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【冒頭一挙公開】マイケル・ルイス『最悪の予感 パンデミックとの戦い』機能不全の政府 vs. 異端の医師

まったく無関係に生きてきた人々の人生が、コロナ禍により交錯し、危機に立ち向かうーー。当の英雄たちは、それをまだ知らない。

2003年、ニューメキシコ州アルバカーキ。13歳のローラ・グラスが科学研究コンテストのために考案したのは、コロナ禍でいま誰もがみな遂行している「ある方法」だった。

2014年、カリフォルニア州サンタバーバラ郡。保険衛生官のチャリティ・ディーンは特殊な観察眼と実行力をもつが、男性優位の医学界に怒りと無力感を抱えている。そんな彼女が検視官事務所で直面したのは……。

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はじめに 失われたアメリカ人


 本書の出発点は、あまりめられたものではなく、なかば義務感、なかば日和見ひよりみ主義だった。トランプ政権の前半、わたしは『The Fifth Risk(第五のリスク)』という本を書いた。そのなかで、連邦政府を「実存するさまざまなリスク(自然災害、核兵器、金融パニック、敵対的な外国人、エネルギー安全保障、食糧安全保障など)の総合的な管理者」と位置づけた。連邦政府は、正体不明の200万人が寄り集まった不透明な集団ではない。国民の意思を無力化するため周到に組織されたディープステート(影の政府)でもない。連邦政府は専門家の集まりであり、本当の英雄ヒーローも含まれている。にもかかわらず、わたしたちは一世代以上ものあいだ、そういった優秀な人々を軽視し、雑に扱ってきた。その悪弊は、トランプ政権で最高潮に達したといえる。わたしは前著でこう問いかけた。各種のリスクを管理する責任者も、詳細を理解している専門家たちも、目の前のリスクにさしたる関心を寄せていないとなると、いったいこの先どうなるのだろう?

 どんな展開が待っているのか、わたしは見当も付かなかった。何かが起きるはず、とだけ予想した。ところが、さしあたって大きな変化は起きなかった。任期が始まってから3年間のほとんどのあいだ、トランプ政権は幸運に恵まれていた。その運が尽きたのは、2019年末だ。中国で変異したばかりの新型ウイルスがアメリカへ向かってきた。まさに、わたしが『The Fifth Risk』の執筆時に想定していたような、リスク管理が試される状況だ。当然、あらたな展開についてわたしとしても何か書かずにはいられない。けれども、取材に入って深くのめり込むうち、おおぜいの素晴らしい人物に出会い、じつはそういう人々を通じてストーリーをつづるべきなのではないかと思い直した。トランプ大統領の政府管理のやりかたは、物語の一部分、おそらくあまり大きくない一部分にすぎないことが明らかになってきたからだ。本書の登場人物のひとりは言う。「トランプとはすなわち、一種の共存症だったんです」

 トランプ政権が発足して3年が経とうとしていた2019年10月、関係者の誰ひとり新型コロナウイルスにまだ気づいていないころ、非常に頭脳明晰な人々が集まり、パンデミックに対する準備がどのくらいできているかに関して、世界各国をランク付けした。核脅威イニシアティブと呼ばれる団体と、ジョンズ・ホプキンス大学、エコノミスト・インテリジェンス・ユニットが協力し、世界195カ国を対象にランキングを作成したのだ。いわば、大学フットボールのシーズン前に発表される、実力ランキングのようなものといっていい。名付けて「グローバル・ヘルス・セキュリティ・インデックス(世界健康安全保障指数)」。きわめて大規模な調査研究であり、数百万ドルの資金と数百人の研究者が投入された。統計データを作成し、専門家たちにアンケートをとった。その結果、第1位に輝いたのはアメリカだった。なんと、アメリカが1位(2位はイギリス)。

 このランキングに異議を唱える人々もいた。ただ、そういった反対意見は、大学フットボールのシーズン前に聞かれる不満の声と大差なかった。テキサス大学のフットボールチームは、莫大ばくだいな資金力と投票者への影響力のおかげで、長年きまって、シーズン開幕時には上位にランクインし、そのわりに、シーズン終了時になると順位が下がる。つまり、アメリカはパンデミック対策における「テキサス大学チーム」だった。資金が豊かなうえ、才能ある人材と特別なつながりを持っていた。アメリカと良好な関係を持つ専門家たちの投票によって、ランキングが決定されたわけだ。

 そして、ゲームが始まった。シーズン前のランキングはもはや関係ない。言い訳や正当化や責任のなすり合いも、意味を持たない。伝説のフットボールコーチ、ビル・パーセルズがかつて言ったとおりだ。「あなたが何者なのかは、あなたの記録が物語る」。最新の統計によれば、世界の人口の4パーセント強を有するアメリカが、COVID‐19による死亡者数の20パーセントあまりを占めている。2021年2月、医学雑誌『ザ・ランセット』が、アメリカのパンデミック対応を批判する長文記事を掲載した。その時点で、アメリカ国内の死亡者数は45万人にのぼっていた。もしCOVID‐19による死亡率が他のG7六カ国の平均値と同じだったら、うち18万人がまだ生存していた計算になる、と同誌は指摘し、その人々を「失われたアメリカ人」と呼んだ。けれども、その程度の数字はまだ生ぬるいだろう。パンデミックが起きる前、公衆衛生の専門家たちが集まって「アメリカは他のG7諸国よりもパンデミックに対する備えができている」と判断したのではなかったか。ウイルスとの戦いにかけては、ほかの豊かな国々と同水準どころか、どの国よりも健闘するはずだった。

 わたしはふだん、題材のなかに物語を見いだすことが自分の仕事だと考えている。その物語が、わたしの思う以上の真実をつまびらかにしてくれることや、読者がめいめいの感性を活かして物語を整理し、著者が見逃していたような意味までくみ取ってくれることを、つねに願っている。しかしだからといって、わたしがその物語について何の意見も持っていないわけではない。今回の物語は、ある社会のなかの好奇心旺盛な逸材たちを軸に、適切な導きがなければそうした才能が無駄になってしまうことを訴えるストーリーだと思う。また、社会の評判と実績のあいだになぜギャップが生じるのかも描き出している。災厄の時期が過ぎれば、首脳陣が集まって、今後に向けての改善策を検討することになるだろう。この物語が首脳陣に何かを伝えることができるなら、こんなメッセージであってほしい。「誇りに感じるべきことも、いくつかある。人材に不足はない。しかし、わたしたちが何者なのかは、わたしたちの記録が物語る」

