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脳に興味があるすべての人に心からおすすめできる一冊。デイヴィッド・イーグルマン『脳の地図を書き換える:神経科学の冒険』解説・紺野大地

「天才科学者がたどり着いた境地がここに。イーグルマンの本には、夢と驚きがいっぱい詰まっている」――竹内薫(サイエンス作家)推薦!

デイヴィッド・イーグルマン著『脳の地図を書き換える:神経科学の冒険』(梶山あゆみ訳、早川書房)が発売しました。人が視覚や聴覚、または身体の一部を失った時に脳内ではなにが起きているのか? 脳の秘められた潜在能力を「ライブワイヤード」という概念で解き明かし、人類の未知なる可能性について探求した一冊です。発売に際して、『脳と人工知能をつないだら、人間の能力はどこまで拡張できるのか』の著者のひとり、紺野大地さんによる巻末解説を特別公開いたします。

脳の地図を書き換える デイヴィッド・イーグルマン 早川書房
『脳の地図を書き換える』早川書房

解説 東京大学医学部付属病院 老年病科 医師  紺野大地

良い本を読むと心が震え、「いつまでもこの本を読み続けていたい」という感覚を抱く。そのような本に出会えるのは一年に一度あるかどうかだが、この本は間違いなくその一冊だ。

内容に入る前に、本書の著者について簡単に紹介しよう。デイヴィッド・イーグルマン博士はスタンフォード大学に所属する神経科学者でありながらNeosensory(ネオセンソリー)社を立ち上げた起業家でもあり、さらにはいくつものベストセラーを生み出した著者でもある(その中には小説も含
まれる!)という、まさに超人という呼び方がふさわしい人物である。

本書はイーグルマンの最新作 Livewired: The Inside Story of the Ever-Changing Brain の全訳であるが、この本も全米でベストセラーとなっている。

私はこれまで、イーグルマンの本を何冊も読んできた。なかでも、『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』や『あなたの脳のはなし 神経科学者が解き明かす意識の謎』(ともにハヤカワ文庫)は私が脳に興味を持ち、研究の世界に飛び込む決断をするにあたり大きな影響を受けた本である。このように私自身がイーグルマンの大ファンなので、今回解説を書かせていただけることを非常に嬉しく思う。そして本書は、イーグルマンにとって集大成と言える一冊ではないかと感じた。

本書の主張の中心は、"ライブワイヤリング(Livewiring)"という概念である。ライブワイヤリングを一言で表現すると「世界の変化に適応するために、常に自らを再構成し続ける性質」と言えるだろう。ライブワイヤリングの特徴として、本書では以下の7つが挙げられている。

 1.世界を反映する
 2.入力情報を受け入れる
 3.どんな装置でも動かす
 4.大事なことを保持する
 5.安定した情報を閉じこめる
 6.競うか死ぬか
 7.情報を求める

詳細については本文を読んでもらうこととして、本書におけるイーグルマンの主張は「脳はライブワイヤード(Livewired)なシステムである」というものである。その根拠として、右半球を持たずに生まれてきたにもかかわらず左半球だけで右半球の機能の大半が補われ日常生活にはほぼ支障がなかったというエピソードや、盲目の人は視覚を司る脳領域が小さくなる代わりに聴覚領域が広がり、結果的に音を聞き分ける能力が上昇するというエピソードなどが取り上げられている。こういった数々の事例から脳の本質を抽出し、ライブワイヤリングという新たな概念を生み出すイーグルマンに、同じ研究者として尊敬の念を抱かずにはいられない。

個人的にとりわけ興味を引かれたのは4章である。4章では、人工内耳を埋め込んだ患者が最初は外界の音をまったく理解できないにもかかわらず、わずか数ヶ月で普通に音を聞き分けられるようになることや、盲目の人の舌をカメラの映像に応じたパターンで電気刺激し続けると、やがて「舌で世界を見る」ことができるようになるという事例が取り上げられている。イーグルマンはこれらをもとに、「脳は汎用的なパターン認識器であり、どんな入力であってもそこから意味のある情報を引き出す術を見つけ出すことができる」と主張する。

