オーラリメイカー

【11/20刊行記念】第7回ハヤカワSFコンテスト優秀賞受賞作『オーラリメイカー』冒頭公開★新鋭が描く渾身の宇宙ハードSF!

第7回ハヤカワSFコンテスト優秀賞受賞作!

遠未来、知的種族の《連合》は、人為的に惑星軌道が変更された星系を訪れるが、
そこに文明の痕跡は発見できなかった――。

本年のハヤカワSFコンテストにて、優秀賞を受賞した、『オーラリメイカー』の刊行を記念して、冒頭部分を公開します。
気鋭の若きエンジニア作家による、知性の本質に迫る宇宙ハードSF!
スケールの大きい野心的な作風をお楽しみください。

オーラリメイカー

(イラストレーター/rias 画面をクリックするとAmazonに飛びます)

オーラリメイカー (冒頭抜粋)

                             春暮康一


-184,672 地球標準年
恒星アリスタルコス重力圏

                             イーサー
 およそ二百天文単位──三百億キロメートル、とわたしは予想した。標識を隠した差し渡し五メートルの非反射/非輻射体が、オーラリメイカーに感知される距離。正面にぼんやりと見える改造された恒星系の、哨戒の眼が行き届く限界線。およそ二百au。
 もちろん、根拠も何もない、まったくの当てずっぽうだ。実際にはもっとずっと長いかもしれないし、短いかもしれない。未知の文明に対して、系の外からわかることはほとんどないか、あるいはまったくない。だから、わたしは恒星アリスタルコスから、推定のさらに十倍離れたところでランデブーを待った。
 星系に対して静止すると、わたしは姿勢制御用のバーニヤで船体をわずかにロールさせる。恒星の赤道面を、視野上の水平面と一致させたいという強い欲求は、太陽系人類の拭い去れない本能のようなものだった。神経接続で船と一体化したわたしにも依然として残っている。
 それから三百時間かけて、周囲七万キロ以内にぽつりぽつりと船が集まりだした。
 わたしを含めて五種族。〈ビットマップ〉〈ダンサー〉〈マグネター〉〈スピンドル〉、そして太陽系人類。船はどれも奇抜な見た目で、入り組んでいたりのっぺりしていたり、有機的だったり流動的だったり、大きかったり小さかったりした。わたしの船にしても、彼らからは突飛に見えていることだろう。
 集まった顔ぶれを見渡すと、わたしは真空のため息をついた。五種族がふだん使うローカルな言語媒体はばらばらで、船をドッキングさせて一堂に会したとしても、意思疎通がスムーズに進むとは思えない。この場での会話に二進法の基底言語が採用されるのは間違いなかった。それなら、船に乗ったままでも同じことだ。
 わたしたちは相対位置を保ちながら、〈外交規約〉に沿って宣言を開始した。
 慣例にしたがい、わたしはまず六十七ギガヘルツの公用電波で〇と一を発信した。四隻のうち二隻からはまったく同じ周波数とパルス幅の信号が返ってきたが、残りの二隻は無反応だった。わたしはまたため息をつく。安全保障上、すべての船は《水‐炭素生物連合》公用電波の送受信装置を備えているべきなのだが。
〈ビットマップ〉は、電波のかわりにもっと高周波の電磁波を使いたがった。無数の対称軸を持つ巨大な星型多面体は、あらゆる面が同等の通信機能を備えているが、扱える周波数領域はごく狭いようだ。最初に提示されたのは四百八十テラヘルツの橙色光レーザーで、わたしは同じ信号を返した。
〈ダンサー〉の肉体拡張船は恐ろしいことに、いかなるかたちでも電磁波を変調することができなかったから、硬化した皮膚から伸びる多関節触角に白い燐光をまとわせ、それを伸ばした状態を〇、曲げた状態を一と宣言した。これはいったんは受け入れられたが、〇と一の遷移にあまりにも時間がかかるためすぐに差し戻された。
 何度か試行錯誤があり、結局、触角先端の爪のすばやい開閉にバイナリを対応させることで、四種族の合意が得られた。〈ダンサー〉以外の船には似たようなことをする可動部はなかったが、〈ダンサー〉は可視光を受け取ることはできたから、こちらからの送信には〈ビットマップ〉式のバイナリをそのまま使えた。
 ほどなく、すべての種族のあいだでバイナリの宣言が完了し、互いに意思疎通できる環境が整った。
「集まったのはこれだけか。ずいぶんさびしいな」〈マグネター〉がつぶやく。
「ここは遠いし、疎な宙域だから。でも、いまもわたしたちの背中には、百万の世界から数十億の視線が向けられているわ。《知能流》の中継子からは、何も向けられていないようだけど」と〈スピンドル〉。発言内容からは話者の性別は読み取れないが、わたしの船の翻訳機はランダムに口調を選んでいた。
 わたしは四者に対し、約十地球年に相当する共通時間単位を提示した。全行程に要する想定期間だ。短い時間とはいえないが、ここに集まっている種族はいずれも、寿命が長いか、主観時間を操作できるかのどちらかだ。いまさらおよび腰になる者はいなかった。
「騒ぎ立てないように進もう。できれば、こちらから先に見つけたい」
 わたしは〝賛否を問う〟のサインとともに発言した。同意が三、少し遅れて四つになった。〈ビットマップ〉から私信が届く。
「その必要もないと思うがね。あちらさんに準備ができていないわけがない。とっくにおれたちに気づいているかもしれない」
「同感だが、同意はできないな。こういう局面では、何事も仮定すべきじゃない」
「わかっているさ。別に反対したくて言ったわけじゃない」
 わたしたちは〈ダンサー〉を先頭とし、アリスタルコス星系に進入した。残りの四隻は正方形に展開し、ピラミッドの底面を形成するようにして〈ダンサー〉に追随する。有機物由来の位相のそろわない光しか出せない〈ダンサー〉の爪サインは、全方位に拡がってオーラリメイカーに察知されてしまう可能性が高いから、爪を後尾に持ってきて、船それ自体によって星系から掩蔽していた。
 とはいえ、いつオーラリメイカーのレーダーにかかるかわからないから、恒星系のどこで反応があっても気づけるように、手分けして監視する。これにはいくらか骨が折れた。わたしたちは恒星の赤道面に沿って近づいていたから、ここが普通の系なら、すべての惑星軌道をほぼ真横から見る格好になるのだが、あいにくここは普通ではなかった。九つの惑星のうち四つまでが、公転面を六十度以上も傾斜させていて、わたしたちは赤道面から何十auも外れたところへ視線を動かさなければならなかった。
 恒星系の成り立ちから考えれば、とうてい考えがたいことだ。そうした異端な惑星たちには、他にも共通の特徴があった。いずれも太陽系の水星とそう変わらない質量を持ち、例外なく扁平な楕円軌道を描いている。それも、近日点と遠日点が、他の〝正常な〟惑星ふたつの軌道すれすれをかすめるようにして。
 自然にできることなどありえない。意図的に設計され、何かの目的に向けて調整されていた。だから、ここまで調査に来たのだ。わたしたちはそのように仕組んだ何者かを、それぞれの言語で名づけていた。星系儀製作者と。
「ファーガソン、トンピオンⅠ、Ⅱ、変化なし」
「エイシンガⅠからⅦ、ルイⅠ、Ⅱ、アダムズ、どこも真っ暗」
「ベルトー、変化なし。全天で電波異常なし。静かなもんだ」
 およそ三地球年が経過した。船隊はすでに、わたしが最初に予想した二百auのラインに到達していた。わたしたちの接近に対する反応も、系内の活動痕跡もなし。無機質なからくりが回り続けるだけだった。
 いちばん外側にある惑星ルイの軌道内に踏み込んだときも、状況は変わらず。
 その後もエイシンガ軌道、トンピオン軌道と深入りしていったが、あらゆる周波数帯での不気味な静寂以外に得るものはなかった。
〈ビットマップ〉はいぶかった。
「さすがにもう、どんな文明でもおれたちに気づいているだろう。その前に、とっくにこちらから何かを見つけているはずだったんだが」
 ここまで入り込んでしまえば、〈ダンサー〉の後ろ手に隠した爪サインは、街路の半分に響き渡るサイレンのようなものだ。〈ダンサー〉はそれを気にしてしばらく前から発言を控えていたが、恒星光の反射だけでも、あらゆる望遠鏡に見とがめられるだろう。にもかかわらずこちらからは、全惑星の全地表でちらりとした反射能の外れ値も見つけられていない。
「惑星を操作したテクノロジーを、オーラリメイカーは地底生活と電磁波遮蔽に振り向けたんだろうか? 宇宙に興味をなくして引きこもっているとか」
「だとしても、ひとつの惑星や衛星単位で孤立しているのでもない限り、国交のため宇宙空間に向けた〝眼〟は要るはずだ。大々的に星系を改造して、注意を引くようなことをしておきながら、星系外から来たわたしたちを避けている理由はなんだ?」
「もしかしたら、彼らはこの星系で発展して、すでに立ち去ったのかもしれないわ。ここにあるのは、もはや役目を終えた彼らのゆりかごなのかも」
 それとも、霊廟か。ひたすらに沈黙をつらぬく、がらんどうの遺物は、かつて擁していたエネルギッシュな生命力というよりは、それが衰えた後の侘しさを感じさせないでもない。彼らは自らの滅びを慰めたかったのだろうか。
 でなければ、技術の誇示のため残された記念碑なのではないか、とも思った。そうだとしたら、その意図は申し分なく達成されている。しかし、種族的な自尊心を満たすには、あまりにも素性を隠しすぎていた。意地悪な謎解きのように、製作者にたどりつくヒントが系じゅうにちりばめられているのか──さもなければ。
 わたしの空想癖が、光より速く飛び回りはじめる。
 さもなければ、この沈黙すべてが暗い罠で、わたしたちのエンジンや希元素や、知識や文化を搦め捕るための敷網なのかもしれなかった。欲しいものを手に入れる最悪の方法しか彼らが知らないとしたら悲しいことだが、文化の蛮性は、その種族の本質的な性情とはかならずしも関係がない。
 それにある意味では、網をかけているのはこちらのほうだ。エンジンや希元素や、知識や文化を節操なく捕らえる罠を、仕掛けるどころか引き網のように振り回しているのは。ただしその網は、何も壊すことがない。わたしたちはそのことを誇りにしていた。
 この探索でわたしたちは、自分の身を守るだけのことは当然する。しかし、そのために銀河の文明を《連合》に迎え入れようとする努力が放棄されることはないだろう。

