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特集 ジョー・イデ『IQ』⑤――アイゼイアVS変質者! カーチェイスの決着は!? 冒頭試し読み掲載(3/3)

好評発売中のミステリ『IQ』より、冒頭部分の試し読み第三弾を掲載します!
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 アウディが通りを疾走し、ぼやけた家並みが過ぎ去っていく。アイゼイアは歯を食いしばっているが、それを除けば表情は変わっていない。おそらくあの男はこうしようとたくらんでいた。クロロフォルムを持って荒っぽい界隈に来て、手ごろな少女を探していた。しかも、あの少女を素早くピックアップに乗せ、前もってどう動くかも決めていた。そこまで考えていたのだから、適当な場所へ行くとは思えない。計画があるはずだ。
 デロンダが両手で顔を覆った。「アイゼイア!」
 アイゼイアがブレーキを踏み、アウディが一時停止の標識で急停止した。左、右、まっすぐ、どっちに進んだ可能性もある。
「何がどうなってるのか、頼むから教えて?」デロンダがいった。
 アイゼイアは左を見た。通りの両側に家が並び、さっと入れる私道(ドライブウェイ)が十以上ある。子供たちが通りでホッケーをしている。ネットを移動し、トラックを通してまた戻す時間はなかったはずだ。
「誰かを追ってるのはわかる」デロンダがいった。「それが誰なのか、どうしてこんなことになったのかはわからないけど──」
「静かに」アイゼイアはいった。口調がかなりきつかったらしく、デロンダはすぐに黙り、アイゼイアが右を向くと、一緒に右を向いた。やはり家と私道(ドライブウェイ)が並んでいる。男性の集団が一ブロック先にたむろしている。ピックアップを見なかったかと訊くこともできるが、そこまで行かないと訊けないから、ピックアップとの差が一秒ごとに広がる。まっすぐ前にも通りが伸びているが、前方でカーブしているからずっと先までは見えない。アイゼイアの目が路面の穴に向けられた。穴のまわりに〝泥の花〟が咲いている。アイゼイアはアウディのギアを入れ、そのまま狭い通りを進み、手を伸ばせば触れられるほどすれすれで路上に駐まっている車とすれちがった。
「お願い、ああ、やめて」デロンダが目を閉じていった。
 アイゼイアはパシフィック・コースト・ハイウェイとの交差点で急に停まった。大きな通りで、目の前を車が次々と風を切って走り抜けていく。アイゼイアは車から降り、ひょいとボンネットに乗った。前方百八十度をざっと見渡すと、KFC、駐車場、〈ファイブ・スター・オート・パーツ〉、シェブロンのスタンド、〈デル・タコ〉、〈トップ・ノッチ・アプライアンシズ〉、〈リライアブル・パブリック・ストレージ〉が目に留まった。あの男が寄り道して点火プラグを買ったり、軽く食べたり、冷蔵庫を買ったりするとは思えないし、ガソリンスタンドにはさっきのピックアップは見当たらない。だが、〈リライアブル〉に行った可能性はある。そこはアイゼイアも知っている。シャッターのついた同じロッカー・タイプの倉庫が何列も連なっている。そのどれかひとつに少女がいるかもしれない。目が覚めかけ、クロロフォルムで朦朧としているそばに男の黒い影がそびえ、シャッターが下ろされ、空が閉ざされる。
 デロンダがウインドウから顔を突き出した。「何してるの、アイゼイア?」デロンダがいった。
 アイゼイアのシャツが背中に張り付き、頭皮が引きつった。逃げられてしまう。少女はどんなことに巻き込まれてしまったのか見当もつかない。〝何が見えた、アイゼイア、何が見えた?〟。ボーモントの店から出てきたとき、痩せた少女が通りかかり、ピックアップがのろのろとあとをつけていった。男がじっと見つめていた。日焼けした顔がてかっていた。帽子にロゴが縫い付けてあった。ルアーに食いついた魚、それに、後部バンパーに光を反射するものがついていた。トレーラー・ヒッチだ。
〝あの男はボートを持っている〟
 アイゼイアはまた車に乗り、アクセルを目いっぱい踏むと、クラクションを鳴らされながら赤信号もかまわず突っ切った。マリーナに行くなら南へ向かっていたはずだ。だが、あの男は西のロサンゼルス・リバー方面に走っていた。倉庫か誰もいないビルで少女を襲うつもりなのかもしれないが、ボートのほうが好都合だ。沖に出れば、少女とふたりきりになれて、好きなだけ遊んだら、少女を船から突き落とせる。
「警察に電話しろ」アイゼイアはいった。デロンダが携帯電話でかけ、スピーカー・モードにして、アイゼイアの耳に付けた。
「九一一です」通信指令係がいった。「どうかしましたか?」
 アイゼイアはV8エンジンの轟音に負けないように、大声を出さなければならなかった。「誘拐事件だ」アイゼイアはいった。「小さな女の子がさらわれた」
「いつのことですか?」
「数分前だ。今その男を追っているんだが、見逃しそうだ。ドーバーを西へ移動していて、パシフィックとの交差点を過ぎたところだ」
「誘拐の現場は見たのですか?」
「いや、見ていない。犯人は少女にクロロフォルムを嗅がせてトラックに乗せた」
「あの、現場は見なかったとのことでしたが」
「クロロフォルムのにおいがした。今ごろはおそらく男のボートにいる」
「クロロフォルムは無臭で──どんなボートですか?」
「アイゼイア!」デロンダがいい、電話を落とした。
 川が急激に近づき、フロントガラスを塞ごうとしている。アイゼイアはギアを低速に切り換え、右に急ハンドルを切ったあと、また素早く左に戻した。車が横滑りして自転車専用道路に乗り上げると、アイゼイアはアクセルを思い切り踏み、埃や小石をうしろに吹き飛ばしながら下流に向かって突き進んだ。
「あたし、どうして車から降りなかったんだろ?」デロンダがいった。「どうして?」

