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【第53回星雲賞参考候補作】真顔でわけのわからないことを言え! 『SFプロトタイピング: SFからイノベーションを生み出す新戦略』より、小谷知也氏・樋口恭介氏を迎えた座談を全文公開

小社より昨年6月に刊行した『SFプロトタイピング: SFからイノベーションを生み出す新戦略』(宮本道人監修・編著/難波優輝・大澤博隆編著)がこの度、第53回星雲賞ノンフィクション部門の参考候補作に選出されました(http://www.sf-fan.gr.jp/awards/2022result.html)。選出を記念し、ゲストに「WIRED Sci-Fi プロトタイピング研究所」所長の小谷知也氏と、SFプロトタイピングの実践と普及に取り組むSF作家の樋口恭介氏を迎えた座談パート「現実とはフィクションである」を全文公開します。

合言葉は「真顔でわけのわからないことを言え」! リアルとフィクションを大胆に攪拌し、未来の価値を試作するSFプロトタイピング。その最前線を開拓する白熱の対話をご照覧あれ!

『SFプロトタイピング』
『SFプロトタイピング』早川書房

捨てられた『華氏451度』


難波 おふたりはSFとどのように出会われましたか?

小谷 僕は72年生まれなので、小・中学生の頃、つまり70年代後半から80年代にかけて、SFとは気づかずにアニメを浴びるように観ていました。『ヤマト』や『ガンダム』から、『レンズマン』や『超人ロック』、『幻魔大戦』『クラッシャージョウ』『うる星やつら2ビューティフル・ドリーマー』『ナウシカ』まで、ほぼ公開初日に観ています。僕にとって「エンタメ=普通に選んで観ていたもの」が、いまから振り返ればすべてSFだった。自分は文系だったので「ガンダムをつくりたい」とか「ボトムズに乗りたい」とは思いませんでしたが、そういう世界が当たり前のように来るのだな、というふうには思っていました。

歳をとるとともにグレッグ・イーガンやアーサー・C・クラークを読んでいったのですが、集中的に日本人のSF作家を読み始めたのは実は遅くて、2010年代、『WIRED』日本版に携わるようになってからだったりします。その前に読んでいたのは伊藤計劃さんや野尻抱介さん。最初に『太陽の簒奪者』だったか『沈黙のフライバイ』だったかを読んでハードSFの面白さを知り、『ロケットガール』『クレギオン』『南極点のピアピア動画』『ふわふわの泉』など野尻さんの本は全部読みました。そのあとに小川一水さんや神林長平さんを遡って読んでいったかたちです。同時に『WIRED』日本版でもちょくちょくSF特集をやるようになって、ついに2020年、樋口さんにもご寄稿頂いてSFプロトタイピング特集号を出しました。そのまま勢いに乗って「WIRED Sci Fiプロトタイピング研究所」も立ち上げています。

樋口 僕がSFを意識したのは大学に入ってからでした。2007年に大学に入っているんですけど、その年に伊藤計劃と円城塔がデビューしていて。SFを意識したという意味では、そこが一番大きいですね。

小説家になりたいと思ったのは高校二、三年生ぐらいだったんですけど、当時は書こうとしても全然書けなかった。ただ評論めいたものを書くのは得意だったので、小説家じゃなくて文芸評論家にはなれるかなと思っていたんです。でも、円城塔の小説なんかを読むと説明がめっちゃ多くて、小説と評論のあわいにあるような印象を受けました。それでこういうスタイルなら行けるんじゃないかと思い始めて、自分が小説を書くならこういうスタイルで、SFだなと確信を持ったんです。あとは僕にとっては東浩紀の存在も欠かせなくて、批評家である東浩紀が『クォンタム・ファミリーズ』というSF作品を書いているんですね。その作品も、批評と小説がシームレスにつながっているような書き方になっていて、「こういうスタイルで書くこともできるんだ」と思ったのが、実作に向かうプロセスとして大きかったです。

一方で、SFに触れた原体験としては、小学生のときに拾って読んだ『華氏451度』の存在が決定的です。当時、町内会で廃品回収があって、月に一度リサイクルできるものを持っていくんですけど、町の子供たちはその廃品の山から欲しいものをパクるというのがストリートカルチャーとしてあったんです。だいたいはエロ本とかを持っていくんですけど(笑)、ある時レイ・ブラッドベリの『華氏451度』が捨てられていて、ジャンプコミックスと一緒にそれを持っていった。それで『華氏451度』を読んだのが、最初のSF読書でした。

小谷 なぜ『華氏451度』を拾ったんでしょう。装幀がカッコよかったから?

樋口 『北斗の拳』や『聖闘士聖矢』と一緒に捨てられていたから、最初は漫画だと思ったんですよ(笑)。そうしたら実は小説で。うちは父親がすごく小説好きで家に日本文学全集があったので、太宰治なんかは読んだことがあって。父からは「こういうのが小説だ」と教えられていたので、小説ってリアリズムのことだと思っていたんですけど、『華氏451度』を読むと何がなんだかよくわからない。小説でもこういうのがあるんだ、という驚きが原体験としてありますね。

SFをビジネスに使うべき理由


難波 おふたりがSFプロトタイピングに関してどのような取り組みをされてきたのかお聞きしたいです。小谷さんは「WIRED Sci Fiプロトタイピング研究所」の所長を務めていらっしゃいますが、研究所はどういう経緯で立ち上げられたのでしょうか。

小谷 メディアとしてこれからどう社会とかかわっていくかを考えたときに、自分たちで記事をつくって発信する、それを広告で支えてもらう、というビジネスモデル以外の立ち位置をつくりたい、というのが一番の理由だったように思います。WIREDは雑誌とWEB記事をつくるのがメインですけど、多くのメディアと同様に広告依存モデルなので、やはりコロナ禍によるダメージを免れなかったんですよね。そうしたなかでWIREDという、SFやサイエンステクノロジーとも近しいメディアとして、最近盛り上がりつつあるSFプロトタイピングの手法を使って僕らなりのサービスを開発できるのかもしれない、と。そうした想いから、2020年の夏にクリエイティブラボ「PARTY」と共同で研究所を立ち上げました。

難波 樋口さんはそのPARTYと一緒に、ロボティクスファーム「ATOUN」との取り組みでパワードスーツの未来をプロトタイピングされています。そこではプロトタイピングを通じて、身体拡張で自由を得る「フリーアビリティ」の社会を押し出していて、ビジョンメイクをすごく重視されているのではないかと感じました。樋口さんがSFプロトタイピングを行うパッションはどのようなものですか?