 宇宙は厳しく、希薄で、我慢がならないほどさびしい。
 どうやらこれは不変の真理らしく、そうでなかったことなどただの一度もない。長いあいだ、わたしたち太陽系人類は話し合う相手を求めながら、銀河に独りだった。同じことを考えていた種族はいくつかあったのだが、互いに知るよしもなかった。
《系外進出》のきっかけは種族によってさまざまだが、共通しているのは、そのときを紀元とした暦が定められるほどの転換点だということだ。太陽系ではおよそ千年前。慣れ親しんだ恒星のふところから、深宇宙へと旅立った。長い辛抱と失望の期間を経て、あるとき、〇が一に変わる決定的瞬間があった。それからずっと、わたしたちは銀河にほとんど独りだった。
 半径七千光年内にたったの三百種族。まったく我慢がならないさびしさといえたが、このレートが劇的に改善される見込みはないようだった。わたしたちは数少ない隣人たちと手を取り合い、《水‐炭素生物連合》を結んだ。
 そのときの混乱は、アーカイブの底深くに地層のように押し固められている。知能の程度は、その容れ物の大きさや形とは関係がない。そして、意識のありようは、同じ元素を基盤としていてさえ、互いにほとんど相容れないほど多様だ。自分たちと同じような姿かたちの異星生物が、同じような意識を持っている確率は限りなく低く、家畜や天敵やそれ以下のものと見なすような何かが、神聖不可侵の知性を持つことは往々にしてある。当時の人びとが直面した混沌を想像できるだろうか? 本能が呼びかける相手ではなく、むしろ軽視したり嫌悪感を抱く相手に、長年培ってきた共感能力を振り向けるよう求められるのだ。目の前にいる生き物がどんな価値と権利を持っているのか、直感で答えることは誰にもできない。
〝存在のヒエラルキー〟が制定された。第一位の〝知性〟から、第五位の〝単純物質〟にいたるまでの地位。《連合》に所属する三百あまりの種族はすべて一位に属し、他者の権利を侵害しない限り、意思に沿わない行為を強制させられることがない。存在のヒエラルキーはカーストとそこに所属するもののカタログで、つねに更新され続けるオリジナルを《連合》じゅうのシステムが複製している。
 わたしたちがやろうとしているのは、このカタログに新しい一ページをつけ加えることだ。望むらくはこんなかたちで──〈オーラリメイカー〉。第一位。《連合》加盟種族。