〈マーキュリー〉の船外機が低いうなりを上げ、〈ハンナ・M〉が航跡ができるほどの速度でロサンゼルス・リバーを下っていった。上流は浅過ぎるが、入り江に近いこのあたりはちょうど船底が着かないくらいの水深がある。ボイドは全長二十一フィート(六・四メートル)のカディ・ボートのブリッジに胸を張って立っていた。風が生ぬるい毛布のように顔を包んでいるが、ともかく気持ちはいい。
 ボイドが祖母の来客用の寝室で暮らしていたとき、祖母が老衰で死んだ。家は銀行に持っていかれたが、貸金庫にいくらか現金を残していた。大金ではないが、船体に〈ボンドー〉の補修材が貼ってあり、風防ガラスが割れ、舷側にぱらぱらと錆が浮いている中古のボートを買えるくらいはあった。ボイドはこのボートが大好きだった。これまで自分のものにした中でいちばんだ。ニックに好きなときにボートを使わせる代わりに、フォークリフトを使ってボート・トレーラーをチェーンリンク・フェンスで囲まれた広場に置かせてもらっていた。トレーラーをバックで水際に着けてボートを進水させるのは楽だった。
 痩せた少女は下のキャビンに閉じこめている。カビの生えたマットレスに少女を寝かせ、ダクトテープで手首と足首を縛り、口を塞いでおいた。信じられないくらい細い腰までシャツがまくれ上がったとき、二、三度、うめき声を漏らした。ボイドは横にひざまずき、少女の吐息に耳を澄ましていると、自分の腸のサナダムシがむくむくと身をよじるような感覚を覚え、体中に怒りが満ちてきた。あの場ですぐに襲いそうになったが、やっぱり計画どおりにやることにした。
〈ハンナ〉が右舷に流れていた。ボイドは我に返り、黒人が灰色の車で自転車専用道を走っているのに気付いた。〝さっきの男か? まさか、なわけねえ〟。ボイドはボートを川の中央に戻し、スロットル・レバーを前に倒した。〈マーキュリー〉がますますやかましくなり、ボートはぐんぐん進んだ。だが、車が追いつき、並走している。〝あいつは何者だ?〟。車の男がウインドウから腕を出して指さしている──いや、指さしているのではなく、フロントガラスのワイパーのように左右に振り、何事かを繰り返しいっている。唇が読めた。〝やめろ。やめろ〟。ボイドはスロットルを全開にした。ボートがぐいとつんのめり、速度を上げたが、車もくぼみを踏んで跳ねたり、自転車に乗っている人やジョギング中の人を避けながらついてきた。「あいつ何者だ?」ボイドはいった。
 あの黒人がじきに行き止まりにぶち当たるのはわかっている。自転車専用道は八百メートルほど下流のシーサイド・フリーウェイの高架橋までしかない。あいつはそこで立ち往生し、おれはまんまとおさらば。あと数分でクイーンズウェイ・ブリッジだ。そこから川は広くなり、こじゃれたマリーナ、灯台、それから〈クイーン・メアリー〉を過ぎて、ロングビーチ・ハーバーに出て、そこから浮標係留索に沿って外洋に出れば、どんな大声でわめいてもクラゲにしか聞こえない。黒人が速度を上げて、ほかの道に折れても、ボイドは心配しなかった。あいつに何ができる? 何もできやしない。「くたばれ!」ボイドは丸めた両手を口に当てて叫んだ。「くたばれ、くそったれ!」
 ボイドは下に降りていき、キャビンの中をのぞいた。少女はまだ朦朧としている。いいぞ。またクロロフォルムを嗅がせたくはない。目を覚まさせておきたい。しっかりと。ボイドはにやりとして、掌をこすり合わせた。顔のダクトテープをはぎ取り、〝起きろ、チビ。おまえはもうおれのもんだ〟という場面を想像した。

