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たくさん読める試し読み『探偵は絵にならない』(森晶麿)第2話冒頭公開

大好評発売中『探偵は絵にならない』(森晶麿)の第1話に続いて、第2話冒頭を公開致します。同棲していた彼女フオンの行方を追って、静岡県浜松市に返ってきた濱松蒼(はままつ・あお)。フオンを探す日々の中で、蒼は奇妙な事件に巻き込めれていく……。

探偵は絵にならない_帯

探偵は絵にならない(森晶麿)

第二話 死と師と雨
     1
 
 雨音が、草花の匂いを呼び覚まし、記憶を迷子にした。
 思い出しかけていたのに、もうそれが何だったのかも思い出せない。これだけ墓の並ぶ
場所なんだから、墓に関することだったのは間違いないのだが、さて……。
 記憶の彼方のショパンの音色が、無意識と風景のあいだを漂っている。
「ショパンねえ……」
「え?」
 となりを歩くバロンが元気よく聞き返す。
「何でもねえよ」
 三方原(みかたはら)墓園──そういう場所に来ている。浜松市の市街地からはえんえんバスで四十分ほど下らないとたどり着けない僻地だが、着いてみれば敷地はなかなか広大だし隣接して公園もあるから、退屈に欠伸が出るのが嫌じゃなければ、終日いたって何かしらすることはあるだろう。
 子どもの頃は、〈ぼちこーえん〉と呼びながらも、どんな漢字なのかなんて考えもしなかった。そりゃあ、お墓ばかりがあるわけだから、墓地に決まってるわけだが、子どもはそんな言葉は知らない。
 だから自分の中では〈ぼちこーえん〉だった。
〈ぼちこーえん〉を最初に訪れたのは、自転車の練習のためだった。俺は小学三年まで自転車に乗ることができなかった。それをすでに離れて暮らしていた父がどうにかしないと、と遅まきながら躍起になり、あまり子どもが遊んでいない場所ということで墓地公園を選んだのだ。近所は車の通りが多くて危なかったこともあるが、今考えると墓地は墓地で危ない気がする。
 自転車の練習は〈ぼちこーえん〉の中でも、〈ぼち〉の部分で行なわれた。右も左もお墓が並ぶ道を、よろよろと自転車を漕いで、父に荷台から手を離されては派手に転んだ。ときには、誰のものともわからぬ墓に突っ込んだりもした。
 あ、そうそう、この道だな、たしか……。ようやく、思い出しかけていたことの続きが見えた。
 記憶を掘り起こすようにして道を進んでいく。
 六歳までは、父はまだ家にいて、女遊びもせずにまっすぐ帰宅しており、家では母がご飯を作って待っていた。息子の絵の才能には無関心でも、それなりに目をかけてくれていた頃だ。まだぎりぎり機能していたんだ。家族っていうシステムが。
 何がいけなかったんだ? 親父の性根か? 母の両親が相次いで亡くなったことか? いろんな要素が重なって簡単に歯車は狂ってしまった。結局、不肖の息子が自転車に乗れるようになるまで、家族は維持されなかった。
 小学三年からは母との二人暮らし。月に一度、毎度違う女を侍らせた父との地獄のような面会時間が待っていた。その時間が、自転車の練習に充てられた。父は恋人を〈ぼちこーえん〉のベンチに待たせ、自転車の練習を開始する。
 ようやく自転車に乗れるようになった頃から、母親は月に一度の面会も拒絶するようになった。オヤジが女連れで面会していることをうっかり自分が洩らしてしまったのだ。それで、母は面会を許さなくなった。仕方ないことだが、今になって考えると、少し哀れな気もする。
 その後は母の目をぬすんで、年に一、二度の交流が常になった。
 最後に会ったのは父の転勤先の名古屋でだった。高校一年の夏だ。メールが来たのだ。おまえと一緒に暮らせるように身を固めたから来てくれ、と。
 母との暮らしは、直接的にではないにせよ、つねに男の影を感じさせるもので、決して居心地がいいとは言えなかった。男たちはだいたいにおいて思春期の息子を邪険に扱う。これを機に父親のもとで暮らすのも悪くないのでは、との考えもあってその誘いに乗って名古屋へ向かった。
 だが、家の前まで来たところで怖じ気づいた。庭先に三歳くらいの女の子がいた。顔が似ていないからたぶん父の再婚相手の連れ子だろう。部屋の中から、その娘を穏やかに見守る父の姿が視界に入った。自分には一度も見せたことのないような目じりの垂れ下がった顔をしていた。
 この円満な家庭に、あえて自分が混じる意味は何だ? そう思うと何もかも馬鹿らしく思えて結局会わずに引き返した。女を取っ換え引っ換えしていた男が、やっと人並みの幸せに腰を据える気になったのだ。放っとけ。
 あの時の選択は我ながら間違っていなかった。そこから二年、母との暮らしに我慢したら、今度は母が再婚してくれた。誰にとってもお荷物になるってのは悪い経験じゃない。野良犬の自由を味わえるんだから。
 それで、自分はフオンと生きる道を選んだ──はずだった。
 あんな両親みたいになるもんか、俺はフオンを見つめ続ける、と誓った魂は、東京に着いてほどなくどこかにしまいこまれてしまった。優しさも愛情も失っていないつもりだった。だが、それらは箱だけで、中身を失っていたのかも知れない。
 やめよう。場所の記憶から、結局はフオンに帰ってしまう。
 で──どうしてこんな場所にいるのかという話だ。べつに親父との自転車練習の記憶に浸りに来たわけじゃない。
 じつは、たった一人、師匠と呼べる人間がここに眠っている。
 水無月晴雄(みなづきはるお)。
 いまは亡き〈水無月絵画教室〉の室長だ。
       
