【1章3節】第8回ハヤカワSFコンテスト優秀賞受賞作『人工知能で10億ゲットする完全犯罪マニュアル』発売直前、本文先行公開!【発売日まで毎日更新】
第8回ハヤカワSFコンテスト優秀賞受賞作、竹田人造『人工知能で10億ゲットする完全犯罪マニュアル』の本文を、11/19発売に先駆けてnoteで先行公開中! 発売日前日まで毎日更新(土日除く)で、1章「最後の現金強盗 Going in Style」(作品全体の約25%相当)を全文公開です。
※前回までの更新はこちらからお読み頂けます
SECTION 3
僕は五嶋の隠れ家に預けられることになった。もう少し正確性に気を払えば、彼に監禁されることになった。目隠し状態で連れてこられたので場所も解らない。
五嶋の家は典型的な映画オタクの秘密基地だった。壁の一面はインチを数える気すら失せる巨大テレビが占拠しており、他は俳優のポスターが隙間なく貼られ、窓が見当たらない。部屋のあちこちにガラスの収納スペースがあり、Blue-rayやDVDやLD、ビデオテープといった骨董記憶媒体が整頓されている。高級そうなオーディオ機器がサボテンのようにあちこちに生えていて、何CHサラウンドか解らない音の包囲網を作っている。柔らかそうな赤ソファーの横には、小型の冷蔵庫が備え付けられている。五嶋はソファーに深々と座って、ガラス机の上の食べ残しピザを口に放り込んだ。
「俺は自由を重んじる主義だ。食事は自由。寝るのも自由。円盤は好きに見ていいし、ネット配信サービスを使ってもいい。とはいえ、監禁には一定のルールがある。外出禁止。一番風呂禁止。家事は折半。それから……」
五嶋はポケットからスマートフォンを取り出した。緑のラバーカバーに包まれた二世代前の機種。僕のスマートフォンだ。
「えー、何々? YMOさんからメッセージが届きました。『最近つぶやかないけど、息してる?』」
元同僚の八雲からのメッセージだ。返信しようと手を伸ばすが、五嶋は当然渡してくれなかった。スマホの電源を切って、棚の小型金庫に放り込んだ。
「外部との連絡は一切禁止。あとは、そうだな。ネット配信サービスの利用は許可したが、『決して走るな』は禁止」
僕は首を傾げた。記憶が正しければ、六、七年前の大ヒット邦画だったはずだ。SNSを中心に社会現象を引き起こして、何回見たかを競う人達もいた。
「どうしてです?」
「脚本が軽いんだよ。愛せない類の大衆映画だ。だから見るな。約束出来るか?」
釈然としないが、頷く以外に選択肢はない。
「オーケー。ルールを守って楽しい監禁生活と行こうじゃないか」
五嶋は冷蔵庫から缶ビール……否、しるこ缶を一本手に取ってそう言った。しるこでピザを食べる姿は、僕の中の五嶋への警戒レベルを一段高めるに十分だった。
与えられたPCはUNIX系OSが入ったノート一台のみだが、別の場所にサーバーマシンが十二台あり、自由にSSH接続して使っていいそうだ。開発のためにネットに接続するのは自由だが、警察関連の特定サイトへのアクセスは禁止されているし、履歴のチェックも行われる、と説明された。まるで、初めから僕を連れてくると解っていたようだ。
「用意周到ですね」
「そりゃあ、知能犯だもの」
「どうして、僕を拾ったんです?」
五嶋は質問には答えず、代わりに指を鳴らした。大型テレビが登録された動作を認識して、画面をつける。すると、ちょうどNHK深夜の技術番組が放送されていた。《進化し続ける統合セキュリティAI。CBMSの秘密に迫る》なるタイトルで、五十代半ばの精悍な男が、女性アナウンサーの質問に答えている。
男の名は一川由伸。日系AI企業の雄、NNアナリティクスの統括技師長。セキュリティ畑から転向した機械学習技術者だ。世間的にはCBMSの生みの親と言えば通りがいい。
『犯罪の高度化、複雑化が謳われる現代。刻一刻と変化する情勢に、従来のAIは対応し切れません。環境の変化を瞬時に学びとり、対策を会得する。自己進化AIが必要不可欠なのです』
『確かに、自己進化という言葉にはどこか旧来のSF的な懸念を抱く方々が多い。お恥ずかしい話ですが、弊社の技術者にすら居ましたよ。自己進化AIなど無謀だと言う無能な馬鹿者が』