樋口 僕は普段はコンサルティング会社で働いていて、いまであればDX(デジタルトランスフォーメーション)のような、リアルに存在する先端テクノロジーを使ったビジネス変革を提案するといった仕事をすることが多いので、リアルテクノロジーは自分にとって日常的なもので、かなり血肉化されています。そのため、自分の小説にはそういう「仕事で使っているリアルテクノロジー」が意識しなくともポンポン出てくることになります。一方で、自分が小説を書く過程で調べていった知識や、あるいは書きながら思い出されてくる、過去に影響を受けてきたSF小説から染み出してくる「フィクショナルなテクノロジー」という要素も当然出てくる。小説を書いていると、こういった「リアルテクノロジー」と「フィクショナルテクノロジー」の二つがあまり乖離なく、同じ文脈で並べられるものだという感覚が、身体的にしっくりくるんですね。

自分としてはそういうふうに、リアルとフィクションが地続きであるという認識を持っているのですが、世の中ではフィクションとリアルが完全に分けられている感じがしています。SFはSF、コンサルティングはコンサルティング、と分けられていることに、すごく違和感を覚えたんですよね。その違和感を抱えたままSF作家兼コンサルタントとして働くなかで、「この乖離って一体何なのか?」ということをずっともやもや考えていました。

でも調べていくと、どうやら世の中にはSFプロトタイピングやデザイン・フィクション、あるいはスペキュラティブ・デザインと呼ばれる領域において、フィクションとリアルの境目をなくして、フィクションから得られるものをリアルに導入するということが提唱・実践されていることがわかってきた。そういうものを調べると自分でも発信したくなってしまうので、ウェブサイトのnoteに記事を書いたりしているうちに、今度は企業から執筆の依頼をもらうようになっていきました。そんなこんなでいろいろやっているうちに、現在はAnon Inc.というSFプロトタイピング事業を行う会社にも「CSFO(Chief Sci-Fi Officer)」として参画し、SFプロトタイピングの仕事を行っています。

コンサル会社で働くなかで気づいたのは、けっこうな組織のリーダー層が迷走しているということ。どうやったら新しい戦略を描けるのかが全然わかっていないし、何を読んだら何が得られて、それを現実にどう生かせるのかがわかっていないと。

いまはだんだんそういう問題があることは認知されてきて、だからこそデザイン・シンキングやアート思考が流行っていたり、ビジネスパーソンのための哲学思考のような書籍が売れたりしています。そうしたなかで、SFというのはこれまでずっと未来予測をしてきたり、代替的な現実を描き続けてきたものなので、デザイン、アート、哲学と同じように、ビジネスのフィールドで戦えるツールであると僕は思っている。だからSFも使った方がいいですよ、という提案を僕はずっとしてきたんです。そこには知識の分断という不合理に対する想いというか、「使えるものは使っていこうよ」という思想も大前提としてあります。

小谷 SFがビジネスに使えるというのはその通りですよね。ただSFプロトタイピングが他のメソッドと大きく違う点は、フィクションを起点にして、そこからぐるぐる思考を攪拌していけるところだと思っています。ポストコロナ禍において、VUCAと言われるように社会がますます複雑で曖昧になってきている。これまでのロジックや見通しが通じなくなったときに、いままでのコンサルティングやデザイン・シンキングとは異なる新しい手法を試してみたいという機運が高まっていて、そのひとつとしてSFプロトタイピングが注目されるようになっているのだと感じています。

難波 他のメソッドとの違いを掘り下げて聞いていきたいと思うのですが、フィクションを用いることのメリットは何だと思いますか?

小谷 フィクションの力を借りて起こりうるかもしれない未来を描き、そこからバックキャスティング(未来を起点に現在のアプローチを探る手法)でこれからやるべきことを考えるというプロセスは、他のメソッドにはあまりないのかなと思います。「なぜ2050年とか2070年のことを考えないといけないのか?」をネクタイを締めた人たちにプレゼンする際によく喩えとして挙げているのが、日本サッカー協会についてです。日本サッカー協会は「2050年にワールドカップで優勝すること」を目指しているのですが、例えばそのときに、日本代表にマラドーナのようなエースがいて、その人が20歳だったとします。そして、例えばその親が28歳のときに彼を生んだとすると、親は2002年生まれなので、いま18歳。ということは、身体的にもメンタル的にも、その親世代以上である僕たちがすでにガンガン影響を与えているわけで、その影響が悪いものであれば「2050年に優勝する」という目標ももはや間に合わないかもしれない。そうやって30年後と地続きでつながっている感覚をもつと、30年後や40年後を想像することは決して意味のないことではないのかなと思います。

ウィリアム・ギブスンは「The future is already here, it’s just not evenly distributedyet.(未来はすでにここにある、ただ均等に分配されていないだけだ)」と言っていますけど、まさにその「まだ分配されていない未来」を見つけていくのにSFが役に立つ。例えば、パワードスーツはロバート・A・ハインラインの『宇宙の戦士』(1959)で初めて出てきたと思うのですが、それから60年ぐらい経ってようやく、スイス連邦工科大学チューリッヒ校から派生した「サイバスロン」で強化外骨格が競技用に使われることになりました。つまり、発想から実装まで60年ぐらいかかっているわけです。ドローンもそうだし、人工知能だってそうだと思うんです。技術は時間がかかって実装されるものならば、先に想像しておくのは重要じゃないかなと思うんです。

20世紀の漫画やSF的な物語に登場する未来ガジェットの代表として「テレビ電話」がありますが、いままさに(Zoomでつないで話しているのは)テレビ電話じゃないですか。でもこれをつくったのは、ソニーやパナソニックのようなテレビをつくってきたメーカーでもなければ、NTTやAT&Tのような通信系の事業体でもなく、インターネットというプラットフォームとスカイプのようなアプリケーションによって、いつの間にか実現されていた。そうした非連続的な進歩が起こる前提として、テレビ電話がビジョンとして想像されていることが、割と重要なんじゃないかと僕は思うんです。ジュール・ヴェルヌは「人間が想像できることは、人間が必ず実現できる」と言ったそうですが、まさにそういうことかなと。

そういう種をどんどんSFがつくっているし、つくっていかなければいけないと思う。そういう種をビジネスの人たちに打ち込むことで、実装が早くなる、あるいは実装される可能性や選択肢が広がることが、SFプロトタイピングの意味であり価値なのかなと思っています。

