物語創世

『サピエンス全史』の次にはこれを読め! 『物語創世』、訳者あとがき

鹿島茂氏が帯に推薦文をお寄せくださり、成毛眞氏がツイッターやFBで、冬木糸一氏がHONZ書評ですすめてくださっている『物語創世』(マーティン・プフナー、塩原通緒・田沢恭子訳)。広く読まれる古今の物語が私たちの生活にどんな影響を与えているかについて、本書は何を語るのか。訳者の一人による「訳者あとがき」でのぞいてみてください。


訳者あとがき

 元号が代わった。施行の一カ月前に新元号が事前公表され、万葉集から採ったものであることが明らかにされた。これまでの元号は漢籍を典拠としており、日本の古典から採ったのは今回が初めてだという。にわかに各地の書店で万葉集の特別コーナーが設けられ、関連書籍の売り切れや重版が相次いだ。
 どれほどすぐれた文学作品も、記録する手段がなければ後世に伝わらない。今から一〇〇〇年以上昔の奈良時代末期に成立したとされる歌集を現代の私たちが手にして読むことができるのは、それが書き残されているからにほかならない。文明史上有数の重大な発明である〝文字〟と〝紙〟が古(いにしえ)の言葉を伝えてくれる。新元号「令和」の出典となった「梅花の歌三十二首并(あわ)せて序」の書き手は、自分の記した言葉が長い年月を隔ててこんなかたちで脚光を浴びるとは夢にも思わなかったに違いない。しかし文字と紙のおかげでその言葉は生き続け、さらにまた別の重要な発明である〝印刷〟のおかげで、私たちはたやすくそれを手に入れることができる。インターネットや電子書籍などの〝電子媒体〟で読む人もいるだろう。
 
 文字を記して保存する技術のおかげで文学が生まれ、生き続ける。本書『物語創世』において、著者のマーティン・プフナーは、書字技術に着目して四〇〇〇年にわたる文学の歴史を展望する。文学資料の大海を過去へさかのぼることもあれば、世界各地へ自ら赴くこともある。この時空をめぐる旅により、文学と世界のかかわりに新たな光が投げかけられる。
 プフナーが文学と書字技術のかかわりに着目するようになった大きなきっかけは、現代の私たちが書字技術にきわめて重大な変化が起きている時代を生きているのに気づいたことだそうだ(後出の講座「世界文学の傑作」)。その変化とは、「書く」ことにおいてコンピューターやインターネットが大きな役割を担うようになったことである。現在では、世界中のほぼ万人がきわめて低いコストで文字を記して広範に伝えることができる。今起きている変化は文学の歴史のうえで格段に重大な変化だが、プフナーはほかにも文字、紙、本、印刷といった重要な技術に着目し、それらとテキストとの相互作用の連続として「文学の物語」を語る。
 たとえばプフナーは、史上最古の文学記録とされる『ギルガメシュ叙事詩』をめぐる書字技術に目を向ける。紀元前二千年紀初頭に作成されたとみられる最古の記録は、粘土板にびっしりと刻まれた楔形文字で記されている。当時は文字を書ける人はごく限られていた。粘土板に文字を記して保存可能な状態にするには、相当な労力と時間がかかる。情報量に比して保管にも膨大なスペースと手数が必要だ。要するに、プフナーの言葉を借りるなら、初期の文学はきわめて「コストが高い」のだ。当然、文学はひと握りの人が生産し消費するものとなる。
 生産と消費の様式やコストが異なれば、おのずと内容や性質も違ってくる。印刷術が普及する前の西暦一〇〇〇年ごろの日本では、紫式部が『源氏物語』を書いた。この作品は少数の貴族を楽しませる娯楽書として、あるいは貴族のたしなみを教える指南書として、紙に筆で書かれ、さらに手書きで写本が作られ、数の少ない貴重なものとして狭い範囲で流通した。同じ作品がのちに印刷によって大量に複製できるようになると、それは娯楽作品であるとともに、平安時代の社会や人間のあり方を教えてくれる歴史書にもなる。プフナーは本書でひとつの章を『源氏物語』に充て、書字技術と物語との関係を掘り下げている。和歌をしたためた紙をはじめとして扇や屏風など、紙でできたものに囲まれて人々が暮らす『源氏物語』の世界を「紙の世界」と看破しているのがおもしろい。
 ほかにも本書では、一六の各章で、重要な書字技術が文学と交差したときに生まれた作品を幅広く取り上げている。聖書や『千夜一夜物語』といったきわめて有名なものもあれば、アフリカ西部の『スンジャタ叙事詩』のように少なくとも日本ではあまり知られていないものもあり、さらには『共産党宣言』など、「これも文学なのか」といささか意外に感じられるものも登場し、それぞれが世界をいかに形づくってきたのかが、プフナーの当てる光によって明らかとなる。
 
