【第3シーズン7/18刊行開始記念】《ローダンNEO》おさらいその1:第1巻『スターダスト』の前半分第9章までを連続掲載(第7章)
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《スターダスト》の月面着陸から一一時間後、太陽がのぼった。
とはいえ、それで何が変わったわけでもない。不気味な暗闇が、ほぼ何の前ぶれもなく唐突に、不気味な明るさにとって代わっただけのことである。ぎらぎらと輝く太陽光が、月面の過酷な環境を容赦なく照らしだした。
《スターダスト》が不時着したのは、岩石がごろごろとした平地だった。
あちこちに転がる石や岩の下には、細かな砂が数センチほどの厚さに積もっている。
一歩進むごとに月の砂がふわりと舞い上がり、無重力のなかをゆっくりと、まっすぐに落下していった。
彼らのいる平地の北側には、切り立った山脈が壁のようにそびえていた。西側と南側には、クレーターの環に沿って低めの岩山が続いている。東側に目をやれば、ありえないほど近いところで大地が地平線に呑みこまれていた。
荒涼とした世界だった。人間の生きる場所ではない。転がっている岩石は、ともすれば骨のように錯覚された。やがてそれは、息絶えた怪物の死骸に思えてくるのだった。
奇跡でも起こらないかぎり、ここが《スターダスト》のクルーたちの墓場となるのだろう。そして、クルーは誰一人として、奇跡など信じていなかった。
それでもなお彼らは、奇跡を起こそうと奮闘していた。
ブルは《スターダスト》のコンピュータと格闘していた。コックピット内の電子機器カバーを外し、ケーブルと部品の山の間に座りこんで、ひっきりなしに悪態をついている。焦げた臭いがあたりを漂っていた。
フリッパーは搭載物管理技術者として、《スターダスト》の貨物の管理にあたっていた。貨物室(ペイロード・ベイ)のハッチを開け、さしあたり必要なしと判断したものを次々と外に出していく。ほどなくして、シャトルの前には人の背丈ほどはあろうかという積荷の山ができた。
さらに、フリッパーはクレーンを操って、無限軌道(キヤタピラ)つきの月面車を地上に降ろした。垂直に立つシャトルが傾かないよう細心の注意を必要とする作業だが、フリッパーの手腕はみごとなものだった。続いて、移動式の仮設医療ユニットが月面に降ろされた。
考えうるかぎりの仕事を終えると、フリッパーはしばしの散歩をと月の大地に出発し、マノリもそれに同行した。
マノリとローダンは、フリッパーがひた隠しにしている感情に気づいていた。ベスへの想いである。彼女は今この瞬間にも、はるか遠い地球で死を迎えようとしている。月面と同じくらい過酷な環境にさらされ、息絶えようとしているのだ。
状況的に、ベスにはもう二度と会えないかもしれない。そのことを考えれば、いっそ死んで彼女と再会しようという思いが、フリッパーの脳裏に浮かぶ危険はじゅうぶんにあった。マノリが同行したのは、それを実行に移させないためである。
ローダンはブルの修理作業を手伝っていた。工具を手渡したり、愚痴の聞き役を務めたりといった具合だ。ときにはフリッパーを見習って、月面の散歩にも出た。宇宙服を装着し、コックピットのエアロックからはしごを伝って月面に降りたつと、ローダンは月の小重力がもたらす軽やかさを楽しんだ。そして、思考のほうもこれくらい軽くなってくれればと願うのだった。
彼はパウンダーのことを考えた。あのご老体とはもう、一〇年以上のつきあいになる。
ローダンにとって彼は、ほとんど養父のようなものだった。宇宙飛行士になれたのもパウンダーのおかげである。ローダンを支援し、鍛えあげたのも彼だった。
パウンダーは彼のために扉を開いてくれはしたが、その扉をくぐるか否か、いつもローダン自身の判断に任せていた。彼は説明を嫌い、何かをほのめかすことで人を動かす。ローダンはその意図を読み取るのが常だった。そして、これまでのところはうまくやってきたのである。
パウンダーが、なぜ自分をこのミッションに送りこんだのかについても、理解しているつもりだった。しかし、パウンダーが口にした賭けの件。あれにはいったい、どういう意味があるのだろうか。自分と彼は賭けなどしていない。それにパウンダーにかぎって、どんな些細なことであれ記憶違いなどは考えられなかった。
あの発言は、どうにも彼らしくない。にもかかわらずパウンダーは、それを口にした。
なぜか? 理由はひとつだ。何かの事情で、そうせざるを得なかったのだ。
その事情のせいで、ローダンにおおっぴらにことを伝えることができなかったのである。
警告か。だが、何を警告している?
