東の果てnote

【9月7日発売】名だたるミステリ文学賞を連続受賞! 傑作犯罪小説『東の果て、夜へ』特別試し読み第1弾


 本年のハヤカワ・ミステリ文庫最大の注目作『東の果て、夜へ』が9月7日に発売となります。本作は驚異の新人作家ビル・ビバリーのデビュー作。昨年、横山秀夫氏が日本人作家として初めてノミネートされたことで話題となったイギリスの伝統あるミステリ文学賞「英国推理作家協会賞」にて、最優秀長篇賞であるゴールド・ダガーと最優秀新人賞であるジョン・クリーシー・ダガーを史上初めて同時受賞しました。さらには全英図書賞やロサンゼルス・タイムズ文学賞のミステリ部門も次々と獲得。まさに昨年の英語圏で最高の評価を得たミステリ作品です。
  今回、その冒頭部分の試し読み第一弾を公開します!

 
あらすじ:
 ロサンゼルスのスラム街「ザ・ボクシズ」。15歳の少年イーストは、おじのフィンが運営する犯罪組織に所属し、麻薬売買斡旋所(通称〝家〟)の見張りを受け持っていた。見張りの少年たちのリーダーとして信頼を置かれていたイーストであったが、ある日警察による強制捜査が行われ……。


第一部 ザ・ボクシズ     

1 
   箱庭(ザ・ボクシズ)がすべてだった。少年たちはそこしか知らなかった。
   車が通り(ストリート)を進む。まだ体(てい)をなしている車や骨組みと化した車のあいだを縫って、紙片やガラス片が散らばる通りを、そろりそろりと。
  少年たちは見張っていた。黒い家と家のあいだにかろうじてあいている隙間に光が満ち、すかすかの歯のようになった光景を見ている。朝方まで見張る。フィンは子供を夜通しの見張りには立たせるなと教えていた。二交代制がいい。途中で交代が入れば気も張る。居眠りすることもない。一人前にもなる。

 〝家〟のドアがあき、ふたりの客(U) がふらふら出てくると、太陽に面食らい、しばらくぶりで昔の女に出くわしたかのように、物欲しげなまなざしで空を仰いだ。こんなふうに中でいい気分になってから出てくる者もいれば、悠々と入ったのに、這って出てくる者もいる。今出てきたふたりは、見張りの少年たちには目もくれなかった。玄関前の通路から五段の階段を降りて路地の前に来たUは、低い石塀に寄りかかった。ひとりがもうひとりの掌を派手に叩いた。よくある光景だ。 
 またドアがあいた。骸骨のような顔、への字に曲がった口、見ひらいた目、べったりなでつけた髪。シドニーだ。ジョニーとふたりで〝家〟を管理し、ビジネスを切り盛りし、三十分おきに十代の使い走りにブツを運び入れさせ、カネを運び出させている。そのシドニーが様子を窺うネズミのようにきょろきょろしたあと、階段に何かを置いた。段ボール箱に入った冷えた缶コーラと栄養ドリンク。少年のひとりがその箱を取ってきた。少年たちが一本か二本手に取った。ふたをあけ、暗がりで立ち飲みした。
  朝はまだ寒く、うっすらと靄(もや)がかかっている。家々の隙間に光がこぼれ出し、街並みをほんのりピンク色に染めている。右から足音が近づいてきた。出勤中の工員だ。上着を羽織り、 黄色いネクタイを巻き、金のスタッドピアスを着けている。少年たちが工員を上から目で追う。工員は顔を上げない。この手の連中、ネクタイを巻いて金属のタイピンで留め、なぜかザ・ボクシズを離れない黒人たちとは口を利かない。〝家〟にもいれない。この手の連中が〝家〟に入ってしばらく籠っていれば、そいつらに用があるやつが捜しに来る。だからいれない。それもフィンの教えだ。