『ええ。無論、一喝してやりました。出来ない理由ではなく、出来る手段を探すのが君の役目だ。下の目線では描けないビジョンが、私にあるのだ。とね』
一川はしたり顔で仕事論を語り、したり顔で人生を語り、さらには国会で審議中の個人情報保護法改正案を批判し始めた。そのしたりぶりが記憶を刺激し、思わず顔を背けてしまう。
「さっすが、時代の寵児は何言っても痺れるね。『出来ない理由ではなく、出来る手段を探すのが君の役目だ』だってよ。若いころのクリスチャン・ベール使ってあげてもいいね」
五嶋はしるこ缶を呷り、僕を煽った。
「三ノ瀬ちゃん、一川の元部下だろ」
図星だ。NNアナリティクス時代、僕は彼のチームで研究開発にあたっていた。
「期待されても困ります。僕は、クビになった無能な馬鹿者ですよ」
「いい年していじけるなよ」
五嶋が呆れた様子で手を叩くと、大画面で武勇伝を語る一川がぴたりと静止した。どうやら、このインタビューは僕に見せるために録画していたものらしい。なんて底意地悪い男だ。僕がこれまで出会った人々の中で、確実に二番目に性格が悪い。
「五嶋さん、でしたっけ。あなた一体何者なんです?」
「今どき流行りのフリーランスだよ。フリーランスの犯罪者。企画調達実行なんでもござれ、組織に縛られない自由な働き方の実践者さ」
組織はさておき、せめて法律には縛られて欲しいものだが。
「六条ちゃんは、前にちょいと美味しい思いをさせてやった仲でね。ま、そんなことよりだ」
五嶋は手を叩いて互いの身の上話を打ち切った。
「楽しい話の続きをしようぜ。六条に豆鉄砲食らわせた、あの……プロジェクターで照らすだけで、魔法みたいに《ホエール》を誘拐出来るって話」
「……Adversarial Example。魔法じゃなく、れっきとした技術ですよ」
AIがいかに世界を見ているか解釈出来れば、いかに騙すかも読み取れるものだ。先述したように、自動運転における世界の把握は、カメラ動画を入力としたセマンティックセグメンテーション問題に帰結する。要するに、動画の各画素を道や車、人や障害物や空にラベル分けする問題だ。この時、ニューラルネットは単にラベルを出力するのではなく、ラベルの対数尤度(尤もらしさ)を出力する。このラベル対数尤度について感度の高い画素を分析し、その画素に特定方向のノイズを加えてニューラルネットの目を欺く。それが、Adversarial Exampleだ。それらは往々にして人の目には意図不明なノイズに過ぎないのだが、ニューラルネットは意図のある特徴点とみなしてしまう。
「ちょっと試してみましょうか」
百聞は一見に如かずだ。僕は部屋のものを見回って、丁度いい相手役を探した。すると、先程スマートフォンをしまった金庫にカメラがついていることに気付いた。
(顔認証金庫か。ちょうどいいな)
薄型ノートPCを借り、LINUXのコンソールを起動する。オープンソースソフトウェアの集積サイト、GitHubからクローンしたコードを軽く改変し、五嶋の顔写真を撮って……。二十分ほど。
「出来ました」
僕は五嶋にノートPCの画面を見せた。ブリキ人形のようなCGアニメキャラクターの画像が表示されていた。
「あ、それ昔のアニメの」
「サニーです。今から彼の顔画像で金庫を開けます」
僕がコードを走らせると、サニーに色とりどりの疎らなノイズが加わった。その画像をそのまま金庫のカメラにかざす。
「いやいや、その金庫に登録されてるのは俺だけ……」
「開きました」
金庫はひどくあっけなく、そしてだらしなく口を開いた。僕は自分のスマートフォンを取ろうとしたが、五嶋にひったくられてしまった。
「ナンバーロック式に変える」
しまった。余計なことをしてしまった。後悔しつつも、僕は続けた。
「これがAdversarial Example。小さなノイズによってAIの目を騙す技術です。これを応用すれば、《ホエール》を騙すことも出来るはずです」
本来と異なるルートを辿らせることも、高速道路に見せかけ加速させることも出来る。ドローンのカメラで道を認識し、Adversarial Example生成器でルートを誤認するよう加工を施し、プロジェクターで投影する。実際の自動運転での深層SLAMはカメラ映像だけでなくミリ波レーダーやLiDARも使うのだが、ニューラルネットの画像偏重の傾向を考えれば、カメラ映像に介入するだけでも騙しきれる。それが僕の《ホエール》誘拐アイデアだった。