 アイゼイアはアウディを高架橋の橋台の近くに駐めた。すぐさま降りてトランクに回ってあけた。フロア・パネルとスペア・タイヤを取り去ると、その下のスペースが現われた。さまざまな大きさのプラスチックの収納箱にラベルが貼ってあり、きれいに並べられている。〝工具〟〝ハンダ/溶接〟〝拘束器具〟〝ドリル/丸鋸〟〝梃子〟。その中でも〝武器〟の箱には、スタンガン、テーザー、ゴム弾銃、熊避けスプレー、警棒、サップ・キャップが入っている。ごくふつうの帽子に見えるが、鉛粒が詰まった秘密の仕切りがある。その帽子で人を殴ると、相手の顔の骨が粉々に砕ける。ディターミネーターは専用の黄色いハード・プラスチック・ケースに入っている。
「〝ディターミネーター〟って何?」デロンダがいった。

 ボイドが足の親指の付け根で跳ねていると、シーサイドの高架橋が見えてきた。ロッキーのように両手を広げた。「やったぜ!」ボイドは声を張り上げた。強烈な尿意でも催したかのように、体を小刻みに揺すったり震わせたりしはじめた。「やったな、ボイド、やったな!」その後、声がすぼみ、顔色が暗くなった。「今度は何だよ?」ボイドはいった。さっきの黒人と女が捨て石の基礎から岸へ降りてきた。女がサンダルを手に持ち、文句をいっている。黒人の男も何か持っている。ライフルにしては短過ぎるし、拳銃にしては太過ぎる。ひび割れ補修に使うコーキング・ガンのように見える。ボイドは笑った。〝せいぜいがんばりな、まぬけ〟。ボイドは空港で待ち合わせていたかのように、黒人に向かって手を振った。「撃てよ! 撃てよ、ばぁか! 撃ってみろ!」

 ディターミネーターHXグレネード・ランチャーは狙いがつけにくい。重さは三キロ弱、ピストル形のグリップ、銃床を伸ばすと長さは六十センチほど。銃身はテニスボール缶並に太くて丸い。アイゼイアはグレネードを尾筒(ブリーチ)に込めて、装填口を閉じた。警察機関専用の特殊閃光音響弾(フラッシュバン)タイプのグレネードだが、花火グレネードならオンラインで買える。アイゼイアは角度を見定めた。ボートは真正面を横切ってへさきを上げ、両岸へ波を蹴立(け た)てて高速で走っている。至近距離で撃てば、グレネードはブリッジを取り囲む風防ガラスに当たって爆発する。男はびびるだろうが、それだけだ。ボートがいくらか前に進んでから、風防ガラスの内側に命中させるしかない。
 ボートがエンジン音を轟かせ、近づいてきた。男はくるりと尻を向け、ズボンを膝まで下ろした。尻をくねくねと揺らし、〝撃てよ、撃てよ〟と叫んでいる。アイゼイアはランチャーをかまえた。
「なんで撃たねえんだ?」ボートが前を通り過ぎたとき、男が笑いながらいった。
 アイゼイアは撃った。グレネードが男の左肩を飛び越え、風防ガラスの内側に当たった。赤と白の閃光が飛び跳ねる派手な爆発が起きた。男が操舵輪から手を放して目を覆い、うしろによろめいた。Tシャツに火がつき、ズボンが足首のあたりでねじれた。デッキに倒れていき、そのときに竿受け(ロッド・ホルダー)に顔をぶつけた。ボートは火花を散らしながら全速力で円を描いていた。
「今日はくされ独立記念日だったわね」デロンダがいった。
 男が立ち上がり、すぐさま川に飛び込んだ。水を跳ね散らし、水中でもがき、無数の配水管に汚染された水でむせ、沈んだり浮かび上がったりしているうちに足がついたらしく、目のへどろをぬぐいながら岸に向かってゆっくり歩いてきた。
 アイゼイアは折り畳み式警棒を持って岸まで出向いた。「女の子は無事だろうな」アイゼイアはいい、すでにどれだけ苦しみを味わったことかと思った。デロンダが思わず顔をしかめるほどしたたかに、男の頭を警棒で横から殴った。男が転んで水中に沈んだ。アイゼイアはそのままおぼれさせようかと思ったが、襟をつかんで頭を水面から出してやった。「あの子は無事だろうな。聞いてるのか?」アイゼイアはいった。「無事なんだろうな」