プロローグ グラス越しの景色

 13歳のローラ・グラスは、ニューメキシコ州アルバカーキのジェファーソン・ミドルスクールで8年生になるころ、父親が仕事をするようすを背中越しにながめていた。父親のボブ・グラスは、1940年代なかばに設立されたサンディア国立研究所の科学者だ。この研究所の使命は、プルトニウムやウランの製造を除いて、核兵器に関するあらゆる事柄を解明することにある。たとえば、過去には、パイロットを死なせずに水爆を投下する方法を算出した。ボブ・グラスが着任した1980年代なかばには、国家安全保障の世界で誰も解決できずにいるトップシークレット扱いの問題を持ち込むべき場として、すでに高い評価を確立していた。この研究所には、何をいても自分の心の赴くままに行動する人々が集まっている。まさにボブ・グラスのような人々が……。父親の背中越しに研究作業を眺めるローラは、いま何を見ているのかさっぱりわからないときもあった。しかし、一回も退屈しなかった。

 2003年のある日、ローラの目の前で、モニターの画面じゅうを緑の小さな点が動きまわっていた。ランダムな動きのように思えたが、しばらく見つめるうち、緑ではなく赤の点もいくつかあり、赤い点がぶつかると、緑の点が赤くなることに気づいた。「これは、エージェント・ベース・モデルと呼ばれるものなんだ」と父親が説明してくれた。「点の一つひとつが人間だと思ってごらん。地球上にはすごくおおぜいの人間がいる。そのひとりが、きみだ。人間にはいろんな種類があって、みんないろんなスケジュールを抱えている。そういう人間がお互いにどんなふうに影響を与えるかについては、一定のルールがあるんだ。父さんはいま、それぞれの人にある種のスケジュールを与えてから、自由に行動させ、何が起こるかを観察しているんだよ……」

 ボブ・グラスがこのタイプのモデリングを気に入った理由の一つは、説明のしやすさにある。モデルは抽象的だが、抽象化されているのは身近なものだ。それぞれの点が一つの存在──つまり、ひとりの人間、一片の情報など、さまざまな事物を表現している。緑の点が赤に変わるとき、それは、うわさが広まるさまを表わすこともあれば、交通渋滞や暴動の発生、種の絶滅などを表わすこともある。「これをもとに話し始めると、誰でもすぐ理解してくれます」とボブ・グラスは言う。

 このモデルは現実世界を大ざっぱに描いているにすぎないが、詳細すぎる描写ではかすんでしまう現実世界の特徴を把握しやすい。そのうえ、研究所に入って以来、ボブ・グラスの身のまわりを日常的に飛び交う複雑な質問にも、このモデルを使うと答えやすかった。そうした質問のほとんどが、国家的な災害を防ぐことにまつわる内容だ。ちょうど当時、ニューヨーク連邦準備銀行は、ボブ・グラスの力を借りて、国内の金融システムの一角で起こった動作不良がほかの金融システムにどう波及するかを研究中だった。また、エネルギー省も、ボブ・グラスの協力を得て、電力網の小さな不具合が全米規模の連鎖的な停電を引き起こす恐れがあるかどうかを見極めようとしていた。人間の話ではなく、たとえば金銭の流れの話となると、スクリーン上の小さな点と現実の世界とのつながりが、たいていの人にとっては理解しづらくなる。しかし、ボブ・グラスは違う。「これこそが科学の核心なんです」と熱を込めて主張する。「科学はすべてモデリングです。どんな科学も、自然を抽象化しています。問題は、それが有用な抽象化であるかどうかです」。ボブ・グラスにとって「有用」とは、問題解決に役立つことを指す。

 その当時、娘のローラ・グラスは自分なりの問題を抱えていた。毎年恒例の科学研究コンテストが近づいていたのだ。参加しないという選択肢はあり得なかった。科学は父親との大切な絆であり、ローラと姉妹ふたりが毎年、科学研究コンテストで競い合うことがグラス家の暗黙のルールになっていた。ローラ自身もそれがいつも楽しみだった。「父といっしょにできる科学は、学校でやる科学とはぜんぜん違っていました」とローラは語る。「学校の科学の授業はいつも苦手でしたね」。父親とともに触れる科学は、素敵な新しい疑問を見つけ、その答えを見つけるための手段だった。どんな疑問なのかは重要ではない。父親は分野間の境界を気にせず、すべての科学を一つの同じものととらえていた。ローラは父親に相談しながら、ときには確率とコイン投げをめぐるプロジェクトを、ときには植物のしゅによる光合成の違いについてのプロジェクトを進めた。コンテストの争いは年々激しくなる一方だった。「中学生になると、競争のレベルが上がるんです」とローラは説明する。

 父親のパソコン画面を見ながら、ローラは「まるで、赤い点が緑の点に何かを感染させているみたい」と思った。ちょうど、歴史の授業で中世の黒死病について学んでいるところだった。

「わたしは心を奪われました。信じられません。ヨーロッパの人口の3分の1が犠牲になったんですから」。ローラは父親に尋ねた。このモデルを使って、疫病がどんなふうに広がるかを調べられないだろうか、と。父親はそれまでそんなことを考えもしなかった。「困ったな、どうやって手伝えばいいんだろう、と弱りましたよ」とボブ・グラスは振り返る。父親が手伝うことは最初から前提になっていた。ほかの父親が「リトルリーグ・パパ」であるように、ボブ・グラスは「科学パパ」なのだ。もっとも、ほかの父親がわが子の野球の試合を見守るのと、娘の科学プロジェクトを見守るのとでは、少々わけが違うけれど……。

