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アラン・ワイズマン『人類が消えた世界』15周年版あとがきを公開

もしもある日、ホモ・サピエンスに特化したウイルスが人類を滅ぼしたら、地球はその後、どうなっていくのでしょうか。地上に残った人工物、自然、生命がたどる運命は――? 全7大陸、60か国以上を旅したジャーナリスト、アラン・ワイズマンが、実地調査と科学資料を駆使して2007年に書き上げた未来予測の書『人類が消えた世界』。今や35カ国で翻訳された世界的なベストセラーが、新型コロナウイルスの流行によってふたたび注目を集めています。刊行から15年以上がたち、著者が新たなあとがきを寄せました。

『人類が消えた世界』(早川書房)

『人類が消えた世界』15周年版あとがき

人類のいない世界、人類のいる世界

『人類が消えた世界』を執筆する前のこと、私は数年をかけて世界各地を訪れ、環境災害を取材してきました。南極大陸に広がる見えない穴、溶けゆく北極の氷、アマゾンの広大な森林を破壊する火災やチェーンソー、資源採取のために削られ変わり果てた山容、産業荒廃地、減少する河川、そして私の父が生まれた村からそれほど遠くないチェルノブイリ(チョルノービリ)で起こった、核の大惨事。次第に私は気づき始めます。これらは個別の出来事ではなくつながっていて、そのつながりの総体こそ、ほかならぬ地球上での人類の日々の営みなのだと――。
あまりに多くのことを目撃し、私は地球環境の危機について知り得たことを書かずにいられなくなりました。しかし、これほど大きなテーマを扱うとなると、一冊分の本が必要になりますし、「人類がその貪欲で汚いやり方をすぐに変えなければ、人類は死に絶えるかもしれない」という恐ろしい警告を、貴重な余暇を使ってまで読みたいという、私のような人はあまりいないでしょう。だからこの数年、私は途方に暮れていました。人類が直面している深刻な問題について、読者が数ページ読んだだけで部屋の隅に放り投げてしまわないためにはどんな書き方をすればいいのか、どうしてもわからなかったのです。
しかしある日、編集者のふとした一言のおかげで、「最初に全員を殺してしまえば、そんな心配をしなくていいんじゃないか」と思いつきました。誰しも未来には興味をそそられるもの。だから、もし自分たちが地上からいなくなったら何か起きるかを描いてみせることは、たまらなく魅力的なはずなのです。
そこで、環境保護主義者たちが並べ立てる言葉にとらわれず、彼らが警鐘を鳴らしているあらゆることを裏口から眺めてみる、という方法を生み出しました。もし、すべての人類が突然消えてしまったとしたら、後に残るのは人類が環境に与えた影響だけだ――なんていう人の心をマヒさせるような文言を並べ立てなくてもいいわけです。この本では、私たちの世界がどんどん醜く、暑く、汚染され、住めなくなっていく様子を描くのではなく、シンプルに、ホモ・サピエンスに特化したウイルスが人類を滅ぼし、ほかの生き物は無傷のまま残った場合(敬虔なキリスト教徒やSFファンのために、イエスや宇宙人が私たちを救い出してくれる可能性も織り込んでいます)に何が起こるかを想像しています。人類の日々の干渉から解放された自然は、どれほどの時間をかけてかつて人類のものだった空間に侵入し、インフラや建築物を解体し、すきまを埋め、愛すべき惑星に人類が与えた傷を癒していくのでしょうか。
私のたくらみは功を奏し、読者は森や動物がマンハッタンを取り戻し、野草が工業化された農地を埋め尽くし、絶滅寸前の種が復活して新たに繁栄していく様子に夢中になりました――自分たちが死に絶えているという暗黙の設定も忘れて。読者は、朝鮮半島の非武装地帯がわずか半世紀で原生林に戻り、アジアで最も重要な野生生物保護区のひとつになる様子に魅了され、またもっと短期間のうちに、かつてキプロスのリゾート地にあった道路の舗装をボロボロに崩してしまったシクラメンが、一面に咲き誇る様子にも興味をひかれていました。「人類の訃報」ともいえる私の著書は、世界的なベストセラーとなり、今では35カ国語に翻訳されています。
出版から10年以上たって新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が襲ってきたとき、私は突然インタビューの依頼を受けました。NPR(訳注:現在のナショナル・パブリック・ラジオ)、《ニューヨーカー》誌、BBC、イタリアやデンマーク、ポルトガル、スペイン、ポーランド、インド、アルゼンチン、メキシコ、台湾のジャーナリスト、そしてイランのテレビ局からも。
彼らはみな、『人類が消えた世界』の中で私がどうやって、北京やロサンゼルスの上空が水晶のように輝き、コヨーテ、ヤギ、野生の七面鳥、ワニ、クーガーが人間のいない通りを徘徊している様を予見したのかを知りたがりました。地球上のあらゆる場所――サンマルコ広場やコンコルド広場、赤の広場、天安門広場、タイムズ・スクエアといった象徴的な公共空間が静寂に包まれ、突然、鳥の声が聞こえてきました。さえずりはいつもそこにあったのに、エンジン音にかき消されていたことに誰もが気づいたのです。白鳥や鵜がベネチアのヴァポレット(水上バス)に取って代わり、コロナで隔離されたベネチアの人々は家の窓から透明になった運河を眺め、魚の群れが運河を泳いでいくのを驚きながら見つめていました。
口コミで広がったカナル・グランデを泳ぐイルカの動画は、実際はサルデーニャの港の映像をつなぎ合わせたものだったのですが、多くの人が感動し、本物の光景だと信じました。当時、北イタリアはヨーロッパで最初のコロナのホットスポットになっていて、恐怖の中で人々は、何か美しい出来事も起きているはずだと信じたかったのです。「これが人類の消えた世界ですか?」とインタビュアーは残念そうに聞いてきます。穏やかで健やかな世界の光景というものは、とても魅力的なものだからです。私が本の中で、ウイルスが我々全員を殺すという仮説を立てていたので、彼らは残念そうに、そして不安そうに尋ねるのです。「あなたは予言者ですか?」というのは、いつも聞かれた穏やかでない質問でした。
私はこう答えてきました。いや、私は伝染病学者らに助言を求めた一介のジャーナリストに過ぎません。彼ら伝染病学者は知っていました――巨大地震によってロサンゼルスが津波にのまれるのは、もはやそんなことがありうるかを論じている場合ではなく、「いつか」が問題であるのと同じように、パンデミックはある種が環境のキャパシティーを超えるほど大量に増え、深刻な事態を引き起こしたときに必然的に生じる、自然の自浄作用なのだということを。
浄化の対象が自分の種である、というのはことさらにつらいのですが、コロナ時代の生活が現実とは思えないというインタビュアーに対して、私は「いや、これこそが現実なんだ」と答えてきました。私たち人間が当たり前のことを否定し続け、成長し続けていくというファンタジーこそが、非現実的なのです。

