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「すべてが終わった時、本当に僕たちは以前とまったく同じ世界を再現したいのだろうか」『コロナの時代の僕ら』著者あとがき

コロナウイルス(COVID-19)の急激な感染拡大により、EU最速で非常事態を宣言、3月10日からは全土にて外出制限を行っているイタリア。だが感染の爆発は想像を超えるスピードだった……。

イタリアを代表する小説家であり、物理学博士でもあるパオロ・ジョルダーノは、母国の混乱のさなかで何を考えたのか。世界26カ国で緊急刊行される彼のエッセイ『コロナの時代の僕ら』で綴られる切実で誠実な思索は、気づけば「コロナの時代」を生きざるを得なくなっていた世界じゅうの人々の道標になるはずだ。

日本でも緊急事態宣言が発令される今日、『コロナの時代の僕ら』に収録される著者のあとがき「コロナウイルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと」を公開する。「まさかの事態」の訪れを拒めない僕らは、どう行動すべきなのか。感染の爆発を防ぐためにできることはなにか。そして、「コロナ後」の世界をどう生きるのか。

感染の収束を願う、すべての人に贈る。
(2020年4月10日 内容更新)

著者略歴
パオロ・ジョルダーノ

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©︎Daniel Mordzinski


小説家。1982年、トリノ生まれ。トリノ大学大学院博士課程修了。専攻は素粒子物理学。2008年、デビュー長篇となる『素数たちの孤独』は、人口6000万人のイタリアでは異例の200万部超のセールスを記録。同国最高峰のストレーガ賞、カンピエッロ文学賞新人賞など、数々の文学賞を受賞した。

コロナウイルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと


コロナウイルスの「過ぎたあと」、そのうち復興が始まるだろう。だから僕らは、今からもう、よく考えておくべきだ。いったい何に元どおりになってほしくないのかを。


 このところ、「戦争」という言葉がますます頻繁に用いられるようになってきた。フランスのマクロン大統領が全国民に対する声明で使い、政治家にジャーナリスト、コメンテイターが繰り返し使い、医師まで用いるようになっている。「これは戦争だ」「戦時のようなものだ」「戦いに備えよう」といった具合に。だがそれは違う。僕らは戦争をしているわけではない。僕らは公衆衛生上の緊急事態のまっただなかにいる。まもなく社会・経済的な緊急事態も訪れるだろう。今度の緊急事態は戦争と同じくらい劇的だが、戦争とは本質的に異なっており、あくまで別物として対処すべき危機だ。

 今、戦争を語るのは、言ってみれば恣意的な言葉選びを利用した詐欺だ。少なくとも僕らにとっては完全に新しい事態を、そう言われれば、こちらもよく知っているような気になってしまうほかのもののせいして誤魔化そうとする詐欺の、新たな手口なのだ。

 だが僕たちは今度のCOVID-19流行の最初から、そんな風に「まさかの事態」を受け入れようとせず、もっと見慣れたカテゴリーに無理矢理押しこめるという過ちを飽きもせず繰り返してきた。たとえば急性呼吸疾患の原因ともなりうる今回のウイルスを季節性インフルエンザと勘違いして語る者も多かった。感染症流行時は、もっと慎重で、厳しいくらいの言葉選びが必要不可欠だ。なぜなら言葉は人々の行動を条件付け、不正確な言葉は行動を歪めてしまう危険があるからだ。それはなぜか。どんな言葉であれ、それぞれの亡霊を背負っているためだ。たとえば「戦争」は独裁政治を連想させ、基本的人権の停止を暴力を思わせる。どれも――とりわけ今のような時には――手を触れずにおきたい魔物ばかりだ。

 「まさかの事態」が僕たちの生活に侵入を果たしてから、ひと月になる。肺のもっとも細い気管支にまで達するウイルスのように油断のならぬそれは、もはや僕らの日常のあらゆる場面に現れるようになった。ただのゴミ出しに弁解が必要になる日が来ようとは、誰も想像したことがなかったはずだ。まさか、市民保護局が毎日行う感染状況発表の内容に合わせて自分たちの暮らしを調整することになるなんて。まさか――よりによってここで、それも僕たちが――愛する者に看取(みと)ってももらえず、寂しく死ぬことになるかもしれないなんて。しかもその葬儀は音ひとつせず、立ち会う者ひとりいないかもしれないなんて(訳注:2020年4月5日現在、感染拡大防止のため冠婚葬祭を含む一切の集会が認められていないため)、誰が想像していたろう? にもかかわらず。 
 