難波 あり合わせの技術要素でフォアキャストしたらこうなる、ではなく、バックキャストで「こういう未来が来たら面白いんじゃないか」というところから、50年後のことを計算していったらいまにつながるというのは面白いですね。

小谷 そこがナラティブになっていることの良さだと思うんです。やっぱり物語だと伝わりやすいじゃないですか。それを例えば、テレビ会社やメーカー、通信会社の人が読むのではなく、まったく関係ない人が読んでテレビ電話を実現させることができるのは、物語としてパッケージされているからなんじゃないかと。そこに、フィクションの価値があるのだと思います。

「空飛ぶ車」はもういらない


樋口 小谷さんがいまおっしゃったような気持ちで僕もSFプロトタイピングをやり始めたんですけど、結論としてはあまり面白くないというのが正直なところです。SFプロトタイピングと呼びつつも、実は中身はSFプロトタイピングにしないほうがいいんじゃないかと最近は考えています。というのも、パブリックイメージとしてのSFってめっちゃ古くて、「新しいものを見よう」と言っても、みんななかなかそういう「古い新しさ」の中から逃れられないんですね。本当は20世紀前半の黎明期のSFと、ニューウェーブSFと、現代の多様化しているSFと、SFといってもグラデーションが存在するのですが、世間のイメージは1910年くらいのSFで、便利なガジェットを提示しまくるみたいな感じのもので、そこでは結局、現存するリアルテクノロジーっぽいものを期待されたりします。

要するに、SFプロトタイピングと言って始まるプロジェクトって、そういうガーンズバック的なイメージが多くて、まずSFって何? というところから話さないといけないということがわかってきたんです。具体的な例を挙げると、SFプロトタイピングのプロジェクトって、「新しい都市をどうやって設計するか」「リモートワークの次に来るものは何か」「ロボットやAIと一緒に暮らす社会はどんな感じか」みたいな問いを投げかけられることから始まることがあるんですけど、そういうのはつまらないんですよね。考えなくても、ちょっとググるとけっこうわかっちゃうから。そういうわけで、SFプロトタイピングにおける「SF」要素を前提の確認抜きに押し出しすぎるとダメで、こっちでちゃんと思想と信念をもってSFのビジョンを提示していかないとスベる、ということが最近わかってきた。

小谷 そうそう、それは僕も思います。SFプロトタイピングってもちろん「SF」は重要なんだけど、それ以上に「プロトタイピング」が重要なんじゃないかと思うんですよね。そこのメソドロジーをつくっておかないと、サービスを受ける人の満足度が全然違ってくるのではないかと。

宮本 まさにそこをお聞きしたかったんですけど、クライアントの要望とのズレみたいなことって、これまで具体的にはどういうものがありましたか? いまお話に出たように、クライアントの求めているものが一昔前のSFのイメージだったりすることがけっこうあると思うんです。

樋口 SFプロトタイピングが効果を発揮するスコープって、社会情勢が変わったとか、そもそもマーケットが存在しないからどうしたらいいかわからないとか、「ゼロからつくって想像してみましょう」というところにあると思うんです。でも、そういう前提を共有していないクライアントから声がかけられる場合は、「空飛ぶ車をつくりたいんだけどどうすればいいですか?」というような、すでにプロダクトが決まった状態でその販売方法やニーズの特定をやりたい、ゼロイチというよりはイチの妥当性を100にもっていきたいという話をされることが多いんです。それはちょっとズレていて、だったら普通にビッグデータを使って予測すればいいのではと思ってしまう。

SFプロトタイピングの思想の前提にはビジョン・ドリブンというものがあると思うんですけど、クライアントがそのことをわかっていないと、イシュー・ドリブン、あるいはシーズ・ドリブン的な進め方をしたがります。その理由は、そもそも組織のあり方が官僚主義的なツリー構造になっているからなんですよね。だから組織を抜本的に改革するような場を用意しなきゃいけないのですが、それはもはや当初想定されたSFプロトタイピングのスコープではなくなってしまう。ではどうすればよいか。

そういうときに、僕はよく「SFプロトタイピングをやります」と言いながら、デザイン・シンキングのワークショップをするとか、その場で疑似的なティール組織をつくってあげるということをします。具体的にはワークショップのなかでロールプレイをして、役を振るわけです。すると、役員も新入社員も立場が関係なくなって、新入社員がチームリーダーをしたり、役員がアイテムAを取ってくる役回りをしたりといったことになります。そういうかたちで現実の組織のあり方から抜け出ることで、コミュニケーションの流れが変わることがある。SFプロトタイピング以前に、そうしたことをやらないといけないということが最近わかってきました。

小谷 僕らのプログラムでは6カ月で月2回、全12回の設計なんですけど、最初の2〜3回は準備フェーズにしています。そこでチームの意識合わせだったり、クライアントの課題を特定するという「地均し」をやらないといけないのかなと。その準備が、その後の仮説づくり、実際の創作をする前に大事ということを僕らも話していますね。

宮本 そうしたSFプロトタイピングの場でよく気づくのは、中の人の意識の違いがけっこうあることなんですよね。上の世代はゼロイチじゃなくて、自社のアイデアを実現させたいと思っているのに対し、下の世代はむしろゼロイチで新しいことを考えたい。下の世代がいろんなアイデアを出しても、上の世代が「それは実現できないんじゃないの?」と潰しちゃうケースがあって辛いという……。

樋口 それはめちゃめちゃありますね。おそらくそこには組織的なインセンティブの問題があるんだろうと思います。平社員はめちゃくちゃなことを言ってもクビにならないし、自分の成果に関係ないから言えるんですけど、部長職以上だとプロダクトにひもづくノルマがあるから、SFプロトタイピングの成果で評価されるというインセンティブが働くんですよね。

小谷 新規事業をつくって潰れたら、その人の責任ですものね。

樋口 そうなんですよね。日本企業のイノベーションのジレンマが根本的な問題としてあって、それを破壊しないといけないんです。

ディストピアをいかに提示するか?


