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これがノンフィクションの最前線! 話題の新刊『絶海』試し読み

乗組員250名、生還者33名。難破、叛逆、殺人、そして人肉食――300年前の人間の血と汗、飢餓、絶望を読む者に体感させる“圧倒的筆致”が、歴史の狭間の真実を暴く。
4月23日発売の話題の新刊『絶海 英国船ウェイジャー号の地獄』(デイヴィッド・グラン、倉田真木訳、早川書房)より、本書冒頭部分を抜粋して特別に試し読み公開します。

『絶海 英国船ウェイジャー号の地獄』デイヴィッドグラン、倉田真木訳、早川書房
『絶海 英国船ウェイジャー号の地獄』
デイヴィッドグラン、倉田真木訳
早川書房

【本書あらすじ】
1740年9月18日、軍艦5隻を中心とした小艦隊がポーツマスを出港した。そこには、大砲28門を備えた六等艦「ウェイジャー号」と250人の乗組員の姿もあった。財宝を積んだスペイン船を追う密命を帯び、意気揚々と出発した艦隊だったが、航海は凄絶を極め、謎の伝染病で多くが死に至り、南米大陸南端を航行中ついに嵐に飲み込まれてしまう。
隊からはぐれ無人島へと流れ着いたウェイジャー号の乗組員たち。そこで繰り広げられたのは、悲惨な飢えとの戦いだった。食料や武器を奪い合い、殺人や人肉食に及ぶ者が現れ、極限状態を生き延びた者たちはやがて対立する二組に分かれて島を脱出する。
骨と皮になり果てながらも奇跡的に母国へ帰還した33人を待ち受けていたのは、非情なる裁判だった。絶海の孤島に隠された真実とは? 彼らが犯した真の罪とは?

スコセッシ監督×ディカプリオ主演で映画化され全米で300万部を突破したベストセラー『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』の著者デイヴィッド・グランが、生存者の日誌や証言をもとに、ウェイジャー号の辿った運命を克明に描き出すサバイバル・ノンフィクション。300年前の人間一人ひとりの血と汗、飢餓、絶望を体感させる“圧倒的筆致”が、歴史の狭間の真実を鮮やかに暴く――

◆『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』に続き、スコセッシ&ディカプリオで映画化
◆《ウォール・ストリート・ジャーナル》ほか年間ベストブック22冠
◆バーンズ&ノーブル2023年オーサー・オブ・ザ・イヤー
◆バラク・オバマ大統領の2023年夏のリーディングリスト入り


著者覚書

正直申し上げて、私は船が岩にぶつかるところや乗組員が艦長を縛り上げるところを目撃したわけではない。裏切りや殺害の現場を直接自分の目で見たわけでもない。しかし、色あせた航海日誌やぼろぼろになった書簡、まことしやかな日誌や世間を騒がせた軍法会議で生存者たちが行なった供述の記録など、古文書の残骸を調べ上げるのに何年も費やしてきた。

とりわけじっくり読み込んだのは、複数の生存者が刊行した体験記だった。彼らは出来事を目撃していただけでなく、その出来事の当事者でもあるのだ。実際に何が起こったのか見極めるために、私はありとあらゆる証言の収集に努めた。それでも、当事者同士の見解の齟齬そごや、時には対立から逃れることはできなかった。そこで、齟齬をいちいち取り繕ったり、もはや不確かな証言をさらに分かりにくくしたりするのではなく、あらゆる側面をつまびらかにした上で最終評決、すなわち歴史の審判は読者のみなさんに委ねることにした。

プロローグ

唯一の公正な証人は太陽だった。奇妙な物体が海原を上下し、容赦なく風や波にもてあそばれるのをもう何日も見ていた【※1】。何度か岩礁に激突しかけたので、本書の物語はそこで終わっていてもおかしくなかった。それでも、ブラジル南東部沖の浅海にかろうじて流れついたところを住民に発見される。後にある者が主張するように神の定めであったのか、はたまた運命のいたずらであったのかはともかくとして。