答えの出ない問いに思いをめぐらすローダンの耳に、ブルの歓声がイヤホン越しに響いた。
フリッパーが月面車を数メートル先の岩場に移動させたのち、一行は《スターダスト》の前に集まった。
ブルは焼け焦げた電子機器をひと抱え、コックピットから持ち出していた。ただ説明するだけなら必要ないのだが、輝かしい成果を存分に味わうには必須の演出なのだ。
「ほら、こいつを見てくれ!」
ブルは手にした部品を掲げてみせた。《スターダスト》搭載のフラッシュメモリが収められていた外箱だが、今その中に残っているのは黒焦げになった部材のみだ。
「完全に焼け溶けちまってる!」
ブルは手にしたそれを再びスクラップの山へと放り投げた。ねらいがそれ、外箱はスクラップ横の地面に当たってはね返る。そのままくるくると回転しながら、ふつうの重力ではあり得ない高さに舞い上がった。ブルは両手を腰にあてて言った。
「ペリーが再初期化できなかったのも当然だ。黒焦げの灰を生き返らせようたって無理な話だからな」
ローダンは屈みこんで焼け焦げたケーブルを拾いあげる。考え深げにぷらぷらと手のなかで振り、「原因はわかるか?」と尋ねた。
「ええ」
ブルはうなずくともったいぶって、ひと呼吸おいたのちに断言した。
「EMPです」
「EMP……電磁パルスだって?」
フリッパーが頭を振って口を挟んだ。
「あなたはシステム・アドミニストレーターだ。こういった話は俺よりずっと詳しいでしょうよ。だけど、その説にはふたつほど疑問がある」
「ふむ、言ってみな」
「第一に、《スターダスト》の電子機器は電磁パルスに対して厳重に防護されてます。第二に、電磁パルスの効果は目に見えない。電子機器は使いものにならなくなるが、焼け焦げたりはしないはずです」
「その指摘はもっともだな、クラーク」ブルは動じた様子もなく認めた。
「といっても、従来の電磁パルスならばの話だ。こいつは違うんだよ」
「どういうことです?」
「これは未知の技術による攻撃だ。《スターダスト》の存在をたやすく検知し、『完璧な攻撃』ってやつをしかける能力をもった何者かによる、な。ペリーのすばやい対処がなけりゃ、今頃は《スターダスト》も俺たちも、ここに転がってるスクラップ同様に黒焦げになってただろうさ。そして、いつの日にか機体の残骸が発見されても、誰もが事故だと考える。ブラックボックスの記録もそれを裏づけるだろうよ。エンジン制御の不具合、原因不明の電子機器の故障、そして……バン! かくして俺たちゃお陀仏ってわけだ」
フリッパーは、やれやれという仕草でローダンとマノリと目をあわせようとした。「そりゃあないでしょう、レジー。それだけの技術があれば、月の裏側なんかでむだ遣いする奴はいませんよ。だいたい、誰が攻撃なんかしてくるっていうんです。中国? 大ロシア? それとも民間コンソーシアムですか?」
「月面基地を無力化した連中さ」とブル。「そして、月の軌道上のすべての人工衛星を片づけたのも、そいつらだ」
フリッパーはぽんと地面を蹴り、ジャンプするように足踏みをはじめる。月の重力下で、その動きは場違いなほどやわらかかった。巻き上がった月の砂がきらきらと輝き、焦らすようにゆっくりと落ちていく。
「考えすぎですよ。こんなのは何の証明にもならない」
フリッパーはスクラップの山を指した。
「技術的な不具合が発生した、それだけのことです。このミッションが急ごしらえで始動したのは周知の事実でしょう。それに《スターダスト》はプロトタイプだ。ふつうなら、月に打ち上げる前に、あと二年はテストするところですよ。不具合があっても不思議じゃない。それだけだ。それ以外はすべて根拠のない推測に過ぎませんよ。そういう推測は危険でしょう。命取りに──」
フリッパーは言葉を止めた。ブルが太もものポケットから金属性のケースを取り出したためだ。ケースに損傷はない。
「推測じゃないぜ。このフラッシュメモリは攻撃を持ちこたえた。理由は聞くなよ、俺にもわからん。ただ、このなかに何が記録されていたのかは、わかるさ」
「何だね?」マノリが尋ねる。
「赤外線カメラの録画データ。船内の電子機器がショートする数ミリ秒前、月面で三〇〇〇度を超える超高温の熱源が発生してる。発生源はだいたい特定できた。俺たちが着陸した地点からおよそ二〇〇キロ、月の表側との境界からは約五五キロの地点だ」
ブルの告白に、しばしの沈黙がおりた。沈黙を破ったのはフリッパーだった。
「その測定値と《スターダスト》の緊急着陸との間に何らかの関係があるとして、そいつが何かの役に立ちますかね?」
