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壮絶な喪失から立ち上がる女性を描いた雄大かつ優しい物語『川が流れるように』(シェリー・リード著)訳者・桑原洋子によるあとがき

アメリカでは発売前から話題になった『川が流れるように』(シェリー・リード、桑原洋子訳)。17歳の女性を主人公に、喪失と再生を経て自立していく姿を描いた感動作です。その読みどころを、訳者の桑原洋子さんに語っていただきます。

川が流れるように
シェリー・リード、桑原洋子訳
紙・電子版を好評発売中

訳者あとがき

桑原洋子

『川が流れるように』はシェリー・リード(Shelley Read)著Go as a River(2023)の全訳である。

物語の主人公は、桃農園の娘で17歳のヴィクトリア・ナッシュ。彼女は、自動車事故で母を失くしてから、家族に残った唯一の女性として、無口な父と戦争で片脚を失った叔父と問題児の弟のために家事全般を背負わされ、家と農園からほとんど出ることなく暮らしてきた。一方、浅黒い肌をした謎めいた若者、ウィルソン(ウィル)・ムーンは、生まれ故郷に執着しなかったのかできなかったのか、気ままな放浪生活をしていた。そんなふたりが街角で偶然出会った。1940年代末、コロラドの閉鎖的な田舎町では、先住民のウィルは「インディアン野郎」などと疎まれる存在。それでも、ヴィクトリアはこれまで知っていた誰とも違う、自由なウィルにどうしようもなく惹きつけられ、生まれて初めて父親に嘘をついて逢瀬を重ねる。ところが瞬く間に燃え上がった若いふたりの恋は、悲劇に襲われる。失意のヴィクトリアは、初恋を壊した人物が誰なのかわかっていても告発もできず、悲しみを胸にひた隠しにして日々をやり過ごすだけだった。ところが、そんな生活さえ不可能にする大きな変化に気づくと、自分の知る唯一の生活を捨てて山へ逃がれ、先の道筋もないまま苛酷な大自然のなかで生き延びることを選ぶ。月日が流れ、ヴィクトリアは厳しくも美しい自然から力を見いだし、再生のために動き出す。たとえガニソン川が故郷の町を、愛する桃農園ごとのみ込もうとしても――。

著者シェリー・リードと本作の評価について

シェリー・リードは5世代にわたってコロラドに住む家族の一員で、ウェスタン・コロラド大学で30年近く教鞭を執ってきた。本作がデビュー作というのが驚きだが、大学の教員としてのフルタイムのキャリアと2児の母としての生活に追われ、作品のアイディアは頭のなかで長いあいだ寝かされていたのだという。ヴィクトリアと同様、しばしばひとりで山歩きを楽しむリードが本作を書きはじめたきっかけは、夏の夜、ソロキャンプ中に山腹の草地で鹿の親子に遭遇したことだったと語っている。2頭の仔鹿を連れていたあの母鹿は、痩せっぽちであんなにも弱く儚く見える下の仔鹿をも守れるのだろうか。母鹿への強い共感と、美しい親子と山の情景が頭から離れず、そのイメージに突き動かされるようにして、テントのなかで書きはじめたという。本作にヴィクトリアが鹿の親子と遭遇し、心を通わせたことで自然から受け入れられたと感じる美しく印象的な場面があるが、それが作品の原点なのかと思うと感慨深い。ヴィクトリアにとって大事な意味を持つ自然を描写するみずみずしさは、リードがこの地に生きて自然と直接対話をしている日常があってこそだろう。

そうした描写の美しさは、この作品の大きな魅力として数々の書評で称賛されている。「抒情的な語りは自然そのものだ」(ボニー・ガルマス〔『化学の授業をはじめます。』著者〕)、「繊細で緻密な描写で、コロラドの厳しい手つかずの自然と風景、そして登場人物の苦しい心情を伝えることに成功した」(カーカス星つきレビュー)、「女性が悲しみから立ち上がる様を描いた雄大かつ優しい物語が、息をのむようなこの世界の自然――木々、山そして光の美しさを背景にして語られる」(《インディペンデント》紙)といった本作の評判はアメリカ本国にとどまらず、世界30カ国で版権が取得され、すでに翻訳されているイギリス、ドイツ、オランダ、カナダ、スウェーデンなどで次々とベストセラーリスト入りを果たした。世界中の多くの媒体で年間ベストブックやベストデビュー作などに選出され、映画化の話も進んでいるという。

