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発生のメカニズムを解けば、戦争をやめることはできるか?『戦争と人類』解説:世界史の見取り図としての戦争全史(池田嘉郎)

人類は戦争を生みだしたのではない。受け継いだのだ。だからこそ、やめることができる――そう説くのが、話題の新刊『戦争と人類』(グウィン・ダイヤ―、月沢李歌子訳、ハヤカワ新書)
チンパンジーの群れが繰り広げる苛烈な殺し合いから、核兵器の発明と使用、そしてドローンなど様々な最新技術が実戦投入されたロシア・ウクライナ戦争まで。文明の進歩に伴って急速な変化を続けてきた戦争の歴史を一冊に凝縮し普遍的なメカニズムを解明する本書から、池田嘉郎氏(東京大学大学院人文社会系研究科西洋史学研究室教授)による「解説」を特別試し読み公開します。

池田嘉郎(いけだ・よしろう
1971年秋田県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科西洋史学研究室教授
。専門は近現代ロシア史研究。主著に『革命ロシアの共和国とネイション』(山川出版社 2007年)、『ロシア革命 破局の8か月』(岩波書店 2017年)。


『戦争と人類』グウィン・ダイヤ―、月沢李歌子訳、ハヤカワ新書(早川書房)
『戦争と人類』
グウィン・ダイヤー、月沢李歌子訳、ハヤカワ新書

『戦争と人類』解説 世界史の見取り図としての戦争全史

池田嘉郎(東京大学大学院人文社会系研究科西洋史学研究室教授)

いかに戦争をうまく進めるか、そして防ぐか。この問いが人類史の主要な動力であった。戦争の歴史を振り返るということは、世界史を圧縮して描くことである。軍事史と世界史の両方をよく知る書き手だけが、納得のいく見取り図を示すことができる。いま読者が手にしている本は、まさにそうした見取り図にほかならない。数千年の歴史を踏まえた叙述であればこそ、本書は現在を理解し、将来を見据えるためにも力となってくれる。戦争という、不安や混乱と不可分である現象を前にして、私たちが落ち着いた足取りを取り戻すための手がかりを与えてくれるのである。

本書はGwynne Dyer, The Shortest History of War(2022)の全訳である。著者グウィン・ダイヤーは世界的に知られたカナダ・イギリスの軍事史家・アナリストである。ダイヤーは1943年にカナダのニューファンドランドで生まれ、ロンドン大学で軍事史・中東史を学び、博士号を取得した。イギリスのサンドハースト王立陸軍士官学校で講師を務め、カナダ・イギリス・アメリカの海軍に在籍した。1983年に彼が製作したカナダのテレビシリーズ「戦争」によって、その名は一躍知られるようになった。本来の専門は中東情勢で、イラク戦争がもたらした混乱を論じたThe Mess They Made(2007)がある。その後は現代世界の諸問題に議論の幅を広げ、Climate Wars(2009)(邦訳『地球温暖化戦争』)では気候変動、Growing Pains(2018)ではポピュリズムについて、軍事・歴史の知識に裏付けられた分析を展開した。他にも多くの著作があり、現在も日々メディアに評論を発表している。

テレビ番組の製作を手がけただけに、ダイヤーの筆致は分かりやすい。文化人類学の成果を活かした巨視的な把握から入って、戦争の歴史の変遷を要領よくまとめていく。武器の発展や戦術の考案も大事だが、狩猟採集や農耕や遊牧といった社会経済上の変化、国家の形成と拡大、それに国際秩序の成立が、戦争の進化と一体的に叙述される。読者はあらためて、戦争が人間社会のあらゆる側面と深く関わっていること、戦争の変化は人間社会の変化のバロメーターであることを知るであろう。

兵士の心理に分け入っている点も読み応えがある。人はどれだけ人を殺す気になれるのか。この難しい問いにダイヤーはすぐれて実証的に――「ゲティスバーグの戦い」後に拾い集められたマスケット銃の弾の数から!――向き合い、さらに爆撃機やドローンのパイロットの視線をも解析する。様々な地域や時代、トピックをさばいていく本書であるが、消化不良にならないのはダイヤーの手際のよさもさることながら、月沢李歌子氏の安定感のある訳によるところも大きい。

現在進行形の話である第9章の副題にある「核兵器、通常兵器、テロリスト」という三つの事柄のうち、少し前まで私たちを一番に脅かしていたのはテロリストであっただろう。ダイヤーは都市ゲリラを含む現代テロリズムの歴史や戦略を明快に説明しているが、私たちがテロに過剰反応してはならないことを強調する。9.11テロを起こしたビン・ラディンの本当の狙いにしても、アメリカを軍事行動へと誘い出し、イスラム教徒を原理主義に向かわせることだったのだ。もっとも、アメリカ国民の怒りを考えれば、ブッシュがアフガニスタン侵攻を避けることは難しかっただろうともダイヤーは述べる。政治家だけではなく国民の意思が、現代戦争には深く関わっているのだ。

三つの事柄の残りの二つ――核兵器と通常兵器を取り巻く状況は、この2年弱の間にだいぶ変わってしまった。東アジアでの国際情勢が21世紀に入って緊張しつつあったものの、私たちは核兵器や通常兵器による大国間の戦争を現実に目にしていたわけではない。しかし、2022年2月のロシア゠ウクライナ戦争の勃発によって情景は一変した。本書「あとがき」は2022年3月下旬に書かれているので、この戦争についての言及はわずかである。だが、本書の内容とロシア゠ウクライナ戦争とは地続きだ。

