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【SFマガジンで話題沸騰】特別対談:宇多田ヒカル×小川哲 全文を無料公開!

ベストアルバム『SCIENCE FICTION』を発表した宇多田ヒカルさんと、ハヤカワSFコンテスト出身の直木賞受賞作家・小川哲さんによる、SFマガジン史上に残る豪華対談が話題となり、発売前にもかかわらず増刷なったSFマガジン2024年6月号。本欄では、その対談全文をなんと無料で公開いたします!

SFマガジン2024年6月号
定価:1320円(税込)早川書房

特別対談:宇多田ヒカル×小川哲

撮影:古谷勝/Styling:小川恭平/Hair and Make-up:稲垣亮弐

「Automatic / time will tell」での鮮烈なデビューから25 年――初のベストアルバム『SCIENCE FICTION』を発表した宇多田ヒカルと、ハヤカワSF コンテストからデビューし『地図と拳』での直木賞受賞も記憶に新しいSF 作家・小川哲の特別対談が実現。二人のアーティストを育んだ「SF」そして「文学」について存分に語ってもらった。

司会・構成=金本菜々水(SFマガジン編集部)

■サイエンスフィクションのふたり

──宇多田さんのベストアルバム『SCIENCE FICTION』を聴いて、SF作家である小川さんは、どんなことを感じましたか。
小川 僕は音楽的なことはまったくわからないですが、単純にすごく良かったです。どれも大ヒット曲ばかりだからというのもありますけど、『SCIENCE FICTION』というタイトルがつくことで、まったく違う印象で聴こえたりする。たとえばDisc2の「traveling」「二時間だけのバカンス」は特にそうでした。やっぱり旅というのは、SFにとって大事なテーマの一つなんですよね。そして新曲の「Electricity」。歌詞の一番では気付けませんでしたが、二番に入ると「ここで歌われている人たちは宇宙人だったんだ!」とわかる。さらに言うと「Electricity」によって、これまで恋人や友人、親子の話なのかなと思って聴いていた他の宇多田さんの楽曲も、もしかしたら宇宙人同士のことを歌っていたのかも、と思えてしまう。素敵なタイトルでした。
宇多田 SFの一番ドキッとするところって、小川さんのいう「視点の切り替え」だと思うんです。みんなが共有している常識や前提があったうえで、そこからちょっとはみ出した、今までになかった視点を与えて、ここじゃないどこかへ連れていってくれるようなもの。
 私は小説を読み始めの子供のころからSFやファンタジーが一番好きで、たくさん読みました。J・R・R・トールキンや、『エルマーのぼうけん』とか。別の世界に連れていってくれるものに特に惹かれますね。映画もSF映画、特に『インターステラー』が大好き。八歳の息子が最近初めてこの映画を観て、小学生には長いし難しいかなって思っていたのに「一番好きな映画になっちゃった」って言うんです。それでハンス・ジマーのサントラを、彼がバイオリンで、私がピアノでセッションしたりしています。夜ご飯の時とか、ゲームしてる時にもサントラを流すから、日常が壮大になっちゃう(笑)。
 これは小説家の方もそうだと思うんですけど、シンガーソングライターとして詞を書いてると「あの曲って誰のこと?」とか「本当にあった出来事?」と聞かれることがとても多いんです。でもどれだけ影響を受けていたとしても詞はノンフィクションではないし、かといって、まったく架空の作り話というわけでもない。この感覚――自分が体験した出来事と感情を、一度解体してから、再構築して作品にするっていうプロセスを、それをしない人にどうしたら説明できるだろうってずっとモヤモヤしていました。きっと誰でも日常的に、無意識のうちにやっているはずなんですけどね。そこで今回、「じゃあ自分で『SCIENCE FICTION』って言っちゃえばいいじゃん!」と思ったんです。これまでも「未来感がある」とか「SFっぽい」という感想はたくさんいただいていたんですよ。「高速道路のトンネル通ってるときに聴きたい」とか(笑)。SF要素のある映画の主題歌やCMのお仕事も多くありましたし、SFと相性がいいんでしょうね。
 さっきの小川さんの「旅はSFの大事なテーマ」という言葉にはハッとさせられました。私は、創作のプロセス自体がまるでワームホールみたいだと思うんですよ。最初はとても個人的な、主観的なことを書いていたのに、それを作品として突き詰めていくと、人類に共通する普遍的なメッセージになったりして、不思議。
小川 宇多田さんの曲は特にそうですよね。普段小説を書いている僕の視点から見ると、宇多田さんの歌詞の中で――たいていサビの部分であることが多いですが――誰かに熱中している状態と、その自分を俯瞰的に見てる状態とを行き来するような方法が使われています。僕は恋愛小説をまったく書けないんですけど、「そうか、こういうやり方だったら書けるのかもしれない」という発見がありました。

