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小宮山功一朗×小泉悠 最強コンビのサイバー旅行記!『サイバースペースの地政学』特別試し読み

6月19日(水)にハヤカワ新書『サイバースペースの地政学』(小宮山功一朗・小泉悠、本体1,000円)が発売になります。大手企業や人気サイトへのサイバー攻撃のニュースが相次いでいますが、本書は「サイバースペースとはそもそも何なのか?」という原点に立ち返り、サイバーセキュリティと軍事のプロが北海道から九州まで、さらにはロシアとその隣国エストニアにまで足を伸ばし、現場の生々しい手触り感を伝える出色のレポートです! 本記事では冒頭の「はじめに」を特別公開します。


ハヤカワ新書『サイバースペースの地政学』

はじめに

本書はインターネットに代表されるサイバースペースを物理的な装置から眺めようという試みである。我々は日々サイバースペースを便利に利用している。もはやサイバースペースなしの生活を想像することは難しい。ところがそのサイバースペースに触れたことがある人はいない。サイバースペースは多くの人にとって、空想上のからくり仕掛けである。そこに何かを打てば、返ってくるものがあるが、中で何が起きているのか想像のつかないブラックボックスである。

サイバースペースなしに我々の生活は成り立たない。新型コロナウイルス感染症の対策として、人や物の往来が厳しく制限された。そのような状況下にあっても、経済活動や政治活動は継続され、人類はその歩みを止めることなく今日を迎えた。我々の多くはリモートワーク、オンライン授業など、サイバースペースによって生かされる経験をした。サイバースペースが我々にとって欠かすことのできない存在であることに疑問の余地はほとんどないように見える。

その一方で、我々はサイバースペースというものについて多くを知らない。サイバースペースとはスマートフォンとその先にあるソーシャルネットワークと捉える人がいる一方で、テレビ塔や海底ケーブルや人工衛星もまたサイバースペースであると考える人もいる。人類80億人が相互に繋がり共同するためのグローバル・コモンズと捉える人がいる一方で、国家が生き残りをかけて競う第5の戦場と捉える人がいる。ある人はサイバースペースにおける表現の自由を最上級の価値と捉え、ある人は治安の維持こそが重要と考える。サイバースペースを一言で言い表すのは難しい。

国際社会におけるグローバリゼーションへの冷ややかな視線も気がかりである。米国民は不法移民の国外追放や外国製品への関税引き上げなどを公約に掲げる候補者を大統領に選んだ。イギリス人はEUを離脱することを明示的に選択した。世界は不安定な開放よりも、むしろ閉じた安寧を求めているのかもしれない。そのような時代にサイバースペースはこれまでのように、世界中を繋ぐことを命題として掲げ続けられるのであろうか。

つまり我々は、サイバースペースという得体の知れないものを頼りにし、その目的が世界の変容と矛盾することを感じながら、それでもそれにすがって生きているということになる。本書の目的は、この得体の知れないサイバースペースの正体を、なるべくわかりやすい形で読者に提示することである。

サイバースペースあるいはその中心となるインターネットは新しい技術と捉えられることが多いが、少なくとも50年の歴史がある。これまで、国連や技術者コミュニティなど様々な場で、サイバースペースの全体像を捉えるため、言い換えればサイバースペースを定義するための努力がなされてきた。その一つ一つを紐解くことはしないが、結果としてサイバースペースの定義は定まっていない。議論の道筋をたどってわかったのは、サイバースペースという言葉は伸び縮みする言葉であるということである。同じプレーヤーが異なる議論の場で異なるサイバースペースの定義を使い分けることもある。サイバースペースという言葉の定義そのものが、極めて影響範囲の広い政治問題なのである。移ろいの激しい情報通信技術の性質を考えれば、サイバースペースの定義は、労多くして得るものが少ない作業かもしれない。

本書はサイバースペースの全体像ではなく、その一部分である物理的なインフラに着目する。ここでのインフラとは、海底ケーブルであり、データセンターであり、その他サイバースペースを支える土台の装置である。世界中に点在するそれらのインフラは、一般にその役割や重要性が十分に理解されているとは言い難い。インフラというのはその定義からして、「見えないもので、他の営みを支えるもの」である。見えづらく理解されにくいことはある意味当然なのかもしれない。