小谷 おそらく、SFのいいところはディストピアを平然と描けることじゃないかと思います。例えばソニーから突然ディストピアな未来像が提示されたら驚きますが、それがSFプロトタイピングを経て生まれたフィクションだとしたら「ああなるほど」と腑に落ちるわけで、「だったらそうならないようにこうしましょう」ということを考えることができる。しかも物語なので、社員のなかでも共有しやすいし、企業のメッセージとしても伝わりやすいわけです。

樋口 本当にその通りで、僕はSFプロトタイピングかどうかよりも、フィクションかどうかが大事だと思っていて。いまの社会は合理主義が行きすぎて、コストカットしすぎて、長期的にしか影響が出ないものはなくしていこうとなった結果、遊びの余地がなくなってしまっている。その結果、組織の中でのフィクションの地位も低くなっていった。いま会社の中でフィクションをやっても、事業としては成立しないと思うんです。

それでもフィクションの大事さがよくわかるのが、例えば最近の広告の炎上問題だと思います。いきなり「こういうプロダクトをやります」「こういうサービスをやります」とフィクションを経由せずに提示して、「こんなのディストピアじゃん」と炎上して、せっかく投資したプロダクトを撤回しなければいけなくなる。ダイレクトに現実を考えてしまう、ダイレクトに現実に訴えてしまうから、おかしなことになってしまっているわけです。そこは一度、フィクションに基づくシミュレーションを経由して、仮想的な身体感覚として体験したほうがいいんじゃないかと思う事例が、いろんなところであるんですよね。

まさに小谷さんがおっしゃったように、フィクションならディストピアを仮説として提示できる。そこでみんなで議論できるし、じゃあどうすればいいのかを考えられるようになると思います。

宮本 ただ、「ディストピアを書かないでくれ」というリクエスト付きのSFプロトタイピングが多いようにも感じていて。「自社に関する明るい未来を伝えたい」という要望をもつクライアントのほうが多いと思うのですが、それだとあまり面白くない。クライアントからディストピアにNGを提示された場合、どういうふうにクリアしていくべきだとお考えですか?

樋口 僕としてはアプローチが三つあると思います。ひとつは、断る(笑)

一同 (笑)

樋口 もうひとつが、ちゃんと思想を理解してもらうように、すごくしゃべる。さっきの「古いSF」を更新するような説明をして、前提を揃えていくわけです。最後に、これが一番現実的なんですけど、五人ぐらいSF作家を用意して、シナリオのオプションを用意する。そのなかで、一本はクライアントのお望み通りのものを書きましょうと。もう一本はもっと理想の未来を書きましょう。でも一本は、ディストピアを書きましょうと。

これは、シナリオ・プランニングの手法としてはけっこうあるあるだと思います。シナリオ・プランニングって条件分岐で考えるものなので、「分岐によって生まれた五つのシナリオについて詳細なナラティブを書きましょう」と提案すれば、納得感が得られるかたちでディストピアが描けるのではないかと思います。

小谷 僕たちのプログラムでも1・2・3はまさに内包しているなと思っています。1の「断る」はなるべく最後にとっておきたいんですけど(笑)。2の「説得する」は、先ほどもお話ししたように準備の段階で目線を合わせることに相当します。そして3に関して言うと、僕たちが考えているプログラムでは、全セッションに参加するリードのSF作家が一名と、オルタナティブで二名、計三名の方に書いていただこうというふうに思っています。なので樋口さんがおっしゃったように、「この人にはディストピアを書いてもらいます」というバランスを取ることはできるのかなと。

未来について語るとき、WIREDでは「Future」ではなく「Futures」という言い方をしています。未来はどんどん分岐していくもの、いつだって複数形だと思うんです。ある企業がある未来についてすごく説得力のある物語をつくってしまったら、一企業のSFプロトタイピングのプロジェクトとして責任が大きすぎる可能性だってあるわけで。なので、いつだって選択肢は残しておいたほうがいいんじゃないかと思っています。

ダイナミズムを殺してはいけない


大澤 樋口さんのお話で納得したのは、SFプロトタイピングはコミュニケーションとしての役割が大きいんじゃないかということです。新しいアイデアを生むだけでなく、異分野の人たちがSFプロトタイピングを通じて意見交換できるのがメリットなのだろうと思っています。そこでフィクションならディストピアを描ける、そのディストピアをベースに議論できるということに、とても価値があるんじゃないかと。例えばSFを広報に使いましょうという話はよくありますが――

樋口 それは一番ダメなやつですね(笑)

大澤 ただ社外への広報というよりも、社員たちに議論させるためのツールとしてSFが機能する例が、実はあるんじゃないかと思うんですよね。そこらへんは、SFのひとつの価値として押し出していけるのかなと思いました。

樋口 僕はどうしてもフィクションという言葉にこだわってしまうんですけど、ユヴァル・ノア・ハラリはシェアード・フィクションがあったから文明が発達してきたという話をしているじゃないですか。それはマジでそうだと思うんですけど、企業のなかで組織人として働いていると、あまり現実をフィクションだと思えないように教化されちゃう気がしていて。つまり、この会社はこういう事業をしています、あなたはそのなかでこのプロジェクトをしていて、こういう役割を与えられています、と。で、組織のなかの一人ひとりは、その構造は所与の前提であり、自分では変えられないものだと思ってしまっている。

だけど、現実もフィクションであり、変えられるということに、フィクションを経由することで気づけるかもしれない。フィクションが改変可能であるのと同様に、目の前の現実も改変可能であるということを、組織のなかで働く一人ひとりが認識することがかなり大事なんじゃないかと思います。だからSFである必要はないのですが、フィクションをどんどん流通させることで組織の風通しをよくすることができる。それが、組織におけるフィクションの役割として一番大きい気がします。

難波 先ほどおっしゃっていた、広報にするのがダメな理由は何でしょう?

