見出し画像

山形浩生「これは驚いた。言語と音楽(そして踊り)についての、コロンブスの卵のような理論だ」『〈脳と文明〉の暗号』書評

ベストセラー『ヒトの目、驚異の進化』のマーク・チャンギージーが「聴覚」を糸口に人類誕生の謎に迫った話題作、『〈脳と文明〉の暗号――言語と音楽、驚異の起源』(中山宥訳、ハヤカワ・ノンフィクション文庫)。本記事では評論家・翻訳家の山形浩生氏による書評をお届けします!

〈脳と文明〉の暗号_帯

これは驚いた。言語と音楽(そして踊り)についての、コロンブスの卵のような理論だ。言語は不思議なもので、霊長類ですら大した言語活動をしないのに、ヒトだけ突然、やたらに複雑な言語を駆使できるようになる。チョムスキーやピンカー的な発想だと、言語というのは人間で突然発生した、完全に生得的な能力だ。つまり、人間はなんだか知らないけれど他の動物とはまったくちがい、生まれながらに言語を習得する能力を持っている、というのがかれらの主張だ。もっと極端に言えばヒトは生まれつき言語器官みたいなものを持っていて、それにより言語が腕や脚みたいに「生える」ということになる。

さて、本当にそんなことがあるのか? それはわからない……と書いたところで、なんか東大で文法処理を支える神経系が見つかったそうだけれど、もちろん言語は脳で処理されているんだから、何らかの回路はあるにちがいない。でもそれって本当に生得的に生まれつき備わっているものなの? そういう回路が元々備わっているんだと考えるとすっきりする一方で、あまりにそれって都合良すぎる仮定ではありませんか、という気もする。なんで人間だけそんな器官があるの? 他の動物とのそんなものすごい断絶を仮定しちゃっていいの?

本書はこれを、うまいこと否定――はしないまでも、なだめてくれる。そしてもっと連続的でおとなしい発達を提案する。言語というのは、基本は自然の音の模倣になっている、というのがその理屈。ヒトやそれ以外の動物も、自然の音には当然ながら実に高度な反応を示す。言語というのは、そうしたヒト以外にも備わった自然の音に対する反応機構を利用するように発達してきたのだ!!

それを示すために、著者は自然に生じる音を「ぶつかる」「すべる」「鳴る」の3種類に分け、人間の言語で使われる音素もそれに対応していると論じる。また音楽も、歩行のリズムから発生し、強弱や音の性質が自然の音の性質に対応するようになっている、という。なるほど! 実は以前、音楽(というか歌)の起源を進化論的に解明するという触れ込みで、「神経科学から見た音楽・脳・思考・文化」なる副題を持つ、ダニエル・J・レヴィティン『「歌」を語る』(スペースシャワーネットワーク)という本を訳したことがあるんだが、これは音楽についてまったく説得力のある議論を提示できておらず、訳しながらずいぶん腹立たしい思いをさせられた。

それもあって、音楽なんて何かのオマケで発達した無意味な偶然の産物でしかない、というスティーブン・ピンカーの説のほうがあたっているのかも、と思うようになっていたんだが、本書を読んでその考えが結構変わった。もちろん本書の議論もまだ荒削りだとは思うけれど、それでも非常におもしろいし、確かに一理ありそう。ちなみに、本書を読んでチャンギージーの前著『ヒトの目、驚異の進化』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)をまったく誤解していたことに気がついて、これは読まねばと思った次第。

ちなみに、本書を読みつつ、言及されている各種YouTubeのビデオを見たりしているうちに、立体音響のASMRというやつに出くわした。これを使ったビデオクリップや音声クリップをあれこれ聴いてみると、音の可能性もかなり残っているような気がする(とはいえ、昔一瞬だけ出回ったホロフォニクスのほうが、立体音響としてはすごかったようにも記憶しているんだけど、記憶補正がかかっているだけかな?)。チャンギージーがこの技術をどう考えるかは聴いてみたいところ。この立体的な分解能って、普段の音を聞く作業で活用されているんだろうか? それによって本書の議論の説得力も変わるように思う。読者のみなさんも、ちょっと検索して試してみるとおもしろい……のだけれど、当然のことながら、多くの作品がちょっと(いやかなり)いかがわしい目的でこの技術を使っているので、調べるならまわりの人目(とボリューム)は十分に気にしてほしい。

*cakes連載「新・山形月報!」(2014年2月25日)より抜粋、一部修正