 2月21日付の『コリエーレ・デッラ・セーラ』紙(訳注:イタリアを代表する日刊紙のひとつ)は、コンテ首相とレンツィ元首相がふたりきりで会談したというニュースを一面トップに置いた。ふたりきりで何を話した? 誓って言うが、僕は覚えていない。コドーニョ(ロンバルディア州ローディ県の町)で最初の「綿棒(タンポーニ)」陽性患者が出たというニュースが同紙の編集部に届いたのは前夜の1時過ぎと遅かったため、その知らせは最終版一面の右端の段にぎりぎりで押しこまれた。僕らの多くはコドーニョという地名を聞くのも初めてなら、ウイルステストの通称としてタンポーニという言葉が使われるのを聞くのも初めてだった。翌朝、コロナウイルスは、一面トップのタイトルという栄光の地位を獲得した。そして二度とその場を譲ろうとはしなかった。

 振り返ってみれば、あっという間に接近されたような気がする。「六次のへだたり」理論が本当かどうか、僕は知らない。知りあいのつてをたどっていくと、驚くほどわずかな人数を介しただけで世界の誰とでもつながってしまうという、あの話だ。でも今度のウイルスは、まるで網の目をたどる昆虫のように、そんなひとの縁(えん)の連鎖によじ登り、僕たちのもとにたどり着いた。中国にいたはずの感染症が次はイタリアに来て、僕らの町に来て、やがて誰か著名人に陽性反応が出て、僕らの友だちのひとりが感染して、僕らの住んでいるアパートの住民が入院した。その間、わずか30日。そうしたステップのひとつひとつを目撃するたび――確率的には妥当で、ごく当たり前なはずの出来事なのに――僕らは目をみはった。信じられなかったのだ。「まさかの事態」の領域で動き回ることこそ、始めから今度のウイルスの強みだった。僕らは「まさか」をこれでもかと繰り返した末に、自宅に閉じこめられ、買い物に行くために警察に見せる外出理由証明書をプリントアウトする羽目となった。

 義憤、遅れ、無駄な議論、よく考えもせずに付けたハッシュタグ――そのひとつひとつが、約17日後に、死者を生む原因となった。なぜなら感染症流行時は、躊躇(ちゅうちょ)をしたぶんだけ、その代価を犠牲者数で支払うものと相場が決まっているからだ。僕らがかつて味わったなかで、もっとも残酷な時間単価だ。

 イタリアの死者数は中国のそれを超えた。僕たちは一連の偶発的原因に怒って当然だし、怒るべきだが、問題の根本のところで必ず、自分たちが「まさかの事態」を受け入れるのが不得手な国民であるという事実に直面してしまうはずだ。これは近年、他の似たような感染症流行を経験済みだった国々と比較しての話だ。いずれにしてもここまでくると、僕らにしても、この「まさかの事態」の前進が、今日終わることもなければ、全国民の外出制限を指示した首相令の期限が切れる4月3日に終わることもないとわかっているはずだ(2020年4月5日現在、期限は4月13日まで延長されている)。それは自宅隔離の指示が解かれても終わらず、今回のパンデミック自体が終結しても終わらないだろう。「まさかの事態」はまだ始まったばかりで、ここには長く居座るつもりでいるはずだ。もしかするとそれは、僕らの前に開かれようとしている新たな時代の特徴となるのかもしれない。