ブルが答えようと口を開くが、ローダンのほうが先だった。
「役に立つさ、大いにな。今すべきことが、これではっきりした」
彼は立ち上がった。
「行くぞ、ぐずぐずしている時間はない」
あとに残した《スターダスト》が月の地平線の向こうに消えるやいなや、ブルは切り出した。
「さあ、話してくださいよ、ペリー! なんでこんなブツを持ってくるんです?」
ローダンは月面車の運転を無傷の搭載コンピュータに任せ、友人に向きなおった。二人は宇宙服が触れあうほど近くに並んで座っている。月の砂漠を短時間走行することを前提に設計された車内は、ひどく狭かった。
「俺たちが持っていったほうが、クラークとエリックも喜ぶかと思ってな」
ローダンは答える。
「でしょうね。まったく、胃がきゅっとするぜ。捨てちまいましょう、こんなもの!」
ブルは車内の後部を乱暴に指さそうとしたが、宇宙服にはばまれて腕はなかばでストップした。だが指をさされなくとも、ローダンはそこに積まれたものが何か知っている。それは二挺のロケットランチャーだった。国土安全保障省の秘密研究所が開発したもので、取り扱いの指導をしにきたエージェントによれば、「真空下で絶大な殺傷能力を発揮する」らしい。
「そういえば、打ち上げ前にもこいつを船外に放り出そうとしていたな、レジナルド。まあ、どうせ国土安全保障省に見つかって、無理やり持たされるのが関の山だったろうさ」
「そいつはどうですかね。でも、これだけ遠くまできたんだ。連中も、もう手出しできませんよ。捨てたってばれやしませんって!」
ローダンは答えることなく、運転を手動に切り替えた。砂地が急に岩場に変わり、車体ががたがたと揺れだしたからだ。ブレーキをかけ、走行速度を徒歩レベルまで落とす。車体の後部には翼のようにソーラーパネルが展開していた。このパネルは振動に弱く、傷がつかないよう慎重に運転しなければならない。
「ねえ、ペリー!」ブルがなおも催促する。
「さっさと捨てちまいましょう! ほら、この月面車、出力が全然出てませんぜ。規定値以下だ。あと数キロ軽くすれば、もっとすいすい走れるんじゃないですかね」
「出力が規定値より低い、だと?」
ローダンはブルを見た。それから現在の走行出力値を画面に呼び出すと、たしかにとうなずいた。
「規定値より二四・三パーセント低いな。どうしてだと思う?」
「さあ。メーカーがNASAに適当なことを言ったか、あるいは不時着のはずみでどこかが故障したか……」
ブルはこれみよがしに鼻を鳴らした。
「そんなところでしょう。それより、問題は後ろの忌々しい武器ですよ。俺はロシア人や中国人を撃ち殺すために宇宙飛行士になったんじゃない。捨ててください!」
「だめだ。今後必要になるかもしれん」
ローダンの返答は早かった。それでブルは、友人がすでに、この件についてじゅうぶんに検討済みだと理解した。そして、そんな彼を翻意させることは、月で水を発見するのと同じくらい不可能に近いということも。
「ねえ、ペリー?」ブルは言った。「俺は疑ってるんだ。あんたが、何か疑ってるんじゃないかって」
「かもしれん」
「だとしたら、あんたを尊敬する友として、ひとつ言わせてください。その疑いに関する俺の疑いが正しければ、あのロケットランチャーはおもちゃのパチンコと同じくらい役立たずですよ。いいや、それどころか逆に命取りになりかねない」
だがローダンは譲らなかった。
「考えすぎだ、レジー。なるようになるさ。とにかく、こいつは持っていく。捨てることはいつでもできるからな」
二人は黙ったまま、月の裏側と表側とを隔てる境界に向けて月面車を走らせた。
一五時間後、目的地点に到着した月面車は、平地に停車した。もうもうと舞う月の砂がおさまると、ひらけた視界の先に三日月形の地球が見えた。きらきらと輝く太平洋の紺碧に、おそらくは日本列島なのだろう緑色が浮かんでいる。
ローダンとブルは顔を見あわせてうなずいた。次にとるべき行動はすでに打ち合わせ済みだった。二人は宇宙服をチェックすると、ヘルメットをカチリとロックした。
「行くぞ!」
ローダンがエンジン全開で月面車を発進させると、反動で体が座席にぐいと沈みこむ。
ブルは、一瞬の躊躇もなくセンサーに拳を叩きつけた。ドン、という衝撃が車体を走り、背後でまばゆい光が爆発的にほとばしった。車体後部から射出された無人探査機が、ロケットエンジンを噴射しながら空中にのぼっていく。同時にローダンが無線通信を開始した。
「こちら《スターダスト》船長、ペリー・ローダン──」
