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「月面版ミッション・インポッシブル!」 アンディ・ウィアー最新作『アルテミス』、 評論家・大森望「文庫解説」先行公開

※デビュー作火星の人が、オデッセイのタイトルで映画化され大ヒットを記録。全世界で300万部を売り上げたアンディ・ウィアーの最新作アルテミス(小野田和子訳、2018/1/24)。本作の読みどころと作品のアイデアの一端を、SF翻訳・評論の第一人者・大森望氏による「解説」でご紹介します。

解説

大森 望(評論家)

 アンディ・ウィアーの第一長篇『火星の人』は、デビュー作としてはSF史上稀に見る大成功を収めた。
 もともと自身のウェブサイトに無料公開していた小説をKindle化して売り出したら、発売3カ月で35,000ダウンロードを記録。2014年に大手出版社クラウンからハードカバー版が発売されるとこれまた大評判になり、2015年には、リドリー・スコット監督、マット・デイモン主演で映画化(邦題「オデッセイ」)。ペーパーバック版と合わせ、累計300万部を超えるベストセラーとなった。
 日本でも、ハヤカワ文庫SFから2014年8月に小野田和子訳で刊行されると、「ベストSF2014」海外篇一位と、翌年の星雲賞海外長編部門を獲得。映画公開に合わせて上下巻の新装版も発売され、邦訳は累計20万部を突破。ここ10年の翻訳SFでは最大のヒット作となっている。
 本書『アルテミス』は、そのアンディ・ウィアーの第二長篇 Artemis の全訳にあたる。あの『火星の人』の次に、シンデレラ・ボーイがいったい何を書くのか。全世界が注目するなか、2017年11月、前作と同じクラウンからハードカバーで刊行された。
 読めばわかるとおり、ウィアーの選択は、ある意味、真っ向勝負。前作の主人公マーク・ワトニーが登場するわけではないし、舞台も違えば時代も違うから、作品としては完全に独立しているが、いろんな意味で『火星の人』を踏まえていることはまちがいない。ある面では対照的だし、また別の面では前作の延長線上にある。
 今度の舞台は人類初の月面都市アルテミス。時代背景は2090年前後(推定)。アルテミス建設から20年あまりが経過し、都市の人口は2000人に達している。
 主人公は、サウジアラビア生まれ、アルテミス育ちの26歳、ジャズことジャスミン・バシャラ。六歳から月で暮らし、物心ついてからは地球の土を一度も踏んでいないので、地球の六分の一しかない重力に慣れきっている。超一流の溶接工である父親に厳しく育てられ、たいていのことは自分でこなせる技術屋の腕と優秀な頭脳を持っているが、移り気な性格が玉に瑕。さまざまな仕事を転々とした挙げ句、いまは運び屋(ポーター)として密輸業に精を出している。というのも、どうしても金を貯める必要あるからで──という事情は追い追いわかってくる。
 前作が白人男性の一人称だったのに対し、今回はアラブ系女性の一人称と、語り手の立場は対照的。ただし、何があってもへこたれない性格とピンチを笑い飛ばすユーモア精神は共通する。
 ストーリーについても、「火星版ロビンソン・クルーソー」とも評されるサバイバルものだった『火星の人』とは対照的に、『アルテミス』は、手に汗握る月面版ミッション・インポッシブル。ふつうならまず実行不可能と思われる仕事を提示されたヒロインが、持ち前の技術と度胸と知恵で難題に挑む。ただし、問題のミッションは非合法なので、むしろ、映画で言うケイパーもの(もしくは銀行強盗〔ハイスト〕もの)に近い。綿密な計画を立て、協力者を集め、着々と準備を進め、実行する過程がテンポ良く描かれる。