樋口 広報のツールにするというのは、広報担当がそのプロダクトの一環でやるだけだから組織が動かない。だから組織構造にとっても意味がないし、広報がやっても経営企画やマーケティング、デザインの部門に波及しないので、次につながらない。事業的にもあまり意味がないということです。

あとは、SFプロトタイピングという言葉にとってもよくないですよね。SFプロトタイピングとかデザイン・フィクションには、コミュニケーションのあり方を柔軟にするとか、組織の風土を改変していくことが大事な役目としてある気がするんですけど、ただの広報のツールとして、つまり「うちの会社はこんなにも未来のことを考えているんですよ」とアピールするためだけの道具としてSFプロトタイピングが認知されてしまうのは、けっこうヤバイですよね。

宮本 権威付けに使われる、あるいは「あの会社は面白いことをやっていそう」と表面的に思わせるためのツールとして使われてしまうことはありえますよね。それも大事なことかもしれないですけど、作家側がコントロールされてしまうのはもったいないです。

樋口 やっぱり偶然的な事故が発生しないものは、すぐに形骸化を呼ぶものになる。それはたぶん、デザイン・シンキングとまったく同じことだと思うんです。デザイン・シンキングって流行りものだから、付箋をぺたぺた貼って、その結果を写真に収めてパワポに貼って、経営層に報告するだけのものになっていて。そこではデザイン・シンキングによって生まれるはずのダイナミズムが完全に失われている。デザイン・シンキングが結果ありきのものを下支えするためのツールにしかなっていないという事態は、いろんな組織で起きていて。やはりコントロール可能なものになると形骸化を招くので、SFプロトタイピングも易きに流れてしまうとそういうことになると思います。ダイナミズムをつくるためには事故が必要であり、強制的に事故を起こすことのできる手段として、SFプロトタイピングは使われるべきだと思います。

宮本 小谷さんは、形骸化しないように作家とクライアントをどうつないだり、どういう枠組みをつくることに気を付けていますか?

小谷 なるべく「クライアントの望む未来を攪拌するために来たトリックスター」という体で臨みたいとは思っていますね。つまり、クライアントがもっているあるテクノロジーがあったとして、それを未来にどうインストールしていくかは実はどうでもいいです、と。いや、どうでもいいですとは表立って言わないし、最終的にはそこに結び付けていかないといけないわけですが、スタンスとしてはトリックスターでありたいなと。WIREDのサービスに興味をもってくれたクライアントさんと話をしたときに、「SFプロトタイピングってこういうことなのかな」と思ったことがありました。例えば、飲料メーカーの50年後を考えるときに、メーカーとして何をやっていくのかというところには最終的に落としていかないといけないのだけど、別に未来には飲料メーカーだけが存在するわけではないじゃないですか。そこには個人がいて、社会があって、世界がある。その未来を描けるのがSFの想像力で、飲料水を届けるための何かだったり、飲料水を手に取るに至るまでの気持ちだったりを考えると、やるべきことが他の業種に染み出していくはずなんですよね。

つまり、「飲料水の未来」を考えるときに「飲料水だけの未来」を考えてはいけない、という気付きを与えられることが大切なのかなと。それはデザイン思考では出てこないような思考プロセスだと思います。だからなるべく、「SF作家にうちの技術を使ってこんな未来を描いてもらえるといいな」というクライアントの考えを打ち砕いていって、もしくは違うところにまでつなげていって、「一緒にジョイントベンチャーをつくったほうがいいんじゃないですか?」みたいな提案にまで発展したり、違う業種へのブリッジになるような意識付けもできたらと思っています。

樋口 まさに、SFプロトタイピングでは本当にそういうのがあるあるですよね。案件をやるたびに、毎回予想外のことが起きるなと僕も思います。やっぱりパワポ的なプレゼンテーションだと、箇条書き的になってしまう。一方でブレスト的に議論を拡散させていくとき、例えばある情報要素AとBとCがあるときに、要素DやEが小説を書く過程で生まれてくるというのがナラティブの性質としてある。SFプロトタイピングにはそういうダイナミズムがあるので、やっていると必ず予想外のところに結論がいってしまうという特性がありますよね。

大澤 広報に使ってしまうと、そこのダイナミズムが生かされないのがもったいない、うまみを生かせないということですね。

プロセスに巻き込ませること


小谷 樋口さんがこれまでやられてきた案件では、多様なナラティブを収束させるにはどういう判断で着地させていますか?

樋口 案件にもよりますね。事業戦略をこれから書きますとか、プロジェクトがまだ始まっていなくてアイディエーションの段階なんですということであれば、収束させなかったりします。

反対に、プロジェクトをやることが決まっていて具体的なアクションを考える必要があるなら、線表を引いて、ナラティブのなかで出てきたアイデアをプロットしていきましょうと提案します。バックキャスティングで考えて、要素Eは50年後ぐらいにしか無理だろうからここに置きましょう、そのためには30年後にはこうなっていないといけないから要素Dはここに置きましょう、と。そうすることで、直近でやるべきことまでアイデアを置くことができます。

宮本 アウトプットのかたちを考えるときに、クライアントごとの違いがどういうふうに発生しうるかは気になっています。大きい会社、小さい会社、行政組織といろんなタイプのクライアントがいるなかで、クライアントごとに違いというのはありますか?

樋口 それはあると思います。Sっぽい積極的なクライアントか、Mっぽい受け身なクライアントかによっても、取材して出てくる情報が全然違うと思うんですよね。SF作家はビジネスに関しては素人であり取材しないと始まらないので、ディスカッションが大事になってきます。そのときにSF作家を尊敬していろいろと協力してくれる、どちらかと言えばMっぽい企業であれば、聞ける情報も多いのでいいものができやすい。逆に堅い会社は堅いことしか言わないから、それで得た情報で小説を書いても、教科書っぽい話になっちゃうんですよね。結局は取材して得た情報を使って物語を書くわけだから、面白いことを言ってくれるような会社じゃないとダメというところはありますね。

宮本 小谷さんはアウトプットのかたちについてどう考えていますか?

小谷 作家の方々は普段、どのような思考プロセスを経て未来を舞台にしたフィクションを編みだしているのか……。そのプロセスを抽出して自分なりの武器として使えるようになっていただく機会をお届けするのも、SFプロトタイピングが担える役割のひとつなのかなと思います。僕が作家ではなくプロデュースする側だからなのかもしれませんが、SFプロトタイピングの成果物は必ずしも作家が書いたナラティブだけではなく、「フィクションによって未来を形づくる」という作家の方々の特殊能力を浮き彫りにし、それを別のところでも生かせるようになる、ということが残せるといいかなと思っています。

樋口 いずれにしても、クライアントが本気かどうかが大事ですよね。SFプロトタイピングに限らず、デザイン・シンキングなどの手法でもそうだと思うんですけど。流行りものだからSF作家を呼んでみました、というのだとダメというか。

小谷 そう、だからクライアントを“お客さん”にしてはいけないんだろうなと。そういう意味で、反転学習のような感じで事前に宿題を出しておいて、ミーティングのなかでは答え合わせをするのもありだと思います。作家や識者の方にレクチャーしていただいたり、作品を読むのは事前にやっておいてもらって、リアルの場ではそれを踏まえた議論をするほうがクライアントをお客さんにさせないでおくことができると思っています。

大澤 これまでの経験で一番良かったパターンのプロセスにおける、取材、ディスカッション、作品づくりのバランスはどれくらいでしょうか?