だが、口にできたのはそこまでだった。七色に輝く閃光が月面車のアンテナを直撃したのである。アンテナは一瞬にしてどろりと溶け、灼熱のしずくとなって四散する。しかし、炎は上がらない。真空では燃焼が起こらないからだ。
二つ目の閃光が月の空にひらめいた。頭上の無人探査機がロケット花火のようにはじけ、火の玉と化す。それは白から緑に、そして最後はオレンジへと色を変えていった。
ローダンは動じることなく一連の光景を見つめていた。
「うまくいったか?」
ブルがうなずいて、にやりと笑う。偉ぶる大人を出し抜いた少年のような笑顔だ。
ブルは月の部分地図をディスプレイに表示した。地図にはクレーターや山脈を貫くように、細くまっすぐな線が引かれている。それは月の表側と裏側との境界線だった。その境界線のすぐ近くに、彼らの現在位置を示す×印が表示されている。
「ここです」
ブルが言うと、もうひとつの赤い×印がディスプレイに浮かび上がった。月の裏側である。境界線から地図上で一〇センチほど離れた地点にある。
「さっきの『閃光』の発生源です。おかげでメートル単位で位置を特定できましたよ。ここから五〇キロもありません」
「到達可能な距離だな」
「この月面車の性能面だけを考えればね」とブルは返す。
「でも、俺たち人間には限界でしょう。この地点まで行けば、《スターダスト》に戻るぶんの酸素がなくなっちまう」
しかし、彼らは最終的に、閃光の発生地点に向かうことに決めた。なぜなら、はっきりと悟ったからだ。あの閃光を放ったのが何者であれ、その何者かはこちらが救助を呼ぶことも、月から脱出することも阻止してくるだろうと。
ローダンとブルに残された選択肢は、月面車か《スターダスト》のいずれかで酸素を切らして窒息死するか、無謀な離陸を試みて死を迎えるか──あるいは、未知の何者かのもとに乗りこむか、だった。
二人はじっと黙ったまま、それぞれの考えにふけっていた。今はブルが運転を替わっていた。彼は鬼のような形相で、目的地に向けて荒々しく車を駆っている。ローダンは友の荒っぽい運転をとがめはしなかった。
ブルはときおり低く悪態をついていた。だが、どんなにいらついて見えようが心配ないことを、ローダンは知っていた。ブルはハンドルだろうがレバーだろうが、手にしたものはとにかくがむしゃらに操作する。それでいて、どんな機械に対してもその限界を正確に見きわめるので、不思議と事故を起こすこともないのだった。
ローダンは再びパウンダーのことを考えた。なぜ彼はローダンを月に送りこんだのか。パウンダーから示されたのは、あの一枚の写真だけであり、説明はなかった。
「そんなものは不要だ」とパウンダーは言った。「きみ自身が考えて結論を出したまえ、ローダン」
ローダンはその言葉に従って考えた。あの写真に写っていたのは宇宙船だ。ローダンは、そう確信していた。しかも、人類よりもはるかに進んだ技術力によって造られた宇宙船である。そんなものを相手に、自分たちに何ができるというのか。勝ち目はゼロだ。
月面車がモーターをきしませて丘の斜面をのろのろと登る。ブルが大声でののしった。「ほれ、どうした! 動け! この、のろまの役立たずが! ネバダ宇宙基地で鉛でも積まれたってのか?」
こののろまの役立たずが……。その言葉がローダンの脳裏にこだまする。
ローダンは車の後部に積まれたロケットランチャーに目をやった。人類よりはるかに進んだ技術をもつ未知の存在を相手に、ロケットランチャーなど、まさに「役立たず」ではないか。戦車相手に手斧で立ち向かうようなものだ。
そんな無謀な攻撃者を、戦車側はどう思うだろうか? 笑い飛ばすか、はたまた同情を覚えるか。いずれにしても、本気で相手にすることはないだろう。
違う。パウンダーが求めているのは攻撃ではない。何か、もっと別のことだ。そして、その「別のこと」が何であるのか、ローダンにはある程度予想がついていた。
ただ……わからないのは、あの無線通信だった。パウンダーは、いったい何を警告しようとしたのだろう?
月面車がついに目的地点へ到着した。「着きましたぜ」とブルが言って、クレーターを囲む尖った岩山のふもとに月面車を停める。
二人は車を降りると、低く身をかがめて砂利の積もった斜面を登っていった。重力のせいで高くジャンプしてしまわないように、一歩一歩注意して進んでいく。さらに四つん這いになって岩肌を這い上がり、崖の縁までたどり着いた。
二人はヘルメットに覆われた頭をもたげ、クレーターの縁からそっと下をのぞきこむ。
そこに、宇宙船があった。