  2
 
 水無月晴雄の墓参りに来るのは、初めてのことだ。亡くなったのは五年前。その知らせを聞いた時は、すぐに帰省する気になれなかった。なにしろ、晴雄さんとは長いこと絶縁状態にあった。
 悪かったのは、まあ、こっちなのかな。悪いとはいまも思ってないんだけど。はじめは些細な言い合いだった。描き方が生意気すぎると言われた。油絵を専攻するにせよ、国内で評価されるなら、写実性を重んじろ、と。冗談じゃない、と当時は思った。
 晴雄さんの主張は正しかった。どんな絵を描くのであれ、まずはじめに写生ありきだ。ピカソだってそこから出発している。
 だが、あの頃はこっちも高校を出たばかり。これから画壇に新風を巻き起こしてやろうと鼻息の荒い時期だから、当然そんな意見は聞き入れなかった。
 それで、徐々に亀裂が入ったわけだ。最初のうちは曖昧に頷いて、意見を聞き入れたふりでやり過ごしていたが、作品を重ねるごとに、やることなすこと晴雄さんがケチを入れてくる。
 そしてとうとう最終的な一言を吐いてしまった。
 ──あなたみたいに画壇に認められないまま終わりたくないんだ。
 人間ってのは、時に信じられないくらい簡単に相手の心を抉るような真似ができる。ひどいことを言えば傷つくなんて当たり前のことなのに、若いうちはそれをさもすごいことをしてやったみたいな顔でやっちまう。いま考えれば、「画壇」なんてものを目指して絵を描いていたのがいかに動機が不純だったかもわかる。
 さて、とりあえず、ここにかつて暴言を吐いた恩師の墓があって、自分はその前にいる。
「ただいま、晴雄さん」
 晴雄さんのことを先生と呼んだことは一度もなかった。小学校から通っていた絵画教室だ。気がついたらいつも晴雄さんと呼んでいた。絵画教室は、基本的に大人のために開かれていて、小学生で通っているのは自分くらいだった。
 晴雄さんは子ども嫌いで、通常は小学生の生徒はとらないと言っていた。最低でも高校生から、と。でも小学校で描いた絵を持っていったら、目を細めて、両親に、この子がプロの画家になるまで面倒を見たい、と話してくれた。両親は目を丸くした。だが、晴雄さんには確信があったようだ。画家としての素質を感じ取っていたのかも知れない。
「日本ノオ墓初メテ見タヨ」
 隣で手を合わせるバロンが言った。なんとなく一人で墓参りするのが嫌で、バロンに付き添ってもらったのだ。
「お墓参りっすか! ガールフレンドですね?」とよくわからない思い込みでバロンはついてきたので、たぶん今もそう思っているんだろう。片言風の日本語を喋っているのは、ときおり行き交う来園者へのポーズだ。
「バロン、それ隣の墓だよ」
 テヘヘヘと笑いながらバロンは相変わらず隣の墓に手を合わせ続けている。
 バロンは〈未来世紀BZ〉というブラジル料理店のバイトをしている。もっともそれは表向きの仕事で、実際は小吹組の組員だ。過保護な組長の命令で息子を見守っている。まあ、そんな事情はこっちには関係ない。とりあえず〈未来世紀BZ〉はまともにうまい店であることに変わりはないし。
 目下のお気に入りは、店の看板メニューであるシュラスコーという肉の食べ放題プランだ。こちらがストップというまで牛肉のあらゆる部位の肉がひたすら提供され続ける。肉塊を客のテーブルに持っていってその場で切るのはバロンの仕事でもある。
「よし、楽しい墓参りは終了。バロン、それでどうだ? 一昨日頼んだ件だけど」
「何すか、せっかくニッポン人らしく墓参り満喫してたのに」
 流暢な日本語でバロンが返す。
「フオンの件だよ」
 一昨日、佑子の一件が片付いた後で、改めてバロンにフオンの目撃情報を集めるように頼んだのだ。
 東京のアパートに届いた封筒の消印は浜松だったし、三日前に同窓会で会った萌愛はその直前にフオンをメイワンの谷島屋で見かけたと言っていた。あと、ヤッさんの目撃談も。
