『エデュケーション』文庫化記念 桜庭一樹×村井理子トークイベント 「あらかじめ壊されていたこの世界で」ダイジェスト版
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桜庭一樹が読んだ『エデュケーション』
桜庭 非常にカルト的で特殊な家族から脱却する少女の話なのですが、なぜか大きな共感とともに読みました。「まるで自分のことみたいだ、気持ちがわかる」と思いましたし、ページの余白は書き込みだらけになりました。こういった話を読んだ時に、自分のことのように思う体験はとても不思議で、そう思った理由については解説を書きながらずっと考えていました。書き終えた後もまた考えていたのですが、主に四つの点で自分は共感したのだなと思います。
まず、幼少期の虐待のシーン。タラは父やショーン〔兄の一人。タラに肉体的・精神的な暴力を頻繁に加える〕を中心とする家族から抑圧されて育っていて、胸が痛くなるほど本当に酷い状態にあります。けれども、泣くとさらにバカにされるから、平気なふりをして、一人で生き抜いている。ショーンが彼の妻や自分に暴力を振るっているのだと父に訴えたのに、結局は屈辱的で現実と違うことを無理矢理に認めさせられて〔第34章〕、それで悲しむと「悪魔が取り憑いているんだ」みたいに余計バカにされて。中でも、ショーンが「お前は売春婦だ」というシーン〔第13章〕が忘れられなくて、まだ子供の妹になんてこと言うんだと思いました。子供から大人になる過程で、女の子が男性であれ女性であれ大人からこういう女性嫌悪を浴びることはあるな、自分もあったなと思い出して、そこに共感したというのもありました。誰かの妻だったり、母だったりすれば安心なのですが、まだ誰のものでもない、そして性的な魅力のある若い女の子は大きな力を持っていると思われていて、抑圧されることはあるのだろうなと思います。逆に同じ年代の男の子には大人の同性、たとえばお父さんからの抑圧などがあって、それは私が知らないだけなのかもしれない、というようなことも考えました。
次に、ショーンが事故で重傷を負うところで、タラさんが家族と違う考えを持ち出したことで浮いてしまうシーン〔第16章〕。個人として考えや生き方がそれぞれ違うことは当たり前なのですが、この家族は共同体の中では同じ考えを持つべきだと思っている。だから、自分は異なるものなんだ、分かれ道に来たんだ、出ていかなきゃ……と、自分の居場所を求めて出ていくというのも、結構みんな思い当たる。家族から離れて大人になっていく過程で、共感できる部分だと思いました。
三つ目は、タラさんが家を出てから「偽物の強さ」に強くこだわる時期〔第22章〕なのですが、ここは自分が特に強く共感した箇所でした。本当はもう大変な状態、嵐のような状態で、とても傷ついていたのに、平気なふりをしながら、現状に反発する力自体が自分の力だ、自分にパワーがあるんだと思い込むのは若い頃にあるなと思いました。問題そのものを解決するのではなく「問題に反発している私の想い自体が、自分のパワーだから、私は無敵だ!」とハイになって、苦しいこと自体がドラッグのようになっていく時期が若い頃にはあると思います。「確かに傷ついたけど、私はその傷で強くなったんだ」となる。自分はそういう人を小説にもよく書いてきたし、そういう心情はとても理解できるけど、タラさんはそういう時期の人間関係が全部うまくいかないことを非常に赤裸々に書いている。特に恋愛関係で、何度も彼女のために一生懸命になってくれた人と別れてしまうシーンがある。「偽物の強さ」は嘘だから、嘘は他者と共有できないのだと思いましたし、その部分にも自分は特に共感しました。そこからタラさんは、自分自身の状況を疑ったり、弱さを認めたりして、自分を信じる方向に変わっていく。私自身はそれに気付くまでに随分歳を取ってしまったなと思っているので、タラさんが様々なことに気付いて変化・成長していくスピードにちょっと驚きました。まだまだ若い方だから、苦しいけど、どんどん気が付いて、どんどん変わっていくところはすごいなと思います。