 父娘はさっそく科学研究コンテスト向けの新しいプロジェクトに没頭した。最初の年は、モデルにまだ改善の余地が残った。黒死病という疫病を2004年のニューメキシコ州アルバカーキに当てはめるのは、やや的外れの感をぬぐえなかった。ローラが住む地域の人口は1万人で、学区の人口の何分の1かにすぎない。また、ローラが「感染の世界」と名付けた場所では、感染者とすれ違うだけで疫病がうつる設定になっていて、現実的ではなかった。図表を貼った発泡スチロールのパネルボードの横に立ち、審査員からの質問攻めにさらされたローラは、自分の研究の限界を誰よりも痛感した。「審査員たちはさかんに、この状況はどれくらい現実に近いのか、これをどう応用するつもりなのか、と訊くんです」とローラは言う。それでも、そのコンテストで疫学を扱った子供はただひとりだった。ローラのプロジェクトは州大会へ進出することになった。帰宅して、ローラは父親に言った。「本物にしましょう」

 本物にするためには、もっと説得力のある病原体が必要だった。「『黒死病はやめるわ』と父に言いました。『現代の世界にある何かがいい。インフルエンザとか、そのたぐい』」。どんな病原体を選ぶにしろ、詳しく学ぶ必要があった。その病原体が作用する社会についても、もっとよく知らなければいけない。「娘はわたしのところに来て、こう言ったんです」とボブ・グラスは語る。「『お父さん、すれ違っただけで病気がうつるなんて、あんまりまともじゃないわ。それともう一つ、人間ってこんなふうにただ歩いてるわけじゃないでしょ。人付き合いってものがある。ここにいろんな人間関係を組み込まなきゃ』」。父親が見守るなか、2004年のあいだじゅう、14歳のローラはアンケートを作成し、自分の学区内の何百人もの住民に回答を求めた。労働者、教師、両親、祖父母、高校生、中学生、未就学児……。「まずは、同級生に質問しました」とローラは話す。「どれくらいの頻度でハグやキスをするか? 何人とするか? 隣り合わせで座る知人はどのくらいいるか? 何分間、隣に座り続けるか? そのあと、同級生の親たちにも同様の質問を投げかけました」。ローラは、アンケート結果をもとに社会的ネットワークと人の移動のようすをマッピングし、さらに、ネットワークとネットワークの相互作用をマッピングした。そのうえで、それぞれが何人の相手と、病原体に空気感染しかねない近距離で過ごしたかを数えた。

 ローラはこのプロジェクトに熱中し、父親も非常に興味をそそられた。ローラがのめり込めばのめり込むほど、父親ものめり込んだ。「娘を大学院生のように扱いました。『さて、ここまでの成果を見せてほしい。それから、これがわたしの疑問点のリストだ』といった調子です」とボブ・グラスは話す。娘を手伝うためには、コンピュータモデルをさらに改良しなければならず、自身の力を超えたレベルまで進化させる必要があった。ボブ・グラスが出会ったことのある最も優秀なプログラマーは、サンディア国立研究所のウォルト・バイエラーだった。「うちの研究所は本当に風変わりなんです」とボブは語る。「ロスアラモス研究所は、いわば血統書付きの人だらけですが、うちは、手を尽くして、とにかく優れた人物を集めています。血統書なんて気にしません」。ボブ・グラスは、ふつうの人が思い浮かべる秀才そのものだが、そのボブが思い浮かべる秀才こそ、ウォルトだった。娘の科学研究コンテスト向けプロジェクトを手伝ってほしいとウォルトに頼むのは、素人がその場しのぎでつくったバスケットボールチームにNBAのレブロン・ジェームズを引き入れるようなものだ。しかし、ウォルトは話に乗ってくれた。

 モデルには、リアルな社会的相互作用を組み込む必要があった。潜伏期間を考慮して、感染しているが他人には感染させないという時期も設けなければいけない。また、無症状でありながら感染力を持つ人もいないとおかしい。死亡したり免疫ができたりした人をネットワークから排除する必要もある。感染者の社会的行動や、誰かと接触したときに病気をうつす確率についても配慮しなければならない。父と娘は、みずからの生活の実態を考えたすえ、「いかなる社会的相互作用においても、子供同士で病気が伝染する可能性は、成人同士に比べて2倍」という意見で一致した。また、モデルをわかりやすくするため、省いた要素もある。「このモデルに大学生は入れませんでした」とボブ・グラスは付け加える。「“一夜かぎりの関係”だとか、そのたぐいは抜きです」

 ボブ・グラスは真剣に興味を持ち始めた。科学プロジェクトというよりも、工学プロジェクトのように感じられた。コミュニティのなかで病気がどんなふうに移動するかを解明できれば、感染拡大を遅らせる方法、さらには阻止する方法が見つかるかもしれない。しかし、どうすれば解明できるのか? ボブ・グラスは、感染症やその流行の歴史に関して、片っ端から文献を読みあさった。やがて手にしたのが『グレート・インフルエンザ』──歴史学者のジョン・バリーが、1918年のインフルエンザの流行について書いた本──だった。「なんと、5000万人も死亡したそうです」とボブは言う。「まったく知りませんでした。大変だ、これは重大な問題だぞ、と思い始めました」

 父も娘も、現実世界の病気の話題に敏感になった。その2004年の秋、イギリスのリバプールにある一つのワクチン製造工場が汚染により操業休止となっただけで、アメリカでインフルエンザワクチンの供給量が半減した、とのニュースを知り、ふたりは色めき立った。ワクチンの数が足りない。では、誰が接種を受けるべきか? 当時のアメリカ政府の方針は、「最も死亡リスクの高い、高齢者にワクチンを投与する」だった。それではいけない、とローラは思った。ボブ・グラスはこう回想する。「『さかんに社会的な交流をして、感染を拡大させているのは、若い人たちなのよ』と娘が言い出したんです。『若者に投与したほうがいいんじゃない?』」。父娘はコンピュータに向かい、モデル内の若者たちにワクチンを投与して、病気を媒介する能力をなくした。すると案の定、高齢者は感染しなかった。ボブ・グラスは、感染症の専門家や疫学者ならこの点をすでに理解しているのではないかと思い、文献を探した。「ところが、これを示唆した論文は一つしかありませんでした」