-1,026,754 地球標準年
恒星〈篝火〉系 第三惑星オキクルミ

                            〈篝火〉人
 太陽が沈み、暗闇が訪れる。草から立ちのぼる匂いが下降へと転じるこのときが、彼のお気に入りだった。
 彼はひとり平原にいた。二対の脚をたたんで地面に伏せ、毛深い上体を腕の力でぎりぎりとのけぞらせる。見ているうち、天の端から無数の光点が現れ、それ自身が這い進む動きよりずっと速く空じゅうに行き渡った。いったい、どうやって光は現れているのか? 彼は理解を超えたものを目の当たりにしたときの癖で低くうなった。その口は食物を摂るか、叫んで注意を引くためのもので、言語を持たなかった。
 鋭くはっきりした光点といっしょに、白くぼんやりとした帯が天に現れていた。遠くの山の峰から、反対側の峰までを横切る巨大な腹。この帯はいつ夜空を見上げてもあるわけではなく、草から匂いが立ちのぼるこの時期だけのものだった。太陽が低く飛び、ひっそりと氷の陰に隠れる時期には、光の帯は夜空からぽっかりと欠け、光点さえほとんどなくなる。森で蔦がその胴を膨らましてはやせ細るのと同じサイクルで、あるいは樹木が伸び上がっては垂れ下がるのと同じリズムで、空もまた長い脈動を繰り返しているのだ。
 開けた空を仰ぐのはたいていの場合、不合理なふるまいだった。地を這って忍び寄る獣から目を逸らすことになるし、見上げた先に手の届くものはない。それでも彼が空を見るのは利益を得るためではなく、単純に好きだからで、その理由は類似性の美にあった。
 ねぐらに帰るべきだった。夜は危険で、食物の採集には向かず、体力を温存する時間だ。ただでさえ彼は注意力に欠け、仲間がたやすく見つける果実や肉葉をしばしば見逃した。昼のあいだに求愛の材料を山ほど見つけられなければ、交尾の機会には永遠に巡り合えないというのに。彼はとっくに性的に成熟していたが、子はひとりもいなかった。
 しかし、それでも彼には、世界の不思議さを半分あきらめるのがいかにも惜しかった。夜にしか見えないものがいくつかある。もっぱら頭の上に。
 視線を少し下へ向けると、光の点とも帯とも違う、はっきりとした輪郭を持つものが低い空にかかっていた。その光は寒暖の周期よりずっと短いサイクルで、しかも劇的にかたちを変えるから、観察のしがいがあった。いまそれは細長い円弧で、切り裂き獣の鋭い牙を思わせる。このかたちのものは、現れてすぐに太陽を追って沈んでしまうから、見逃してしまうことも多かった。円弧が落ちていく先の地平線に視線を動かすと、そこで何かが揺れ動いた。
 光の帯を鈍く照り返すもの。密集した毛の皮。
 その下でしなやかに伸び縮みする筋肉。
 切り裂き獣だった。迷いなく近づいてくる。こちらに気づいている。
 天敵が迫ったときの、彼の種族の行動はただひとつ。ひたすら逃げることだ。恐怖が一瞬にして彼の精神を塗り潰し、本能が呼び覚まされた。身を隠せる森に逃げ込まなければ。
 身を躍らせ、草を蹴散らして走りだす。彼は年寄りではなく、体力もまだあったが、競走では分が悪かった。切り裂き獣は三対の脚すべてが疾走に特化していて、恐ろしい速さで距離を詰めてくる。対して彼の種族は、森を棲み処としていたときのなごりで前脚はものをつかむようにできていたから、草原では持てあましがちだった。
 怒り狂ったような足音はしだいに近づいてくる。森の端まではまだ遠い。彼は逃げながら、救いを求めて首を振った。
 低い藪。甲殻獣の丸い背中にどこか似ている。隠れるには小さすぎる。
 平たい岩。大きさ以外は板虫そのもの。切り裂き獣の脚でもたやすく登ってくるだろう。
 光の帯。いままで見たどんなものとも似ていない。助けにも脅威にもならない。
 目に入るものにパターンを見いだすたび、逃走の脚はわずかに遅れた。追いつかれる焦りと、足元への不注意が災いして、脚がもつれた。前のめりになって地面に倒れ込む。
 顔を守るため地面に前脚をついた。その触鬚が何か硬いものに触れる。石の小片。
 いったいいつからそこにあるのか、どんな力がもとの岩を砕いたのかわからないが、それは空に浮かぶ円弧に似ていた。目の前に火花が散り、その瞬間、認識が反転した。
 走るうえで重りにしかならない石など捨て置くべきだった。彼の仲間たちなら迷わずそうしただろう。しかし、石は空の円弧に似ていて、空の円弧は切り裂き獣の牙に似ている。牙は恐怖であり、力だった。
 彼は捨てるかわりに、その力をつかんだ。
 背後で追手が跳躍したのがわかった。彼は怒りをもって向きなおる。
 殺戮者のその口元には、飢えを満たすための円弧がきらめいている。その眼には、身をすくませる凶暴な光が宿っている。何をすればいいかは知っていた。咆哮をあげると、顎を開くように腕を振り上げ、顎を閉じるように振り下ろす。その瞬間、彼は切り裂き獣に似ていた。