  テレビがついた。飛行機が刃のように空できらめく。うしろのほうから、芝生のスプリンクラーの蒸気が漏れるような音が聞こえる──シュッ、シュッ、シュッ──うるさくはないが、その律動を妨げるものはない。午前七時に数人のUが揃って出てきて、八時ごろにもうひとり、うなだれて出てきた。一週間分買ったのに、ひと晩で使い切ったかのような悲痛な姿だ。十時になると、二時に来た少年たちが帰った。外の少年たちを率いるイーストは、帰る少年たちにいくらかカネを渡した。月曜日、給料日の〝家〟の外。
  十時にやってきた見張りは、ダップ、アントニオ、マーソニアス──通称ソニー──、そしてニードル。ニードルが北の端に着き、通りを見張る。ダップは南。アントニオとソニーはイーストと〝家〟のそばにいる。イーストは正午に十二時間勤務を終える。アントニオとソニーは昼勤に向いている。夜勤にうってつけなのは、騒がず、目をあけていられるやつだ。
  イーストはおとなしく見えるし、おとなしくしていられる。こわもてでもない。大物にも見えない。まわりに溶け込み、口数も少なく、仲間内でいちばん痩せている。たいした特技もない。でも、物事をよく見ているし、人の話も聞く。聞けば忘れない。
  少年たちは内輪の話をする──どんな渾名をつけたとか、どんな決まりをつくったとか。 イーストは加わらなかった。厳しくて気難しいやつだと思われている。ほかの連中は母親のいる家で暮らしていたり、友だちのところに厄介になっていたりするが、イーストはひとりで寝泊まりしている。誰も知らないところで。ほかの連中より前に〝家〟で仕事するようになり、ほかの連中が見ないようなことを見てきた。牧師が路地で撃たれ、女が屋根から飛び降りるのを見た。ヘリコプターが森に墜落し、放心した様子の男が地面に落ちていた電線をつかみ、炎に照らされて突っ立っている姿も見た。警察がやってきた場面も見たが、それでもこの〝家〟は続いている。
  愛想はなくても、イーストは一目置かれている。誰もが早く消し去りたいと思っている幼稚さが、イーストにはまるでないからだ。子供のように振る舞ったことはない。そんなところを見られたことはない。

  十時過ぎ、サイレンやら、エンジン音やら、タイヤがアスファルトを踏みつける音やらを響かせて、消防車がやかましく通り過ぎた。消防士が少年たちをにらみつけた。  消防は道に迷っている。ザ・ボクシズの街は迷路だ。街区と街区がまともにはつながっていない。隣のブロックにある家にもすんなりたどり着けない。標識がひん曲がっていたり、 なくなっていたりする。
  数分後、消防車が来た方向へ引き返していった。少年たちは手を振った。みんな十代で、 大人に近づいているとはいえ、消防車は好きだった。
 「あそこだ」ソニーがいった。
 「何だって?」アントニオがいった。
 「誰かの家が火事になってる」ソニーがいった。
  まばゆい空に、ゆらゆらと灰色の煙が立ち上っている。
 「キッチンから出火したんだろうな」イーストはいった。騒ぎにもならず、焼け死ぬ者もいないはずだ。焼け死ぬやつがいれば、一マイル(約一・六キ ロメートル)離れていても泣き叫ぶ声が聞こえる。ザ・ボクシズでも同じだ。 でも、さらに消防車がやってきた。別の通りを走る音が聞こえている。
  上空で、ヘリコプターが尾を振っている。

  十一時には暑くなり、ふたりの男が中から勢いよく出てきた。ひとりはどうにか帰ったが、もうひとりは芝に寝転がった。
 「寝るな」ソニーが男にいった。「どこかへ行け」
 「黙れ、小僧」男がいった。歳は四十ぐらいか。鼻は蜂に刺されたようで、胸元をはだけたシャツの下に、自分でつけた傷に巻いてある包帯が見える。  「よそへ行け」イーストはいった。「横になるなら、裏庭へ行け。それか、自分の家に帰れ。 ここはだめだ」
 「おれの家だろうが」男がいった。何が何でも寝転がるつもりだ。
  イーストは顎を引き、真顔で、粘り強くいった。「おれの庭だ」彼はいった。「規則は規則だ。歩けないなら中へ戻れ。ここはだめだ」
  男がポケットに手をいれたが、何も入っていないのはわかる。鍵さえ入っていない。
 「おい、大丈夫か」イーストはいった。「喧嘩を売ってるわけじゃない。表で寝転がられちゃ困るだけだ」そういって、男の脚を軽く突いた。「わかってるはずだ」
 「おれの家だ」男がいった。 
 男のいうとおりなのかどうか、イーストは知らなかった。「よそへ行け」イーストはいった。「寝たいなら裏で寝ろ」
   男が立ち上がり、裏庭へ行った。少ししてからソニーが様子を見にいくと、男は自分の内なるものと戦っているのか、身を震わせて眠っていた。