 やがて、アルバカーキ高校の1年生になったローラは、ニューメキシコ州の科学研究コンテストで最優秀賞を受賞した。続いて、世界各国の2000人の子供たちとともに、アリゾナ州フェニックスでの国際大会に臨むことになった。いまや、ローラが立ち向かう問題は、ただ一つに絞り込まれていた。「インフルエンザはつねに変異している。もし、適切なワクチンが間に合わない場合、わたしたちはどうすればいいのか?」。かたや父親は、伝染病やその対策について過去に書かれた文献すべてに、少なくともひととおり目を通し終えた。5000万人の犠牲者を出した1918年の感染症の原因が、ある鳥の体内にあるウイルスのわずかな突然変異だったことを知った。一方、昨今の季節性インフルエンザも、2005年の時点までに、すでに何度か同様の突然変異を遂げていた。「わたしたちの前に、生死に関わる地球規模の問題が迫りつつある」とボブ・グラスはのちに記している。にもかかわらず、専門家たちは「致死性の高い突然変異が起きた場合、そのあと何カ月間かは、感染者を隔離し、ワクチンの完成を待つよりほか、命を救うためにできることはほとんどない」との基本的な認識で一致していた。ボブ・グラスが娘とつくったモデルによると、ひとりにワクチンを投与することと、その人物を社会的ネットワークから排除することには、何の違いもない。どちらであれ、他者に病気をうつす能力を失うことになる。だが、専門家はこぞって、ワクチンの生産と配布をいかに迅速に行なうかを議論していた。「最も効率的、かつ最も破壊的でない方法で、社会的ネットワークから人を排除するにはどうすればいいか」を模索している者はいないらしかった。「わたしは急に怖くなりました」とボブ・グラスは言う。「自分たちに何ができるか、誰ひとり理解しようとしていないのです」

第一章 ドラゴン

 
 チャリティがその若い女性のことを知ったときには、もう手遅れだった。女性は、サンタバーバラ郡立の病院で生命維持装置につながれていた。つい少し前、脳に結核腫が見つかったという。しかし、医師団がそれ以上を探れないうちに、女性は息を引き取ってしまった。それが、問題の始まりだった。

 医師のチャリティ・ディーンは、サンタバーバラ郡の保健衛生官の主任に任命されたばかりだった。保健衛生官の仕事は、健康に悪影響を及ぼすさまざまな要因を阻止することにある。チャリティの考えでは、最も重要なのは、市民がまわりの人に病気をうつすのを阻止することだ。結核菌は、感染者が吐き出す飛沫ひまつを介して移動し、空気中に長く浮遊できる。「感染リスクがきわめて高いのは最初の1時間ですが、2時間、3時間、4時間とリスクが続く場合もあります」と彼女は説明する。「正直なところ、よくわからないのです」。結核についてまだ解明されていない点はほかにもある。他人にまったく感染させない結核患者もいれば、おおぜいに感染させる結核患者もいて、その理由は誰にもわからない。何が原因で「スーパースプレッダー」になるのか? 本人の行動パターンのせいか? その人が持つ結核菌の生態が特殊なのか? 結核は太古から存在する病気で、20世紀に入るころには人類の死因の最上位を占めていた。いまだに謎が多い。「きわめて興味深いです。わたしがいちばん関心を持っている感染症ですね」とチャリティは言う。「結核菌は何でもできるし、体内のどこにでもいられる。子宮の結核もあれば、目の結核も、さらには指の結核まで例があります」。チャリティがかつてニジェール共和国で診療した男性患者の場合、肺から始まった結核が胸壁を突き抜け、ついには胴の片側からうみにじみ出してきたという。

 ただし、人から人へうつる際、結核菌は必ずいったん肺に侵入する。サンタバーバラ郡の病院に入院していた若い女性は、脳の結核と診断されていたが、菌が脳にとどまっているだけなら、生命の危険はない。ところが、肺を侵し始めると、結核菌は死を招く力を持つ。脳に結核が見つかった患者の30パーセントが、肺にも結核をわずらっていた。
 少なくとも疾病対策の世界では、サンタバーバラ郡は、結核の患者数の多さと症状のひどさで有名だ。そう聞くと、世間のふつうの人々は耳を疑う。一見したところでは、この郡は、ベージュ色の岩と黄金色の草とカリフォルニア・オークの木々が織り成す静かな楽園のような場所なのだ。トーク番組の司会者として有名なオプラ・ウィンフリーも過去に住んでいたし、コメディアンのエレン・デジェネレスも住んでいた。海を見下ろす丘陵地帯には大邸宅が建ち並び、アメリカの豊かさを象徴する1枚のタペストリーのように交じり合っている。海までが、プライベートなひそやかさを感じさせる。

 ところが、サンタバーバラ郡は意外にも広大かつ複雑だ。カリフォルニア州内で最も子供の貧困率が高い。5万人もの不法移民を受け入れている。さらに、山火事や土砂崩れ、石油の流出、銃乱射事件など、いつ惨事が起こってもおかしくない。楽園もひと皮むけば、苦悩に満ちた「ヨブ記」の世界が口を開けているのだ。

 保健衛生官の主任になったとはいえ、チャリティとしてみれば、次の結核の流行がサンタバーバラ郡のどこで、いつ、どのように起こるかなど正確に予測しようがなかった。郡の病院で亡くなったばかりのあの若い女性が、対応の難しさを物語っている。なにしろ、死の直前まで、女性が結核にかかっていることに誰も気づかなかった。夫と子供がいて、人通りの多い地域に住み、間仕切りを最小限にとどめた巨大なオフィスで300人もの従業員とともに働いていた。もし病魔が肺を侵していたら、身近にいた人たちは全員、死の危険にさらされたことになる。チャリティの当面の課題は、誰が感染しているのかを突き止めることだった。まず、死亡した女性の肺の組織を検査する必要がある。陽性の場合は、その女性を雇っていた会社に連絡して、当分のあいだ業務を停止させ、300人の従業員、および、従業員から二次感染した可能性のある人たちをすべて検査しなければならない。いや、さらには三次感染や、その先の心配もある。