樋口 バランスの前のそもそもの話をすると、SFプロトタイピングのあり方っていくつか選択肢があると思うんですけど、SF作家がただ書いてただ納品するというようなパターンが一番よくない。それは単にやれる人がやっているというだけで、何の変革もないからです。なので、取材して納品するのはそもそもよくないと思いますね。

僕がやってよかったのは、ワークショップ形式のもの。僕があらすじだけ考え、それをみんなに配布してチームをつくり、「登場人物Aについてはあなたが考えてください」「登場人物Cについてはあなたが書いてください」と割り振りをして、ディスカッションをしながらみんなでエピソードを考えていく。最初は箇条書き程度なんですけど、出てきたアイデアを並び変えて、ストーリーボードをつくっていって。それに基づいて僕が小説を書いて、それを元にまたみんなでディスカッションしていく。

要はクライアントの人たちが自分で手を動かしてシーンを描くとか、登場人物になりきってセリフを書くということが大事なのかなと。僕自身もSFプロトタイピングをやっていて楽しかったですし、ダイナミズムがありましたね。これは2カ月で全8回ぐらいのプログラムでやりました。

宮本 小谷さんはそのあたりの設計はどう考えていますか?

小谷 僕らも似たようなプロセスは入れたいと思っています。プログラムでは最初に準備フェーズをやって、その次からはお題を出してワークショップ形式でやっていく。質問を埋めていけば物語になるようなものをつくっているんですけど、それをグルーピングして、アイデアを広げる。そうして最終的に出てきたものを使って、作家さんに「こういう方向性のものを書いてください」とお願いする。そこに至るまでに、クライアントの人にも頭を使って創作してもらい内面を出させる、ということは大事にしたいですね。

大澤 なるべく作成プロセスに巻き込ませることが大事と。

樋口 大事ですね。やっぱり「SF小説を書いてください」「書いてきました」だけだと、ふーんって感じで終わりですから。

SFプロトタイパーを担うのは誰か?


難波 SFプロトタイピングの典型的なイメージって「SF作家が書く」というものだと思うんですけど、「SFプロトタイパー」という職業って実は特殊で。ワークショップを開いたり、コンサルティングをしたり、場合によっては自分でも書けるような、かなり特殊な能力がいると思うんです。だからSF作家の人がみんなSFプロトタイパーになれるかというと、それは違う気がします。樋口さんはコンサルタントと作家の両方の力があると思いますが、ご自身ではどう感じられていますか?

樋口 それはあると思いますね。僕はけっこう特殊な人間で、ぶっちゃけ小説を書くのはヘタクソで、しゃべる方がうまいんですよ(笑)。なので、文脈がおかしな方向に逸れても「ここは論点が三つあって……」と適当なことが言えるわけです。

SFプロトタイピングのメソッドはまだまだ確立していないですし、確立させていいのかどうかという迷いもあるのですが、結局は僕が素になることで相手も素になってもらうというのが、いまの僕のやり方においてはしっくりきています。つまり、自分がSF作家であるとかコンサルタントであるとかは関係なしに、自分がしゃべりたいことをしゃべり、相手にもしゃべってください、素になってほしいということは言いますね。そういう意味ではコーチングにすごく近いかもしれません。互いに生身の人間として面白いことをしゃべろうよ、と。

だからSFプロトタイピングをやるにあたって、SF作家であるかどうかは関係ない気がします。SF小説としてのクオリティを求めている人間って誰もいないし、そのクオリティを判断できる人間はクライアントのなかにいないと思うし。僕も最初、SFプロトタイピングはSF作家がやったほうがいいのかなと思っていたんですけど、そうじゃないことがだんだんわかってきました。もちろん、SF作家にも元エンジニアや元コンサルタントの人もいるのでSFプロトタイピングがうまい人もたくさんいますが、必ずしもそうではないのかなと。

大澤 そこで開拓の可能性を感じるのは、SF作家にとっては文芸の基準とはまた違ったかたちのフィールドがあるということ。SFプロトタイピングのフィールドのほうがしっくりくるという人もけっこういるのかもしれません。

樋口 いそうですね。

大澤 それは作家の視点で考えると、活躍の場が増えることでもあるのかなと思います。

樋口 SNSを見ていても、フィクションっぽい記事がめっちゃバズっていたりするじゃないですか。でもそのなかには「文芸としてはゴミだよね」というのがかなりあると思うんですよ。でもFacebook上では、普段は全然小説を読まないし、普通に会社員をやっているような人がフィクションの力に当てられてウケていて、コメントし合っているという状況がある。そういうのって、SFプロトタイピングの今後のあり方を考えるときにも可能性としてあると思います。

大澤 研究者にSFから受けた影響を聞いても、単純に文芸として評価されているポイントが影響しているかというと、必ずしもそうじゃなかったりするんですよね。もっと設定やギミックなどの要素レベルであったり、刺さる部分は人によって違っていて。人がSFに求めるものとはズレがあっても、SFプロトタイピングのなかでそのズレを広げて考えることはできる。そう考えれば、SFプロトタイピングで生まれるものは、完結していない小説でも、もっとアイデアベースのものでもいいんじゃないかとも思うんです。

小谷 誰がSFプロトタイピングを担うかを考えるときに気にしないといけないのは、多様性。例えば、プロジェクトチームをつくるときにも、作家の方、識者の方の男性・女性のバランスには必ず気を配っています。僕らはまだLGBTQ+の方を入れたことはないですけど、そういう方に入ってもらうことも重要だと思います。

未来をひとつの価値観だけで考えてはいけないと思うんです。例えばチームに女性の方がいるだけでもフェムテックの話が出てきたりします。そういうふうに価値観を混ぜていくことを気にしてやらないと、どうしてもSF好きが集まると男性ばっかりになってしまう。そこは気にしたほうがいいのかなと思いますね。

真顔でわけのわからないことを言え


宮本 最後に、これからのSFプロトタイピングをどうしていったらいいかという話ができたらと思っています。いま流行り始めているSFプロトタイピングのブームを、一過性のもので終わらせないためには何が必要でしょうか?