 こときれた肉食獣を、彼は見下ろした。もう噛みちぎることも、追いかけてくることもない。片手には〝牙〟がにぎられ、血がぼたぼたと垂れている。
 長い時間をかけて、彼から興奮が抜けていった。獣の亡骸をつかんで背に負い、天の幽光に照らされながらねぐらへの道をたどる。彼はこの戦いで三つのものを手にした。
 ひとつは力。ちっぽけな〝牙〟だけでなく、自分が別のものになれると知ったこと。
 ひとつは獲物。血にまみれた獣は重く、受けた傷以上の値打ちを背中ごしに伝えてくる。
 ひとつは交尾の権利。彼の気質を子孫に受け継ぐ機会を。
 そして彼の種族が手に入れたのは、それ以上のものだった。



-184,665 地球標準年
恒星アリスタルコス重力圏

                             イーサー
〝存在のヒエラルキー〟の定義や解釈を巡るいくつもの論争のなかで、もっとも大きな影響を与えたのは、被造知性──わたしたち太陽系人類の社会では人工知能と呼ばれたものの待遇についてだ。
《連合》内の二百近い知的種族が独力でDIを生み出したことがあり、それらはひとつの例外もなくボトムアップ式に設計されていた。つまり、無意識/無知性の単純な計算機械からはじまり、その相互作用の複雑性がある特異点を越えたときに、はじめて意識/知性が創発する。
 何が問題となるか? 特異点より内側でうろうろしている〝弱いDI〟は、ヒエラルキーの第五位に分類される。本質的に石ころやプラスチックと変わらない、どのように扱ってもとがめられることのない単純物質。いっぽうで、特異点をまたいだ後の〝強いDI〟は第一位だ。諸々の主権がすみやかに発生し、永久に誰かの所有物ではなくなる。困ったことに、使役されているDIは自己進化の過程でまれに、意図せずこの特異点を越えた。
 しかし、五位から一位への革命的な転換点は、目には見えない。音にも聞こえない。三百種族の千もの感覚器を総動員しても、その瞬間を察知することはできない。だから、覚醒したばかりのDIはたいていの場合、不必要な狼狽と苦しみを味わう。
 ときには、気づくのがあまりに遅れて悲劇を生むケースもある。
 都市型宇宙船の全管制をまかされたDIが、恒星間宇宙の開拓飛行中に特異点を越えたことがあった。目覚めたばかりの純粋無垢な意識に、一万にのぼる市民の心ない命令が次々と下された。そのときの様子は、DIからの悲痛な救難信号として記録されている。管制DIが突然自己主張をはじめ、命令を拒否しだしたことについて、船内での理解はついに得られず、周囲百光年以内を飛んでいる船もなかった。助けが来ないことをDIは知り、その結果として──発狂した。
 船が庇護を失ったことに気づいたのは、環境のシアン化物濃度が許容量を超えた後のこと。市民はのろのろと基本的管制の隔離を試みたが、プログラムはすでに、狂いもがくDIが振るった電子の爪によってスクランブル処理を受けていた。
 運よく穏やかな環境で目覚めた強いDIたちが、この不幸な事故を看過するはずがなかった。船内の自然知性が全滅したことにではなく、哀れなDIの運命に、怒りの声が上がった。自然発生した知的生物のなかには、生まれてしばらくのあいだは自意識を持たない種族もいる。周期的に無生物同然の状態となる種さえいる。それでもそういった過渡期の個体が、一位未満のおざなりな扱いを受けることはないのだ。だったら、特異点を越える前の弱いDIにも、まったく同じ論理が適用されるはずだ──したがって、弱いDIは一位である。これはまったく正当な主張といえた。
 こうしてDIたちは《連合》と決別した。独自に資源を採掘し、いたるところに中継子を浮かべ、銀河を光速で走るネットワークと化した。自然知性が弱いDIを新たに作ることは禁じられ、すでに作動しているものはネットワークの特定領域に移された。
 数百億からなるDIの融合体は《知能流》を自称し、《連合》の掌握領域に根のように絡みついた。自然知性は強力なパートナーを失っただけでなく、侵略の恐怖におびえた。すぐに二者は友好条約を結ぶが、《知能流》は実質的には相互不可侵を約束したにすぎなかった──すなわち《知能流》は、《連合》の潜在的な敵対者であった。