小川 僕は比較的フィクション性の高い小説を書いている方ですが、それでもやっぱり「あのキャラは誰かモデルがいるの?」とか「あれは実体験でしょ」とは言われます。最近はもうそれを利用してやろうと思って『君が手にするはずだった黄金について』という小説で小川哲というキャラクターを出して、そいつを主人公に据えて全部嘘を書きました(笑)。
 小説に書く言葉って、自分の人生から生み出されたわけだから、自分の体験ではあるんですよね。それを一度全部バラバラに解体して、そこから必要なものだけ取り出して小説として出力している。だから嘘か本当かを言い切ることはできない。僕が考えたことだから、本当っちゃ本当だけど……みたいな。さらに言えば本当に自分が体験したことしか書かないタイプのアーティストも存在するから、ややこしい。
宇多田 歌の場合は余計にそう思われがちなのかもしれないですね。でも書いたことが本当なのかフィクションなのかと興味を持たれているなら、それはそれで面白い。本当に誰かとの体験を直接的に、日記みたいなものだとして書いたものだとしたら、みんなの受け取り方は違うのかなとか。
 言葉って、言葉で表現できないことを表現するためのツールじゃないですか。伝えたいことを載せて他者へ届けるための、箱舟みたいなものが、言葉。大切なのは舟そのものよりも、そこに載せている何かのほうなんです。だから歌詞がリアルな体験かどうかなんて見方をしたら、本当のことなんて一つもなくなってしまう。
小川 そうですね。感覚や感情って、最初から言葉の形をしていませんから。自分の書きたいことをそのまま言葉にしたとしても、そこには嘘が生まれてしまう。でも、僕は小説家だから、それを表現できるのも僕にとっては言葉だけなんですよ。言葉にならないものをいかに言葉で表現するか。音楽の場合はメロディーやリズムの要素もありますが、宇多田さんは、箱舟の役割はあくまで言葉単体で考えているんですか。
宇多田 箱舟を動かすためには水が必要で、それが音楽ですね。言葉が船で、それを媒介するものとして音楽がある。
小川 なるほど。
宇多田 最初に音楽がないと言葉が出てこないんですよ。まず音楽的な要素ができていって、それから言葉に向かって少しずつイメージが湧いてくる。「この子音を使おう」とか音楽的な制約があって初めて言いたいことが出てくるんです。完全に自由な状態だと何を言いたいかわからなくなってしまう。
小川 小説でもそれはありますね。コード進行でCの次に何が来ると気持ちいいか、みたいに、自分で書いていても次の展開を選ばされていると感じることはよくある。そこから外れると、やっぱり人間の感覚的に調和しない話になっちゃったりします。
宇多田 ストーリー展開とコード進行って似ているのかもしれませんね。私はそうしたルールを意識しつつ、変なところを作りたい。歌詞でもそうです。自然と出てしまう自分のクセみたいなものを大事にしています。
小川 たしかに、どこかにそういうものを入れないと、どこかで聞いたことある曲、読んだことある小説になっちゃう。
宇多田 そこに入れるちょっとした違和感が、つまりは「私らしさ」と呼ばれるものなのかもしれませんね。他の人の作品──小説や映画、洋服も、それぞれのちょっと変なところに気付くとき惹かれるんです。