 仕事の依頼者は、ジャズにとってポーター業の上得意であるトロンド・ランドヴィク。大物実業家にしてアルテミス有数の大富豪だが、依頼の内容は、企業買収にからんだ破壊工作。報酬に目が眩んで引き受けたものの、次から次へと難題が持ち上がり、事態は思わぬ方向へと転がりはじめる……。
 テンポの速い展開や会話の多い語り口は前作(のとくに前半)とは正反対だが、『火星の人』だってサバイバルという実行不可能なミッションに挑む話だと言えなくもないし、後半はストレートなプロジェクトものになるから、話の骨格だけとりだすと両者は意外とよく似ている。ありあわせのものでなんとかする開拓者魂も前作と共通で、今回もまた、ダクトテープが活躍する。前作ともども、DIY宇宙SFと呼んでいいかもしれない。
 加えてアルテミスでは、リバタリアン精神というか、地球の法律に縛られず、自分たちのことは自分たちで決めようという自主独立の気風が強く、最先端の技術が投入されている割に、開拓時代のアメリカ西部の雰囲気をたたえている。アルテミス統治官のフィデリス・グギが町長なら、治安官のルーディ・デュボアは町の保安官か。
 つまり本書は、みんなから愛されるはねっかえりの小娘が大騒動に巻き込まれ、まわりの大人たちがなんだかんだ言いながら救いの手をさしのべる──みたいな、ある意味、たいへんおおらかな話なのである。現代ものの犯罪サスペンスの基準で考えると「おいおい」と言いたくなる箇所が随所にあるが、開拓時代の話だと思って読むと違和感がない(というか、ノリ的にはスチームパンクに近いかも)。
 『火星の人』で見せた魔術的なストーリーテリングは、語り手が女性にかわっても健在。作者の分身みたいな存在だったマーク・ワトニーと違って、ジャズの一人称には苦労したそうだが、この日本語版は小野田和子さんの歯切れのいい快訳のおかげで、英語版以上にすらすら読めるのではないか。
 ジャズをとりまく登場人物も多彩。月でいちばんの熟練船外活動(EVA)マスターにしてEVAギルド主任トレーナーのボブ・ルイスは、職人肌の江戸っ子風。同じくEVAマスターのデイル・シャピロは真面目で堅実な脇役タイプ(もともとジャズの親友だったのに、ある理由から仲違いしている)。微小電子部品製造法を専門とする欧州宇宙機関(ESA)研究員兼マッド・サイエンティストのマーティン・スヴォボダは、頼れるおたくタイプ。ジャズの父親のアマー・バシャラは、周囲の尊敬を集める腕利きの溶接工にして敬虔なイスラム教徒。前出の治安官ルーディ・デュボアは、王立カナダ騎馬警察を退職して月に渡り、アルテミス保安部のボスになったという経歴の持ち主。強面(こわもて)だが、ジャズのことをひそかに気に掛けている。依頼主の実業家トロンド・ランドヴィクはノルウェーのテレコム産業で財をなした大物だが、自動車事故で体に麻痺が残る愛娘レネ(現在16歳)のため、彼女が車椅子を使わなくても自由に歩ける低重力環境のアルテミスに引っ越してきた。アルテミス統治官のフィデリス・グギは、ケニアの財務長官時代、赤道直下という地理的利点を生かしてゼロから宇宙産業を立ちあげた、アルテミス誕生の立役者。
 そしてもうひとり、唯一の地球在住者として登場するのが、ジャズの子供時代からの文通相手で、ケニアのKSC複合ビルに住むケルヴィン・オティエノ。彼の存在がジャズの生業にとって重要な意味を持つことがだんだんわかってくる。
 前半からバラバラに出てくるこれらの脇役たちが後半でジャズとどうからむかが、本書の(ケイパーものとしての)見どころのひとつだろう。
 