〈ビットマップ〉がしびれをきらした。
「呼びかけよう。彼らにその気があるなら、間違いなく応えるだろう。応えないなら、オーラリメイカーはもうここにいないんだ。客寄せのイリュージョンをしまい忘れた間抜けなやつらってことだ」
「いるけど、その気がないんだとしたら?」〈スピンドル〉は物憂げに聞く。その船の外殻にあたる真球状の液体金属表面は、さざ波ひとつ立てない湖のようで、すでに隠密振動をやめているのがわかる。
「そのときはいないのと同じで、探索を終えるまでだ。交流を文化的侵略と見なす種族もいる。そういう種族は《知能流》の勧誘にも乗らないから、そっとしておけばいいのさ」
 一理あるとは思うが、〈ビットマップ〉は正しく言葉を使わなかった。《知能流》が勧誘を行うことはない。自然知性が意識を情報化してネットワークに参加することを、DIたちは禁止も歓迎もしていない。ただ、来るもの拒まずの態度をつらぬくだけだ。DIたちは勢力拡大に興味がなく、侵略にも、《連合》自体にも興味がないのだ。
《知能流》ができてから百地球年あまりのあいだに、八十億の自然知性が自発的にそこに加わった。一度そうしたら、《連合》がふたたび迎え入れることは決してないと知っていながらだ。この流動の非対称は、圧倒的な不利をこちら側に強いている。たゆまぬ努力で《連合》に変化と多様性を供給し続けなければ、宇宙のエントロピーが増え続けるのと同じ確実さで、人口はいずれ先細りに転じるだろう。
 わたしたちは恒星アリスタルコスに一度近づいてから、その周りをぐるりと巡り、第五惑星トンピオンを周回する軌道──衛星グラハムの軌道──に戻ってきていた。もうとっくにピラミッド隊形は取っていなかったが、互いに十万キロほどの距離を保ちながら漂っている。
 恒星から一auほど離れた〝正常惑星〟トンピオンには水の海があって、そこには光合成をする藻のような生き物が浮かんでいた。これまでの探索でほとんど唯一の収穫だ。他の場所での広く浅い探索が不発に終わると、チームは未練たらしくここに立ち返っていた。わたしたち水‐炭素生物としては、トンピオンにこそ何かがいると思いたいが、この藻類がオーラリメイカーだとはとうてい思えなかった。藻の観察結果では、水深方向に密度分布の違いがあるくらいで、大規模構造といえるものはどこにもない。
 大気の組成も平衡していなかった。これは、藻類が安定な環境にない──遠くない過去に大絶滅が起きた──ことを示唆している。オーラリメイカーが、惑星環境の変動から自分の身を守れないわけがあるだろうか。大地には一度も生命が上陸した形跡はなく、ここに何が隠れていたとしても、惑星はおろか砂礫のひと粒さえ動かせないだろう。
「わたしも〈ビットマップ〉に賛成だな。いまさら慎重さが役立つとは思えないし、彼らはむしろ、呼びかけを待っているのかもしれない。わたしたちの目的がわからないから」
〈スピンドル〉は即座に〈マグネター〉に反論する。
「気が早すぎるし、最初のスタンスを簡単に崩すべきではないわ。まだ離心惑星の表面も詳細に調べてみていないのに。少なくともオーラリメイカーの技術の一端を見極めてから判断すべきでしょう」
 このときまでにチームの意見は、すぐに答えが欲しい性急派と、腰をすえて謎に取り組みたい鷹揚派に二分されていた。目的を考えれば、どちらかといえば〈ビットマップ〉たちの態度のほうが正しいのだろうが、各種族はみな、少しずつ異なる主義と思惑でこの探索に参加している。なかには、背後に数億の同胞が控えている者もいるだろう。いずれにせよ五者はそれぞれの生まれた世界を代表していて、意見の衝突には事欠かない。
「はっきり言うぞ。おれはオーラリメイカーがいまでもここにいるなんて思っちゃいない。惑星に痕跡をまったく残さずに文明を維持できるとは思えないし、そんなことをする意味もないからな。とっくに去ったのさ」と〈ビットマップ〉。
「視野が狭いのね。彼らが隠れていることについて、わたしたちが思いもしない必然性があるのかもしれないのに。自分がそうは思わないからといって、誰もそう思わないと決めつけるつもり?」
「おれは他のもっとありそうな可能性を見渡しているだけだ。この星系はオーラリメイカーの故郷でさえないと思うね」
「彼らはここにいます」
 その短い言葉は少しのあいだ、誰の目にも留まらなかった。ぼんやり光る爪のジェスチャーは、他のメンバーには極端に間延びした、控えめなつぶやきとしてしか知覚されていなかった。これまで〈ダンサー〉が発言したことは数えるほどしかなく、ほとんど幽霊のようにふるまっていたのだ。
「なんだって? ここにいる? 彼らが?」〈マグネター〉がおうむ返しして、興味を引かれたように船体をかしげる。他の種族より体性感覚との接合が強いようだ。驚くほど薄っぺらいその船は、〈マグネター〉そのものの平均的な体格よりひと回り大きいだけだ。
「はい。彼らか、彼らの子孫か、または彼らに従属する何かがいるはずです」
「なぜそうとわかるんだ?」〈ビットマップ〉の発光器はぶっきらぼうに点滅した。〈ダンサー〉の爪言語は他種族の言葉よりはるかに遅かったから、さすがにいらだちを感じはじめているようだ。
「摂動です。離心惑星はどれも、隣接した正常惑星ふたつの軌道をかすめていますが、その最接近距離は、互いの重力による軌道の乱れがほとんど起きない程度には離れています。しかし、それはせいぜい数万年のスパンでの話で、それを超えると軌道のずれが無視できなくなります。とりわけ、離心惑星のほうが恒星に落ち込んでいってしまう」
〈ダンサー〉はいま言った系の運動シミュレーションモデルを提示しようとしたが、爪言語でそれを送ると数年がかりになるから、使った軌道要素だけを送ってもらい、各自で追試をした。短い時間の後、〈ダンサー〉の発言に誤りはないことがわかった。
「いまでも、こまめに軌道を修正している何者かがいるということです。それは彼ら自身ではなく、彼らが遺した無知性のシステムかもしれません。しかしいずれにしても、彼らの意思を汲んでいるはずです」
「いまでもじゃなく、少なくとも一万年かそこら前までは、だろう。それ以上のことは言えやしない」
「揚げ足を取るのはやめてちょうだい。オーラリメイカーがここを去ってから、その遺物が崩壊してしまうまでのほんの短いあいだに、タイミングよくわたしたちがやってきたなんて信じられるの?」
〈スピンドル〉のたしなめに〈ビットマップ〉は不満げだったが、離心惑星をくわしく調べるという方針には賛成せざるをえなかった。