「いいね、絵面がいい。映画向きだ。気に入った」
「でも、単なる思いつきで終わりそうです」
そう、このアイデアの実現には二つの大きな壁がある。
まず一つ。Adversarial Example生成器の学習には、騙す対象となるニューラルネットの情報が必要だ。モデル構造、パラメータ、ハードウェア構成、エトセトラ。タスクの難易度を考えれば、可能な限り詳細な情報が欲しいところだが、《ホエール》のメーカーに問い合わせて貰えるものではない。
「さっきの金庫は、『伝統と実績ある顔認証モデルDeep Faceを採用!』と宣伝されていたんです。だから開けられました。Deep Faceはオープンソースですからね」
「ここの金庫二度と買わねえ」
「懸命な判断です。あと、悩みのタネはこれだけじゃありません」
もう一つは、計算量と電力だ。《ホエール》を騙し続けるには、Adversarial Example生成器をリアルタイムに回し続ける必要がある。空間認識、未来予測、Adversarial Example生成を同時に行う都合上、モデルサイズは巨大になる。GPU一枚ではメモリに乗らない。大型GPUを複数台回すとなれば相応の電力が必要になるが、狭い車内に発電機を持ち込めるとは思えない。
「つまるところ、筋悪です。もういくつかブレイクスルーがないと……」
そうしたことを語ると、五嶋は手を叩いた。
「それだよ」
一体どれだろう。僕は首を傾げた。
「三ノ瀬ちゃんを拾った理由だ。その首の皮を繋いでるのは、強盗メンバーとしての有用性一点だってこと、解ってるだろ? バカじゃないんだから。俺が見限れば、いつでも返品。でもって……」
五嶋は親指で首を掻き切るジェスチャーを見せた。背筋の冷える正論だ。生存本能を最優先にするなら、適当に取り繕って有能イエスマンを演じるのが最善手だ。実行の段になって警察に捕まるのがなおいい。
「それでも、あんたは言っちまう。技術者として我慢出来ない。口にせずにいられない。それは性質だ。性質は性格よりも信用出来る。信用は重要だぜ? 裏切りは最もチープなどんでん返しだからな」
裏社会の住人としての経験則なのだろうが、僕には理解し難い話だ。
「話を戻すが、三ノ瀬ちゃん。知り合いの海外武装グループが、《ホエール》と同じAIを積んだGM社製の装甲車を使ってる。実体はともかく、AIの吸い出しは頼める」
知り合いの海外武装グループなる単語が気になるが、五嶋はいとも容易く一つ目の問題を解決してみせた。
「あと、消費電力にお困りなら、そのAdversarial Example生成器、FPGAで組み直しちゃえば?」
虚を突かれた気分だった。FPGAとは特定用途専用に設計する集積回路のことだ。五嶋の言う通り、汎用計算機を使うよりも圧倒的に低電力であるし、物理的にも直接ドローンに載せられる大きさまで縮小出来る。複雑な深層ニューラルネットモデルをFPGAに実装する技術は脈々と研究されている。CBMSばりの進化するAIを組み込むような柔軟性はないが、どうせ使うつもりもない。
「けど、ハードは専門外です。僕は組めませんよ」
五嶋は得意満面で自分の鼻を指差した。
「昔取った杵柄ってやつさ」
ヤクザに顔が利き、NNアナリティクスと取引関係にあり、海外の武装グループと知り合いで、集積回路が組める人間。一体何個の杵柄をとってきたのだろう。
「さて、CBMSの倒し方と、分け前二億の使い道。どっちから考えたい?」
「……倒し方で」
「じゃ、スティングでも見るか」
僕の戦慄をよそに、五嶋は記憶ディスクを漁り始めるのだった。
『人工知能で10億ゲットする完全犯罪マニュアル』は11/19発売! 発売日まで毎日更新(土日除く)します。続きはまた月曜日に……と思っていましたが、ご好評につき明日土曜日も少しだけ更新します。(いよいよ、人工知能を騙し欺く三ノ瀬の「Adversarial Example」の全容が明らかになってきました。あと『スティング』って面白いですよね!)
前回までの更新をまとめたページを作成しました。