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『ブラックサマーの殺人』三橋曉氏による解説文を公開! 「ユニークなバディものであると同時に、組織的な捜査を描く警察小説でもある」


大好評発売中の英国ミステリ『ブラックサマーの殺人』より、書評家・三橋曉氏による解説を公開いたします!


解説


 
ミステリ・コラムニスト   三橋曉  
 
 まだ地球が海水に覆われ、三葉虫らが栄えていた古生代の一時期が、カンブリア紀と呼ばれていることはご存じだろう。その呼称は、当時(約五億年前)の地層が多数見つかった地名に由来するそうだが、イングランドでもっとも美しい山々と伝えられてきたそのカンブリアは、現在グレート・ブリテン島の中央部にあってアイリッシュ海を望む州(カウンティ)の名称にもなっている。
 州のやや海寄りを占めるその一帯は国立公園でもあり、ロマン派の詩人ワーズワースの作品でも知られる湖水地域(レイク・ディストリクト)として親しまれ、観光や保養を目的に訪れる人々も多いという。しかし、氷河時代に由来する氷食湖など、今も残る厳しい自然の姿が物語るように、人が暮らすには必ずしも優しい土地柄とは言い難い。
 そこで生まれ育った男が久々に故郷に舞い戻り、天然石造りの住まいを修復するという骨の折れる仕事に日々精を出している。男は停職中の警察官で、物語の主人公でもある。人里離れた湿原に暮らすそんな彼を、元部下が訪ねてくるところから始まるのが、〈ワシントン・ポー〉シリーズ第一作『ストーンサークルの殺人』だった。
 ストーンサークルといえば、イギリスには世界遺産で有名なストーンヘンジやエイヴベリーがあるが、カンブリアもまたその密集地帯として知られている。作者のM・W・クレイヴンは、主人公と同じくカンブリア地方の出身で、自身の庭である丘陵地や荒野に佇み、観る者の好奇心を先史時代へと向かわせるこの石の遺構群を、創作に活かすという誘惑に勝てなかったのだろう。
 その着想が、ストーンサークルを殺人現場に選び、残虐な犯行を繰り返す連続焼殺魔(イモレーション・マン)と、それを追う警察官たちの知恵比べの物語の骨格となったことは間違いない。読み応えある警察小説として実を結んだ『ストーンサークルの殺人』は、二〇一九年一〇月、英国推理作家協会(CWA)がその年度のもっとも優れた長篇ミステリに与える称号のゴールド・ダガー賞を授けられた。M・W・クレイヴンという作家が、カンブリアというイングランドの一地方から、イギリスのミステリ界の第一線のみならず、世界という大きな舞台へと躍り出た瞬間と言っていいだろう。

 さて、〈ワシントン・ポー〉シリーズ第二作の『ブラックサマーの殺人』は、イギリスでは二〇一九年六月にコンスタブル社から出版された。本稿末尾に著作リストを掲げたが、M・W・クレイヴンの作品としては四作目にあたり、ゴールド・ダガー賞受賞後に発表された最初の長篇で、主人公をはじめ前作でおなじみの面々が再び登場する。
 まず、主人公のワシントン・ポーを改めて紹介しておこう。読者が興味をそそられるのは、十九世紀アメリカの巨匠作家と同じファミリー・ネームだろう。さらに愛犬で、私生活の相棒であるスプリンガースパニエルの名がエドガーとくれば、何をか言わん哉で、そこにこめられた意図を作者に問い質してみたくなる。
 一方、ワシントンというファースト・ネームには、ある秘密が隠されている。ストーンサークルの事件のさなかに、主人公はその衝撃的な事実を知ることとなった。以来、アメリカ合衆国の首府ワシントンDCから採られたという名前が意味するところは、本人を苛み、悩ませている。
 そのポーの仕事は警察官だが、かつては故郷のカンブリア州警察に勤務していた。現在属する国家犯罪対策庁(NCA)は、アメリカでいうところのFBIに相当する法執行機関で、国が関与すべき重大犯罪が所管だ。英国ミステリの読者ならご存じのように、手に余る事件の捜査で地方警察はロンドン警視庁に応援を求めるのが常だったが、麻薬や組織犯罪など広域にまたがる犯罪に対処するため、現在の組織が作られた。
 ポーは五年前にハンプシャーに本部を置くこのNCAの一員となり、重大犯罪分析課(SCAS)という部署に身を置いている。連続殺人犯や重度の性犯罪者の行動を予測し、複雑な事件の捜査で担当警察署を支援するのが役割だが、彼はある誘拐事件の捜査過程で起こした不祥事で停職処分を受け、故郷での田舎暮らしに戻っていた。
 そこに、元部下の(そしてポーの停職中に上司となった)ステファニー・フリンが驚くべき情報を携えてやってくるのが前作の冒頭だった。部長刑事に降格され、処分を解かれた主人公は、立場が逆転した女性警部の下で、分析官としては天才的な才能を持ちながら深刻なコミュニケーション障害を抱えるティリー・ブラッドショーらとともに、持ち前の直感力を駆使し、他人を怒らせることを厭わない粘り強い捜査で、難事件を解決に導いた。
 ところが、停職処分の原因ともなった、何よりも正義を重んじる彼の行動原理が、連続焼殺魔事件の真相をめぐり、またもや思わぬ事態を招いてしまう。かくして『ストーンサークルの殺人』は、連続ドラマなどでおなじみのクリフハンガー(結末を伏せ、次の展開に含みをもたせる手法)で幕が下ろされる。主人公のその後にやきもきしながら、読者は再会の時を待つしかなかったのである。
 