 戦争という言葉の濫用について書いているうちに、マルグリット・デュラスの言葉をひとつ思い出した。逆説的なその言葉はこうだ。「平和の様相はすでに現れてきている。到来するのは闇夜のようでもあり、また忘却の始まりでもある」(『苦悩』田中倫郎訳 河出書房新社)戦争が終わると、誰もが一切を急いで忘れようとするが、病気にも似たようなことが起きる。苦しみは僕たちを普段であればぼやけて見えない真実に触れさせ、物事の優先順位を見直させ、現在という時間が本来の大きさを取り戻した、そんな印象さえ与えるのに、病気が治ったとたん、そうした天啓はたちまち煙と化してしまうものだ。僕たちは今、地球規模の病気にかかっている最中であり、パンデミックが僕らの文明をレントゲンにかけているところだ。真実の数々が浮かび上がりつつあるが、そのいずれも流行の終焉とともに消えてなくなることだろう。もしも、僕らが今すぐそれを記憶に留めぬ限りは。

 だから、緊急事態に苦しみながらも僕らは――それだけでも、数字に証言、ツイートに法令、とてつもない恐怖で、十分に頭がいっぱいだが――今までとは違った思考をしてみるための空間を確保しなくてはいけない。30日前であったならば、そのあまりの素朴さに僕らも苦笑していたであろう、壮大な問いの数々を今、あえてするために。

 たとえばこんな問いだ。すべてが終わった時、本当に僕たちは以前とまったく同じ世界を再現したいのだろうか。

 僕らはCOVID-19の目には見えない伝染経路を探している。しかし、それに輪をかけてつかみどころのない伝染経路が何本も存在する。世界でも、イタリアでも、状況をここまで悪化させた原因の経路だ。そちらの経路も探さなくてはいけない。だから僕は今、忘れたくない物事のリストをひとつ作っている。リストは毎日、少しずつ伸びていく。誰もがそれぞれのリストを作るべきだと思う。そして平穏な時が帰ってきたら、互いのリストを取り出して見比べ、そこに共通の項目があるかどうか、そのために何かできることはないか考えてみるのがいい。

 僕は忘れたくない。ルールに服従した周囲の人々の姿を。そしてそれを見た時の自分の驚きを。病人はもちろん健康な者の世話までする人々の疲れを知らぬ献身を。そして夕方になると窓辺で歌い、彼らに対する自らの支持を示していた者たちを。ここまでは忘れてしまう危険はない。簡単に思い出せるはずだ。もう今度の感染症流行にまつわる公式エピソードとなっているから。

 でも僕は忘れたくない。最初の数週間に、初期の一連の控えめな対策に対して、人々が口々に「頭は大丈夫か」と嘲(あざけ)り笑ったことを。長年にわたるあらゆる権威の剥奪(はくだつ)により、さまざまな分野の専門家に対する脊髄(せきずい)反射的な不信が広まり、それがとうとうあの、「頭は大丈夫か」という短い言葉として顕現したのだった。不信は遅れを呼んだ。そして遅れは犠牲をもたらした。

 僕は忘れたくない。結局ぎりぎりになっても僕が飛行機のチケットを1枚、キャンセルしなかったことを。どう考えてもその便には乗れないと明らかになっても、とにかく出発したい、その思いだけが理由であきらめられなかった、この自己中心的で愚鈍な自分を。

 僕は忘れたくない。頼りなくて、支離滅裂で、センセーショナルで、感情的で、いい加減な情報が、今回の流行の初期にやたらと伝播されていたことを。もしかすると、これこそ何よりも明らかな失敗と言えるかもしれない。それはけっして取るに足らぬ話ではない。感染症流行時は、明確な情報ほど重要な予防手段などないのだから。

 僕は忘れたくない。政治家たちのおしゃべりが突如、静まり返った時のことを。まるで、結局乗らなかったあの飛行機を僕が降りたら、耳が両方とも急にもげてしまったみたいなあの体験を。いつだって聞こえていたあの耳障りで、常に自己主張をやめなかった政治家たちの声が――少し先を見据えた言葉と考察が本気で意見を言うことをことごとく妨げてきたあの横柄な声たちが――ぱったりと途絶えた時のことを。

 僕は忘れたくない。今回の緊急事態があっという間に、自分たちが、望みも、抱えている問題もそれぞれ異なる個人の混成集団であることを僕らに忘れさせたことを。みんなに語りかける必要に迫られた僕たちが大概、まるで相手がイタリア語を理解し、コンピューターを持っていて、しかもそれを使いこなせる市民であるかのようにふるまったことを。(移⺠たちのことを一切考慮せず、大切な知らせがイタリア語のみで伝達されていること、学級閉鎖にともない、いきなりオンライン授業が導入され、教育現場が混乱している状況などを指している)