 火事の煙は薄くなったように見えたが、やがて濃くなった。トラックやポンプ車が低いエンジン音を響かせ、近所の子供たちが通りに面した壁にボールをぶつけて遊んでいる。ふたりの子供には見覚えがある──たまに白のフォードが駐まっている、緑の日よけがついたこぎれいな家の子だ。その子たちは近寄らない。誰かにいわれたのかもしれないし、何となくわかったのかもしれない。この二日はもうひとり、少し年上の少女の姿も見えていた。その気なら、壁に跳ね返るボールをぜんぶ取れそうだが、仲良く遊んでいた。
 イーストは子供たちから目を離し、宙に浮かんで空を引き裂いているヘリを凝視した。 
 ふと目を戻すと、遊びは終わり、少女が見つめている。こっちをじっと見たまま、近づいてきた。イーストはにらみつけたが、少女はかまわず歩き続けた。近所の子ふたりもぴったりうしろに着いてきた。
 歳は十ぐらいか。
 イーストは動いた。さりげなく表に降りていった。ソニーが鼻息を荒くしていった。「おいガキ女、近寄るな」イーストは平手でソニーの胸のあたりを押さえた。落ち着け。
 少女はずんぐりした体つきだった。浅黒い肌の丸顔で、きれいな白いシャツを着ている。 明るい声で話しかけてきた。「そこって、クラック(コカイン の一種 )を売ってる家なんでしょ?」
 そういえば、フィンがいっていた。今でもクラックだらけだと思われているのだと。
 「ちがう」イーストはソニーに目をやった。「どこから来た?」
 「ミシシッピのジャクソン。学校はジャクソンのニューホープ・クリスチャン・スクールよ」少女がうしろの近所の子供たちに向かって顎をしゃくった。
「この子たちはいとこ。明日、おばさんがサンタモニカで結婚するの」 
「おい、そんなのクソほども知るかよ」アントニオが庭に出て、いった。
「あの小さなギャング、あんなこといってる」少女が食ってかかった。「あんたたち、学校にも行ってないんじゃないの?」
 きっといいとこのお嬢ちゃんなんだろう。あのLAのスラム街の連中には近寄っちゃだめよ、なんてきっと母親にいわれてるだろうに、真っ先に何をしてるんだか?
 イーストはきっぱりといった。「おまえが来るようなとこじゃない。そっちで遊んでろ」
「あたしのことなんか知らないくせに」少女が得意げにいった。アントニオに手を振り、続けた。「そこのおちびさんは四年生ぐらいにしか見えないけど。いくつ? 九歳?」
「いうねえ」ソニーがはやし、くすくすと笑った。
  どこかから消防車のエンジン音が聞こえてきた。また移動するらしい。イーストは一歩下がり、耳を澄ました。大人の女と娘が通りかかった。キャンディーのことでもめているようだ。ヘリコプターはまだ空気を切り裂いて飛んでいる。その音がイーストをこわばらせた。 あまりに多くのものが動いている。 
「おい、戻れ」イーストはいった。「からむのはごめんだ」
「あんたこそ、頭がからまってるんじゃない」少女がいった。黒人の少女がよくやるように 壁に片手をつき、梃子(てこ)でも動かないつもりだ。頑固な子だ。
「このガキ」イーストは鼻を鳴らした。ガキどもだけは家に近寄らせたくない。大人の女に は分別がある。男には警告できる。だが、子供は自分の目で見たくてしようがない。