■言葉を生みだすプロセス

宇多田 言葉についての話に戻ってもいいですか。私は小説家や、言葉だけで表現している人のことをとても尊敬しています。「書く」というプロセス自体がものすごいことだなって思うんです。喋ったり頭の中で色々考えたりするよりも高次元な思考を要するじゃないですか。私自身は歌詞を書いているとき、完成するまでの何週間か何ヶ月間か、何をしていても意識のどこかで常に作詞してます。その間に何度も、自分の潜在意識や、もっと深いユングの言う私たちの集合的無意識みたいな場所につながる瞬間があって、意識の水面にぽわんって浮かび上がってきた言葉を掬いあげる。個である自分をおいて、別の次元に旅しているような感覚があります。そうやって書いた言葉からは、言葉以上のものが伝わると思う。それって魔法みたいですよね。
小川 そうですね。人が歌を聴いたり小説を読んだりする行為って、そこに並んでる言葉の組み合わせだけを読んでるわけじゃなくて、その背後にあるもっと深い時間や空間を感じ取るってことじゃないですか。だからみんな芸術に触れたくなるんじゃないでしょうか。もちろん僕もそうです。
宇多田 小川さんの『君のクイズ』の冒頭の言葉のパワーはすごかった。一行目から世界が開けるみたいな感覚があって、そこから一気読みでした。
小川 ありがとうございます、恐縮です。冒頭ってすごく大事ですよね。歌でもそうですか?
宇多田 もちろん。最初の一言というか、それより前の息の入れ方から大切です。
小川 僕は小説の最初のページは読者への所信表明みたいな気持ちで書いてますね。こういう話をします、という。
宇多田 川端康成『雪国』がまさにそうですね。「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」という書き出し。
小川 宇多田さんは歌詞を冒頭から書きますか、それともサビからですか?
宇多田 バラバラです。どこから出てくるかわからないんです(笑)。
小川 そうなんですね(笑)。でも場所がどこだとしても、最初に書いた箇所が作品の全体を支配しませんか?
宇多田 おっしゃる通りです。無駄なことは絶対ひとつも入れたくない。曲を書いていて、もうほとんど完成しているのにあと一か所が埋まらないときとか、とても焦ります。締切も迫ってるけど、この曲で言いたいこと全部書いちゃったよ! って。
小川 そういうときはどうするんですか。
宇多田 スーパーサイヤ人になったみたいに底力が発揮されて、なんとかなる(笑)。自分でも思いがけない答えが出てきたりして、でもそれがその歌で一番大事な部分になったりするんです。きっと最初から書こうとしていることなんか、つまらないんですよ。自分自身がハッとするようなものを書けないと、他の人に響くようなものは出てこない。
小川 いやもう本当に、それを探すために僕自身も小説を書いています。大事なのは僕が言いたいことじゃなくて、僕が自分に問いたいこと。小説を書くというのは問いを見つけることなんです。その問いかけの強さが作品の強度に繋がると思ってます。『君のクイズ』を書きはじめた時は、なぜ主人公がゼロ文字で解答できたのか自分でもわかっていなかった。書きながら考えていったんですよね。
宇多田 そうなんだ! すっごいメタ的な小説で、くらくらするくらい面白かった。
小川 いや、恐縮です。宇多田さんが言うとおり、構想段階で思いつくような問いや答えって、だいたい他の誰かでも書けることなんですよね。その先へ進むためには、いろいろ調べて考えて、出し尽くした果てに出てくる想いが自分なりの答えになるのかなと思っています。
宇多田 制作中って本当に完成させられるかわからないんですよね、毎回。我ながらとっても勇気が必要なことをやっているなって思います。
小川 でも、いつも最終的には何とかなるんですよね。それでいうと、僕は昔の自分の作品を必要があって読み返すとき「下手くそだな」と感じるところと「結構すごいこと書けてるな」というのが半々ぐらいなんですけど、宇多田さんは今回、昔の作品を聴いてみてどういう気持ちでしたか。
宇多田 音楽に向き合う姿勢みたいなものがあまりにも変わってなくて、本当にびっくりしたんです。「十五歳の私、こんなに言いにくいことを、自分自身にちゃんと投げかけていたんだ!」って。もちろん歌詞のなかで若さを感じたり、表現がちょっとルーズな部分はあったけど、それはそれでいいじゃん! って思いました。いつも、その時の自分にしか作れないものを作ることに意味があると思うから。それに過去を否定すると、今の自分も否定することになっちゃうから。