 それらの話が本当なら、フオンは今も浜松にいる可能性がある。だが、実家には戻ってきていなかった。ベトナム人の多い駅南界隈の連中も知らなかった。となると、とにかくフオンの情報を広く集める必要があった。
 バロンは二つ返事で引き受けてくれた。
 ──任しといてくださいよ。その写真データ、メールでもらえますか? 小吹組の総力をあげて見つけ出します。
 ──そんな大げさにするな。おまえだけで動いてくれよ。
 万一こんなことが蘭都にバレたら白い目で見られそうだ。
「その件なら、一つ情報が入りましたよ。〈鰻(うな)ずき〉って店の近くで昨日、うちの下っ端の奴が見たらしいっす」
 そう言えば、ヤッさんも鰻丼を食べて店を出たところで遭遇したと言っていた。同じ店だろうか。
「〈鰻ずき〉って……聞いたことないな……」
「以前は〈鰻屋すずき〉でしたけどね、客があんまり入らないから改名したんすよ」
「ああ、あの店か」
 行ったことはないが、親や友人の口から店名を聞いたことはある。
「どのへんにある店?」
「浜松城のあたりっすよ」
「彼女は鰻屋で何してたんだ? 鰻が大好きってわけでもないはずなんだが……」
「それはわからないっすね。うちの奴は、大通りを車を走らせてるときに店から出てくる
のを見ただけらしいっすから。鰻丼食べてたんじゃないっすかね」
「フオンに間違いないのか?」
「らしいっすよ。写真見せてちゃんと確認取りましたから」
「わかった。ちょっと行って確かめてみる。引き続きよろしく」
「了解っす」
 その後も、バロンはお墓の碑文を読めもしないのに無理矢理読んだり、お供え物の缶ビールをくすねたりと忙しい。こっちは晴雄さんの墓に向き合ったものの、何を考えたらいいのかわからず困っていた。
 とりあえず雨がひどい。長居は無用だ。
 晴雄さんの顔だけは、ぼんやり思い出せた。最後の喧嘩で、小学校時代から手塩にかけた生徒に暴言を吐かれた時の呆然とした顔だった。
 やりきれない記憶ばかりが、澱のように残ってしまう。ほかにもいろいろあったろうに、なんでよりによってあの時の顔なんだよ? 
「蒼さん?」
 微かに甲高い声が背中に降り注がれたのは、立ち上がろうとしたタイミングだった。
「……でしょ?」
 振り返って声の主を確かめた。すらりとした体型の女性が立っている。
「ええ、あなたは……」
 言いかけて、はたと彼女が手元に花束を抱えていることに気づく。ここは晴雄さんの墓の前。ほかに選択肢は考えにくかった。
「水無月晴雄の娘の柚香です。覚えて……ますよね?」
「ああ……」
 晴雄さんの意向に反して絵の道に進まなかった娘。彼女とのあいだには、誰にも言えない秘密があった。
 ──あいつも絵をやるかと思ったんだけどね。デッサンも真面目にやりゃしないんだ。
 晴雄さんはいつも愚痴っていた。その言い方は、やや愚痴というレベルを超えて、罵詈雑言の域に差し掛かることさえあった。
 そして──あの頃の自分は、いつも柚香の話になると眉間に皺をよせて迷惑そうな顔でやり過ごしていたっけ。
「父の墓参り、ありがとうございます」
 彼女は深々と頭を下げた。ゆるい胸元から、胸の谷間が覗いた。
 あとになって思えば、谷間に見惚れている場合ではなかった。この時すでに自分は厄介ごとに巻き込まれることを運命づけられていたのだから。

(つづく)

探偵は絵にならない_帯

(内容紹介)若くして評価を受けるも、すでに失業気味の画家・濱松蒼。同棲していたフオンも「あなたの匂いが消えた」と言い残して家を出て行ってしまう。フオンを追いかけ二人の出身地・浜松に戻った蒼は、腐れ縁の友人でありアロマテラピストの小吹蘭都の住居に転がり込み、当座の仕事とフオンの行方を探す。だが蒼に持ち込まれるのは奇妙な依頼ばかりで…浜松まつり直前の故郷で、蒼は大切なものを取りもどすことができるのか?

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