ネクサス_上

人間をコントロール可能にするLSD的ナノマシンの争奪戦――パラマウント映画化進行中! IEやOutlookの開発者にしてナノテク企業CEOである著者のデビュー作、ラメズ・ナム『ネクサス』訳者あとがき公開

訳者・中原尚哉氏によるあとがき

 本書の科学的アイデアのかなめである脳-機械インターフェースについては、ソフトウェア・エンジニアの向井淳氏に解説していただきました。著者のラメズ・ナムの経歴や著作もあわせて紹介していただいているので、そちらを主にお読みください。本項は補足にとどめたいと思います。
 この作品は、現在おこなわれている科学的な基礎研究から実現可能と考えられる応用技術を、近未来の世界を舞台に展開してみせたテクノロジーサスペンス小説です。
 タイトルの〝ネクサス〟は、薬物のように経口摂取できるナノマシンの名称です。使用すると思考速度が上がり、感覚が鋭敏になり、周囲の摂取者と思考を共有できるという、LSD的な幻覚剤として不正規に流通しています。本来は一定時間後に体外に排出されて効果は消失するしくみですが、カリフォルニア大学の大学院生である主人公ケイデン・レインと、共同研究者のランガン・シャンカリ、イリヤナ・アレクサンダーの3人は、これを恒久的に脳内にとどまらせる方法を発見します。それどころか、そのカーボンナノチューブの構造体にOSを組み込み、プログラム可能にする技術まで開発します。
 この技術は人間の能力を飛躍的に高める一方で、人格や行動を外部からコントロールすることが可能です。もちろん軍事技術として大きな、そして危険な可能性を秘めています。アメリカ政府はこの方面の研究を禁止しており、規制当局として国土安全保障省に新型リスク対策局(ERD)を設けています。
 そのERDの女性捜査官であるサマンサ・カタラネスは、禁止分野に手を染めるレインの研究グループへの潜入調査を命じられます。
 さらに物語は米中対立を軸として、中国政府と人民解放軍の依頼でネクサスを研究する中国人女性神経科学者の朱水暎(ジュウ・スイイン)、タイで仏教者の立場から研究しているソムデット・プラ・アナンダ教授などがからんできます。ネクサス研究を抑制したいアメリカと、促進したい中国。さらにネクサスをパブリックドメインにすることで世界を変えようと願う元アメリカ海兵隊員ワトソン・コール。さまざまな勢力と思惑が真夏のバンコクでぶつかりあう……という物語です。
 向井氏の解説にもあるように映画会社が映像化権を取得しており、今後の展開が楽しみです。
 ここでは著者の出版歴を書誌的にまとめておきます。本書は3部作の第1巻という位置づけになっています。

◆フィクション
Nexus (2012)本書
Crux (2013)
Apex (2015)フィリップ・K・ディック賞受賞

◆ノンフィクション
More Than Human: Embracing the Promise of Biological En-hancement (2005)『超人類へ! バイオとサイボーグ技術がひらく衝撃の近未来社会』(河出書房新社、2006年)
The Infinite Resource: The Power of Ideas on a Finite Planet (2013)

 この他に、2013の短篇「水」が、拙訳で〈S-Fマガジン〉2014年11月号に掲載されています。
 著者のナムは、かつてマイクロソフト社で要職を務めた、いわばテック業界の成功者です。小説を書くことを生業(なりわい)にしてきたわけではありませんが、読者としては好んでSFを読んできたようです。インタビューでは、「豊かな細部と複雑なストーリーを持ち、壮大なスケールともっともらしい科学が両立している」ものが好きだと述べています。作家や作品としては、ダン・シモンズのハイペリオン・シリーズ、グレッグ・イーガン、イアン・バンクス、デイヴィッド・ブリン、グレッグ・ベアを挙げています。

 今回の邦訳出版プロジェクトでは、中国人登場人物の漢字表記をすべて著者に指定していただきました。その過程で一部の人名の発音が原書の英文と異なる形になっていることをご了承ください。著者のご協力に感謝します。

 2017年8月