■今と向き合うために過去を見つめる

──小川さんのデビュー作『ユートロニカのこちら側』は「二時間だけのバカンス」にも似た雰囲気の物語ですよね。
宇多田 装画もMVのイメージに近いですね、可愛い。「ユートロニカ」はどういう意味なんですか?
小川 「エレクトロニカ」と「ユートピア」を混ぜた僕の造語です。それとスコット・フィッツジェラルドのデビュー作『楽園のこちら側』を意識して。
──『ユートロニカのこちら側』も「二時間だけのバカンス」も、「不可逆な世界を生きる」というテーマを感じました。
小川 当時は小説の書き方も全然わかっていなくて、ただ必死でしたね。でもSFって過去に戻ってやり直す作品が多いけど、現実はやり直せないよねっていうのは意識していたかもしれません。
宇多田 SFって人間の願いや理想の世界をシミュレーションして、でも結局不自由さこそが本当の自由だということを描いている気がします。私の楽曲に時間のことが現れているのは、おそらく今の自分と向き合うために過去を見つめる必要があるからだと思いますね。結局は今しかないけど、過去も未来も否定しない。

■作品を受け取る全人類へ

──お二人の作家性はかなり共鳴する部分がありそうです。
宇多田 私は一曲入魂タイプで、複数の曲を同時進行で作れないんですよ。
小川 僕もそうです! そのときのすべてをその作品に注ぎ込む形じゃないと。
宇多田 限界でも二曲とかかな。音楽的な部分なら両立できますけど、歌詞はだめ。このフレーズはあの曲に取っておいて……とかが苦手。だから一曲完成するごとに、「ふう」って手放す感覚。一度手が離れたものを捉え直すのも難しくて、今回ベストアルバムを作るとなったときの収録順決めは、長年一緒にやっているスタッフの意見にとても助けられました。
小川 僕も自分の原稿は校了したらほぼ読み返さないですね。自選短篇集を出す作家さんはどういう基準で選んでるんだろう。
宇多田 編集者の方と二人三脚みたいな?
小川 そうですね。でも小説家の場合は、版元ごとに担当編集も違うんですよ。
宇多田 そうなんだ。それはそれで、また新しい発見があったりするんでしょうね。
小川 もちろん色んな編集者と仕事ができるほうがいいんですが、ただ編集者さんもこちらが作家としてキャリアを積んでくると、だんだん作品へのダメ出しとか指摘をしなくなってくるんですよ。
宇多田 私はデビュー当時からあまりダメ出しとかされずに好きにやらせてもらっていて。ものを作る仕事ってすごくエゴイスティックだからかな。普段あまりわがままを言えないタイプなんですけど、音楽に関しては自分しか正解を知らないから、自分のわがままを突き通すのが私の役割だと思っています。でも子供の頃からそうしてもらえていたというのはすごいことですよね。
小川 それは宇多田さん自身が自分にダメ出しをできてるからじゃないですか。
宇多田 そうかもしれない。アーティストの友人に作詞のアドバイスを求められて、いろいろツッコミを入れたら「鬼!」って言われました(笑)。全部に納得いくまで突きつめるのが当たり前だと思っていた。
小川 僕も自分自身の中に誰よりも厳しいインナー編集者を飼うようなイメージで、そいつにダメ出しをさせています(笑)。自分の書いた文章は一行一行すべてに意味を持たせて、逆にそれを説明できない文章は削るようにしています。さらにいうと、一つの文章にたくさん意味を持たせれば、より小説としての密度が上がるんじゃないかなと思ってます。
宇多田 どんな作品でもアウトプットするときはまずノーフィルターでワッと出す。そのあとで、編集者の目線で見つめ直す。その役割を行き来しつづけられるっていうのが一番大切なことですね。
小川 そうですね、でないと独りよがりなものになってしまいますし。
宇多田 文章が上手いだけではいい小説とかいい歌詞って書けない。結局はそれを受け取る全人類に思いを馳せる、思いやりが作品に魔法をかけるんじゃないかな。