 僕は忘れたくない。ヨーロッパが出遅れたことを。遅刻もいいところだった。そのうえ、感染状況を示す各国のグラフの横に、この災難下でも僕らは一体だとせめて象徴的に感じさせるために、もうひとつ、全ヨーロッパの平均値のグラフを並べることを誰ひとりとして思いつかなかったことを。

 僕は忘れたくない。今回のパンデミックのそもそもの原因が秘密の軍事実験などではなく、自然と環境に対する人間の危うい接し方、森林破壊、僕らの軽率な消費行動にこそあることを。

 僕は忘れたくない。パンデミックがやってきた時、僕らの大半は技術的に準備不足で、科学に疎(うと)かったことを。

 僕は忘れたくない。家族をひとつにまとめる役目において自分が英雄的でもなければ、常にどっしりと構えていることもできず、先見の明もなかったことを。必要に迫られても、誰かを元気にするどころか、自分すらろくに励ませなかったことを。

 陽性患者数のグラフの曲線はやがてフラットになるだろう。かつての僕たちは存在すら知らなかったのに、今や運命を握られてしまっているあの曲線も。待望のピークが訪れ、下降が始まるだろう。これはそうあればよいのだがという話ではない。それが、僕らがこうして守っている規律と、現在、敷かれている一連の措置――効果と倫理的許容性を兼ね備えた唯一の選択――のダイレクトな結果だからだ。僕たちは今から覚悟しておくべきだ。下降は上昇よりもゆっくりとしたものになるかもしれず、新たな急上昇も一度ならずあるかもしれず、学校や職場の一時閉鎖も、新たな緊急事態も発生するかもしれず、一部の制限はしばらく解除されないだろう、と。もっとも可能性の高いシナリオは、条件付き日常と警戒が交互する日々だ。しかし、そんな暮らしもやがて終わりを迎える。そして復興が始まるだろう。

 支配階級は肩を叩きあって、互いの見事な対応ぶり、真面目な働きぶり、犠牲的行動を褒め讃えるだろう。自分が批判の的になりそうな危機が訪れると、権力者という輩(やから)はにわかに団結し、チームワークに目覚めるものだ。一方、僕らはきっとぼんやりしてしまって、とにかく一切をなかったことにしたがるに違いない。到来するのは闇夜のようでもあり、また忘却の始まりでもある。

 もしも、僕たちがあえて今から、元に戻ってほしくないことについて考えない限りは、そうなってしまうはずだ。まずはめいめいが自分のために、そしていつかは一緒に考えてみよう。僕には、どうしたらこの非人道的な資本主義をもう少し人間に優しいシステムにできるのかも、経済システムがどうすれば変化するのかも、人間が環境とのつきあい方をどう変えるべきなのかもわからない。実のところ、自分の行動を変える自信すらない。でも、これだけは断言できる。まずは進んで考えてみなければ、そうした物事はひとつとして実現できない。

 家にいよう(レスティアーモ・イン・カーサ)。そうすることが必要な限り、ずっと、家にいよう。患者を助けよう。死者を悼(いた)み、弔(とむら)おう。でも、今のうちから、あとのことを想像しておこう。「まさかの事態」に、もう二度と、不意を突かれないために。

2020年3月20日付 コリエーレ・デッラ・セーラ紙より


(このエッセイは現在校正中の翻訳をもとにしたものです。製品版では変更になる可能性があります)


訳者 飯田亮介
翻訳者。1974年生、日本大学国際関係学部国際文化学科中国文化コース卒、中国雲南省雲南民族学院中文コース履修、イタリア・ペルージャ外国人大学イタリア語コース履修。訳書にジョルダーノ『素数たちの孤独』『兵士たちの肉体』、フェッランテ『リラとわたし』『新しい名字』など「ナポリの物語」シリーズ等。同シリーズにて、日本翻訳大賞にノミネート中。

Copyright © 2020 Paolo Giordano
“ Il virus, il "dopo" e quello che non voglio scordare” originally published by Corriere della Sera, Italy on 20th March.