最後に、タイラー〔兄の一人。タラと同じく家を出て大学に進学し、その後もタラを支援し続ける〕が、自分の家族のことを「変化を危険ととらえ、それを求める人間は誰であっても追放しようとします」とメールで言ってくれるシーン〔第38章〕があります。ここまで読んで、『少女を埋める』〔桜庭一樹[著]、文藝春秋、2022年〕の「出て行け。もしくは、従え」と同じ内容だなと思ったんです。ここまで来て、それで私に解説の依頼をしていただいたのかもしれないと思いました。
『エデュケーション』と陰謀論
桜庭 タラさんが『エデュケーション』を書いて、刊行された後にも問題は続いているわけですよね。両親がこの本の内容を否定する声明を出したとか、お母さんは本まで出したとか。
村井 お母さんが書いた本の『Educating』というタイトルを見た時に、タラさんが書いたことは真実だったのだ、という確信を得ました。非常によく似たタイトルにしてわざわざ出す、ということ自体が『エデュケーション』の内容が正当性のある事実であることを証明していると思いました。母親としてそれをするかと。すごいお母さんだなと。彼女のFacebookでは既に投稿が削除されているのですが、当時は『エデュケーション』に関する感想をかなり書いていました。よくやるなと思って……
桜庭 村井さんから事前に本の内容だけお聞きしたのですが、ハーブがもたらすホメオパシーの効用を説く箇所もあれば、ちょうど新型コロナの流行も始まった頃なので、「新型コロナは風邪だ!」というようなことも書いてあったということでしたよね。
村井 新型コロナに関しても典型的な陰謀論者ですね。流行が始まってからはハーブが大変な売れ行きらしく。タラの両親が経営する会社「Butterfly Express」は、地元では多くの雇用を支えている大企業なので、支持者は大変多いようです。
桜庭 論理的な娘と、陰謀論的な家族の対比が、ちょうどコロナ禍のアメリカでより強調されているのかな、と思いました。
村井 お父さんも最近はメディアに出演されていて、お母さんとお父さんが二人で並ぶと非常に迫力がある。タラさんの本を読んだ後に二人を見ると、静かな怖さがありますね。大変お元気そうで、それはいいことなんですけど。
桜庭 カリスマ性に近いものがあるのでしょうか。預言者のように振る舞っているというような。
村井 あの会社の中では、お父さんは完全に預言者のような、スピリチュアルな意味で強い存在のようですね。みなさん、お父さんを心から慕っている。大きなファミリー企業という感じ。
桜庭 村井さんはTwitterでタラさんの最新のエッセイを読まれたとも書かれていましたね。タラさんは現在どうしているのでしょうか?
村井 主に大学で教鞭を執られています。タラさんは頻繁には執筆活動をなさらないし、メディアにも出演されないのですが、最近トークショーにはよく出ていらっしゃいますね。Twitterでも書いたのですが、アメリカの大学の学費が高すぎるので、大学の「学び舎としての本来の姿」を取り戻したいということで運動をしてらっしゃいますね。現在は国公立の大学がその存在意義を忘れ、ビジネスに走り過ぎているので、公的な助けを得て大学に行けたのは私が学生の頃までだった、ということもおっしゃっています。今は何をやっても駄目な子は駄目なのだと言われがちな時代でもありますが、彼らを救いたいということを強調されています。「私はすごくラッキーだった」と。自分の根性で成功できたのではなく、助けてくれる人がいたから辛うじて浮き上がることができた、ということを主張されていますね。
桜庭 『エデュケーション』を読んで驚いたのが、彼女が非常に優秀だったということは前提として、奨学金で大学の学費を賄いながら留学もできて、実家からお金を出してもらえなくても教育を受けられる環境があるということでした。アメリカでもそのような状況が変わってきているのですね。
村井 そういったことが可能であった時代は自分が学生の頃までで、今は大学に行きたくても行けない人の方が多いのではないかと非常に強く主張されていて、そこをどうにか変えていきたいとおっしゃっていました。彼女はビル・ゲイツの奨学金でケンブリッジに進学しましたが、『エデュケーション』刊行後のゲイツとの対談の中でも、そこを強調されていた記憶があります。
