【特別公開!】『機龍警察〔完全版〕』千街晶之氏文庫解説
8月18日の『機龍警察 白骨街道』の発売を記念して、『機龍警察〔完全版〕』の千街晶之氏の文庫解説を特別公開します。これまでのシリーズ既刊についてもわかりやすくご紹介くださっている、本篇を読む前でも読んでからでも楽しめる、とても素晴らしい解説です。ちょっとでも本シリーズを気になられている方は、この機会にぜひチェックしてみてください!
『機龍警察〔完全版〕』解説
千街晶之(文芸評論家)
2010年代の国産ミステリ小説を代表する傑作を、個々の作品ではなくシリーズものからひとつだけ挙げよと言われたら、私は月村了衛の〈機龍警察〉シリーズを選ぶことにしている。1990年代における大沢在昌の〈新宿鮫〉シリーズや京極夏彦の〈百鬼夜行〉シリーズのように、各作品単独でも面白く、しかもシリーズを通して読むことで更に興趣が増すミステリ、その理想形が〈機龍警察〉シリーズにある。警察小説・冒険小説・SFといった多彩なジャンルのエッセンスを組み合わせ、そのいずれの要素も水準が高く、絶対零度のクールさの下に火傷しそうな熱気を孕み、ハードでありながらキャッチーな魅力を併せ持つ小説群──〈機龍警察〉シリーズとはそんな稀有な存在だ。
その記念すべき第1作であり、小説家・月村了衛のデビュー作となったのが、2010年3月にハヤカワ文庫JAから書き下ろしで刊行された『機龍警察』だった。本書『機龍警察〔完全版〕』は、2014年11月に早川書房から単行本として刊行された、その改稿版の文庫化である。
物語の背景は、テロや民族紛争の激化に伴い発達した、接近戦を想定した二足歩行型有人兵器・機甲兵装が急速に台頭した〈至近未来〉の日本。犯罪の変化に対応すべく、警視庁は新たに特捜部を創設する。外務省出身の沖津旬一郎を部長とする特捜部は、若手中心の優秀な専従捜査員たちをスカウトしたのみならず、最新型の機甲兵装『龍機兵(ドラグーン)』の搭乗員として外国人二人を含む3人の傭兵と契約するなど異例ずくめの部署であり、警察組織内では異端視、白眼視されている。
そんな折、3体の機甲兵装が警察官を含む市民多数を殺傷、地下鉄に立て籠もるという事件が起きた。特捜部は『龍機兵』を出動させるが、既存の対テロ部隊であるSATと現場で軋轢が発生し、SATの判断の誤りは悲惨な結果を生む。沖津部長は事件はこれで終わりではなく、次の犯行が企てられていると判断し、特捜部による単独捜査を命じた……。
本書は一般人をも巻き込んだテロの衝撃的な描写からスタートし、警察対テロリストの機甲兵装同士のアクション、沖津率いる警視庁特捜部による捜査の開始……と、息もつかせぬ勢いで進んでゆく。警察ものとロボットものの組み合わせはいくつかの先例を連想させるが、本シリーズは、文章でメカ・バトルを描くという高いハードルを見事にクリアしている。また、警察内部のセクショナリズムの要素は近年の警察小説にあっては常道と言えるけれども、傭兵という異化装置を警察組織に導入したことで、かつてない緊迫感とスケール感を具えた対立劇が生まれているのだ。
著者はデビュー後間もない時期のインタヴュー(《ミステリマガジン》2010年7月号掲載)で、「この作品で一番の大嘘はというと、私にとっては機甲兵装が出てくることではなく、警視庁が傭兵を雇っている点ですね。これはミステリ好きの方にはぴんと来ていただけると思うのですが、『木の葉を隠すには森の中へ』という有名なトリックがあるじゃないですか。警視庁が傭兵を雇う、しかも一人はテロリストである──という、どう考えてもあり得ない事態をありにするには、どういう状況にすればいいかを考えた時に、この法律とこの法律を変えればありになる──ということが取材でわかってきて、結論として出てきたのが機甲兵装なんですね」と述べている。その大いなる虚構に説得力を持たせるために本書では数多くの設定が導入されているが、〈至近未来〉という時代設定もそのひとつだろう。限りなく現在に近い、それでいてほんの僅かだけ先にある時代、そこではSF的虚構が許される反面、発生する犯罪は現在を反映していなければならない。