樋口 二つあると思います。ひとつは、ビジネスとしてではなくて、市民が参加可能な自治体のワークショップとかで、当たり前にSFプロトタイピングをやるのが大事だと思います。田舎だと、祭りの前に子供たちが集まって太鼓の練習をしたりしますよね。僕の地元では、女の子は踊りを踊れたし、男の子は太鼓や笛を吹くことができた。そんな感じで、地域の文化のひとつとしてみんなでフィクションを書くことをしてもいいんじゃないかと思うのがひとつ。

もうひとつは、ビジネスとしてのSFプロトタイピングのあり方を考えると、コンサルティング会社がいま、戦略、テクノロジー、デザインといろいろなメニューをもっているなかで、SFプロトタイピングもオプションとしてあってよくて。「このプロジェクトにはデザイナーやエンジニアを入れましょう」と考えるのと同じように、「このプロジェクトは未知の領域だから、SFプロトタイパーを一人アサインしましょう」と。事業内容のメニュー選択のひとつに、SFプロトタイピングがバンドルされていることが大事な気がします。流行りもの、新しいものとしてではなく、普通のものとしてSFプロトタイピングが使われるのが大事。

小谷 そしてやっぱり、成果をどんどん出していくことですよね。「あれはSFプロトタイピングから生まれたいい事例だよね」というものをいろんな人たちが残していくことで、流行りものじゃなくて、有用なものなんだと思ってもらえることが重要なのかなと思います。

あとはプロデュース的な立場から言うと、SF作家の方やSFのファンダムを汚さないこと。そこに煙たがられない、睨まれないようにちゃんとやっていかないといけないのかなと。

樋口 睨まれたらSFを名乗らなければいいんじゃないですか? これはフィクションプロトタイピングです、と(笑)

小谷 確かに(笑)。でもそこは、「フィクション」ではなく「SF」プロトタイピングの役割がこれからもずっとあるんじゃないかとも思っています。

以前『電脳コイル』の磯光雄さんに取材をしたときに、いまってSF黎明期の人たちがSFを書き始めた頃に似ているんじゃないかということをおっしゃっていたのが、すごく示唆的でした。つまり、19世紀から20世紀初頭には自動車や蒸気機関車、飛行機が出てきて、それがどうなっていくのかわからないまま、物語のなかで使われ方が発明されていった。実社会ではそこまでいっていないのだけど、技術の使われ方をどんどんプロトタイピングでつくっていく役割をSFが果たしていたということです。

一方でいま、『WIRED』日本版のSFプロトタイピング特集のなかでウィリアム・ギブスンが言っていたように、僕らは22世紀を描けていない。確かに20世紀って、それこそ空飛ぶ車とか銀色のピタっとした服とかがイメージされて、現実には何ひとつ実現されていないけど、いずれにしたって未来像は提示されていました。それに対して、いま僕らは22世紀を提示できていないとギブスンは言うわけです。その未来像をSFを通じて提示し、SFプロトタイピングがビジネスや行政とつなげることで、22世紀をつくっていく。その種を蒔いていく。そうしたことをやり続けられるのは、やっぱりSFなんじゃないかと思うんです。

宮本 それと同時に、最近の未来像をイメージした絵が似ているのは問題だと思っています。SFプロトタイピングに求められるものも、どうしても空飛ぶ車のようなステレオタイプになりがちで、そうするとSFプロトタイピングも徐々に同じようになってしまうのかなと。SFには本来、ファンタジーもホラーもミステリ的なものもあると思うんですけど、SFプロトタイピングの場では、どうしてもテックフィクションを求められてしまう。これはどうやって回避していけばいいでしょうか?

樋口 自分が書くときには、異常者のふりをするというのが大事ですね(笑)。最初の打ち合わせで、クライアントからはいわゆるSFのイメージを期待されるわけですけど、「SFってそういうものじゃないんだよ」ということを言いまくる。あらすじを書くときにも、みんなは10年後のことを考えたくて僕を呼んでいるのに、500年後の話を始めたり、いきなり木星の話をする(笑)。そうやって一度ぶっ込んでおくのは大事な気がしますね。

小谷 イノベーションの文脈で言うと、やっぱりクライアントはディスラプティブ(破壊的)なことを求めていると思うので、既定路線ではなく、いま樋口さんがおっしゃったようにすごい文脈をぶちこんで、かき混ぜて、混乱させていくというのは、他のビジネスコンサルティングの手法にはないのかなと思いますね。

樋口 そうですよね、真顔でわけのわからないことを言えるのがSFプロトタイピングの強みですよね。すごい真顔で「500年後の人類は……」と言い始める。「えっ?」みたいな雰囲気になるのが大事な気がします。

小谷 きょとんとさせてナンボ、みたいな。

樋口 そう、「まず国がなくて……」とか(笑)

小谷 それがパワポじゃなくて、物語になっているから伝わるし、「なるほど」と思ってもらえるのがSFプロトタイピングの面白さだと思います。

大澤 とても大事な気がします。最初は「えっ?」となっても、その議論から触発されて生まれるアイデアこそが大事なので。空飛ぶ車のようなステレオタイプとは違う、SFプロトタイピングの使用実績をもっと伝えていくことができれば、SF全体の底上げにつながるとも思いました。

難波 SFプロトタイピングの効用というか、単に作家に依頼するだけでなく、SFプロトタイパーが組織をぐちゃぐちゃにして新しいものをつくっちゃうという事例を共有するというのは、僕ら研究者の仕事ですね。

カウンターカルチャーとしてのSFプロトタイピング


宮本 樋口さんは、SFプロトタイピングの今後についてどのような展望をお持ちでしょうか?

樋口 展望はとくにないですけど、みんなグレッグ・イーガンとかの話を当たり前に会社の会議でしているような世界をつくりたいですね(笑)。具体的にどういう話がSFなんですか? と聞かれるときに、僕はよくイーガンの『ディアスポラ』がぶっとんでいるのでその話をするんですけど。まず30世紀から始まって、人類は三種類いて、主人公は強化学習で生まれた情報パターンで、地上にはパワードウェアを着ている肉体人と機械人がいて、情報パターンの主人公はミクロサイズの宇宙船に乗って宇宙を旅するんだけど、その過程でガンマ線バーストが降り注いで肉体人は半滅亡状態になって……「SFってこういうものですよね?」と言って、よく引かれたりするんですけど(笑)。でも、そういう前提から始められる世界が理想ですよね。「『ディアスポラ』で言うとどこを目指したいですか?」みたいな話が普通にできるといいなと。