 この『アルテミス』がどのようにして生まれたかについては、原書刊行時、ウェブマガジン THE VERGE に掲載されたアンドルー・リプタクによる著者インタビューを引きながら、かいつまんで紹介しよう。
 著者によれば、本書の執筆はまず月面都市アルテミスの設定を考えるところからスタートしたという。そもそも、なぜ月面に都市を建設する必要があるのか? いったいだれが住むのか? 鉱物資源の採掘のためならロボットを送ればいい。地球の人口が過密というなら、サハラ砂漠か海底を環境改造すればいい。地球上のどんな場所だって、月に比べたら、はるかに植民に適している。そこで、最終的に著者がたどりついた結論が、「観光」だった。民間宇宙産業の競争によって月旅行の価格が下がり、富裕層が月を旅行先の選択肢のひとつと見なすようになった時代──それを前提に、月面都市をゼロから設計したのだとか。
 
 こうして出来上がったアルテミスは、都市と言っても直径わずか500メートル。巻頭の地図を見ればわかるとおり、相互にトンネルで接続された5個の球体(地上部分は半球のドーム)で構成されている。中央はアームストロング・バブル、そのまわりをオルドリン、コンラッド、ビーン、シェパードが取り囲む(それぞれの名前は、アポロ計画で月に降り立った人類の最初の五人、アポロ11号のニール・アームストロング船長とバズ・オルドリン、アポロ12号のピート・コンラッド船長とアラン・ビーン、アポロ14号のアラン・シェパード船長にちなむ)。
 アルテミスを開発・建造したのはケニア・スペース・コーポレーション(KSC)。アルテミスは現在も、ケニア海外プラットホームという位置づけで、ケニア時間が採用されている。前述したとおり、アルテミス初代統治官のフィデリス・グギが、ケニアの財務大臣だった時代にゼロから宇宙産業を立ちあげ、34カ国の50企業から資金を調達してKSCを設立。ケニア政府に特別な税優遇措置を認めさせて、アルテミス建設という途方もない巨大プロジェクトを実現に導いた……という設定。
 ウィアーが本書のストーリーを考えはじめたのは、アルテミスのこうした背景がかたまってから。実際には、本書のプロットは三バージョン目で、それまでに、べつのキャラクターが登場するまったく違うストーリーを二種類ボツにしているという。本書の主人公ジャズは、その不採用バージョンで脇役だった人物。著者いわく、
 「ジャズは、マフィアのボスとかいうわけじゃないけど、犯罪と縁のある人物だった。彼女みたいなキャラクターだと、手っとり早くトラブルに巻き込むことができる。その意味で、ポテンシャルが高い存在だった。だから、どうやったら彼女をトラブルに巻き込めるかを考えはじめたんだ。それも、できればアルテミスの都市機能と関わるようなかたちで」
 アルテミスの社会構造は、サービス労働者と一部富裕層(およびスーパーリッチな観光客)に二極分化している。アルテミスを訪れるリッチな観光客が超豪華なホテルに泊まり、超高級レストランで食事をするのに対し、アルテミス在住の労働者(および中産階級の旅行者)はガンクと呼ばれる乾燥粉末食品を食べ、棺桶のような部屋で寝起きする。その理由を訊かれた著者は、べつだん政治的なメッセージではなく、アルテミスの主な収入源が観光であることから、カリブ海のリゾート・タウンをモデルに経済システムを構築した結果だと答えている。
 「休暇で訪れる人々がいることを別にすると、カリブ海に都市を建設する実際的な理由はない。アルテミスの経済的側面もそれと同じ。アルテミスには観光客が宿泊するホテルがあり、飲食する店がある。そしてその裏側には、そこで働く人々のための簡素な衣食住がある。こういう社会構造になるのは、ある種の必然だと言ってもいい。事実上あらゆるリゾート地に、それと同様の構造が見られる」
 政治的なメッセージを込めた小説は、説教臭くなりがちなので個人的にあまり好きではないし、メッセージよりもストーリーで読者を楽しませることに重きを置きたいというのが著者の意見。政治よりも経済というポリシーが『アルテミス』の基盤になっていると言ってもいいだろう。
 続篇の構想についても、インタビューの中で語っている。いわく、本書の直接の続篇というよりも、アルテミスを舞台にしたべつの作品をたくさん書きたい。テリー・プラチェットの《ディスクワールド》シリーズが大好きなので、同じひとつの舞台で、相互に関係のないさまざまな物語を書いて、アルテミスが読者にとってよりリアルに感じられるようにしたい。
 具体的には、治安官のルーディが殺人事件を捜査する話を構想しているという。読者がアルテミスを再訪できる日も、そう遠くないかもしれない。
 
 さて、『火星の人』と同様、本書も20世紀フォックスで映画化されることが決定している。監督は、くもりときどきミートボール」「LEGOムービーのコンビ、フィル・ロード&クリストファー・ミラー。「オデッセイ」と同じく、ジャンル・フィルムズ社のサイモン・キンバーグとアディタヤ・スード、ニュー・リージェンシー社のマイクル・シェイファーが製作する。ロードとミラーのコンビは、ハン・ソロの若き日を描くスター・ウォーズ映画を監督する予定だったが、クランクイン後に、ルーカス・フィルム側の意向で降板の憂き目に遭ったばかり(後任の監督にはロン・ハワードが指名され、「ソロ」のタイトルで2018年5月公開予定)。スター・ウォーズ世界を破壊しかねないくらい好き放題にやったあげくの降板劇ではと囁かれているくらいなので、はたして『アルテミス』の映画化がどうなるか、いまから楽しみだ。


著者紹介ページ、アンディ・ウィアー、アメリカSF界の超新星


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