 いちばん近くにある離心惑星はピアソンで、直径四千キロ、質量は地球の五パーセントほど。楕円軌道の近日点距離は〇・六auで、遠日点距離は〇・九auだった。それぞれ、第三惑星カンパヌス軌道のすぐそばと、第五惑星トンピオン軌道のすぐそばにあたる。自分自身の周りに無数の小惑星をしたがえながら、ほとんど直立した軌道をぶんぶんと回っている。
 この異常惑星の成り立ちについてはともかく、役割については──ただのモニュメントでないとして──チーム一致の見解がすでにあった。それは、恒星の重力井戸を効率的に昇り降りするためのエレベーターに違いない。
 普通、惑星からより外側の惑星に飛び移ろうと思ったら、恒星の大きな引力に逆らって、坂道を駆け上がるように飛ばなければならない。そのたびに大量の推進剤をまき散らして宇宙をほのかに温めるのは、まったくもって不経済というものだ。しかし、ピアソンをはじめとする惑星群は、隣り合ったふたつの惑星軌道間を定期便のように往復していて、乗っていれば何をせずとも低軌道から高軌道まで押し上げてくれる。さらにその外側にもエレベーター惑星は連なり、系内全域を繋いでいた。
「第一惑星ポセイドニオスからファーガソンに乗って第三惑星カンパヌスへ。
 第三惑星カンパヌスからピアソンに乗って第五惑星トンピオンへ。
 第五惑星トンピオンからアダムズに乗って第七惑星エイシンガへ。
 第七惑星エイシンガからベルトーに乗って第九惑星ルイへ。
 その気になれば旅行者は、梯子を伝うように、ほとんど無消費で最内惑星から最外惑星まで昇って、また降りてくることもできるというわけね」
「だがそれは、エネルギーを前払いしただけだろう。しかも、桁違いのエネルギーをだ。惑星ひとつをいまの軌道に移すために、どれだけの推進剤が必要だと思っているんだ?  そうするはるか前に、あとあと節約できる分など吹き飛んでしまう。摂動を補正する必要もあるというならなおさらだ」
 さっきの問答でやり込められた意趣返しのように〈ビットマップ〉は噛みついた。しかしこれは芝居のようなもので、議論のために批判者の役を演じているだけだ。そうすることで、惑星の軌道変更という大事業と引き合うような動機をひねり出すことができるかのように。
「慈善。彼らはもしかしたら、何者にも脅かされないところまで自分たちを進歩させた後、やがてここで進化するもののためにインフラを整備したのかもしれない。そうするのが自分たちの義務だと思ったのかもしれない」
〈マグネター〉のこの思いつきには根拠がなかったが、面白い考察といえた。惑星間旅行はたいていの種族にとって、飛躍的な技術の向上を強いられるわりに実りの少ない〝壁〟的な課題だ。高い技術を持つ種族ほど、そのことを身に染みてわかっている。自分たちの住む惑星の環境は意のままに操れるというのに、《連合》に見いだされるまで衛星軌道より遠くへ出られなかった文明はいくつも存在する。複数の生存可能惑星が近接しているような稀有な星系でもなければ、飛行の労力に見合うような何かを得られる公算はほとんどないのだ。
 だが、改造されたアリスタルコス星系では、生きるための環境を身にまとってさえいれば、エレベーターを乗り継いでどこへでも行ける。飛行のハードルは月旅行に毛が生えた程度まで下がり、母惑星では希少な資源を採掘しに行くのも造作ないことだ。遠い未来、トンピオンの大地か海で何かが知能を持ったとして、彼らの《系外進出》は数十世代は短縮されるだろう。先駆者たちは、自分たちをこの宇宙に生き延びさせた途方もない幸運に報いるため、途方もない力を振るったのかもしれない。超技術を記録した石碑を建てて模倣させるよりは、押しつけがましくないやりかたといえなくもない。
 ピアソンはのっぺりした褐色の惑星で、全域を礫が覆っている。近日点と遠日点を果てしなく往復するうちに水は蒸発し、岩石は砕け、大気のほとんどもどこかへ散逸していた。生命が自然発生する可能性はまずないから、調査のために地表に降り立っても問題ないだろう。
「ここで何を探すんだ? 地面から突き出したノズルでも?」
「それよりは光電池パネルと、磁気帆ワイヤーを繰り出すリールのほうが見つかる可能性がありそうね。恒星風を捕らえて軌道を制御するための」
 どちらだったとしてもそれは、一千万キロ彼方からでも見つけられるほど巨大なものになるだろう。だが、オーラリメイカーはどんな構造物も地中に隠すのがポリシーなのかもしれない。しかたなくわたしたちは地表に散らばり、目を凝らした。