桜庭 タラさんはカルト的な家族における極端に陰謀論的なところから脱却して、教育によって自分の世界を徐々に確立した人ですよね。今回のイベントのタイトルの通り、「あらかじめ壊されれてい」た世界から脱出して、新しい世界、あるべき世界を作り直し、人生をやり直している。その第一歩は教育からだということで、本書は『エデュケーション』というタイトルになっているのだと思いますし、タラさんにとっては人生のテーマでもあるのかなとも思います。自分が受けた教育や、未来の教育があるべき姿を示すのだ、という志が現在の活動の根幹にあるのだなと思いました。
家族との向き合い方
——『エデュケーション』でタラの父が彼女へ向けている愛情というのは、ごく限られた一面では本当であるのではないか、とも思います。また、タイラーとタラ、あるいはタイラーとその家族など、様々な形で家族間の愛情の示し方が描かれていました。ここから、自分の家族や身近な人へ適切に愛情を伝えるにはどうすればよいのかについて伺えればと思います。村井さんはいかがでしょうか。
村井 自分の家族に、私はあなたのことを思っている、大事だと思っている、愛していると伝えるのは、非常に難しい。それができないからこそ、毎日のように葛藤しています。実の親には全くそれができなかったし、私は親として息子たちにできているかというとわからない。家族に限らず、自分の恋人に対しても難しいことですよね。犬に対してはすごく得意なんですけど。どうしたらいいでしょう(笑)。
桜庭 心身両面で距離の取り方がどうにもならないのが家族ですよね。少し脱線しますが、映画『隣の女』は、昔の恋人同士が、お互い結婚した後に偶然隣に住むことになり、最終的に不倫関係になって心中してしまう話です。この映画の有名な台詞「あなたと一緒では苦しすぎる。でも、あなたなしでは生きられない」のような関係は恋愛でもあるだろうけど、家族の場合でもありますよね。仮に時間が巻き戻ったところで、違うようにはできなかったかもしれないと思います。確かに村井さんがおっしゃるとおり、愛情を他人に伝えることはできるし、私も犬には伝えられます。でも、人間の家族にはできない。自分も言われてこなかったので、どうすればいいのかわかりません。それから、私は一人っ子なので兄弟の関係についてもよくわかりません。『エデュケーション』ではショーンとタイラーのほかに、タラさんと同じように大学に行って博士号を取ったリチャードとか、たくさんの兄と姉がいますよね。村井さんには同じようにお兄さんがいますし、賢くて知性があって、自分が勉強したり、努力したり、自分で考えることで自分の居場所を作っていくという点で、タラさんと似た境遇という面があるのかもしれないと思います。
村井 兄に関しては本当に今でもわからないことがいっぱいあります。私は最後の最後に兄を拒絶しましたけど、仮に立場が逆だったらおそらく兄は確実に私を助けたと確信しています。そういう関係性でしたね。まったく理解できず、正直好きではなかったのですが、死なれてしまうと大きな喪失感があります。好き嫌いを超えた、存在が亡くなったことに対するものすごい孤独。桜庭さんもご解説に書かれていましたけども、肉親の死に対しては永遠の孤独のようなものを感じます。兄の場合は非常に派手な人生を生きてきた人で、最後まで派手だったので、余計に忘れないですね。一日たりとも。気の毒なことをしてしまったとか、私にそういう気持ちを押し付けて去っていった人という、そういうイメージですね。
桜庭 タラさんはショーンのことを一体どう思っているのだろう、というのが自分にはどうしても理解できないところですね。本当に抑圧や暴力などの虐待が極端な兄なのは間違いないのですが、そういった部分を除いてもショーンに関する描写は非常に多いですよね。
村井 タラさんはショーンの中にわずかに残っている、優しい兄としての面も忘れず書いていますよね。おそらく、タラさんのショーンに対する愛情は消えていないのではないかと私は思っています。
変わらないもの、変わりゆくこと
