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行動経済学の新概念『スラッジ』「面倒だからやめておこう…」が生む経済損失とは?

人間の心のクセを利用して合理的な選択を促す「ナッジ」とは逆に、合理的な行動を阻む仕組み、いわば「負のナッジ」が「スラッジ」
ユーザーにとって不利な選択を誘導するようなオンラインシステムや、膨大な書類が必要とされる給付金制度……などなど、あなたの周りにあふれるスラッジの実態と悪影響、さらに回避する対策を説くのが新刊『スラッジ 不合理をもたらすぬかるみ』(キャス・R・サンスティーン、土方奈美訳、早川書房)
「ナッジ」を世に広めた著者が語る「行動経済学の新概念」を、本書冒頭部分から試し読み紹介します。

『スラッジ 不合理をもたらすぬかるみ』キャス・Rサンスティーン、土方奈美訳、早川書房
『スラッジ 不合理をもたらすぬかるみ』
早川書房

Sludge【名詞】軟泥、泥、(下水)汚泥、スラッジ、ヘドロ、ぬかるみ

【リーダーズ英和辞典 第3版】

第1章 社会の前進を阻むスラッジ

おそらくみなさんも人生において、スラッジに足を取られたことがあっただろう。スラッジはみなさんがやりたいことをやる、行きたいところへ行くのを阻む、摩擦あるいは抵抗でできた「魔のぬかるみ」だ。本書の第一の目的は、なぜスラッジがそれほど有害であるかを理解すること、第二の目的はその害を抑えるために何ができるかを考えることだ。

民間組織も公的機関もスラッジを生み出す。小企業も大企業も、政府や地方自治体も、スラッジを生み出す。国連、欧州委員会、世界銀行も同じだ。弁護士もスラッジの発生源となる。裁判所も然り。医師や病院も生み出す。もちろん銀行もスラッジをつくる。スラッジ問題の深刻さは国によって異なるが、地球上のあらゆる国家に存在する。本書では主にアメリカの状況を見ていくが、基本的な教訓は多くの国に当てはまる。スラッジは人々をとりまく環境に埋め込まれているので、一つひとつ除去していく必要がある。

スラッジは経済的ダメージを引き起こすことが多い。公衆衛生を蝕むこともあり、最悪の場合は犠牲者が出る。日々の教育にも悪影響を及ぼす。多くの人の教育を受ける機会を奪うのだ。経済成長も阻害する。雇用を減らし、起業家精神やイノベーションの芽を摘む。患者、保護者、教師、医師、看護師、従業員、顧客、投資家、そして何かを生み出そうとする人々を苦しめる。投票する権利や、人種や性別によって差別されない権利など、基本的人権を侵害する。スラッジは社会全体に不公平をまき散らす。

スラッジは人間の尊厳を傷つけることもある。スラッジに立ち向かい、乗り越える方法を探さなければいけないとき、人は屈辱感を抱く。カフカの小説にはスラッジのために思うように生きられない人々、苦境から逃れられない人々の姿が描かれている。スラッジのために投票権を得られない、あるいは何らかの許認可を受けられないと、自分が意味のない存在に思えるのではないか。金銭的に苦しい立場にある人々はスラッジに悩まされる。スラッジは万人にダメージを及ぼすが、とりわけ病気の人、高齢者、障害者、貧困層、あるいは学歴が低い人にとっては大きな負担となる。

2020年にカリフォルニア州ウエスト・サクラメント市が、この呪縛を解くためのささやかな一歩を踏み出した。市内在住のすべての高校生が、コミュニティ・カレッジ(公立の二年制大学)に無条件に入学できるようにしたのだ(しかも200ドルの奨学金付きで)。クリストファー・キャバンダン市長はこう語った。「これまで誰も大学に進学したことのない家庭に生まれた子供が、大学入学許可証と奨学金給付の手紙を受け取ったらどんな気持ちになるか、想像してほしい」。そしてこの新たな取り組みによって「高校から大学へ進学することが、幼稚園から小学一年生に上がるのと同じぐらい簡単になる」と付け加えた。