地球の運命を憂いて書き始めた本ではありますが、取材と執筆を終える頃にはもう、心配はなくなっていました。地球は大丈夫。少なくとも過去5回の大量絶滅を経験し、そのうちの何回かは、生き物の9割が死滅しました。しかし、そのたびに地球は何百万年もかけて見事に復活し、空いたすきまに目を見張るほどの、まったく新しい属や種を補充してきたのです。私たちが今その渦中にある大量絶滅期のあともまた、きっとそうなっていくのでしょう。「残留性有機汚染物質」と呼ばれる新種の分子が現在、世界中に内分泌かく乱物質を放出していますが、人類が創り出したもので重大な問題を引き起こすものの中には、終末まで存在するものもあるかもしれません。でも、それもいずれはプラスチックとともに永遠に地の底へと葬られることでしょう。
つまり、地球は大丈夫なのです。治癒する時間は文字通りたっぷりあるのですから。しかし私たちを進化させ、繁栄させてきた世界はどうなるのでしょうか。私の本のタイトル『人類が消えた世界』は、実のところ(人の気をそらす)おとりのようなもので、というのも私は、「人類がいる世界」を望んでいるのです。生命がいかに力強く、たくましいかを示したくて、この本を書いたのです。焦土となった朝鮮半島のDMZ(非武装地帯)や、放射能に汚染されたチェルノブイリのように、人間が汚染してしまった場所でも、自然は奇跡的に戻ってくる。もし、私がそのことをあますところなく示せば、読者は元の姿を取り戻した地球の肖像画に、勝ち目のない戦いを挑むのではなく調和する形で、どのように自分たちを描き加えることができるのだろうと考えるようになるかもしれません。