 その間に、作中のカンブリア州の田園地帯は季節を春から夏へ移したと思しい。遥か大西洋上では、ウェンディと名付けられた一世代に一度来るかどうかの巨大な暴風雨が上陸の機会をうかがっている。そんなある日のこと、先の事件で負った傷も癒えつつあるポーを、またも青天の霹靂が襲う。『ブラックサマーの殺人』は、こうして幕があがる。
 先の事件で捜査主任を務めたイアン・ギャンブル警視からの呼び出しで、古巣のカンブリア州警察署に駆けつけたポーは、かつて手掛けた事件について、信じ難い事実を告げられる。六年前、十八歳のエリザベス・キートンが行方不明となり、父親で天才シェフのジャレド・キートンが経営する三ツ星レストラン〈バラス&スロー〉の厨房で彼女の血痕が見つかった。死体がないまま起訴され、ポーが真性のサイコパスと見抜いた父親には実刑が下り、今も服役中だった。ところが今になって、殺された筈の娘がやつれ果てた姿で公の場に現れたというのだ。
 見知らぬ男に拉致され、監禁されていたと語った若い女は、DNA鑑定でエリザベス本人と裏付けられた。再審請求で冤罪が認められ、ジャレドが自由の身になるのは時間の問題だったが、自分の捜査に確証バイアスがあった可能性を認めつつも、父親が娘を手にかけたというポーの確信は揺るがなかった。鑑定に従事した監察医らを訪ね歩き、優秀な病理医に血液の再鑑定と最新の化学分析(クロマトグラフィー)検査を依頼するなど、ポーは藁にもすがる思いで奔走するが、それを嘲笑うかのように、やがて獄中のジャレドから面会要求が届く。
 本作の原題は、Black Summer という。それが意味するところは、全体の三分の一にも満たない前半であっさりと示唆される。ただし、死んでいる人物が同時に生きてもいるという、古典落語の「粗忽長屋」を思わせるアンビバレントな難題の前では、〝黒い夏〟が暗示するものも、まだほんの小さな手がかりの一欠片でしかない。だが、ほどなく事態が新たな局面を迎えると、機材一式を抱えたブラッドショーが駆けつけ、それまで単独で動いていたポーに合流する。
 そんなポーとブラッドショーのコンビは、年齢、キャリアともに隔たりがある男女のバディだ。優秀だが内気で融通のきかないブラッドショーを、オフィスから無理やり引っ張り出したのはポーだったが、昇進試験や新たな仕事で自信と経験を積み、彼女も対等の相棒に成長しつつある。テクノロジーとネット社会の申し子のような分析官と機械音痴の刑事は、異なる極が引き合う二つの磁石のように見事なチームワークを本作でも発揮する。
 一方、直属の上司フリン警部も遅れてチームに加わる。しかし主人公の味方は彼らばかりではない。愛車のBMW X1を飛ばし、ポーが血液の再鑑定を頼み込むニューカッスルの病理医もその一人だ。目のさめるようなセクシーな肢体の持ち主で、死体置き場に籠るのが好きな変人だが、法医学のプロフェッショナルとして世界に知られる著名人でもある。ポーを奇行で怯ませる彼女の名は、エステル・ドイル。ポーとドイル、なるほどねとついつい頬が緩む。
 このように本シリーズは、ちょっとユニークなバディものであると同時に、組織的な捜査を描く警察小説でもある。そこには縦割りによるセクショナリズムの弊害もあれば、主人公を陥れることも厭わない同僚との軋轢も描かれる。組織捜査の暗部を見逃さない鋭さがあり、主人公を扇の要とする絶妙なチームワークや人間模様の濃やかさも備えている。