これから見ていくとおり、自動的に大学に入学できるようにするという発想は、行動科学に根ざしている。出願手続きというささやかなスラッジでも、重大な影響を及ぼしうる。スラッジを取り除くことが、多くの高校生の大学進学を後押しするという発想は理にかなっている。もっと多くの首長らが同じ取り組みを進めるべきだ。

スラッジは私達の暮らしのあらゆる領域に存在する。たとえば以下の事例を考えてみよう。

1 貧困家庭の学生には、大学で学ぶための資金援助を受ける資格がある。ただ援助を受けるには書類に記入する必要ある。そこには何十という質問が並んでいて、なかには多くの学生にとって答えるのが難しいものもある。その結果、援助を申請するのを諦めてしまう学生もいる。

2 法律に基づいて医療給付を受けるためには、複雑なウェブサイトで登録を済ませなければならない。そもそも質問の意味が理解できない申請者も多い。作業に長い時間もとられる。このため申請を諦める者もいる。

3 消費者が欠陥商品への苦情を申し立てようとしても、手続きに長い時間がかかる。申請フォームにはどこで商品を購入したのか、どのような使い方をしたのかといった詳細な情報を記入しなければならない。そうした情報を簡単に入力できない消費者もいれば、プライバシーを侵害されるのではないかと不安を感じる者もいる。こうして多くの消費者が申請フォームに記入すること自体をやめてしまう。

4 ジョージア州では投票するために長蛇の列に並ばなければならない。ときには投票できるまで4時間以上かかることもある。そんなに時間的余裕がない有権者も多く、それだけ待たされるのは苦痛だと感じる人もいる。投票所に足を運ばない人もいれば、1時間並んで諦める人もいる。

5 携帯電話会社は一部の製品に、申請書を郵送すれば還付金を受けられる特典を付けている。還付金が200ドルに達する製品もある。電話会社は多くの消費者が還付金に魅力を感じて製品を購入すること、ただ結局申請書に記入して郵送する人は少ないことをよくわかっている。

6 壊れたノートパソコンを修理に出すには、まずカスタマーサービスに電話をかけ、予約を入れなければならない。予約した店に足を運ぶと、今度はさらに長時間待たされることが多い。待ち時間が2時間に及ぶケースもある。

7 ある大学教授が学術誌から論文の査読を頼まれたとする。ただそのためには、まず学術誌のウェブサイトで登録を済ませる必要がある。登録がわかりにくく複雑なので、結局論文の査読は断ってしまう。

なかには些細なケースもあるが、重大なものもある。そのすべてにスラッジがかかわっている。これまで公的機関から許認可を受けようとしたことがある人ならスラッジを経験したことがあるはずだ(運転免許を取得するためには、スラッジを乗り越えなければならない。スラッジはわずかなこともあれば、膨大なこともある)。

だがスラッジという言葉は、具体的に何を意味するのか。
スラッジとは、人々が何かを手に入れようとするときにそれを邪魔立てする、摩擦のようなものと考えるとわかりやすいのではないか。多くのスラッジは、待ち時間をともなう(現場で、電話で、あるいはオンライン上での待ち時間)。報告の負担もともなう(暮らしぶりを説明する週次報告書の記入など)。給付金、医療、雇用、ビザ、許認可、あるいは何らかの命にかかわる支援を受けようとしているときには、手間のかかる、あるいは内容の重複する申請手続きを何度もしなければならないこともある(ここにはネットで費やす膨大な時間も含まれる)。対面式の面接を受けなければならないなど、スラッジはあちこちへの移動を強いることも多い。

スラッジはわかりにくい行政手続きというかたちをとることも多い。必要な情報を集めたり、誰に連絡すべきかや、自分が何をしなければならないかを確認したりといったことだ。許認可手続きをともなうケースも多い。役所はもちろん(特定の書類や計画に関係者10人の署名を集める必要がある、など)、民間部門もそうだ(民間の大学や病院なども)。医師、看護師、パイロット、トラック運転手、飛行機の客室乗務員になるための教育・訓練の要件もスラッジとみなすことができるが、これはもちろん正当なものだ。

