が鳴る。あっという間に大皿一杯を呑み干し、二杯目を呑み終わったところでストップが出た。
「次の食事は三時間後に……ええと、味は、どう」
「いや、うまかった。こんなにうまい料理は生まれて初めてかもしれん」
「ヨルがつくった」
 ドラがいった。ヨルは、はにかんだ微笑みを浮かべた。

その2へ続く

 『ウェイプスウィード ヨルの惑星』
瀬尾つかさ/ハヤカワ文庫JA
イラスト:植田亮