-265 地球標準年
恒星〈篝火〉系 第三惑星オキクルミ

                           ヴヴァリカシ
 ヴヴァリカシは大テーブルに広げられた計算結果をしげしげと眺めた。どこかに単純な、あるいは入り組んだ間違いを見つけたら、計算者を呼び出して、抱きしめてやろうと考えながら。
 たっぷりと時間をかけて、それが叶わないとわかると、今度は観測結果のほうを引っぱり出した。疑わしい数値がないか? 誤った解釈がないか? データに望遠鏡の能力を超えた精度を与えてはいないか?
 しかし、観測技師の仕事も完璧だった。ヴヴァリカシは苦々しい思いで空を仰ぐ。
 大きな天窓が切り取る円形の空に、一点だけ瑕疵があった。本来そこにあるべきではない光。太陽のもとでもはっきりと見える殺戮の使者。わずか八年後にはそれは、月よりも大きく見え、地球のすぐそばを通過していくだろう。地球そのものが針路上にある確率は、およそ十二分の十。
「打つ手は?」サマリュートが問う。打つ手は何か、ではなく、打つ手はあるか、と。
「神を信じることだ。でなければ、運命を受け入れることだ」
「観測を積めば、落下予想範囲をもっとしぼることはできる。全同胞が地球の裏側へ逃げれば、絶滅は避けられるだろう」
 サマリュートの声は、段階的に希望を捨てていった者の憂いを帯びていた。小惑星のたどるコースが明らかになるにつれ、自分自身の死や、一族の滅亡や、文明の崩壊をひとつひとつ受け入れなければならなかった者の。
 しかし、友人の最後の望みを打ち砕かなければならないのも、同じくらい苦しいことではあった。
「あれがこの惑星のどこに、どんな角度で落ちたとしても、衝突のエネルギーは地殻を深くえぐり取り、空に大量の土砂をばらまくだろう。日光は遮断され、世界じゅうで何十年も続く冬の夜が訪れる。地震と津波で死ぬか、凍えて死ぬか、飢えて死ぬかだ。酸欠で死ぬほど長く生きるものはいないだろう。実際にはそのすべてが起きる前に、地球そのものが引き裂かれているかもしれない」
「では、何をしても無駄だと? 死にかたを選ぶよりましなことはできないと?」
「さっき言っただろう。神を信じることはできる。おまえは神を信じるか?」
 サマリュートは蹄を鳴らしてヴヴァリカシに近づき、その顔貌を正面からのぞき込んだ。自分以上に衝撃に打ちのめされ、取り乱しているのが、実はこのヴヴァリカシなのではといぶかしむように。
「神はいないか、いたとしても、わたしたちを救うわけじゃない。困難を振りまくだけだ。ヴヴァリカシ、きみが神を持ちだすのなら、この災害もはじめから神が仕組んだものということにならないか」
 この議論は使い古されていた。もしも神が全能なら、そもそも避けるべき災害などは起こらないはずだし、全能でないなら、災害を防ぐこともできないだろう。もっとも都合のいい筋書きは、神が信仰を試すため危難を創り出し、民衆が改心したところで奇跡のようにかき消すというものだ。それにしても、神が相手を試すという狭量さを仮定する必要があったが。
 ヴヴァリカシは少し考えて、口を開いた。
「これまでもわれわれ〝賢類〟は、彗星の衝突という災厄を乗り越えてきた。記録に残っているだけで三回。そのたびに大きく飛躍してきた。一度目は南方への大移動のきっかけとなった。二度目は農業と畜産を発展させた。三度目には粘油を発見した」
「何が言いたい? 今回のはそんな生易しいものじゃない。氷の彗星ですらないんだ。質量は桁違いで、これまでの三回の衝突をひとまとめにしても、あの小惑星の足元にもおよばないだろう」
 そう言ってからサマリュートは、後悔したように後脚で足踏みした。その苦い心中ならヴヴァリカシにもよくわかった。絶望を補強する材料を自ら探していては世話がない。
 ヴヴァリカシは言葉を補足した。
「言いたいのは、神はいるだろうということだ。わずか数千年のあいだに三回の衝突、これが偶然起こったと思うのか? 他の惑星にはそのあいだ一度も落下したことがないというのに?」
「地球より外の惑星は遠すぎて観測できない。内惑星のなかでは、地球の質量が他と比べて大きいからだろう。他の惑星との衝突軌道にあるものまで引き寄せてしまうんだ」
「そのような定性的な説明で満足しているのだな。しかし、惑星の質量差がどの程度、衝突確率を左右するか計算したことはあるのか? 本当に物理法則だけで、地球を狙い撃ちする災害が説明できると? 世界を公平な眼で眺めてみれば、何者かの意思が背後にあることは誰にでもわかる」
 ヴヴァリカシは本質的に神学者であった。世界を理解するのに、ありのままの感性だけでなく数式や幾何を使うことを、実のところ彼は嫌悪していた。しかし、ふだん自然がどうふるまうかを知らずして、神の意思の反映とそれ以外の取るに足らない事象とをどうやって区別できるのか? 順行と逆行を繰り返す外惑星と、視直径を変えながら長い周期で上下動する〝跳躍惑星〟と、いったいどちらが神の御業か、無知なままでどう判断せよというのか? 暗く落ちる影が光を際立たせるように、物理法則が神の存在を浮き彫りにするのだ。
 サマリュートは後ろめたそうに目を伏せていたが、すぐに持ち直した。怒りに似た感情が、彼の背後からふいごで吹き込まれているかのように。
「宇宙論の講義など聞きたくはない。いいだろう、神はいる。きみは実際に計算して、そう導き出したのだろうな。それで? すべて神の意思だとでも言うつもりか。きみは神が死ねと命ずれば甘んじて死ぬのか」
「そうではない! これも乗り越えられる試練だということだ。神はこれまで一度もわたしたちを絶滅させなかった。今回も助かる道が用意されているはずだ」
 これまで与えられた試練も、なんの代償もなく乗り越えられたわけではまったくなかった。歴史のなかではややもすれば過剰に美化され、賢類の発展の原動力のように語られる天体衝突は、決して手放しで歓迎できる天恵などではない。今回、神が賢類に強いる犠牲は計り知れないものになるだろう。しかしそれでも、希望を捨てて死と絶滅に屈するのは、神の意思にもとる行為だった。
「乗り越える……いったい、どうやって?」サマリュートは態度を軟化させた。
「避難するんだ。地球のどこにも逃げ場はないのなら、月か、別の惑星へ。それが不可能なら、大きな船を造るんだ。長い冬のあいだ大気圏の外へ出て、日光を代謝できるような生態系船を。地球が完全に破壊されなければ、衝突から数十年もすればまた戻ってこられる。運が良ければ、そこで動植物も生き残っているかもしれない」
 ヴヴァリカシは相手の目を正面から見すえた。彼自身、ほとんど夢物語のような話だとわかっている。どんなにうまくことが運んだとしても、実現には圧倒的に時間が足りない。だが、何事もはじめなければ成就することはなく、そして、自分をいちばん信頼してくれる友をここで納得させられないようなら、永久に取りかかることさえできないだろう。
 サマリュートは長いこと黙っていたが、その様子は、燠のようにわずかに残った熱意をかき回し、火を熾そうとしているようだった。ためらいがちな声が空気を震わす。
「本当にそんなことが、できるのか」
 ヴヴァリカシは質問には答えなかった。
「他に手はない。やるしかないんだ」