もともと私は、この本を締めくくるにあたり、人類がこれからどうすればよいかを提案するつもりでいました。ところが取材の終盤になって、人類のいない世界を志向する人物を探しているうちに、世界的な「人類自主絶滅運動」に出会いました。代表者は人類を憂う心優しい学校の先生で、人類はつかの間は理想的な存在だったけれど、最近はありがた迷惑な存在になったと考えている人物でした。人類全員が生きていくためには、地球の半分近くを必要とする。そのために他の多くの種を地球から追い出しているのだ、と。彼は私の知っているエコロジストたちと同じように言うのです。人類は自ら存続していくために必要なリミットを、手遅れになるまで気づかず見過ごしてしまった。倫理にもとることのない、残された唯一の道は、自発的に子孫を残すことをやめることだ、と。
そうすれば、次の100年間に人類は徐々にいなくなり、世界は野生の状態に戻っていくだろうと彼は言うのです。それから10年ごとに、より美しい世界が訪れる。最後の人類はエデンの園がよみがえったことに感動し、地球上のほかの仲間をこれ以上引きずり込むことなく消えていくだろう、と。
私は不本意ながら、彼の言う通りだと思いました。近代医学の進歩で寿命が延び、乳児の死亡率が低下したこともそうですが、子孫が増えていく主な理由は、農作物を化学的な手段で補助し、遺伝子操作を加えることによって、自然界では不可能なほど多くの食物を栽培できるようになったからです。20世紀というわずか100年のあいだに、人口は4倍に増えました。生物史上、大型の動物種としては前代未聞のことです。私たちと家畜の間に、他のものが入る余地はますますなくなっています。膨大な量の化石燃料から作られた農薬は大気を熱し、世界の大河の河口付近の海を汚し、汚染海域はニュージャージーと同じ面積にまで広がっています。
しかし彼の話を聞いていて確信したのは、人類絶滅という事態をまだ受け入れることができないからこそ私はこの本を書いた、ということです。私は人間が好きなのです。親友たちはホモ・サピエンスだし、そのうちの一人と結婚もしています。私たちは、他のどの種にも負けず劣らず、ここに存在する価値があります。私たちの行き過ぎた行為が大混乱をもたらした一方で、芸術、音楽、文学、建築は、世界に多くの美をもたらしました。歌う生物は鳥だけではありません。だから私は、彼の言う「もう赤ちゃんはいらない」ことと、私たちがしていることの間に、ある種の幸福な妥協点を探すことにしました。
国連経済社会局人口部によると、出生数から死亡数を差し引くと、年間約8,400万人が増えているそうです。はじめはなかなか実感がわきませんでしたが、電卓を使って365で割ってみると、読者も私もピンとくる数字がはじき出されました。4日ごとに約100万人が、地球上に増えているのです。これは明らかに持続可能な数字ではありません。そこで、人類が消えた世界で何が起こるかを考える実験の最後に、もう一つの実験を加えることにしました。原稿を提出する2週間前まで、そのようなことは考えもしなかったのですが――社会的な懸念はひとまずおいて、もし、全世界の人々が中国の一人っ子政策に参加したらどうなるだろうか? という実験です。