 プフナーは現在、ハーバード大学で演劇、英文学、比較文学の教授を務めている。ドイツ南部のニュルンベルク出身だが、幼少時から多様な言語に触れ、複数の国で暮らした経験が、目下のテーマである「世界文学」に関心を抱く素地となったらしい(「世界文学の傑作」)。学術書の出版や各種媒体への小論の寄稿に加えて、代表的な業績として『ノートン世界文学選集』(Norton Anthology of World Literature〔未訳〕)の編集主幹を務めている。この選集の編集に携わったことで文学研究者の人脈が広がり、それが本書の執筆で大いに役立ったそうだ。さらに、ハーバード大学が配信しているオンライン学習プラットフォーム〈ハーバードX〉で「世界文学の傑作」という講座を担当したことが、特に本書執筆の直接的なきっかけとなったという。また、文学と世界とのかかわりについて執筆するにあたり、文学史上で重大な出来事が起きた現場へ足を運ぶ必要を感じ、自ら各地を訪れる(The Written World ペーパーバック版に収録されたインタビュー)。さまざまな要因が結びついて、文学の壮大な歴史に書字技術という観点から切り込む、ユニークな文学書が生まれた。
 本書『物語創世』の原題はThe Written World: The Power of Stories to Shape People, History, Civilizationという。Written World(リトウン・ワールド)とは、文字によって形づくられた世界だ。新しい書字技術によって新しい文学が生まれ、さらに次の新たな書字技術がやがて生まれる。この相互作用の連続によって形成されるのが、プフナーの言う「リトゥン・ワールド」、すなわち「文字の世界」である。彼はこの世界の歴史、すなわち四〇〇〇年の文学の歴史をひとつの物語ととらえている。そしてこの物語がまだ誰にも語られていないことに気づき、それならば自分が語ろうと思い至った。本書34〜35ページの地図や年表を見ると、その物語の時間的、空間的な展開がよくわかる。
 こうして文学の来し方を見つめながら、一方で文学の物語の行く末にも目を向けることを忘れない。なぜなら書くという行為は、未来に読まれることを前提としているからだ。プフナーはゲストとして出演したテレビの文学トーク番組で本書について語った際、こう話している。

 
書かれたテキストによって、書き手は未来の読み手に語りかけることができます。その一方で、テキストは生き続けるので、書き手は過去と未来の双方と興味深いかたちでコミュニケートすることができます。多くの書き手は今、このことに気づいています。過去より未来に重きを置く書き手もいます。……新たな未来を作るために過去を語る物語もあります。多くの物語は過去を見据えながら同時に未来にも目を向けるという二つの視点を兼ね備えているのだと思います。(Story in the Public Square)

 
 プフナーの語る「文学の物語」も、まさに過去だけでなく未来をも展望している。文学の歴史をたどってきた彼は、その旅路の末に、コンピューターとインターネットによる革命的変化が起きている現代について楽観的な思いを抱くようになったという。子どもがネット上で多くの時間を費やすばかりで本を読まなくなってしまったと親や教師は嘆くが、彼は「私たちはこれまでになくたくさん書くようになりました。text という英単語が英語史上初めて動詞として使われるようになっています。これは、書くという行為に何か重大なことが起きている証ではないでしょうか」(The Written World ペーパーバック版インタビュー)と指摘し、今後の新たな展開に期待を寄せる。
 
 振り返ってみると、平成はコンピューターとインターネット、そして携帯電話が社会に普及した時代だった。それによって、低コストでたくさんの人が容易に生産し消費できる新しい文学の形態が生まれた。新たに始まった令和時代には、どんなテクノロジーがどんな文学を生み出すのだろう。そして、その文学がどんな世界を築くのだろう。四〇〇〇年にわたってつづられてきた文学の歴史に今度はどんなページが加わるのか、興味は尽きない。

令和元年六月 訳者を代表して  田沢恭子


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