スラッジには「お役所仕事」(これ自体は曖昧な言葉だ)も含まれるが、それに限った話ではない。たとえば投票するために長蛇の列に並ばなければならない、あるいは免許を取得するために役所に面談に行かなければならないというのは、一概にお役所仕事の弊害とはいえないが、やはりスラッジだ。スラッジは官僚主義とイコールではないが、重なる部分は多い。エネルギー省は官僚機構ではあるが、その存在自体はスラッジではない(ただし多くのスラッジの発生源ではある)。

スラッジは経済用語でいう「取引コスト」の一種ととらえることもできる。ただし取引コストという「家」にはたくさんの部屋があり、スラッジとは呼べないものもある。たとえば弁護士費用や、証券や不動産などの仲介業者に支払う手数料は、取引コストの代表例に挙げられることが多いが、スラッジではない。コロンビア大学ロースクールのエリザベス・エメンス教授の提唱する「管理業務(admin)」という重要な概念にはスラッジが含まれてはいるが、スラッジではない管理業務もある(家事労働など)。

スラッジという言葉は厳密に定義されておらず、未解決の問いもある。ただ定義にこだわりすぎないほうが良い、と私は思っている。スラッジの必要条件、十分条件を整理するのは困難な作業だが、私達が直面していることがスラッジか否かというのは、通常その時々のコンテクストに照らすとはっきりわかる。概念を明確にするために、純粋な金銭的インセンティブ、あるいはディスインセンティブはスラッジに含めるべきではない。

たとえば消費者が保険に加入するため一定額の支払いを求められる場合、医療サービスを受けるために申請費用を負担する場合、あるいは少額の上乗せ金を支払えば飛行機で良い座席にアップグレードしてもらえる場合などは、不満を感じるかもしれないが、いずれもスラッジに直面しているわけではない。また何かを禁止するのもスラッジではない。公共の場での喫煙禁止は、スラッジの問題ではない。

市民に課された義務がスラッジにあたるか否かは、具体的に何が義務づけられたかで決まる。スラッジそのものが義務づけられたのだろうか。たとえば医療保険への加入が義務づけられている場合、その加入手続きがどれほど煩雑であるか(膨大な書類の作成を要求するなど)によってスラッジかどうかは異なる。

一方、うつや不安に悩まされている人が医師の診察を受けるのに不要な手続きを求められるとしたら、それは明らかにスラッジだ。「グローバルエントリープログラム」(アメリカの事前入国審査制度で、スラッジを削減するすばらしい仕組みだ)を利用するには、膨大な書類に記入し、面接審査を受けなければならない。そこはスラッジだ。将来経験するスラッジを大幅に減らすために、今多少のスラッジを我慢するわけだ。

少し前、私はとある大規模大学に通う学生たちに、大学の提供する医療保険について尋ねたことがある。改善点はないか、と。二人の学生がメンタルヘルスの問題を挙げた。精神の不調を感じて医師の予約を取ろうとすると、2カ所に電話をかけたうえで複雑な書類に記入しなければならない。メンタルヘルスの問題を抱えている人は社会的に白眼視される傾向があり、そんな状況で苦しんでいるときにスラッジに対処するのは酷だ、と言う。

このうち一人の学生はしばらくスラッジと苦闘した末に、予約を取ろうと努力すること自体に意味がないと諦めたという。この学生は悲劇的結末を迎えることはなかったものの、世界中でメンタルヘルスに苦しむ人々はスラッジへの対処を迫られている。その結果、受診を諦める患者も多い。

スラッジは常に害悪なのかといえば、もちろんそんなことはない。スラッジは過剰なこともあれば、足りないこともあるし、ちょうどいいこともある。たとえばあなたが人生において何か重大な決断を下そうとするとき(離婚など)、スラッジは歓迎すべきものかもしれない(この点についてはのちほど詳しく述べる)。