 早い話、サンタバーバラ郡の大部分に警告を出すはめになるかもしれない。しかし、耳を傾けてもらえるだろうか? チャリティは無名だ。住民のほとんどは、保健衛生官とはいったい何者なのかも、1日じゅう何をしているのかも知らない。見えない存在なのだ。

 3年前の2011年、チャリティが32歳の内科研修医で、5年間で3度目の妊娠中だったころ、サンタバーバラ郡の医務局長から、副保健衛生官の職に応募してみないかと誘われた。郡の規則上、保健衛生官は医学の博士号と公衆衛生学の修士号を両方持っている必要があり、チャリティはその要件を満たしていた。さらに医務局長は、「裕福な外科医と結婚しているのだから、保健衛生官を引き受けても金銭的に困らないはず」という意味のことを、ついでながらといった口調で、しかし明確に告げた。

 この仕事は、少なくともふつうの若い医師から見れば、これといった魅力がない。チャリティはすでに民間のクリニックから誘いを受けており、そこの初任給に比べて、副保健衛生官の報酬は3分の1だった。サンタバーバラ郡の医師は、かねてから自分たちを「ワーキング・プア(働く貧困層)」と呼んでいる。ふさわしい報酬ももらえないのに、郡の医師として働く──正気の沙汰さたとは思えない話だった。「やめておいたほうがいい、と誰からも説得されました」とチャリティは振り返る。「みんな、信じられないといったようすでした。『郡のために働くなんて、本気かよ?』みたいに言われました。郡立診療所の汚らしい地下室で診療するような姿を想像したらしくて」。郡立診療所は、健康保険に加入していない貧しい人々が治療を受ける場所で、サンタバーバラ市郊外のひどく老朽化した施設のなかにある。もともとは100年前、結核患者向けの療養所として建てられた施設だ。

 それでも、チャリティはこの仕事に魅力を感じた。「なぜかわかりませんが、心の糸をたぐり寄せられる思いでした」。医務局長から、仕事の内容が詳しく書かれた分厚いバインダーを渡された。表紙には「カリフォルニア州における保健衛生官の権限」とある。チャリティは中身を熟読した。アメリカの他地域やほかの自由主義諸国の保健衛生官と同様、カリフォルニア州の保健衛生官は多くの任務を負っている。出生や死亡の記録。レストランの立ち入り検査。海水浴場やプールのバクテリア調査。慢性疾患の管理。しかし、チャリティはそのどれにも関心を持てなかった。続いて、「伝染性疾患管理者」という文字が目に飛び込んできた。州の公式な職務だ。地域の保健衛生官が担当する。チャリティの顔は輝いた。「肥満や糖尿病には興味がありません。慢性疾患なんてどうでもよく思えてしまう。わたしが好きなのは危機なんです」

 とりわけ心をかれるのが、伝染性疾患が引き起こすかもしれない危機だ。奇妙な性癖と本人も自覚しているものの、幼いころから夢中だった。これまで伝染病は歴史を形成し、社会を破壊してきた──が、チャリティが7歳にして伝染病に執着し始めたのは、そのせいではない。「むごい死をもたらすせいです」とチャリティは説明する。「そのむごさに対して、人間が無力だからです。恐ろしい病が、膨大な数の人々に襲いかかる。人々は防ぐすべもなく、悲惨な死を遂げる。その点がひどく心に引っかかりました」。ミドルスクールに通うころ、発泡スチロールでウイルスの模型をつくり、自室の天井からつるしていた。「じっと見つめ、ウイルスについて考えるためです」。いずれ西アフリカに行って伝染病を研究しようと思い、そのときコミュニケーションがとれるようにと、フランス語を独学した。大学では微生物学を専攻し、黄熱病や結核、スペイン風邪に関する本を夜遅くまで読んだ。「大学時代に好きだった微生物は、人間に取りついて恐ろしい病気を引き起こす病原体です。だって、植物のウイルスなんて誰も関心を寄せませんよね」。チュレーン大学の医学部では、仲間の学生たちから冷ややかな視線を浴びせられてもかまわず、医学の勉学と並行して、公衆衛生学の修士号取得をめざした。というのも、チュレーン大学には、熱帯病に焦点を当てた珍しい専攻科目があったからだ。その後、アフリカ中・西部のガボンとニジェールに行き、医師として働いた。この地域を選んだ理由の一つは、過去に壊滅的な被害をもたらしたような疫病がふたたび現われるとすれば、アフリカが発生源になる可能性が高い、と考えたからだ。

 パンデミックに熱中していることは尋常ではなく、他人の目には不快に映るかもしれないと、本人も自覚している。「この関心事については人前で話題にしないほうがいいと学びました」とチャリティは言う。「うっかり話すと、頭が変だと思われるからです」。しかし実際のところは、幼いころから、気分が落ち込んだとき、せんペストに関する本を読むと活力が湧いてくる。身の毛がよだつようなイラストが入った本がとくにお気に入りだ。

 チャリティは、バインダーを手に、地域の保健衛生官の職務についての細かな規定をさらに読み進めた。すると、ある一文が目に留まり、ほかのすべてを合わせたよりも重要に感じられた。

めいめいの保健衛生官は、本省の規則にもとづき報告義務のある疾病、もしくはその他あらゆる流行病、感染症、伝染性疾患に関して、みずからの管轄区域内に症例が存在する、または最近存在したことを知った場合、あるいは、存在を信じるに足る理由がある場合には、その疾病の蔓延まんえんや同様の症例発生を防止すべく、必要な措置を講じることができるものとする。

