ダーウィン神話だけで全ては語れない。進化論がたどってきた道筋とは?『進化論の進化史ーアリストテレスからDNAまで』訳者あとがき
世界中の人々に進化論を鮮やかに示したとされている科学の偉人、チャールズ・ダーウィン。しかし、ダーウィンが生物の進化に関する理論を発表した頃には「生物種は進化する」という考え方は、さまざまな学者によってすでに論じられており、自然選択説も、同時期に他の学者が発想していたことでした。
ではなぜ、ダーウィン独自の発想ではない種の起源の理論は、彼の功績として語られているのでしょうか。
古代ギリシャ哲学から現代の最先端研究まで取り上げ、「進化論」の知られざる系譜を読み解く『進化論の進化史――アリストテレスからDNAまで』(ジョン・グリビン&メアリー・グリビン、水谷淳訳)が6月8日に発売。本記事では訳者あとがきを公開します。
訳者あとがき
本書はJohn Gribbin & Mary Gribbin, On the Origin of Evolution, Tracing ‘Darwin's DangerousIdea’ from Aristotle to DNA, William Collins (2020) の全訳である。
チャールズ・ダーウィンといえば、言わずと知れた科学の巨人である。もちろん学校でも教わる名前だし、動物番組のタイトルにまで使われているほどだ。そんなダーウィンに関して多くの人が抱いているイメージは、おそらく次のようなものだろう。
科学のヒーロー像にぴたりと当てはまるとらえ方だし、何よりも話がすっきりする。ところが実際の歴史はまったく違う。ダーウィン以前にも生物の進化について考えを重ねた人は大勢いたし、ダーウィン以後にも進化論は〝進化〟を続け、いまでも発展しつづけている。さらにダーウィンが導き出したのは進化論自体ではなく、新たな生物種が生まれる基本的メカニズムである。もちろんそれだけでも歴史的な大偉業だが、あくまでも進化論を支える柱の一本にすぎない。しかもダーウィンとまったく同時期に、まったく同じ理論にたどり着いた人物がもう一人いた。知る人ぞ知るアルフレッド・ラッセル・ウォレスである。
ではダーウィンとウォレスはどのようにして進化のメカニズムにたどり着いたのか? なぜダーウィンだけがこれほどまでに世に知られているのか? その答えは、古代や中世からダーウィンとウォレスの時代を経て、その後の時代に至るまで綿々と紡がれてきた、生物をめぐる思索の歴史をたどっていけば見えてくる。本書ははるか昔から現代まで続くその進化論の歴史を、数々の思索家の生涯を取り上げながらひもといた一冊である。
第1部ではダーウィン以前の時代をたどっていく。生物が進化するという発想は、何と紀元前にまでさかのぼるという。紀元後にキリスト教が確立し、神による創世物語が信じられるようになったが、そんななかでも生物種の進化について思索した神学者が何人もいた。そしてルネサンス以後、キリスト教の枠組みから踏み出して、生物は長い歳月を経て進化と絶滅を繰り返してきたと考える人たちが現れた。ところが、生物が進化するには悠久の歳月が必要であることが問題となる。ここで地質学が大きく発展して、地球は何億年も昔に生まれたことが明らかとなり、歳月の問題は解決された。そんな時代にダーウィンがあの有名な航海に出発する。
第2部はいよいよダーウィンとウォレスをめぐる物語である。この頃すでに、生物が進化すること自体はほぼ事実だと受け止められていて、具体的にどのようにして進化が起こるのかが問題となっていたという。そこで、家畜や栽培植物の品種改良と同様のプロセスが自然界でも起こっていて、それによって新たな生物種が生まれるのだと説く人たちが現れた。しかし時期尚早、科学界はまだそんな説を受け入れられる状況になかった。そんななかでダーウィンは実際の観察結果に基づいて、多様性と自然選択に基づく種の起源の理論を徐々に構築していった。そしてそれと時を同じくして、若くて野心に満ちたウォレスが東方で採集旅行を続けながら、ダーウィンとまったく同じ理論を思いつく。この二人のあいだにどのようなやり取りがあったのか?どんな葛藤があって、どのような形で決着がついたのか?ラッセルは進化論の発展にどのような役割を果たしたのか?本文中では細かい経緯をつぶさにたどりながらそれを解き明かしていく。
しかしこれで進化論が完成したわけではない。第3部ではその後の進展を追いかけていく。ダーウィニズムの2つの前提のうち、自然選択のほうは証拠によって裏付けられたが、多様性がどのようにして生じるのかは皆目見当がつかなかった。それが遺伝子の発見によって明らかとなり、さらに遺伝子の正体がDNAであることが証明された。こうして進化論は一応の完成を見たが、実は遺伝子のほかにも進化の担い手があった。その解明は今日もなお進められていて、進化論の進化はいまでも続いているのだという。
どんな科学理論も、何もないところから突如として完成された形で生まれることはない。長い歳月をかけて大勢の人が思索や観察を繰り返し、知見や疑問が少しずつ積み上げられていく。そして機が熟したところで、誰かがそれをひとくくりにまとめる理論を提案する。すると何人もの科学者が、それを手直ししたり肉付けしたりして洗練させていく。相対性理論もアインシュタインがゼロから作り出したのではなく、何人もの科学者の考察を土台にして構築された。進化論も同じで、千数百年にもおよぶ長い歴史の上に築かれている。しかしダーウィンが偉大でなかったなどということはけっしてなく、逆にそれだけ壮大な歴史を後ろ盾にしてその威光はますます強まるだろう。科学、ひいては人類の思想を、豊かな歴史を踏まえてより深く味わえる、本書はそんな一冊だと思う。
2022年4月
著者紹介
ジョン・グリビン John Gribbin
1946年生まれ。ケンブリッジ大学で天体物理学の博士号を取得後、ネイチャー誌やニューサイエンティスト誌で科学ジャーナリストとして活躍。『シュレーディンガーと量子革命』『銀河と宇宙』など、一般向けの科学啓蒙書を多数執筆。サセックス大学客員研究員。
メアリー・グリビン Mary Gribbin
1946年生まれ。教員を務めるかたわら子ども向けの科学書を多数執筆しており、ジョン・グリビンとの著書『Time and the Universe』でTES Junior Information Book Awardを受賞。サセックス大学客員研究員。
訳者紹介
水谷淳(みずたに・じゅん)
翻訳家。訳書にブキャナン『歴史は「べき乗則」で動く』、ハリス『ゲノム革命―ヒト起源の真実―』、チャイティン『ダーウィンを数学で証明する』(以上早川書房刊)、テグマーク『LIFE 3.0』、アル=カリーリ&マクファデン『量子力学で生命の謎を解く』ほか多数。