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別役実、学生時代の幻の評論「三好十郎論」(1959年)冒頭を特別公開!(『悲劇喜劇』21年7月号)

悲劇喜劇2021年7月号

『悲劇喜劇』21年7月号では、今なお現代を生きる演劇人の創作意欲を刺激する作品を残した二人の劇作家、三好十郎と秋元松代の普遍性を考察する特集を組みました。

一九五九年秋、早稲田大学の学生劇団「自由舞台」による『浮標』の公演パンフレットに寄せられた、別役実の大学二年生時(二十二歳)の評論「三好十郎論」の冒頭を特別公開いたします。


「愛する」と云う事が「真に理解する」と云う事である。特に三好十郎を理解する場合には、この事が重要である。つまり彼が「生きた」文学者であり、「考えた」文学者ではないからである。これも、この第二次大戦を「生き抜いた」数少ない文学者の一人であってみれば、その意義を僕等が正しく理解し、継承する為にも、僕等は三好十郎を「愛する」事から始めねばならない。
「考えた」文学者は「考えれば」理解出来よう。生きた文学者に対しては、これを心から愛する事でしか真の理解はあり得ないであろう、と信ずるのである。
 三好十郎が「斬られの仙太」を書く時、仙太郎を理解するために、かって彼の通ったと云はれる道を三度歩いてみたと云う、その方法を僕等も又、採らねばならない。
 彼の作品を読んだ時の、僕の素直な感動の質を大切にしながら、三好十郎の種々なヒダを探ろうと云うのがこの文の課題である。
 僕の探りあてた種々なヒダが、たとえおぼろげながらではあっても、三好十郎の「人聞像」を浮びあがらせる事が出来たら、僕にとってこの上もないと思うのだ。

一、日本人

 万葉集を生んだ日本人は、やがて江戸時代に芭蕉を生んだ。日本人は空間的無限よりも時間的無限を望んだのだ。それは若しかしたら資源が少く国土の狭い日本の故であるかもしれない。しかし、それはどうでもよい。兎も角も日本人が横の関係に於て集団的であるよりも縦の関係でより集団的であったのはたしかである。
 日本人の運命感は自分の「生れ」から「死」に至るまで全てを「自然なるもの」つまり「必然的」とみなす傾向がある。それは若しかしたら長い日本の封建制が国民を奴隷的にしたのかもしれない。しかしそれもどうでもよい。大切な事は奴隷は自分の「生れ」その「環境」「才能」「死」全てに責任を持つと云う事だ。そして若しも報いられなかった時は「怒る」よりもむしろ「涙する。」
日本人には又古来より人生を一つの旅と見倣す思想があった。時間的永遠性を空間的永遠性に置換えたのである。これはその時間的永遠性を神秘的な来世的なものに考えるのでなく、あくまでも現世的な、一つの責任範囲と考える事を示している。
 日本人は横の集団性を離れ、自然の与えた荷物を負い「生」と「死」が画する道程を行くのである。しかもその中にあって「物事は全て推移する。」満つるもの欠け、会うものは別れなければならない。日本人は「会う」前から「別れ」を予言されている。「別れ」が自然なものであり、運命的なものである日本人にとっては「会っている」時間を長びかせる事など及びもつくまい。唯「別れる」時間の感慨が深いのだ。「別れる」時の感慨が深いからこそ「会った」時の喜びも大きいと云える。万葉に見られる現世主義とはこの事である。芭蕉が晩年「俗を出でて俗に還る」事が出来たのもこの「別れ」を明確に見極め得たからに他ならない。芭蕉がみづから求めて孤独になったのは決して「悟った」からではない。「悟り」と云う事は客観的真実と主観的真実の合致で
あり、芭蕉の真実は孤独を求めても、客観的真実はこれを許さなかった。「旅に病んで夢は枯野を駆けめぐ」ったではないか。彼は「俗に還り。」ここで悟り得たのだ。孤独を求め得なかったからではない。孤独を求め得たから俗に還れたのである。芭蕉が一生をかけて果した自我の確立を、現代は「社会性の無さ」とか、「人生に対する消極性」であるとの理由で否定している。しかしこの辺に何か大きな問題がひそんでいる。そして三好十郎の居場所もこの近くではあるまいか。我々は一つこの辺に綱を仕かけておかねばなるまい。

(続きは本誌でお楽しみください。)

別役実(べつやく・みのる)1937年、旧満州生まれ。劇作家。58年に早稲田大学入学後、劇団「自由舞台」(後の早稲田小劇場)に入団。62 年「象」で注目を集め、67年「マッチ売りの少女」「赤い鳥の居る風景」で第13 回岸田
國士戯曲賞。08年「やってきたゴドー」で鶴屋南北戯曲賞。09年、朝日賞。14年、読売演劇大賞芸術栄誉賞。ほか受賞多数。15 年、日本藝術員会員。主な著書に『日々の暮らし方』『電信柱のある宇宙』など。20 年3月3日死去。


ハヤカワ演劇文庫「別役実Ⅰ 壊れた風景/象」

ハヤカワ演劇文庫「別役実Ⅱ ジョバンニの父への旅/諸国を遍歴する二人の騎士の物語」