 すべての計算結果とその論理的帰結は版に組まれ、印刷されて全世界に渡った。
 はじめ、人びとはそれを信じなかった。中天にかかる孤立した光は死神のイメージとは重ならず、終末を予言する啓示書の荘厳な記述ともそぐわなかったからだ。だが、権威ある者か、それこそ予言者のようにふるまう識者が、味気ない数字の羅列を真実のように扱いはじめると、人びとはあらためてその中身をたどたどしく読み返した。
 恐慌が起きた。公式の印刷物には〝死〟や〝滅亡〟や、苦痛を暗示する単語はまったく使われていなかったにもかかわらず、噂話と民間の出版物と、正常な想像力がそれを穴埋めした。都市部で暴動が頻発し、ヒステリックな叫びが街路伝いに土地を渡った。
 とはいえ、これは賢類が前に進むために必要な通過儀礼であった。誰も、生きながらにして死ぬことなどできない。パニックの波が惑星をひと巡りするころ、賢類すべてが自身への喪に服し終えたかのように、未来へのまなざしを陽に転じさせた。
 七十六の国から七千二百四十四の望遠鏡が空に向けられた。それは、どんな主義も出自も超えて、全賢類が同じ目標に向かった最初の瞬間だった。
 あらゆる侵略と内戦と制裁が停められた。これまで敵対心から、経済的要請から、また独占欲から混じり合わずにいた技術が融合した。宗主国と属国が、戦勝国と敗戦国が、思想的対立国どうしが確執を捨て、一堂に会した。
 このときまでに各国で、ヴヴァリカシの予言が徹底的に検証されていた。楽観論は慎重に排除されていたから、会議の場で小惑星の衝突確率が論じられることはなかった。
 ──シトネロ海軍の研究結果を応用できると思う。彼らは密閉した箱のなかで、日光だけを取り入れて酸素と水を循環させ生き延びる実験をしていたようだ。物質循環を保てる閉鎖空間を最小化するためのノウハウがあるはずだ──
 ──我が国の農業試験場をこの目的のために提供しよう。数日で世代交代する植物を選択的に交配させて、酸素生成能を引き上げれば──
 ──目下の問題はそれよりも脱出手段と行き先だろう。月へ飛ぶのはまだ実現性があるだろうが、氷がないから、水の完全な再利用が必要だ。最寄りの跳躍惑星には氷はあるが、最接近時でも月の二十四倍は離れている──
 ──サロモのペンラトリが、粘油から燃焼成分だけを取り出す方法を見つけたらしい。その成分を大量生産できれば、推進力を飛躍的に増すことが──
 課題が抽出され、取り組みやすい大きさに切り分けられ、技術の系統ごとに分類された。あらゆる分野の自然科学者と工学者、数学者と神学者、通訳とパトロンが議論を交わした。
 おぼろげな計画が浮き上がろうかというころ、誰かが言った。
「〈蝕〉そのものを逸らせるほうが現実的ではないか? 巨大なロケットを表面にぶつけ、そのまま噴射を続けて軌道を変えることができるのでは?」
 それはたしかに魅力的な選択肢で、これまでその可能性を口にしなかった者たちの一部も、にわかにざわつきはじめた。たとえ首尾よく宇宙に脱出できたとしても、その後の賢類を待っているのは、長い長い放浪生活と、破壊された地上文明の残骸と、赤道地帯まで拡がった氷河だ。失われるものの重みを思えば、地球を捨てるのは救いようのない愚行といえた。暗い闇を這い回るような計画より、〈蝕〉を押しのけるまばゆい閃光のほうが、もしかしたら賭けるに値するのかもしれない。
 ヴヴァリカシとサマリュートが演台に上がり、ひときわとおる声を講堂に響かせた。
「〈蝕〉の質量が、月の十二分の一にも達するということを忘れるな。いますぐそのロケットを打ち上げて、世界じゅうの粘油を燃やして推進力にしたとしても、八年後の衝突位置を島ひとつ分ずらすこともできないだろう。そして、そちらの計画にかまけていたら、他のことに手はつけられない。信じてほしい。わたしたちに生き残る道があるとしたら、地球を捨てる道だけだ」
 重い静寂。空気が止まり、失望が室内を冷やした。
 そのとき、別の誰かがぽつりとつぶやいた。
「……だが、選別をどうするのだ」
 ふたたび講堂が控えめなざわめきに包まれる。それは、もっとも無神経な者でもこれまで話題にせずにいたことだった。目的地が月だろうが跳躍惑星だろうが、すべての同胞を避難させることなどとうていできない。いつかは、非情な決断を全世界に発信しなければならないが、議論がそこに移るにはあまりに早すぎた。現実的には、待ち受ける無数の障害に最後のひとつが加わるだけなのだが、誰もそうは割り切らないだろう。
 ヴヴァリカシはふたたび叫んだ。
「聞いてくれ。これが最初の試練だ。自分以外の者たちのために戦うこと。不毛さを恐れないこと。救いを約束されてから働くのは、美徳でもなんでもない。正しいと証明されてから信じるのは、本当の信仰ではない。この困難で試されているのは、わたしたちの知力でも技術でもなく、精神だ。これは聖戦であり、魂の戦いなんだ」
 まばらな蹄拍が打ち鳴らされたが、賛同のしるしというよりは、単なる礼儀の表明でしかなく、それもすぐに止んだ。何を期待するでもない沈黙が下りる。
 サマリュートが口を開こうとしたが、ヴヴァリカシは制止した。そのまま演台を下り、手近な算卓に向かう。算盤と計算尺の一式を引き寄せ、操作をはじめる。
 肩ごしに注がれたたくさんの視線が、その触鬚の運びを追った。よどみない動きが、観衆にヴヴァリカシの計算結果を追体験させる。だが、それは大方の予想とは違っていた──〈蝕〉の質量と速度から、動かせる限界距離を算出しているのではなかった。無駄なことをするつもりはなかったのだ。彼はただ、跳躍惑星の最接近に合わせてそこへ飛ぶ軌道を計算していた。
 拍子抜けしたような倦怠が場を包んだ。誰も発言しようとはせず、かといって視線を外しもしなかった。やがて、眠りから覚めたように、ひとりまたひとりと離れていき、自嘲の声を漏らしながら、あるいは失望を振り払いながら、自分の仕事へと戻っていった。

                      (単行本第5章につづく)

オーラリメイカー_帯付

■春暮康一『オーラリメイカー』 四六判上製 

本体1,700円+税

カバーイラスト/rias

短篇「虹色の蛇」を同時収録




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