――『エデュケーション』は非常に深刻かつ特殊な状況に生まれたアメリカの女性の手記ですが、一つ一つの要素、あるいは要素同士の複合的な関係に目を向けると、日本に生きる我々にも一脈通じる部分がある本として読めるのではないかと思います。最後になりますが、村井さん、桜庭さんの方から『エデュケーション』についてこれだけは言っておきたい! というものがあれば、ぜひお聞きしたいです。村井さん、いかがでしょうか。
村井 タラさんは今も元気で活動されているということを、まずはお伝えしたいと思います。壮絶な幼少期を過ごされて、命からがら逃げ出した彼女ですが、現在でもその表情を見ると寂しげで、様々なことを引き摺っているのだろうなとも思います。でも、彼女が自分の中にずっと自信として持っていたのは、歌が上手いということなんです。YouTubeで「Tara Westover」で検索すれば出てきますし、大変お上手ですので、ぜひ聴いてみてください。その後に『エデュケーション』を再読していただければ、ぐっと違う雰囲気で物語が入ってくると思います。
桜庭 モルモン教徒として教会で歌っていたとか、舞台に立つシーン〔第9章〕もありましたね。
村井 はい、お父さんがタラさんを愛していた理由の一つである、天使のような歌声が今もしっかり残っています。それから、現在の彼女のファッションも見てほしいと思います。本当に美しくビビットなカラーで着飾ってらっしゃるんですよね。外見からは自由という印象を強く受けます。化粧もきれいにしているし、生まれ変わった彼女の姿を見ることができますので、ぜひご覧ください。最後に、桜庭さんの方から何かあればお願いします。
桜庭 さきほどもあったように、国籍などに関係なく誰が読んでも、すごく心に刺さるし、理解できる話だと思います。自分の育った家、現在の社会、所属している共同体、そこにいる自分自身の姿……様々なことに違和感を持っていらっしゃる方が読まれると、興味深い感想を抱かれるのではないかと思います。『エデュケーション』というタイトルの通り、自分で自分を教育して、作り直していく。一回壊れていた世界を作り直して生きていく、というのは大きな人間のテーマだと思いますし、教育というものをどのように手に入れて、どのように努力をして、どのようにこの個人が自立しているのかという、一人の人間の軌跡がよくわかるように書かれている本が『エデュケーション』です。この本のように、自分のことを客観視しながらも生々しくリアリティを持って書くことができるというのは、大変な知性だと思います。私は途中まで共感して、最後の方は勉強になると思いながら読み終わったので、ご自身の過去と現在に、なんらかの違和感を持って生きていらっしゃる方にぜひ読んでいただきたいと思っています。
(2022年9月4日/オンラインで開催)
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本書の詳細
◆書籍概要
『エデュケーション――大学は私の人生を変えた』
著者: タラ・ウェストーバー
訳者:村井理子
出版社:早川書房
本体価格:1,360円
発売日:2023年2月7日
◆プロフィール
桜庭 一樹 (さくらば・かずき)
小説家。1971年、島根県生まれ。1999年にデビュー後、主にミステリ、ライトノベルを中心に活躍。2007年『赤朽葉家の伝説』で日本推理作家協会賞を、2008年『私の男』で直木賞を受賞。代表作に『GOSICK —ゴシック—』シリーズ、『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』、『少女を埋める』『紅だ!』など。
村井 理子 (むらい・りこ)
翻訳家、エッセイスト。1970年、静岡県生まれ。琵琶湖湖畔で、夫、双子の息子、ラブラドール・レトリーバーのハリーとともに暮らす。主な訳書に『メイドの手帖』『サカナ・レッスン』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』。著書に『兄の終い』『犬がいるから』『村井さんちの生活』『家族』などがある。