 二十分後、パトロール・カーと救急車が高架橋のまわりに駐まり、ヘリコプターが上空でローター音を響かせていた。警官があちこちで何かを指さしたり、話たりするそばで、ボイドのボートは係留され、黄色いテープで縦横に囲まれている。少女が担架に乗せられている。意識はあるが、怯えていて吐き気を催しているから、救急医療隊員がそばについている。
「お名前は、お嬢ちゃん?」隊員がいった。
「テレサ」少女がいった。
「もう大丈夫だ、テレサ。今からこの酸素マスクを顔につけるから、ぼくのいうとおり大きく息をしてくれるかい?」
 テレサがマスクを脇にどけた。「あたしの携帯はどこ?」テレサがいった。
 警官がボイドをパトロール・カーに連れていっている。ボイドは手錠をはめられ、濡れ犬のようにびしょ濡れで、パンツもはかず、Tシャツは黒焦げのぼろきれになり、顔をやけどしている。二本目の前歯をなくし、口が血だらけの穴と化している。「おれはしゃにもししぇねえ」男がいった。
「誰に何もしてねえって?」警官がいった。「おまえが誘拐して、縛り上げてボートに閉じこめていた少女にか?」
 ボイドはちょっと乗せて回ってただけだといおうかと思ったが、いくらボイドでも、それはまぬけないいわけだと思った。「おれにふぁくだんをふっふぁなしたやつは?」ボイドはいった。
「おまえに爆弾をぶっ放して、おまえがボートにさらってきた少女を救ったやつのことか? 黙って車に乗れ」

 テレサの父、ネスターがやってきた。あの店の近くを歩いてたら、だれかに何かを顔に押し当てられて、目が覚めたらボートの中にいて、黒人の男の人が大丈夫かって訊いてた、と少女はいった。
「そいつに何かされたのか、なあ」ネスターがいった。
「いいえ、パパ、そうじゃないの。あたしを誘拐したのはその人じゃない。その人は助けてくれたっていうか。優しかった。それはわかる」その黒人の男の人に岸まで運んでもらって、陸に降ろされて、大きく息をするようにいわれたのだと付け加えた。その人に支えられなくても体を起こせるようになってから、じきに警察が来るといわれた。そのあと、その人は女の人と車に乗って行ってしまった。
「ただ立ち去ったのか?」
「そういったでしょ、パパ」
 なぜここにとどまって、ヒーローとして新聞に写真つきで載ったり、テレビに出たりしなかったのか、とネスターは思った。その人を探し出して、じかに礼をいわないと。人に向かってグレネードをぶっ放す黒人なら、探すのにそれほど手間はかかるまい。一日、二日ゆっくり休ませてから、帰り道でもないのになぜあの店の近くにいたのかをテレサに尋ね、馬鹿野郎(ペンデホ)のラモンに会いに行ったのなら、電話を取り上げるぞといい聞かせよう。

変質者を見事を警察に引き渡したIQ。このあと彼はある理由から、腐れ縁のギャングであるドッドソンに仕事を仲介してもらうことに。それは「謎の巨犬を使う殺し屋を探し出せ」というあまりに奇妙な依頼だったーー!

この続きはハヤカワ・ミステリ文庫より大好評発売中の本篇でお楽しみください! 

【書誌情報】
タイトル:『IQ』
原題:IQ
著者:ジョー・イデ
訳者:熊谷千寿
本体価格 : 1,060円+税/発売中
ISBN : 9784151834516
レーベル名 : ハヤカワ・ミステリ文庫

さらに重大発表!
〈IQ〉シリーズ第2作『RIGHTEOUS』(仮)が、
2019年にハヤカワ・ミステリ文庫より刊行決定! 続報をお楽しみに! 


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