喪失と再生、そして「川が流れるように」とは

本作のテーマの柱となるのが「喪失と再生」だろう。ヴィクトリアは母と叔母と仲良しの従兄を自動車事故で亡くし、女性であるという理由で12歳にして当たり前のように家事の一切を背負わされ、自由な少女時代を失った。それだけではない。次々と大事な人を失い、ついには故郷まで失う。物語の前半のほとんどは、ヴィクトリアの壮絶な喪失の物語だ。だが、故郷の町を出るときのヴィクトリアは、ひとり悲しみに浸るだけの弱き犠牲者ではない。大切な桃の木を新しい土地に移して新たな生活を始めようとする強い意志があり、人との繋がりを求めようとする勇気もある。「もしもわたしの木が、掘りとられて別の場所に移されて、様々な困難に見舞われても生き残ることができるなら、不運なんてクソ食らえ。わたしだって生き残れるはずだ」。そう強く念じてアイオラをあとにするヴィクトリアは、ウィルのいった「川が流れるように進む」という言葉を宝物のように胸に抱えている。

本書のタイトルにもなっている「川が流れるように」という表現からわたしたち日本人がまず思い浮かべるのは、何事にも動じず悠然と流れる広くゆるやかな川だろう。無理せず、なるようになると構えて流れていく人生観を思い描くかもしれない。けれど、ヴィクトリアにとっての川は、ダムにせき止められて勢いを失っても流れ続け、新たな故郷となるペオーニアの桃農園を潤す用水路まで流れ込んだガニソン川だ。ヴィクトリアは人生を振り返ってこう語る。「ウィルが教えてくれたように、わたしは川が流れるように進む努力をしてきた。けれど、それがなにを意味するのか理解するには長い時間がかかった。障害を乗り越えて前へ流れていくことだけがわたしの物語ではない。なぜなら、川といっしょで、その道々で、ほかの様々なものとわたしを繋げてくれる小さなかけらをいくつもいくつも集めていたから。そうするうちに、ここまでたどりついた」。多くを失っても歩みを止めずに前へ進み続けるうちに、触れてきたものすべてを少しずつ身につけて豊かに実っていくヴィクトリアの人生。まさにガニソン川の流れのように再生していたのだ。

ヴィクトリアと深くかかわっていく女性たちも同様だ。進歩的で社会問題への意識も高く、ヴィクトリアには眩しく見えたゼルダ。大学の教員の妻で息子がふたりもいるインガ。一見充実した人生を送っているように見えるふたりも、大切なものを失っていた。それぞれに傷つきながらも一歩一歩生きつづけるうちに、支流がひとつの大きな流れになるかのように交わる女性たちの友情も、川にたとえることができるだろう。これはヴィクトリアの成長物語であるとともに、喪失の痛みを知る女性たちが運命に導かれて寄り添い、立ち上がる、女たちの再生物語ともいえるのだ。

ダムにのまれたアイオラと故郷を追われたウィル

物語の第一の舞台となったヴィクトリアの故郷アイオラは、コロラド州のガニソン川沿いに実在した町だ。人口2、300人ほどで、小さいながらも農業と酪農で栄えていた。ところが1956年に政府が決定した、飲料水や農業用水の水源確保、治水、水力発電を目的とした「コロラド川貯水プロジェクト」により、ほかのふたつの町とともにダムの底に沈むことになる。町民は故郷を追われ、農場も家も商店も学校も、すべてがブルーメサ貯水池にのみ込まれた。アイオラはいまでは地図からも消えている。

ブルーメサ貯水池は景観の美しい観光地として家族連れでにぎわうようになり、アイオラは多くの人に存在さえ忘れられていた。ところが、2018年の歴史的な干魃で露わになった貯水池の底に、学校の旗竿の台や教会や商店の土台などの町の残骸が出現する。アイオラは、アメリカ西部の治水プロジェクトの問題点と故郷から強制退去させられた人々の苦悩の象徴となったのだ。本作のテーマである「喪失」のひとつが故郷であることは間違いない。