著者が批判的に紹介している米ソが育んだ仮想現実が、今やリアルになりつつあるように見える。第二次世界大戦終結後、核保有国同士の武力衝突が極めて危険なものとなったにもかかわらず、「大国は、中央ヨーロッパを絶滅しかけている通常戦争を保存できる保護区域にしようと試みた」。米ソは「全面的核戦争にはいたらない状況において、いかに『戦術的』核兵器の使用が可能かという手の込んだ理論を作りあげさえした」(本書252頁)。現在戦場となっているウクライナは、まさにこの中央ヨーロッパだ。プーチンが戦術核を使うかどうかも、この間頻繁に論じられている。NATO軍とワルシャワ条約機構軍の「両陣営とも、瞬く間に戦車や戦闘機などの最良の兵器を、代わりが間に合わないほどの速さで失いはじめる」(257頁)という展望も、現状にかなり似ていよう。

互角の近代戦力を有する軍隊による深刻な通常戦争は、1973年の第四次中東戦争が長らく最後のものであった。ロシア゠ウクライナ戦争はそれから半世紀ぶりに起こった。この戦争の性格については日本でも小泉悠氏や山添博史氏が論じている。1980年代末から米軍では小規模テロや情報戦など、「戦場の外部」での闘争が大きな意義をもつ「ハイブリッド戦争」が新しい戦争として想定されてきた。2014年のクリミア併合、ドンバスへの介入、その後の対欧米情報工作にはたしかにそうした面があった。だが、2022年2月に始まった戦争はそうはならなかった。数日間でキーウ政権を打倒するというプーチンの見込みはウクライナの抵抗によって外れた。そのためロシアは戦場での戦闘が決定的な意味をもつ、古典的な戦争に滑り込んでいったのである【*1】。

ただしこれまでのところ、そこでの戦闘は一定の抑制のもとにおかれている。NATOはプーチンを核使用にまで追い込まぬよう、ウクライナへの武器供給を自制しているし、プーチンもまたNATOとの直接対決を恐れて核兵器の使用に慎重である。こうした事態もまたダイヤーによって予見されていた。「核紛争における計算違いの痛手はあまりに大きいため、政治指導者たちの行動はきわめて慎重で保守的になる」(229頁)のである。

もうひとつ、ロシア゠ウクライナ戦争を考えるうえで示唆的なことを、ダイヤーは書いている。第10章「戦争の終わり」において彼は、核戦争を起こさずに今世紀の残りを切り抜けるためには、「多国間制度を維持し、拡大すること」が必要であり、「こうした制度のなかに新興国を組み込み、居場所を与え、協調を重んじていかなければならない」と考えている(304頁)。現在、ロシアに制裁を科すアメリカ合衆国、ヨーロッパ諸国、日本などに対して、「グローバル・サウス」と呼ばれる諸国は批判的であるといわれている。これは「西側先進諸国」が驕りによって、ダイヤーのいう多国間制度の維持に失敗したことを示すのであろうか。必ずしもそうとはいえまい。

宇山智彦氏によれば、中立を維持している国々の多くに共通するのは、「大国間の対立に巻き込まれたくない」こと、「より切迫した問題がほかにある」ことである【*2】。「西側先進諸国」対「グローバル・サウス」という対立的・固定的な構図を描くのではなく、個々の国のおかれた状況を理解しようと努めることが、ダイヤーの提言に適うことではないだろうか。

ロシア゠ウクライナ戦争の見通しはなお不透明であるし、戦後のロシアの動静も読めない。だが、私たちは焦ってはならないだろう。テロリズムに向き合う姿勢として、「大事なのはパニックを起こさないこと。そして、忍耐を失わないことだ」(288頁)とダイヤーは書いている。Don’t Panic(2015)とはイスラム国に関する彼の著書のタイトルでもあった。同じことは、現在のロシア゠ウクライナ戦争に対してもいえることだろう。

*1 小泉悠『ウクライナ戦争』、ちくま新書、2022年、199~203頁、山添博史「ロシア・ウクライナ戦争と歴史的観点」、黛秋津編『講義ウクライナの歴史』、山川出版社、2023年、289~300頁
*2 宇山智彦「ロシアは非欧米諸国に支持されているのか? ウクライナは譲歩すべきなのか?」、日本国際フォーラム、2022年7月20日、https://www.jfir.or.jp/studygroup_article/8835/


『戦争と人類』本篇はぜひ本書でご確認ください。

書誌情報

『戦争と人類』
著者:グウィン・ダイヤ―
訳者:月沢李歌子
出版社:早川書房(ハヤカワ新書)
発売日:2023年10月17日
税込価格:1,144円

戦争と人類の歴史を、この一冊に凝縮!
1万年前にアフリカで勃発した「人類最初の戦争」/ラガシュ・ウンマ戦争/トロイ戦争/ポエニ戦争/百年戦争/三十年戦争/ナポレオン戦争/南北戦争/第一次世界大戦/第二次世界大戦/冷戦/イラク戦争/ロシア・ウクライナ戦争

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