ネットで「本当に〇〇してよろしいですか」と質問を受けるのは面倒かもしれないが、そこには個人的にも社会的にもメリットがある。重要なファイルを本当に削除したいのか、法的権利を放棄したいのか、怒りにまかせて書いたメールを誰かに送り付けたいのか、ソーシャルメディアに何らかの投稿をしたいのか。そうした問いに答える手間は、間違いや軽率な行為を防ぐための負担ととらえることができる。スラッジが存在する正当な理由については後ほど詳しく述べる。ただ本書は基本的に、スラッジを推奨するのではなく、なくそうとする立場だ。

ナッジとスラッジ

ここまで読んで、ナッジとスラッジの関係を知りたい、と思っている読者もいるだろう。まずはオリエンテーションから始めよう。ナッジとはもともと注意喚起のために「ひじでそっと突く」という意味で、行動経済学の世界では官民を問わず、人々を特定の方向に誘導しようとしつつ、最終的決定は本人に委ねる取り組みだ。リマインダー(注意喚起)や警告はナッジである。GPS端末もユーザーを特定の方向にナッジする。市民やユーザーに特定のプログラムを自動的に加入させるデフォルト設定もナッジだ。

ナッジの条件として、高額の金銭的インセンティブ(あるいはディスインセンティブ)を伴わないという点が挙げられる。ナッジ推進派は「特定の行為を容易にすること」の重要性を説く。行動変容が目的ならば「なぜ人々は今その行動をとらないのか」と考えてみるべきだ。答えがわかれば、障害(それがスラッジのこともある)を取り除くための手を打てばいい。

ナッジは良い目的にも悪い目的にも使われる可能性があることを指摘しておくべきだろう。デフォルト設定によって、消費者のニーズに合わないような医療保険契約に誘導することもできる。携帯電話やノートパソコンを購入しようとする消費者に、まったく利益のない保証契約がひな型として用意されることもある。行動科学を利用した広告によって、消費者はタバコやアルコールの購入など、健康にマイナスな行動に向けてナッジされることもある。ナッジは道具だ。その点、補助金、罰金、犯罪抑制策と変わらない。

ナッジを評価するためには、どのような成果がどれほどのコストで得られているのか、福祉の観点から把握する必要がある。検証する最良の方法は簡単だ。「ナッジは人々の福祉を向上させているか、生活を向上させているか」と尋ねればいい。もちろん福祉という概念を具体的に定義する必要がある。多くの人が公正な分配を大切だと考え、社会の最も弱い立場にある人々の福祉に配慮すべきだと考えていることも重要だ(優先主義)。

軽率な行動を防ぐための仕掛けは、(有効な)ナッジともスラッジともとれる。人々が衝動的ではなく、熟慮した行動をとるよう後押しするように設計された施策だ。次の記事の見出しは、その効果を端的に表している。「拳銃購入の待機期間が銃による死者を抑制する」。

こう考えると、有効なナッジのなかには摩擦を減らす(特定の行動を後押しする)ものもあれば、摩擦を増やす(特定の行動を妨げる)ものもあることがわかる。摩擦を増やすナッジは人々にじっくりモノを考え、特定の行動(商品やサービスの購入、保険契約や支払計画の変更、重大な意思決定など)を冷静になって考え直すことを目的としているという意味で、「熟慮を促す効果」がある。消費者行動のコンテクストにおいて、熟慮を促進するナッジは好ましい。ナッジの重要な活用法であり、より多くの状況で取り入れるべきだ。

以上の議論から、ナッジとスラッジは以下の4タイプに分類できる(表1を参照)。

『スラッジ』(早川書房)より引用転載
『スラッジ』(早川書房)より

(2)はナッジとスラッジが重なり合う分類で、ここについて述べたいこともたくさんあるが、本書の主な関心事は(4)だ。もちろん各分類の定義については、さらに詳しい議論も必要だろう。ただ(複雑なウェブサイト、膨大な質問リスト、難しい語彙や表現、誘導的言葉遣いなど)何かしようとする人の妨げとなるものは、間違いなくスラッジだ

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記事で紹介した書籍の概要

『スラッジ 不合理をもたらすぬかるみ』
著:キャス・R・サンスティーン
訳:土方 奈美
出版社:早川書房
発売日:2023年1月24日
税込価格:2,420円

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