イーグルマンが素晴らしいのは、ここで止まらずに実践へと踏み込む点である。彼はネオセンソリー社という会社を立ち上げ、「ネオセンソリー・ベスト」という着用可能なベストを作り上げた。このベストは、周囲の情報を振動として皮膚に直接フィードバックする。生まれつき耳が聞こえない患者にこのベストを着せて周囲の音を振動としてフィードバックし続けたところ、半年後にはこの患者は「頭の中で音を感じる」ようになったという。

さらに彼は、ネオセンソリー・ベストの使い方をさらに発展させることで「感覚追加」という概念を提唱する。これは、「情報をリアルタイムにフィードバックされ続ければ、どんな種類の情報であっても直感的に理解できるようになる」という仮説である。どういうことかと言うと、たとえば「周
囲300キロメートルの気象データ」を何らかの形で常にフィードバックされ続ければ、天気予報を見なくても気象パターンを直感的に知覚できるようになり、株式データがリアルタイムにフィードバックされ続ければ、世界市場の動きを「感覚として脳が把握できる」可能性があるということらしい。
これらは単なる空想の話ではなく、ネオセンソリー・ベストを用いて気象データや株式データを振動としてリアルタイムにフィードバックし続けることで実際に検証できる点が重要である。気象パターンや世界市場の動きを「直感的に理解」できる人類が本当に現れうるのか、結果を楽しみに待ちたい。

ちなみに、我々の研究室でも「感覚追加」に取り組んでいる。我々の研究室では、地磁気センサーを内蔵したチップをネズミの脳に移植することで、「本来は地磁気を感じることができないはずのネズミに地磁気を感じさせる」ことに成功した。ここでは詳細は割愛するが、この結果は脳は生まれつき感じることのできない刺激であっても、リアルタイムのフィードバックを続けることでその情報を利用できるようになることを示唆している。そう考えれば、地磁気に限らず赤外線や紫外線、X線などを「感じる」ことができるようになる可能性は十分にあるし、イーグルマンの言うように「気象データや株式データを直感的に理解できる」ことも荒唐無稽な発想ではない。

果たして脳にはどれだけの潜在能力が秘められているのか。我々もイーグルマンに負けないようにこの問いに挑戦し続けたいと考えている。
 
11章では神経科学の話にとどまらず、ライブワイヤリングの考え方の工業応用に話が展開する。イーグルマンの主張は「すべてができあがった装置を人間が設計するのではなく、世界との相互作用を通して装置自らに配線パターンを完成させる。それが自己構成能力をもつ未来の装置だ」というものだ。たとえばライブワイヤリングを用いて設計された車は、車どうしがコミュニケーションをとって知識や情報を共有することで時間と共に運転能力が向上するし、ライブワイヤリングの思想で設計された建物は建物内の人数に応じてトイレや蛇口の数を増やしたり、季節に応じて建物自体の形を変えることで自ら日当たりを調節したりできるようになるという。このように、ライブワイヤリングの考え方は幅広い分野に応用可能であり、社会に大きな変化をもたらすとイーグルマンは主張する。

一般に研究者には自分の専門分野を突き詰めていく職人タイプが多いが、イーグルマンのスタイルはその対極だ。自らの専門性を深めつつも、狭い専門分野に囚われることなくどんどん新たな分野へと挑戦していく。いつの時代も新たなイノベーションを生み出すのは、異なる分野間に橋をかけるイーグルマンのような人間なのかもしれない。

最後になるが、イーグルマンの本を読み終えるといつも温かい気持ちになる。その理由は、イーグルマンが書く文章の根底には人間愛が流れているからかもしれない。そんなイーグルマンの本をきっかけに脳科学に興味を持った人は、きっと私だけではないだろう。脳科学のファンや未来の研究者を増やすことは、素晴らしい研究をすることに引けを取らないくらい素晴らしい営みだと私は考えている。本書はイーグルマンのファンはもちろん、既に研究に携わっている人、未来の世界が知りたい人など、脳に興味があるすべての人に心からおすすめできる一冊である。

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