限られた時間のなかで、最大限「サイバースペースの手触り」を得るために、我々は取材の旅に出た。北は北海道石狩市から、南は長崎市まで、様々な場所に実際に足を運び、手で触れ、その場の匂いを嗅いできた。サイバースペースの維持に汗を流す方々に直接疑問を投げかけてきた。

「木を見て森を見ず」ということわざがある。物事の細部にとらわれるあまり、全体像を見失うことへの警句である。本書では、サイバースペースを描くために、あえて森ではなく木を、つまり全体像ではなく一部分を見ていく。この場合の木とは言うまでもなくサイバースペースのインフラである。森にあたるのは近未来の日本の安全保障および、多少大げさに言えば人類の未来そのものである。サイバースペースにおける技術革新は、現代そして未来の安全保障を論ずる上での非常に大きな不確定要素である。それは日本の安全保障上の重要な課題であることはもとより、大国間のパワーバランスを覆す可能性を秘めている。あらゆる活動がサイバースペースに依存する現代の社会において、ICT技術は未来を形作る欠かせない要素である。

インフラを訪れるのは、ロシア軍事を専門とする小泉悠とサイバーセキュリティを専門とする小宮山功一朗の2名である。同じ目的で、同じ場所を訪れても、二人の感じとる内容は大きく異なる。我々は、二つの目から得た異なる像を結びつけ、距離感や立体感をつかむ。同様に、二人の描く像の差異から、サイバースペースに対する新しい見方を、そして技術の安全保障への影響を読者に提供できれば幸いである

本書の構成は次の通りである。第1章では千葉ニュータウンに出現した大型データセンター群を訪ねる。続く第2章では長崎市に残された海底ケーブル陸上げの遺構や、博物館に残された文書を元に、日本がサイバースペースにどう繫がったかを確認する。第3章では長崎市中心部や横浜に海底ケーブルの敷設や修理を行う船を訪ね、張り巡らされたケーブルの脆さと強靭さについて考える。第4章ではサイバースペースの内側に入り込むべく、北海道の石狩、そして東京都心にあるデータセンターを訪ねる。第5章ではサイバースペースが戦場となりつつあるという問題意識をもとに、ロシアや中国の脅威とそれに対抗する西側の努力という枠組みを提示する。第6章では小泉がロシアとエストニアの国境の街を訪れ、国家がサイバースペースに干渉し、あるいはサイバースペースが国家に働きかける、双方向のやりとりを見出す。最後にこれらの議論をまとめ、国家安全保障、経済安全保障、データガバナンスやプライバシー保護といった社会的な課題の解決にあたって、サイバースペースに期待される役割を描く。

サイバースペース(Cyberspace)という言葉は、科学者ではなくSF作家の発明である。1984年に、作家のウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』という小説で現実と電脳世界(サイバースペース)が交錯する世界を提示した。電脳世界に没入(ジャックイン)する能力を奪われた主人公のケイスは、現実の世界を軽蔑し、物理空間に生きる自らの肉体を過酷なまでに痛めつける。しかし、現実世界で唯一愛することができた女性とサイバースペース内で再会したケイスは、肉の体が生きる世界の意味をもう一度見出した。サイバースペースという言葉には、物理空間との関係性という問題がその成立当初から内包されてきたのである。

ちなみに『ニューロマンサー』は第三次世界大戦後の千葉から始まる。サイバースペースに迫る我々の旅も、やはり千葉からスタートしたい。

この続きはぜひ本書でご確認ください。電子書籍も同時発売です。

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著者近影 小宮山功一朗
著者近影 小泉悠

【著者紹介】
小宮山功一朗
 こみやま・こういちろう
一般社団法人JPCERTコーディネーションセンター国際部部長として、サイバーセキュリティインシデントへの対応業務にあたる。慶応義塾大学SFC研究所上席所員。国際組織FIRST.Org理事などを歴任。博士(政策・メディア)。

小泉悠 こいずみ・ゆう
東京大学先端科学技術研究センター(国際安全保障構想分野)准教授。専門はロシアの軍事・安全保障。著書に『「帝国」ロシアの地政学』(東京堂出版、サントリー学芸賞受賞)、『ウクライナ戦争』(ちくま新書)、『オホーツク核要塞』(朝日新書)など。

【本書の概要】
ハヤカワ新書『サイバースペースの地政学』
著者:小宮山功一朗、小泉悠
出版社:早川書房
発売日:2024年6月19日
本体価格:1,000円(税抜)