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ニューヨーク・タイムズ・ベストセラー第1位! 全米100万部突破の『リンカーン・ハイウェイ』(エイモア・トールズ/宇佐川晶子訳)「訳者あとがき」公開のお知らせ

早川書房から9月5日に発売予定の、エイモア・トールズの最新作『リンカーン・ハイウェイ』(宇佐川晶子訳)。1950年代のアメリカを舞台に、少年4人の、10日間の冒険と出会い、成長を描くロードノヴェルの新たなる金字塔です。アメリカでは発売直後から、オバマ元大統領ビル・ゲイツが絶賛し、累計100万部を突破。数多くの紙誌の年間ベストブックに選出されています。本noteでは、『モスクワの伯爵』『賢者たちの街』に続き、『リンカーン・ハイウェイ』の翻訳を担当された宇佐川晶子さんによる「訳者あとがき」を公開いたします。

あらすじ

1954年、アメリカ。

18歳のエメットは更生施設を出所し、弟が待つネブラスカの自宅に戻って来たが、そこには施設から逃げ出したダチェスとウーリーもいた。

エメットと弟は、母が暮らしているはずのカリフォルニアに行き、心機一転、新しい生活を始めるはずだった。だが、ダチェスとウーリーに愛車のスチュードベイカーを奪われ、仕方なく二人の後を追ってニューヨークに行くことに。

ダチェスは、上流階級出身のウーリーの一族がニューヨーク州北部に所有する屋敷の金庫の金をみんなで山分けすると豪語していたのだ。

孤児院のシスター、胡散臭い牧師、妻と別れた善良な黒人男性、売れないシェイクスピア俳優、憧れの作家――道中、エメットと弟は多くの出会いと別れを経験する。

『モスクワの伯爵』著者が、少年たちの出会いと10日間の冒険を描く、アメリカで100万部超のニューヨーク・タイムズ・ベストセラー。

訳者あとがき

『リンカーン・ハイウェイ』(The Lincoln Highway)はデビュー作『賢者たちの街』、第二作『モスクワの伯爵』に続くエイモア・トールズの三作めの長篇小説である。
『賢者たちの街』は大恐慌の影も濃い一九三〇年代のニューヨークが舞台、『モスクワの伯爵』は帝政ロシアが終焉を迎えた一九二〇年代のモスクワにはじまる物語だった。いずれも数十年におよぶストーリーであるだけに、登場当初の主人公たちは若く、物語が終わるころにはりっぱな中高年になっていた。そこへいくと本作品は一九五四年のある十日間を描いたもので、登場人物は十日ぶん齢をとるだけである。しかしその短さとは裏腹にストーリーは意外な深さを湛えていて、青春ロードノベルの体裁をとったちょっとダークな作品に仕上がっている。
 一九五四年は著者によると、アメリカ国内でさまざまな事象が起きつつあった時期だという。公民権運動、性革命、その前年のヒュー・ヘフナーの〈プレイボーイ〉創刊、テレビやロックンロールの影響力が増大し、近代アメリカのモータリゼーションが本格化したのがこの頃である。
 本書のタイトルであるリンカーン・ハイウェイもしかり。日本ではあまりなじみがないが、実在するこの幹線道路の構想が生まれたのは、それよりだいぶ前の一九一二年。アメリカ国内に道路は多数あれど、そのほとんどが未舗装で、雨が降るとぬかるんで通行不能になるといった時代だった。一九二〇年代になると、政府も幹線道路の建設に動き出す。やがて州間自動車道ができ、一九五〇年代にはいると、物流だけでなく、人が休暇や観光に自動車専用道路を利用するようになる。一九五四年当時、ホリデイ・インはまだアメリカ全土に三カ所しかなく、マクドナルドやバーガーキングの開業も大体この頃らしい。
 というわけで、当時のリンカーン・ハイウェイは構想から四十年あまりを経て、当時のアメリカ社会の繁栄に大いに貢献していた。
 社会が繁栄への道をたどっているのとは裏腹に、主人公たちの未来は頼りなく危なっかしい。冒頭、サライナという名前が出てくるが、これは更生施設の名前であると同時に実在の地名でもあって、そこでの収容期間を終えてエメット・ワトソンが故郷に帰ってくるところからストーリーがはじまる。なぜエメットが更生施設行きになったのか、詳しい事情はすぐには描写されず、物語が進むにつれてそのいきさつがあきらかになってくる。これはエメット兄弟の旅に便乗する更生施設仲間のダチェスとウーリーの場合も同様で、彼らがどうして施設に入ることになったのかがふとしたことからわかるようにストーリーに織り込まれている。「すべてを語らず、さりげなく描写する」エイモア・トールズの特徴がよくあらわれている。
 エメット・ワトソンは真面目で正義感が強く、現実的な十八歳。その弟ビリーはちょっと変わった子供として描かれ、万事にこだわりが強く、きわめて聡明、ひとたび脅威にさらされるとすべての感情を消し去って無反応になる。
 ダニエル・〝ダチェス〟・ヒューイットは売れないシェイクスピア俳優の父親とともに国内を転々としながら育った自称都会っ子。調子がよくて、頭の回転が早く、人の感情を読むのは得意だが、字は読めない。一方のウーリーはマンハッタンで代々続く由緒ある家柄の出であり、有名校へ通い、当時すでにヨーロッパへ何度も旅をしている裕福な一族の一員だが、きわめて独自の感受性の持ち主で、社会のありようになじめない。
 四人そろって面白味のある造型で、主役級かと思われたエメットよりもその弟のビリーのほうが、さらには、ダチェスとウーリーのほうが読ませるキャラクターだ。特にダチェスの章はバラエティに富んでいて、ボードビリアンや手品師の話は痛快で、物悲しく、短篇小説のようだし、ウーリーの不思議な周波数は読む側を考えこませるような力を持っている。四人はとりたてて固い友情で結ばれているわけではなく、更生施設で一年ばかりともに過ごした(ビリーをのぞいて)だけの関係である。生まれも育ちもまちまちだが、ひとつだけ共通項がある。全員がなにかを探し求めているのだ。エメットとビリーは母親を、ダチェスは父親を(こちらは復讐のため)、そしてウーリーは心の平安を。
「私の作品の中でもっとも重要な要素は声である」と著者は言う。前の二作ではケイティと伯爵がその声だったが、ここで物語を推進するのは八つの声だ。四人の他に、サリー、ジョン牧師、ユリシーズ、アバカス・アバーナシー教授がそれぞれ物語を引き継いでいく。章のタイトルにこそなっていないが、エメットたちの施設仲間であるタウンハウスも忘れがたい味を出している。また、構成が普通とは逆で、10章からはじまって、最終章が1となっているのは、十日間をただ順に追うだけの内容ではないため、こうしたカウントダウン方式をとったと著者は述べている。そして驚くべきは、この思いがけない最終章の結び。さまざまな推測を呼ぶ終わりかただが、正解などないのかもしれない。判断は読む側にまかされている。

 二〇二三年八月