 恐ろしい死を最小限に抑え、伝染病を追い払うため、カリフォルニア州は地域の保健衛生官に特別な法的権限を与えているのだった。

 チャリティはこの仕事を引き受けた。規定のなかにあった先ほどの一文をタイピングして印刷し、新しい執務室の壁に貼り付けた。割り当てられた執務室は4号棟にあった。かつては結核患者の隔離室として使われていただけに、患者の肺へ海辺の新鮮な空気を届けるため、壁には鉄格子入りの通気口がつくられていた。デスクに座っていると、中庭を挟んだ向かいの3号棟から、精神科の患者の悲鳴が聞こえてくる。ホールには、建物と同じくらい年代物のキャビネットに、博物館に展示されていそうな医療器具が収納されていた。階段は、じめじめした地下通路につながっていて、通路の先には古い死体安置所がある。そこがチャリティのお気に入りの場所だ。

 規定によれば、伝染性疾患を防ぐため、チャリティは驚くほど強大な法的権限を認められていた。しかし、そんな法令を知っている人はごく少数なのだと、ほどなく思い知らされた。郡の住民の大半は──チャリティを迎え入れた公務員仲間もほとんどが──保健衛生官は何をする人なのかもろくに理解していなかった。いつからか、日陰者の扱いになっていた。ほかの公務員も一般市民も、そんな得体の知れない役人はおとなしく引っ込んでいてほしい、と思っているらしかった。学芸会の舞台上のニンジン役のように、あるいは金持ちの外科医の妻のように、呼ばれでもしないかぎりは身を潜め、形式上ちらっと登場するだけでいてくれ、と。法律の言葉は強くても、それを支える理念が弱いようだった。就任2年目のチャリティは、いつでも条文を相手に提示できるように、助手に頼んで例の一文を印刷してラミネート加工してもらい、ブリーフケースに入れて持ち歩いた。「必要な措置を講じる権限がわたしにはあるのだと、話し合いのとき相手に説明するわけです。できるだけ、このラミネート加工の紙を出さずに済まそうとしましたが、週に1回は出すはめになりました」

 脳に結核を患った若い女性がいるとの知らせを受けるまでに、チャリティは、くだんの条文を嫌というほど読み上げた。人生のなかで、こんなに繰り返し朗読した文章はほかにない。祈りの言葉としてよく唱えられる「詩編」第23編もチャリティは深く愛しているが、それと比べると、この条文は実践が難しい。しかし同じように、言葉に命を吹き込むことができた。

……症例が存在する、または最近存在したことを知った場合、あるいは、存在を信じるに足る理由がある場合……

「このくだりは、どういう意味だとお思いになりますか?」と、いつもチャリティは声を荒らげて、人差し指を宙に立てる。「存在の〝疑い〟です。疑いさえあれば、職務を執行できます」

……本省の規則にもとづき報告義務のある疾病、もしくはその他あらゆる流行病、感染症、伝染性疾患に関して……

あらゆる流行病、です!」。チャリティはふたたび大声で言い、さらに語句を分析する。「“流行病”は医学用語ではないので、ひとまず措くとしましょう。日常的な表現を挟んであるだけです。注目していただきたいのは、“感染”と“伝染”の違いです」。伝染病はすべて感染性を持つが、感染症のなかには伝染性を持たないものもある。要するに、人から人へうつる病気と、そうでない病気があるのだ。たとえばライム病は、もし感染しても、ほかの人にうつす恐れはない。危機的な状況を引き起こすのは、伝染性を持つ疾患だ。微妙な言葉の差のなかに、チャリティは自分の人生の目的を見いだしていた。

……その疾病の蔓延や同様の症例発生を防止すべく、必要な措置を講じることができるものとする。

「“できるものとする”と書いてあります!」とチャリティは言う。「“できる場合もある”ではないんです。議論の余地はありません。待ったなし。気が向いたときに、なんなら対処可能、というわけではない。すぐやるのが、わたしの義務です。伝染性疾患の疑いがある場合は、どんな手を打ってもいいんです

 いま、チャリティの課題は、結核で死亡した女性1名だった。車で1時間ほど北にある病院に遺体が安置されている。チャリティは、遺体をサンタバーバラの検死官事務所へ運ぶよう指示したあと、検死官に電話し、あとで肺組織のサンプルを送ってほしいと頼もうとした。しかし、ここで早くも壁にぶつかった。検死官が電話口にも出てくれなかったのだ。しつこくかけたすえ、やっと電話がつながったものの、こんどは依頼を拒否されてしまった。チャリティには法の後ろ盾があり、検死官はチャリティの指示どおりに遺体を処理しなければいけないはずだ。なのに、検死官は「やらない理由」を説明し始めた。

 耳を疑うような言葉の積み重ねだった。70代のこの検死官は、郡と契約してパートタイムで働いているという。明らかに、専門知識をほとんど持っていない人物だった。チャリティに向かって結核についての講義を始め、結核患者の肺を摘出する行為は危険、かつ不必要である、と弁じた。さらに、「解剖された遺体の結核菌はエアロゾル化(微粒子となって空気中に浮遊)し、術者を感染させかねない」などと書かれた論文があると主張した。

 このとき、チャリティはすでにサンタバーバラ郡の保健衛生の〝最高責任者〟だった。年の初めに昇進し、カリフォルニア州の歴史上、最年少の主任保健衛生官になった。並行して、3年間、郡の結核クリニックを運営し、郡内のあらゆる結核患者に法的な責任を負っている。研修医だったころチャリティを指導した医師たちまでが、いまや、結核に関してはチャリティに助言を求めるほどだ。それどころか、カリフォルニア州全体の結核管理者協会の会長に任命されようとしていた。チャリティは、年老いた検死官に礼儀正しく対応しようとしたものの、難しかった。「その論文のことは知っていました」とチャリティは語る。「でたらめな研究です。ところが、うすのろ検死官ときたら、自分はやらない、ほかの人が来てやるのも許さない、と言い張りました」

 チャリティは電話を切り、郡の保安官を呼んだ。優しい口調で状況を説明し、女性の遺体を切り開いて肺を摘出するよう検死官に命令してほしい、と頼んだ。しかし、保安官もやはり法令を知らないらしく、検死官の権限を踏みにじるわけにはいかないと言った。チャリティは我慢の限界に達した。「わたしの指示に従わないなんて、信じられませんでした」。チャリティは法的な命令書を書き、保安官に直接渡した。「あとは、電話が鳴り響くのを待つだけです」