宮本 確かに、そこまでのスケールで世界を見てほしいというのはありますね。

小谷 昔、スタートアップ企業のいろんなCEO等に「影響を受けたSFは何ですか?」と聞いた記事があって、たいていはアーサー・C・クラークだったんだけど、ピーター・ティール(PayPalの創業者)やセルゲイ・ブリン(Googleの共同創業者)がニール・スティーヴンスンの『スノウ・クラッシュ』を挙げていて、「さすが、よくわかっていらっしゃる」という反応をSNS上でもらっていました。そうやって、ちゃんとイケてるSFを読んでいる人が尊敬されるような世界に日本もなってほしいと思います。

あと僕は仕事柄スタートアップの世界も近くで見ているんですけど、やっぱり日本の頭のいい子たちってどこかバランスが悪くて、例えば聴く音楽がすごくダサかったりする。そこがシリコンバレーのスタートアップとまったく違うところなんですよね。だから、それこそまず最初にOPNを聴いてもらうとか、聴く音楽がイケてるのと同じ感覚で、読むSFもイケてなくちゃいけないんじゃないかなと。日本のビジネスパーソンたちのカルチャーのセンスが全体的にもっとよくなるといいなとは思っていて、そうしたことも伝えて、カルチャーに価値をもってもらえるようになるといいですよね。

樋口 『WIRED』日本版前編集長の若林恵さんはWIREDの魅力を「テクノロジーでなんでも言えること」みたいに言っていて。テクノロジーを切り口にすれば、ビジネスも政治も文化も言えるから、WIREDはそのへんが無敵なんだよね、と。確かにWIREDは、テックメディアという前提が共有されているからこそ何を言ってもいい、いきなり音楽を流してもいいみたいなところがありますよね。SFプロトタイピング特集号も、テックメディアなのに中身は文芸誌で、でも全然違和感がないし、普通に読まれている。それは、WIREDの文脈が社会的に共有されているからなんだろうなと。

小谷 まさにこれは、文芸誌というフォーマットをハックする気持ちでつくりました。これからも一年に一度ぐらいはやろうかなという感じですね。

難波 今日の議論を経て、WIREDを基盤にしてSFを広めていって、SFプロトタイピング特集号を道徳の副読本にするとか、教科書にイーガンを載せるとか、そういう活動を僕らはしていくべきだということがはっきりしてきましたね。

樋口 でも、WIREDはカウンターカルチャーであるべきだから、教科書とかっていうのはやっぱり違うんじゃないですか(笑)。同じように、SFプロトタイピングはあくまでもカウンターカルチャーであることが大事だと思っていて。それがメインストリームになった瞬間に、またちょっと変な空気になると思うんですよね。

小谷 そうですね、絶対そう!

樋口 やっぱり、メインストリームとしてのロジカル・シンキングとかは普通に大事なんですよ。大事だけど、それが形式化しちゃうことが問題で。ロジックしかない、合理主義しかないいまの社会の型があるから、カウンターとしてのSFプロトタイピングがより輝ける。両方が必要なんだと思います。妄想しかない世界は、それはそれでひどい世界ですから。

(構成:宮本裕人)

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〈ゲストプロフィール〉
小谷知也(こたに・ともなり)

1972年生まれ。中央大学法学部政治学科卒業後、主婦と生活社に入社。その後、2001年にエスクァイア マガジン ジャパンに入社。『エスクァイア日本版』シニアエディターとして、映画、音楽、写真、デザイン、建築、都市などにまつわる特集を手がけた後、2009年に独立。『BRUTUS』『GQ JAPAN』『T JAPAN』『HILLS LIFE DAILY』等のライフスタイル・メディアで編集・執筆に携わる一方、『WIRED』日本版に2011年の立ち上げから参画。HPC、人工知能、ブロックチェーン、自律走行車、生命科学など、さまざまな領域の記事を企画・編集・執筆。2018年7月より『WIRED』日本版副編集長。2020年6月より、SFプロトタイピングによるコンサルティングサービスを提供する「WIRED Sci-Fi プロトタイピング研究所」の所長を務める。

樋口恭介(ひぐち・きょうすけ)
1989年生まれ。早稲田大学文学部卒業。2017年、『構造素子』で第5回ハヤカワSFコンテスト〈大賞〉を受賞し作家デビュー。ITコンサルタントとして外資系企業に勤めるかたわら、執筆活動を行う。他の著書に評論集『すべて名もなき未来』がある。2020年6月より、SFプロトタイピングによるコンサルティングサービスを提供するスタートアップ企業Anon Inc.のCSFO(Chief Sci-Fi Officer)を務める。

〈『SFプロトタイピング』編著者プロフィール〉
宮本道人(みやもと・どうじん)︱監修・編著

1989年生まれ。科学文化作家、応用文学者。筑波大学システム情報系研究員、株式会社ゼロアイデア代表取締役、博士(理学、東京大学)。編著『プレイヤーはどこへ行くのか──デジタルゲームへの批評的接近』、原案担当漫画連載「教養知識としてのAI」(人工知能学会誌)、対談連載「VRメディア評論」(日本バーチャルリアリティ学会誌)など。『ユリイカ』『現代思想』『実験医学』などに寄稿。原作担当漫画「Her Tastes」は2020年、国立台湾美術館に招待展示された。

難波優輝(なんば・ゆうき)︱編著
1994年生まれ。美学者、批評家、SF研究者。修士(文学、神戸大学)。専門は分析美学とポピュラーカルチャーの哲学。近著に『ポルノグラフィの何がわるいのか』(修士論文)、「SFの未来予測はつねに間違っていて、だから正しい」(『UNLEASH』)、「キャラクタの前で」(草野原々『大絶滅恐竜タイムウォーズ』解説)。短篇に「『多元宇宙的絶滅主義』と絶滅の遅延」(『SFマガジン』)がある。『ユリイカ』『フィルカル』『ヱクリヲ』などに寄稿。

大澤博隆(おおさわ・ひろたか)︱編著
1982年生まれ。筑波大学システム情報系助教・HAI研究室主宰者、日本SF作家クラブ理事、博士(工学、慶應義塾大学)。専門はヒューマンエージェントインタラクションおよび社会的知能。JST RISTEX HITEプログラム「想像力のアップデート:人工知能のデザインフィクション」リーダー。共著に『人狼知能──だます・見破る・説得する人工知能』『人とロボットの〈間〉をデザインする』『AIと人類は共存できるか?』『信頼を考える──リヴァイアサンから人工知能まで』など。

※プロフィールは出版当時のものになります。

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