長さ50フィート〔15メートル余り〕、幅10フィート〔約3メートル〕のそれは、かろうじて船と呼べる代物だった。元は木切れと布切れを接ぎ合わせた姿だったが、それが時間とともに見る影もなくなったように見えた。帆布はずたずたに裂け、横桁ブームは粉々に砕けている。船体から海水が染み出し、中から悪臭が漂っていた。集まった住民たちが少しずつ近づいていくと、気味の悪い物音が聞こえてくる。見ると、船には30人の男がひしめき合っていた。みな、骨と皮になるほど痩せこけている。着ているものはぼろ切れ同然。海藻のように塩の吹いた髪と髭が顔を覆い、絡みついている。

中には、衰弱のあまり立っていられない者もいた。やがて、一人の男が最期の息を吐き事切れた。しかし、リーダーとおぼしき人物は並々ならぬ意志の力で立ち上がり、自分たちは英国〔当時はグレートブリテン王国。以下、英国〕海軍の国王陛下の船HMSウェイジャー号の乗組員で、難破して流れついたのだと告げた。

この知らせが英国に届くと、信じがたい話だという声が上がった。なにしろ、ウェイジャー号が英国を離れたのは対スペイン戦の最中の1740年9月のことである。士官たち乗組員約250人を乗せ、極秘任務を帯びた小艦隊の一隻としてポーツマスから出帆している。その任務は、貴重品を満載した「世界の海を股にかける最高の財宝船」と呼ばれるスペインのガレオン船を拿捕だほすることだった。

ところが、南米大陸最南端のホーン岬付近で小艦隊はハリケーンにのみ込まれ、ウェイジャー号は乗組員もろとも沈没したと見られていた。それなのに、ウェイジャー号の姿が最後に目撃されてから283日後、その乗組員たちが奇跡的にブラジルに現れたというのである。

『絶海』(早川書房)
『絶海』(早川書房)より

船はパタゴニア沖で座礁し、荒涼たる島に漂着したという。乗組員の大半は命を落としたが、81人が生き残り、ウェイジャー号の残骸の一部を継ぎ足して急場しのぎの船を作り島を出た。船内は人がひしめき身動きが取れないほどで、すさまじい強風や高波に痛めつけられ、アイスストームや地震に苦しめられながら航海を続けた。その過酷な旅の間に、50人以上が命を落とした。

わずかな生存者が3カ月半後にブラジルに漂着する頃には、距離にして約3千マイル〔約4800キロメートル。以下、キロと表記〕の海を渡ったことになる。これは記録に残るかぎり最長級の漂流航海である。一行は、知恵と勇気を称賛された。一行のリーダーは「人間性に支えられていたおかげで、我らは苦難に耐えられたのだろう」と記しているが、とてもそうは思えなかった。

半年後、また別の船が漂着する。今度の船は、チリ南西部沖で吹き荒れる暴風雪の中を流れついた。前回よりもさらに小型の、丸太をくりぬいた小舟で、ぼろ毛布を縫い合わせた帆が推進力だった。船には、前回と同じウェイジャー号の生存者三人が乗っていた。状態は、前回に輪をかけて悲惨だった。三人とも半裸でやせ衰え、体に群がった虫になけなしの肉をかじられていた。うち一人はひどく錯乱し、同乗者の一人に言わせると、「自分をすっかり見失って」いて、「私たちの名前も、……彼自身の名前さえ思い出せない」状態だった。

体力が回復して英国に戻ると、三人はブラジルに現れた一行に対して衝撃的な申し立てをする。ブラジル組は英雄ではない、反乱分子だ、というのだ。そこから互いに相手側を非難し、非難される泥仕合へと発展し、ウェイジャー号が座礁して島に足止めされていた間、乗組員たちがきわめて過酷な環境で懸命に生き延びようとしていたことが明らかになる。飢えと凍えるような寒さにさいなまれながら前哨基地を築き、海軍らしい秩序ある状態を再構築しようとした。