 法的な命令書となると、さすがに無視できない。保安官は、地域の保健衛生官が出した命令書など何の権限もないはずだと思いつつも、念のため、郡の主任弁護士に電話をかけた。主任弁護士も、あらためて調べた。その結果、なんと、保安官が間違っていたことが判明した。チャリティの言葉どおり、疫病に関していえば、保健衛生官より上の権限を持つのはカリフォルニア州知事だけだった。それも、知事が緊急事態宣言を出したあとに限られていた。

 やっと一件落着、とチャリティは思った。ところが翌日、検死官事務所から連絡があり、障害がまだ消えていないことを知った。チャリティはこう回想する。「『わかった、やるよ。ただ、この事務所のなかではやらない』との返事でした。『建物が古くて換気が悪いから』。わたしが『じゃあ、外でやってもらえませんか?』と提案すると、『いいけど、きみも来てくれ』と言われました」。もしサンタバーバラ郡で重大な伝染病が発生したらどうなるのだろうと、チャリティはいまさらながら考えた。「肺結核のエアロゾル化を心配して、検死すらしないんですから。エボラ出血熱のエアロゾル化だったらどうするつもりでしょう?」

 あいにく、クリスマスシーズンと重なってしまった。チャリティは37歳になったばかりで、つい少し前に裕福な外科医と離婚し、3人の男の子を抱えるシングルマザーだった。クリスマスの翌日、車で郡の検死官事務所へ向かいながら、このあとどんな展開が待っているのかと不安を覚えた。検死官も保安官も、おそらくほかの人たちも、チャリティに苛立いらだっているだろう。どんなふうに苛立っているかがわかったのは、検死官事務所の横にある小さな駐車場に入ったときだった。死体安置所の外で、7人が待ちかまえていた。全員が男性。例の検死官と保安官、加えてその部下たちだ。見るからにものものしかった。チャリティは、クリスマスツリーの下のごみを片付けてそのまま直行してきたので、ふだんの服装ではない。いつもの「戦闘服」は、タルボットのスーツにペンシルスカート、低めのハイヒール。ところがきょうは、薄汚いクリスマスセーターとブルージーンズだ。それに対し、男たちはみんな、完全な防護服を着用していた。「ずらりと並んで──月面を歩く宇宙飛行士みたいでした」とチャリティは言う。「誰かが見たら、本当にエボラ出血熱が出たのかと驚いたでしょうね」

 死体安置所そのものも、保健衛生官のオフィスに輪をかけてひどい有り様だった。オークの低木に囲まれ、未舗装の空き地のなかにぽつんと建っている。公的機関の建物というよりも、幹線道路沿いにある休憩所のトイレに似ていた。悲惨な死体がいっぺんに大量に運ばれてきたら、どこに収容する気なのか?

 少し離れたところにピクニック用のテーブルがあり、その上に、若い女性の遺体袋が置かれていた。検死官はひたすら腹を立てて、この作業は安全ではない、室内で解剖するリスクは冒せないと繰り返した。またも、以前と同じいんちき論文を引き合いに出し、骨切りノコギリさえ用意しなかったことを言い訳した。結核患者の遺体から外科医が感染したとみられる唯一の事例には、骨切りノコギリが関わっていたという。代わりに、検死官は園芸用のハサミをチャリティに差し出した。いわゆる「庭バサミ」。真新しく輝き、赤いに「ACE」という金物店の名前が入っている。主任保健衛生官のチャリティが、この若い女性を開胸して肺の一部を摘出したければ、みずからの手で、庭バサミを使ってやらなければいけないのだった。「てっきり、わたしは脇で見ていればいいんだろうと思っていました」とチャリティは話す。「検死官が、度胸試しのゲームに仕立ててしまったんです」

 医学は男の世界だと、かねてからチャリティは感じていた。とくに、ここのように行政にまつわる場所は、男社会という気がする。ただ、このときチャリティは気づいた。問題の本質は、当の男性がおびえていることにある、と。うすのろ検死官は、怖がっているのだ。チャリティは、成人して以来ほとんどの期間、恐ろしい病気に囲まれて過ごし、病気を恐れてはいけないと心に誓ってきた。「トラックの運転手であれば、遅かれ早かれ事故に関わることがわかっているので、あらかじめ、事故が起きた際の対処法を学んでおきますよね。それが、恐怖を克服する方法なんです」とチャリティは語る。「いつか感染症と遭遇することを、素直に受け入れなければなりません」。目の前に並んだ男たちは、受け入れていなかった。れっきとした大人であり、人一倍、勇敢であるべき立場にいるのに……。ここに漂う恐怖に、チャリティは覚えがあった。医学生だったころ、ニューオーリンズの外傷治療センターで、ときおり警官の姿を見かけた。あの男たちの目に浮かんでいたのと、同じ恐怖だ。「銃で撃たれた被害者を運んできても、その被害者がC型肝炎やHIVに感染しているとわかると、警官たちは悲鳴を上げ、慌てて頭から爪先まで消毒液を浴びていました」。逃げ遅れた犬を助けるために燃えさかる建物へ平気で飛び込んでいくような、筋骨たくましいクルーカットの男たちが、感染症を前にすると、とたんに弱々しく不安げになる。そんなようすをチャリティは何度も見てきた。なかでも、空気感染する病気が、恐怖心をあおるらしい。「結核患者の身柄を確保したいとき、失敗するとすればそれがいちばんの原因です。警官が、怖がり屋の小娘に変身してしまう。患者を連れ出す役は看護師に任せ、自分は車のなかでじっとしているんです」

 チャリティ自身、何も恐怖を感じないわけではない。現実的な恐怖もあれば、想像上の恐怖もある。オフィスや自宅の部屋の壁には、人生の支えにしたい言葉を付箋に手書きして貼ってあり、そのほとんどが勇気に関するものだ。