「これは素晴らしい本だ」。インディアナ州ボウリンググリーンのAMラジオのトーク番組で、司会者がリスナーに語っていました。「この人は、環境を破壊することに罪悪感を抱かせるような、森林保護主義者ではないんだ。彼はただ、魅力的な事実を伝えて、君たち自身に考えさせているだけなんだ。だけど、僕はあなたに言いたい」。彼は私に言いました。「この本の終わりに何が書かれているかを知っていたら、絶対に読まなかっただろうね。でも、あなたが人口問題のことを取り上げたのは理にかなったことだったと思う。つまり、成長して大きくなり続けることのない惑星では、私たちもまた永遠に成長し続けることはできないよね」
メンテナンスする人間がいなくなると、とたんにニューヨークの街が崩壊してしまうこと以上に、この本の最後で私がちらつかせた問いかけは一番の話題となりました。中国の一人っ子政策は、ほぼ全世界で嫌われています(中国人からさえも。北京の国立図書館で10億人以上のテレビ視聴者に向けて講演したとき、そう確信しました)。だから読者からは、ブルドーザーで残りの自然を、ひいては私たち自身を消し去ってしまう前に人口問題を解決するための、人道的な代替案はほかにないのか、という質問が絶えず寄せられました。
実際、この次の拙著『滅亡へのカウントダウン──人口危機と地球の未来』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)の取材のために数年にわたって21カ国を旅しているうちに、私はいくつかの案を発見しました。すでに実行され、成功を収めているものもありますが、最も重要なのは、世界の多くの文化圏で、女性の教育に対する必要性が高まっていることです。私が訪れたどの国でも――富裕国、貧困国、イスラム教国、カトリック教国、仏教国、社会主義国、資本主義国のどこでも――最良の避妊法は、女の子を学校に通わせることでした。教育には興味深くて実効的な選択肢が数多くありますが、7人の子どもがスカートにしがみついているような母親が仕事をすることは難しい。世界的に見て、高校に入学した女性の子どもの数は平均で2人かそれ以下です。もし、避妊という選択肢が選べるのであれば(私の国の一部地域も含め、多くの国ではいまだ実現していないわけですが)、教育を受けた女性の大多数は、宗教にかかわらず、避妊を選択します。そうなれば政府による強制的な計画も必要ないでしょう。
子どもが二人の場合、親二人が子ども二人と置き換わるだけなので、人口が増えることはありません。それより少なければ、人口は減少します。今日、より多くの女性が教育と避妊具を手にするようになったため、世界の半分以上が人口置換水準(訳注:人口が増えも減りもせず均衡した状態)の出生率か、それを下回っています。しかし、地球規模で見ると、持続可能なバランスにはまだほど遠いのが現状です。グリーンランドの氷河が海に沈むニュースを見た人ならわかるように、私たちにはもう時間がないのです。
クリーンなエネルギー源への転換が進んでいるにもかかわらず、気温は上昇し続け、廃棄物は増え続けています。『人類が消えた世界』への反響の中で最も嬉しかったのは、いくつかの都市でペットボトルやレジ袋の使用が禁止されたことです。さらには「プラスチックは永遠なり」の章のおかげで、北太平洋の「ごみベルト」や、「ナードル」で知られるプラスチック製品の原材料が世界の海岸に蓄積していることが広く知れ渡りました。私は、自分が書いたものが実際に前向きな変化をもたらしたことを誇らしく思っていました。しかし、この本が出版された2007年以降、業界の最新のデータによって、プラスチック量は世界で倍以上になっていることが明らかになったのです――。

時を同じくして、人口がさらに13億人増えたこともわかりました。新型コロナとそれに続くパンデミックは、自然が過剰に増えた私たちに仕向けた手立ての一つなのでしょう。そうした手立ては他にもまだあります。増え続ける二酸化炭素の排出が海水を炭酸に変え、私たちに必要な酸素の半分以上を生産するプランクトンも、いつかは耐えきれなくなるでしょう。そのうち、私たちは窒息しないように気を付けなければならなくなるかもしれません。
しかしその間にも、私たちは手探りで前に進んでいます。いま私自身は、自分が執筆している問題の渦中にあるという、居心地の悪い矛盾を抱えています。ワクチン接種で自然を欺くことにより自分は前に進めているわけです――。とはいえ、人類がいまの段階にとどまるなら、希望はあります。私が次に出版する本では、今後数十年の難局を現実的に乗り切る方法について書く予定で、タイトルは『Hope Dies Last』(※未邦訳)。この手で変えられる未来への道を見つけることをあきらめない人々のドラマにスポットライトを当てることになるでしょう。60カ国以上、全7大陸を旅したジャーナリストとして、私はこのかけがえのない地球という星について数多くを見てきただけでなく、先見性のある人々との出会いに恵まれました。彼らは「不可能だ」という言葉を発しません。人類の存続に関わる挑戦に明るく、想像力豊かに、そして強固な意志で立ち向かうホモ・サピエンスの仲間に、私はいつも心を動かされています。
ひとつだけ、確かなことがあります。これまで通りのやり方ではもう、世界ははちきれてしまう。私たちは「地球という枠の中で生きる」という、これまでの歴史上、先史時代にも直面してこなかったことに挑戦しない限り、他の生物との有効なバランスをとることはできないのです。私たちにそれができるのでしょうか?
それは、やってみなければわかりません。ある先見の明のある人は、私が「なぜ困難なことに立ち向かい続けるのか?」と聞いたときに、こう答えました。「他にどうすればいいんだ?」
そう、この道しかないのです。前を向くしか。――アラン・ワイズマン、2021年
(訳:編集部)


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