  どこからか平らな路面をこするような音が走った。タイヤだ。腰に留めておいたイーストの携帯電話が鳴った。イーストは携帯電話を手に取った。北の見張り位置のニードルからだ。しかし、聞こえてきたのは荒い息遣いだけ。逃げているようにも、つかまえられているようにも聞こえる。「どうした?」イーストはいった。「何があった?」応答が切れた。
 イーストはあたりに目を配りながら、芝生の上をあとずさった。
 何かが来る。両方向から、列車のようにこだましている。
 〝家〟の中に連絡した。「シドニー。何かが来るぞ」ヘリコプターが頭上にとどまっている。
  シドニーの不機嫌そうな声。「何だよ?」
「裏から逃げろ」イーストはいった。「すぐに」 
「すぐにだと?」信じられないといった声音だ。
「すぐに」イーストは振り向いた。「おまえら、逃げろ」イーストはアントニオとソニーに命じた。このふたりはどういう道順でどこへ行けばいいか、わかっている。どうすればいいかは教えてある。イーストの部下はひとり残らずこのあたりの地理を、どの道を行けばいいのか、知っている。それはたしかだ。
 轟音が通りに響き渡った──五台の車が両側から猛スピードで近づいてきた。白のパトロールカーだ。アスファルトをきしらせ、埃を巻き上げている。イーストは携帯電話をかけ直した。
 「逃げろ。逃げろ」そういいながら、イーストは家から遠ざかりはじめていた。自分の〝家〟から。コークの赤い缶が芝生に倒れ、泡を吹いている。拾いに行く時間はない。 
 シドニーからの応答はない。
   どうしてダップとニードルは素通りさせた? なぜ連絡がない? おかしい。腹を立てたまま、塀を伝って路地にたどり着いた。エンジンの熱と、こすれたタイヤのゴムのにおいがむっと立ちこめている。ほかの部下の姿はもうない。まだ残っているのは、イーストとあの少女だけだった。
 「いったろ」イーストはいらだちを隠さずにいった。「逃げろ!」
 頑固なガキだ。イーストの言葉など耳に入らないようだ。背後の群れなすパトロールカー、つやつやのヘルメット、畝のある漆黒のベストを見つめている。たしかに、見物ではある。
   四人の警官が低い姿勢になり、横に散らばり、一斉に玄関に迫ってきた。二階の窓が勢いよくあき、赤潮の中にいる魚のような、やたらくたびれ、やつれた顔が出てきた。しばらく状況を見たのち、銃身を突き出した。それを見て、イーストは振り返った。少女がいる。
 「何してる!」イーストは怒鳴った。「早く逃げろ!」
   当然のように、少女はまったく動かない。バンバンと撃ち合いがはじまった。
   イーストは路地に入り、低い石塀に身を隠した。銃声にほとんどかき消されているが、警官がテレビでよくやっているようにパトロールカーの陰に隠れて声を張り上げている。みんな隠れている。ヘリと、野良犬と、ジャクソンから来た少女を除いて。
   イーストは駐まっていた赤錆の浮いたビュイックの陰にかがんだ。はっと息を呑んだ。ビュイックには熱でぶつぶつと泡が浮いている。イーストは手を触れないように気をつけた。 飛び交う銃弾や家の玄関の破片が煙でぼやけている。パトロールカー内の警察無線が耳障りな音をがなり立てている。家の二階の銃から放たれた弾丸が周囲に外れたり、通りやパトロールカーに着弾したりした。フロントガラスに穴があき、タイヤが空気を吐き出した。
 少女は取り残されたまま、家を見あげた。そして、イーストが逃げていったほうを向いた。いわれたとおりにすればよかったとでも思っているのだろう。目が合った。
 イーストは片手をあげて振った。ついてこい。こっちに来い。
 そのとき、銃弾が少女に穴を穿った。 


……続きは9月4日(月)更新予定!
『東の果て、夜へ』はハヤカワ・ミステリ文庫より9月7日(木)発売。 ご予約は全国書店・各ネット書店から。

 【主な取扱ネット書店】
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 『東の果て、夜へ』ビル・ビバリー/熊谷千寿訳
 原題/DODGERS
 ISBN:978-4-15-182901-7
 920円+税  

 

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