勇気に近道はない。
勇気とは筋肉の記憶である。
森でいちばん高いオークの木も、昔は小さな木の実だった。

 ほとんどの人と同じく、チャリティも、いましめを胸に刻み直す必要がある。ほとんどの人と違って、チャリティは、みずから進んで戒めを胸に刻み直す。繰り返し、繰り返し。検死官事務所の外にいる男たちが、自分とは異なる性質の恐れを抱いていることを知ったチャリティは、「あの連中は、わたしなんかにはできないと思っている」と気づいた。考えをもう一歩進めた。「そう思っているのは、できそうな人物に見えないからだろう」。チャリティは、ハイヒールをいても背丈が170センチ足らずで、からだつきも細い。自分としては、良くもあり悪くもある容姿だと感じているのだが、男性からは悪い評価しか得られないらしかった。毎度のように揶揄やゆされる。チャリティは自分なりのルールをつくった。ある種の男性と会って、その相手に何か行動を起こさせたい場合は、行動のきっかけとなる情報を伝える前に、30秒の猶予を与える。男性はチャリティの外見から勝手な思い込みをして──まんまと操られる。「人を見た目で判断しちゃいけないのに」とチャリティはときどき胸のうちでつぶやく。

 袋のファスナーを開けて、若い女性の遺体を観察した。骨切りノコギリなら胸骨を中央で切断できるが、庭バサミとなると、周辺の肋骨を1本ずつ折っていくしかないだろう。ハサミの先で、第一肋骨の端を探った。ポキッ! カニの殻を割ったときのような、軽く鋭い音が響いた。ポキッ! 切りながら、まわりの防護服の奥にある目が視線をそらすのを感じた。若い女性の顔は、覆われないままになっている。それが何よりも集中力をさまたげる要素だった。ふつう、解剖に必要な部位のほかは布で隠されているものだ。女性の顔が視界に入るせいで、生々しさが浮き立ってしまう。おぞましい。チャリティはめまいと吐き気に襲われた。「わたしは心のなかで何度も『気絶しちゃ駄目。気絶しちゃ駄目』と自分に言い聞かせていました」とチャリティは言う。「と同時に、はらわたが煮えくりかえっていました。その女性に対しても遺族に対しても、非常に失礼です。なのに、男どもは『見たいんだろ。ほら、どうぞ』と言わんばかりでした」

 ポキッ! ようやくカニの殻を割り終えた。チャリティは庭バサミをかたわらに投げ、女性の肋骨を取り除いた。「そのとき、わたしは悲しくなりました。この女性の夫がひどく気の毒に思えたからです」。けれども、チャリティは男たちにはいっさいの感情を示さなかった。それ見たことか、とほくそ笑ませたくなかったのだ。とにかく、検体として、肺組織のかたまりを切り取らなければいけない。チャリティがふたたび女性の体内に庭バサミを入れようとしたとき、検死官も手を伸ばしてきた。それは……手伝うためだった。「腹部も調べてみましょうか?」と検死官が優しい口調で言った。一理ある、とチャリティは思った。腹部に結核が見られれば、血液中にも存在することになり、血液中に存在するなら、おそらく肺にまで達している。そこで、腹部をまさぐって、結核の兆候がないかどうかを手の感触で調べた。内臓はすべて異常なし。きれいそのものだった。「もし肺が侵されて、でこぼこしていたら、触ればわかるんです」とチャリティは説明する。「でも、問題ありませんでした」。チャリティが触感から導き出した結論は、後日、研究室で裏付けられた。結核は、脳から外へは出ていなかった。肺の一部を庭バサミで切り取る作業はせずに済んだ。というのも、検死官が肺全体を摘出するやりかたを教えてくれたからだ。ふたりで協力して摘出した。チャリティの度胸をの当たりにして、検死官は現状を認識し直したらしい。

 チャリティは、両手ですくい上げるようにして、若い女性の肺を取り出した。ゼリーのようなやわらかさだ。人体の外では、肺組織はかたちを保てない。しかしここでチャリティは、自分が見くびられていたことをあらためて思い知った。検死官は、摘出など本当にできるはずがないと、たかをくくっていたのだろう。肺の置き場所がなかった。容器らしきものといえば、ホームセンターで売っているオレンジ色のポリバケツだけだった。チャリティは女性の肺をバケツに入れ、車へ運び込んで、その場を去った。

 あとに残された男たちの脳裏には、一連の光景が鮮明な記憶として焼き付いただろう。だが、チャリティにとっては、地域の保健衛生官として暮らす日々のひとコマにすぎなかった。男たちは、チャリティの業績も、能力も知らなかった。検死官は、チャリティが外科医としての訓練を受けた人物だとは思いも寄らなかったらしい。「男たちはいつだって、わたしを過小評価するんです」とチャリティは言う。「わたしの〝スピリット・アニマル〟がウサギだと思い込んでいます。実際は、獰猛どうもうなドラゴンなのに」

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本書の詳細は▶こちら

◆書籍概要

『最悪の予感 パンデミックとの戦い』
著者: マイケル・ルイス
訳者: 中山宥
出版社:早川書房
本体価格:1,080円
発売日:2023年1月24日

◆著者紹介

マイケル・ルイス(Michael Lewis)
1960年ルイジアナ州ニューオーリンズ生まれ。プリンストン大学で美術史の学士号、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで経済学の修士号を得たあと、ソロモン・ブラザーズに入社。債権セールスマンとしての3年間の経験をもとに執筆した『ライアーズ・ポーカー』で作家デビュー。『マネー・ボール〔完全版〕』(以上ハヤカワ・ノンフィクション文庫)をはじめ、『世紀の空売り』『フラッシュ・ボーイズ』『かくて行動経済学は生まれり』など著書多数。累計発行部数は1000万部を超える。

◆訳者紹介

中山宥(なかやま ゆう)
翻訳家。1964年生まれ。訳書にマイケル・ルイス『マネー・ボール〔完全版〕』、馬文彦『14億人のデジタル・エコノミー』、マーク・チャンギージー『〈脳と文明〉の暗号』(以上早川書房刊)、ダニエル・デフォー『新訳 ペスト』、ドン・ウィンズロウ『失踪』など多数。

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