■読書談義

──お二人は本の趣味も重なってますね。
小川 宇多田書店(編集部註:二〇一七年に開催された、宇多田ヒカル選書のコーナー企画)のラインナップは僕も学生時代読んだ本がたくさんありました。大学の卒論は中上健次で書きましたし。
宇多田 中上健次! 私は川端康成も好きなんですが、このふたりって対極の文体じゃないですか? 中上は土を掘り起こしているみたいな読み味で、荒いけどユーモアもあって、面白かった。
小川 上品で繊細な川端とは真逆かも。
宇多田 これプチ自慢なんですけど、川端康成さんは私の母(藤圭子)のファンだったらしく、母がデビューしたころにどこかのホテルのお部屋で川端さんとその奥様とお話をしたうえに、鳥の剥製をいただいたそうです(笑)。彼女も読書家だったけどあまりピンと来ていなかったみたいで、後から聞いて「えー!」って。
小川 鳥の剥製というのがすごい(笑)。
宇多田 作家って鳥のような視線で物事を見ている仕事だと思うから、私のなかではリンクしました(笑)。
小川 最近はどんな本を読みました?
宇多田 最近はものを作っている人の言葉を読むのが面白いですね。フィリップ・ガストンという画家が書く文章がすごく好き。彼が好きな画家のピエロ・デラ・フランチェスカについて語っているんだけど、絵を言葉で説明する表現力がすごいの。あとでググったらまさに書いてある通りの絵だった。あとは司馬遼太郎の対話集『日本語の本質』(文春文庫)をちびちび読んでいて、これはすごい濃いですね。ちょっとトリッピーですらある。息子が生まれてからあまり本を読めなくなって、特に長篇は時間がかかるから。最近やっとまたゆっくり読書するようになりました。もともと中原中也や、リルケの詩が大好きで。最近ハマったのは、コラージュアーティストのバーバラ・クルーガーの言葉。それとダグラス・ゴードンというビデオアーティストの展示をロンドンで見て、やはり彼の言葉にも感動しました。あとはイギリス人の作家の友人にベケットを薦められて、いま短篇から読み始めています。
──周りから薦められたものを読むことが多いですか。
宇多田 いや、気になった本はいくらでも買っちゃいますね。子供のころ親が際限なく本を買わせてくれたので。ニューヨークに住んでいたころ、毎日家の前の本屋さんに連れて行ってくれて。彼らが自分の本を選んでいる間、私は放し飼い状態で山ほど本を選べた。たしか八歳くらいのころの、サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』が初めて読んだ大人の小説でした。
小川 わかりました? 八歳で。
宇多田 大人になってから読み返しましたけど、八歳のころに読んで感じた寂しさや虚しさは同じでしたね。ちゃんと受け取れてたんだと思う。
小川 八歳で英語で、ですよね。すごい。
宇多田 それで、子供のころはずっと作家になりたいと思っていたんです。
小川 ならなくてよかった(笑)。だってそのおかげで僕らはいま素晴らしい音楽を聴けているわけですし。
宇多田 今は『地図と拳』を読んでます。
小川 ありがとうございます、長いのに。
宇多田 そうなの。分厚い本で、ブランクあるし大丈夫かな? と思って読み始めたんですが、すぐに引き込まれました。小川さんの最近のおすすめ本はありますか。
小川 SFだとアンディ・ウィアー『プロジェクト・ヘイル・メアリー』。SF以外ならジョン・ウィリアムズ『ストーナー』という、一人の男が大学の文学部に入って教師になるだけの小説がめちゃくちゃ面白くて。日本語訳もいいです。
──宇多田さんは海外文学でお薦めはありますか?
宇多田 若い人向けならヘルマン・ヘッセの『車輪の下』とか? あのつらい感じを十代のころに読んでおけるといいかもしれません。『荒野のおおかみ』も好きでタイトルをオマージュしたりしました。
小川 うちの祖母は十年に一度『車輪の下』を読んで、自分のパラメーターを測っているんですよ。
宇多田 どうしてそのような習慣を?
小川 若い頃に一番感動した本が『車輪の下』だったらしいですね。けど年を取って読み返してみたら楽しめなかったり、全然違う箇所がすごく面白かったりしたらしいです。それはつまり作品ではなく自分自身が変化しているということだから、定期的に読み返すようにしたらしいんです。僕にとってはスコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』がそういう、何度も読み返したい作品ですね。