そしてウィルの存在が、このテーマを複雑にする。アイオラの人々がダムによって故郷を失う前にそこを追われた人々、つまり先住民がいた。そのことを、町民たちが考えもしないという矛盾がウィルへの差別によって浮き彫りにされるのだ。とはいえ、深いテーマを背負うはずのウィルの人となりを形成したバックボーンは、噂レベルのわずかな情報やヴィクトリアの憶測からしかわからない。問題ばかり起こす悩みの種である一方で姉に愛されたいという願望が見え隠れする弟セスや、厳格かつ冷淡に見えて実は胸の奥に愛情深さを抱える父の、複雑で人間くさい描写と比べると、飄々としたウィルはどこか妖精のような気配さえある。著者リードはウィルについて次のように語っている。

アメリカ西部で土地を追われる人々の物語を書くにあたり、先住民について触れずにいることはできませんでした。でも、ウィルの物語を丁重にそして正確に描くことは、わたしには限界があることがわかっていました…(中略)…大事なのは彼らの物語を自分のものにしないで語ること…(中略)…わたしはウィルのことを、ヴィクトリアの視点でのみ描こうと決めました。深い愛情を持って、けれど、文化的な一定の距離から。

先住民である「彼ら」の抱えていた苦しみを、ウィルはヴィクトリアに見せようとはしなかったし、当時の彼女には理解する能力もなかった。ふたりの恋の時間には、社会的な観点など一切ない。ことさらにウィルの背景にある不幸を上乗せしないことで、リードは代々コロラドに住んできた白人として、「彼らの物語を自分のものにしない」姿勢を貫いている。問題を重層的に表現して読者に提示するにとどめ、主人公の人生を軽やかに前に進めるのだ。ヴィクトリアは町でいちばん先に故郷を捨てて出ていく。新しい土地の開拓、新しい友情、奇跡的な再会。物語半ばすぎてからのヴィクトリアの不器用ながらも大胆な行動はストーリーの推進力でもある。川が流れるように進むヴィクトリアの物語に、読み手はただのみ込まれていくだけだ。

ナッシュの奇跡の桃

ここでこの作品の最も重要なキャラクターのひとつともいうべき、「ナッシュの桃」に関して。コロラドの桃は世界的に有名だ。西側斜面と呼ばれる地域の冷たい夜と温暖な昼間の寒暖差、ミネラル豊富な雪解け水、そして桃農家に何世代にも渡って受け継がれてきた技術とたゆまぬ努力が甘美な味を作り出すのだという。桃は繊細な果実で春の霜の影響を受けやすいため、コロラドの桃はそもそも奇跡の産物といっていいのだが、西側斜面といっても標高が高く乾燥した気候のガニソン郡になると、じつは桃はならないのだそうだ。現実には、アイオラに桃農家はなかった。リードは困難な環境でも成長することはできるという可能性の象徴として、「ナッシュの奇跡の桃」を作りだしたのだ。

参考資料

Seth Boster, Drought reveals a long-submerged Colorado town on floor of Blue Mesa Reservoir, The Denver Post, December 22, 2018.
https://www.denverpost.com/2018/12/22/blue-mesa-reservoir-drought-submerged-colorado-town/

Nancy Lofholm, As The Blue Mesa Reservoir Dries Out, A Forgotten Small Town Reemerges, Colorado Public Radio, November 19, 2018. https://www.cpr.org/show-segment/as-the-blue-mesa-reservoir-dries-out-a-forgotten-small-town-reemerges/

Q&A with Shelley Read author of Go as a River, Penguin Books New Zealand, 6 March 2023.
https://www.penguin.co.nz/qa/3874-qa-with-shelley-read-author-of-go-as-a-river

Shelley Read, Where I Write, Penguin Random House South Africa, 12 May 2023.
https://www.penguinrandomhouse.co.za/penguinbooksblog/‘where-i-write’go-river-author-shelley-read

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シェリー・リード『川が流れるように』(桑原洋子訳)は、2024年4月23日より紙・電子書籍で同時発売です。

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