 とはいうものの、実は主人公には独断専行の傾向も強い。〝黒い夏〟の手がかりを追う彼は、上司の命令で捜査から外された後も、ひとり聞き込みを続ける。作者は、そんな主人公を喜々として描いているフシがあるが、さらにポーは、捜査側でありながら事件の当事者でもあるという二重の役回りをも負わされるのだ。前作ではなぜか連続殺人の被害者の列に並ばされ、本作では冤罪疑惑の張本人として同僚から白い眼で見られ、終盤では一層厳しい立場へと追い込まれていく。
 そんな〝ワシントン・ポー自身の事件簿〟ともいうべき趣向には、物語の臨場感を高めようとする作者の狙いがあるのだろう。一粒で二度美味しいとはいささか古めかしい言い方になってしまうが、警察小説に巻き込まれ型サスペンスの要素をプラスする手法は、シリーズの読者を惹きつける要素に十分なりえていると思う。
 ところで、ポーがジャレドの求めに応じ、ダラム刑務所を訪れる本作前半の山場は、支配的(アルファ・オス)にふるまうジャレドの態度からポーが読み取る違和感が、事件の核心に迫る足掛かりになっていく。このスリリングな一場を、トマス・ハリスの『羊たちの沈黙』でレクター博士と若きクラリスが出会う有名な獄中のシーンと重ね合わせる読者は多いと思う。
 やはり関連作を思い出させるのが、最初にある〈バラス&スロー〉の一夜の場面だ。そこで供されるズアオホオジロを残酷に調理したグルメなひと皿は、一連の作品を象徴する料理として『ハンニバル・ライジング』にも登場する。これらオマージュや本歌取りからも、一九九〇年前後に巻き起こり、社会現象にまでなったサイコスリラーのブームという出自は明らかだが、本シリーズはそこからの進化も窺わせる点に注目したい。
 例えば、連続殺人に託された犯人のあまりにも狡猾な意図であるとか、サイコパスと主人公の何手も先を読み合うような駆け引きなどに、それが顕れている。継承者でありながら、模倣やスタイルを借用するのではなく、従来型をブラッシュアップすることに成功しているのだ。先達の到達点を里程標とみなし、そのアップデートを目標に置いた作者の姿勢は正しく、そして頼もしい。
 長く困難な事件解決への道のりを、主人公とともに歩き終えた満足感を与えてくれる本作のラストだが、同時に読者は新たな衝撃に居ても立ってもいられない気持ちにさせられるに違いない。終章は、次も期待して待っていてほしい、という作者からの自信に満ちたメッセージとも言える。急く思いを抑えつつ、次回作が届くのを心待ちにしたいと思う。

作品リスト
◇エイヴィソン・フルークのシリーズ
  Born in a Burial Gown(2015)
  Body Breaker(2017)
◇ワシントン・ポーのシリーズ
  The Puppet Show(2018)『ストーンサークルの殺人』
  Black Summer(2019)*本作
  The Curator(2020)
  Cut Short(2020)*短篇集
  Dead Ground(2021)
 
 二〇二一年九月


【書誌情報】

■タイトル:ブラックサマーの殺人
■著訳者:M・W・クレイヴン/東野さやか訳 
■定価:1,320 円 ■発売日:2021年10月19日 ■ISBN: 9784151842528
■レーベル:ハヤカワ・ミステリ文庫
※書影等はAmazonにリンクしています。


 

 


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