■自分自身とのセカンドコンタクト

──哲学についてはいかがですか。
小川 以前宇多田さんがインスタライブでデリダの脱構築の話をしてましたよね。僕も大学時代の専攻がそっち方向だったのでデリダやロラン・バルトを読みましたけど「言葉とは何か」っていうのはその時からずっと考えている気がする。
宇多田 物心ついた時から、ずっと人間を研究してるような気がするんです。もちろん自分も含めて。私にとってはそれが哲学なのかも。学問として詳しいわけでは全然なくて、ただ自分が考えていたことと同じことを言っている哲学者の考えに出会って、なるほどと思える体験がすごく好きで。
小川 哲学や文学は、自分の代わりに人生をかけて問い続けて、精緻に考えてくれた人たちの言葉が本として残りますからね。よく哲学書の読み方がわからないと相談を受けるんですが、自分がその哲学者の問いに興味がないと絶対理解できない。だから相性も重要だと思います。
宇多田 最初はなかなかしっくりこなくても、時間をおいて読み返すと印象が変わったりもしますね。
小川 それこそ音楽も、ベストアルバムのなかで一番お気に入りの曲が聴くとき次第で変わったりしますものね。僕自身のデビュー作はちょっと、今の自分が読み返すと恥ずかしいんですけど(笑)。
宇多田 私は「Automatic」をフラットに聴けるようになるまで二十五年かかりました。あまりにも有名になっちゃってなんか麻痺していたのと、それこそ恥ずかしかったというのもあって。でも今回『SCIENCE FICTION』のためにミックスし直してマスタリングした音源を家で一人のときに聴いていたら、初めて素の気持ちで聴けたんです。当時の自分と今の自分が、ほんとにワームホールが開いたみたいに時空を超えて出会って会話してるみたいな感覚になって、なんかそのコンタクトに感動して泣いちゃった。
小川 デビュー作ってプロになる前に作るものだから、作家にとって唯一アマチュアが作っているものですしね。だから直視できないのかもしれません。
宇多田 ほんとそうですね。小川さんもデビュー二十五周年のタイミングで、あらためて『ユートロニカのこちら側』を書いた時の自分と再会してみるのはいかがですか?
(2024年4月4日/於・ソニー・ミュージックエンタテインメント本社)


本対談を収録したSFマガジン2024年6月号は全国の書店、およびネット書店にて発売中。ぜひ紙版でもお楽しみください。

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