ところが、状況が悪化するにつれ、啓蒙思想の伝道者であるはずの乗組員は、ホッブズの言う堕落した状態へと落ちていく。派閥に分かれていがみ合ったり、略奪行為を働く者が現れたり、仲間を置き去りにしたり、仲間を殺す者まで現れたりした。一部には、飢えに屈して人肉を喰らう者もいた。

話を英国に戻すと、双方のグループのリーダーは、それぞれの仲間とともに海軍本部アドミラルティ〔後の海軍省の前身。以下、海軍本部〕から召喚され、軍法会議にかけられることになった。ただし、この裁判が開かれると、被疑者が隠していた秘密が明るみに出るだけでなく、文明の伝播が使命だと自任する帝国の隠れたエゴまで露呈する恐れがあった。

告発された者の中には、この時の驚くべき、しかも真っ向から対立する言い分も含めて航海記を出版している者が数人おり、うち一人は、この時の裁判を「不明確で複雑」であると記している。なお、この遠征についての報道に影響を受けた者は少なくない。ルソー、ヴォルテール、モンテスキューをはじめとするこの時代の哲学者から、後の時代の生物学者チャールズ・ダーウィンや、海洋冒険小説の大家であるハーマン・メルヴィルやパトリック・オブライアンまでがそうである。

被疑者たちは何よりもまず、海軍本部と一般大衆を自分の味方につけようとした。一方のグループのある生存者は、自分の著述は事実に「忠実な記録」であり、「一言たりとも虚偽が入りこまないように細心の注意を払った。というのも、書き手の名誉挽回を意図すると、どう取り繕って書いてもひどく辻褄つじつまが合わなくなるからだ」と主張している。もう一方のグループのリーダーのほうは、自身の日誌で、相手グループの主張は「不完全な物語」であり、「この上なく悪意に満ちた中傷で我々に汚名を着せた」と反論している。さらに、「我々の生き死には真実にかかっている。真実を後ろ盾にできないのであれば、もはや我々に頼れるものはない」と断じている。

私たちは誰しも、自分という無秩序な事象に何らかの一貫性、つまり何らかの意味をもたせようとする。記憶の中の未処理の表象を引っ掻き回して選び出し、磨き上げ、消し去る。自分を物語の主人公に仕立てることで、自分がしたこと、あるいはしなかったことを受け入れて生きていこうとする。

しかし、本書の男たちは、自分の命そのものが自分の語る物語にかかっていると考えていた。説得力のある話ができなければ、船の帆桁の端ヤーダムに縛られて吊されるかもしれなかったのだ。

【※1】2艘の小舟の漂着に関する本文の記述は、主として生存者の日誌、通信文、出版物、私信を典拠としている。


乗組員たちを襲う凄絶な状況とは…? この続きは是非本書でご確認ください(電子書籍も同時発売)。

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著者略歴

デイヴィッド・グラン (David Grann)
《ニューヨーク・タイムズ》ベストセラー1位となった『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』『ロスト・シティZ』の著者。『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』は全米図書賞の最終候補になり、アメリカ探偵作家クラブ賞(エドガー賞)を受賞した。ほかの著書にThe White Darkness、短篇集The Deviland Sherlock Holmes(いずれも未邦訳)など。優れたストーリーテリングで、ジョージ・ポーク賞などの栄誉に輝いている。妻と子どもたちとともにニューヨーク在住。

訳者略歴

倉田 真木(くらた・まき)
翻訳者。訳書にグラン『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』、キャンベル『千の顔をもつ英雄〔新訳版〕』(共訳)、シャーキー『死体とFBI』(以上、早川書房刊)、アハーン『ザ・ギフト』、アリソンほか『リー・クアンユー、世界を語る』など多数。

記事で紹介した書籍の概要

『絶海 英国船ウェイジャー号の地獄』
著者:デイヴィッド・グラン
訳者:倉田真木
出版社:早川書房
発売日:2024年4月23日
本体価格:2,500円(税抜)

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