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ついに本日(5/25)発売!『三体Ⅲ 死神永生』訳者・大森望氏あとがき

ついにこの日がやってきました……!

第一部『三体』日本語版発売から2年。完結篇となる『三体Ⅲ 死神永生』が本日発売となります。フライングゲットや電子書籍でもうすでに手に入れている方も多いかも? 本欄では『三体』とともにこの3年間を駆け抜けてきた訳者、大森望さんのあとがき抜粋を掲載いたします。お楽しみください。

訳者あとがき 
大森 望 

 
 SFの歴史を変えた劉慈欣の《三体》三部作、堂々の完結である。
 一九六七年の中国で始まった物語が、まさかこんなところまでたどり着くとは……。たったいま本書を読み終えた人は、第一巻『三体』の始まりにあらためて思いを馳せ、「かぎりなく遠くも来にけるかな」という感慨を抱いているのではないか。光瀬龍『百億の昼と千億の夜』や小松左京『果しなき流れの果に』、グレッグ・イーガン『ディアスポラ』をも凌ぐ圧倒的なスケール。ここにはSFならではのセンス・オブ・ワンダー(驚きの感覚)が満ち満ちている。
 前作『三体Ⅱ 黒暗森林』の水滴による太陽系艦隊殲滅シーンも壮絶だったが、この『三体Ⅲ 死神永生(ししんえいせい)』では、それをはるかに上回るスペクタクルが読者を待ち受ける。しかも、その元凶は、名刺サイズの一枚の小さな紙切れ。このアイデアを思いついたとしても、それをこんなふうに正面から描いて読者の度肝を抜けるのは、世界広しといえども劉慈欣ただひとりだろう。もちろん中国にもこんな作家はほかにいないので、中国SFがすごいというより、劉慈欣がすごいのである。ただ大風呂敷を広げるだけではなく、広がった風呂敷を見ると、ものすごく緻密なタッチでとんでもない模様が描いてあって、つぶさに眺めるうちに時間を忘れ、現実を忘れ、物語空間にとりこまれる──そんな “SFの魔法” が縦横無尽に駆使されている。
 上下巻合わせて八百五十ページ超(『三体』二冊分)という物量にもかかわらず、本書に間延びした印象はまったくない。それどころか、主人公たちが人工冬眠でばんばん時代を飛ばしていく(歴史の転換点ばかりが描かれる)ことも手伝って、人類文明の──いや宇宙全体の──歴史を早送りで見せられているようなスピード感がある。本書に比べたら、前巻はなんとゆったりしていたことか。
 その『黒暗森林』は、結末があまりにも鮮やかだったため、ネット上の感想を読むと、「まだ続きがあるとは。ここで終わりでよかったんじゃない?」とか、「あのあといったいどうやって続けるんだろう?」とか、先行きを不安視する声が多かったが、心配ご無用。本書では、そうした疑問に対する完璧な回答のみならず、想像のはるか上を行くものすごい“続き”が語られる。
 前巻の主人公・羅輯(ルオ・ジー)は、宇宙の真実──宇宙は恐ろしい暗黒の森であり、あらゆる文明は、その中でじっと息を潜めている狩人である──を見抜き、その “暗黒森林理論” に基づく暗黒森林抑止を成立させて、みごと三体文明の侵略を食い止めることに成功した。
 この奇跡をお膳立てした面壁計画の背後でひそかに進行していた階梯計画が本書の入口になる。階梯計画の目標は、迫りくる三体文明の侵略艦隊に探査機を送り込むこと。この難題にとりくむプロジェクトチームの末席に連なった若き航空宇宙エンジニアの程心が意外なアイデアを提案し、やがて彼女は計画の中枢を担うことになる。
 おなじみの羅輯も登場するが、主人公は程心(チェン・シン)に引き継がれる。『三体』の主役の片割れだった葉文潔(イエ・ウェンジエ)とは対照的に、程心は、女性性と母性を強調されたキャラクター。『死神永生』では、彼女の決断が人類文明の運命を大きく変えることになる。そのきっかけが、コミュ障気味の元同級生が彼女に抱く秘めた恋心だった──というギャップのおもしろさが本書の醍醐味のひとつ。個人の恋愛が宇宙的な物語を駆動するという、たいへんロマンティックな物語構造は、ゼロ年代の日本で流行した “セカイ系”(彼/彼女の小さなドラマが中間段階をすっ飛ばして世界全体の運命と直結する)にも通じる。劉慈欣の作品は中間段階をすっ飛ばさないので、狭義のセカイ系には該当しないが、新海誠監督のアニメ(とくに『秒速5センチメートル』)が好きだと語っているあたり、著者は意外にセカイ系と親和性が高いのではないか。ついでに個人的な体験を言うと、本書の翻訳作業の最終盤で『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を観たら、その物語が『死神永生』のクライマックスともろに重なるような気がして、希有な感動を味わった。嘘だと思う人はぜひ本書を読んでから『シン・エヴァ』を見てください(逆も可)。
 ……と、つい話があらぬ方向に脱線したが、あらためて紹介すると、本書は二〇一〇年十月に中国の重慶出版社から刊行された『三体Ⅲ 死神永生』の全訳にあたる。『三体』に続いてふたたび中国科幻銀河賞特別賞を受賞し、《三体》三部作が中国で爆発的な人気を獲得する原動力となった。著者の劉慈欣(刘慈欣)は、三部作をふりかえったエッセイの中で、最初の二巻はSFファン以外の一般読者に広く受け入れてもらうべく、現代もしくはそれに近い時代を背景とすることで物語の現実感を高め、SF的要素を現代的なリアリティに立脚させようとしたと述べている。しかし、はるか未来まで話が広がってしまう本書では、もはやそれは不可能になる。そのため、
「出版社とわたしの到達した結論は、第三巻が市場で成功することはありえないので、既存のSFファン以外の読者を取り込もうとするのは諦めるのが最善というものだった。かわりにわたしは、ハードコアのSFファンと自任する自分自身にとって心地よい “純粋な” SF小説を書くことにした。そうして自分自身に向けて書いた第三巻には、高次元宇宙と二次元宇宙、人工ブラックホールとポケット宇宙が詰め込まれ、時間線は宇宙の熱死まで伸びていた。
 ところが、心底驚いたことに、シリーズ全体の人気につながったのは、このSFファンにだけ向けて書かれた第三巻だったのである」(ケン・リュウ編『折りたたみ北京 現代中国SFアンソロジー』収録の「ありとあらゆる可能性の中で最悪の宇宙と最良の地球:三体と中国SF」より。鳴庭真人訳を一部改変しました)
 英語圏においても、これと同じことが言える。本書は『三体』と同じケン・リュウによって英訳され、二〇一六年にトー・ブックスから刊行されると、『三体』に続いてヒューゴー賞長篇部門の最終候補に選ばれ、そちらの受賞は逃したものの、ローカス賞長篇部門を受賞。Amazon.comの読者評価でも、前二作を上回る評価を獲得し、英訳版三部作合計で百万部以上を売る記録的なヒットとなった。日本では、ネット上の感想を見るかぎり、『黒暗森林』の後半が圧倒的な高評価を得ているが、本書『死神永生』がどう受けとめられるのか。わくわくしながら反響を待ちたい。

(本あとがきのノーカット版はぜひ書籍版でお楽しみください!)