チェチェン紛争で家族を失った女性ばかりの暗殺者集団が日本に潜入するシリーズ第4作『機龍警察 未亡旅団』の刊行のタイミングが2014年のソチ・オリンピック(現実のテロ組織「黒い未亡人」が、このオリンピックを狙ったテロを計画していると報道された)と重なり、陸上自衛隊が東アフリカで民族紛争に巻き込まれる『土漠の花』(2014年)が第二次安倍内閣による集団的自衛権行使容認の閣議決定の時点で既に脱稿済みだったことなどが象徴するように、著者の作品の多くは、実際に起こり得ることへの小説家の想像力と、刻々と変わりゆくこの現実世界のスピードとのスリリングな鍔迫り合いの最前線で執筆されている。この激動の時代にあっては、生半可な未来予想はたちまち現実に追いつかれてしまう危険に晒されているのだ(著者はインタヴューなどでしばしば「後ろから現実に背中を叩かれる」という表現でその恐ろしさを語っている)。変化する世界の方向性を見定め、時代より更に先を走り続ける──これがいかに現実を見据える眼と想像力とを必要とされる苛酷な作業であるかは強調するまでもないことだ。
もちろん、背景となる設定がいかに現実に迫っていようとも、物語自体が面白くなければ意味はないわけだが、そこに抜かりがないのが〈機龍警察〉だ。本書は通常なら主役を張りそうな個性的なキャラクターを惜しげもなく幾人も投入し、魅力的な群像劇を演出している。『龍機兵』を操縦する三人──フリーランスの傭兵の姿俊之、元IRF(IRAから分派したアイルランドの過激派テロ組織)メンバーのライザ・ラードナー、元モスクワ警察刑事のユーリ・オズノフは、それぞれ壮絶な過去を背負う曲者揃い(本書では三人のうち姿の過去の因縁が中心となっており、彼のキャラクター造型もあってハードボイルド的雰囲気がことのほか強い小説となっている)。生え抜きの警察官ではない彼らのことは、他の部署ばかりか特捜部内にさえ毛嫌いする者がおり、中でも家族をIRFのテロで失った技術主任の鈴石緑は、ライザが警察組織の一員となったことが納得できずにいる。そうした人間関係の扇の要が、特捜部の生みの親である沖津旬一郎部長だ。見かけは瀟洒な出で立ちの伊達男だが、冷静沈着な切れ者で、部下たちにとっても腹の底が読めない存在──このような人物でなければ、アクの強い特捜部メンバーを統率することは不可能だろうと感じさせる。印象的なキャラクターはまだまだ沢山いるけれども、〈機龍警察〉シリーズは1冊1冊が、彼ら個々の強烈な存在感と、群像劇としてのダイナミズムを見事に拮抗させることで成立している。
第1作ということもあって、本書はシリーズの主な登場人物が顔を揃えるものの、全員のキャラクターが深く掘り下げられるところまでは行っていないし、設定面でも説明されていない部分が多い。私が最初「シリーズを通して読むことで更に興趣が増すミステリ、その理想形」と記したのはまさにその点についてであり、巻を追うごとに登場人物たちの背景や性格が明らかになり、また解き明かされる謎と逆に深まる謎とが絡み合ってシリーズの推進力となっているのだ。
そして、シリーズのその後の展開を知った上で本書を改めて読み返すと、2作目以降の伏線があちこちに鏤(ちりば)められていることに気づく。本書が執筆された時点で、その後の展開が著者の中に存在していたことは明らかである。シリーズ既刊に目を通している読者も、改めて本書を読み返し、著者の周到な構想を味わっていただきたい。
さて、『機龍警察』と『機龍警察〔完全版〕』とでは何が異なっているのか、気になる読者もいる筈なので説明しておくと、特に目立つのは、全体が「第一章 籠城犯」「第二章 来訪者」「第三章 突入班」という三つの章に再編された点と、第三章の冒頭あたりに、姿俊之と王富徳(ワン・フー ドウ)の過去の交流シーンが二ページほど加筆された点である。あとは固有名詞の追加や改変(例えば犯行グループが立て籠もる実在しない駅の名前は千石駅から千田駅に変更された)、捜査のディテールの加筆、文章の細かい手直しが中心となっており、従って作中で起こる出来事自体は同じなのだが、例えば第二章冒頭の捜査会議が鈴石緑の視点から描かれるなど、視点人物が明白になっているシーンが増えたほか、地の文の体言止めや会話の感嘆符が少なくなっている。当初のスピード感重視のきびきびした文体も良かったけれども、2作目以降との統一感にも配慮したと思われる完全版の文体も著者の熟練ぶりが窺えて評価したい。
2017年4月現在、〈機龍警察〉シリーズ既刊は次の通り。
1 『機龍警察』ハヤカワ文庫JA(2010年3月)→『機龍警察〔完全版〕』早川書房(2014年11月)→ハヤカワ文庫JA(本書)
2 『機龍警察 自爆条項』早川書房(2011年9月)→ハヤカワ文庫JA(2012年8月)→『機龍警察 自爆条項〔完全版〕』早川書房(2016年5月)
3 『機龍警察 暗黒市場』早川書房(2012年9月)
4 『機龍警察 未亡旅団』早川書房(2014年1月)
5 『機龍警察 火宅』早川書房(2014年12月)※短篇集
このほか、第5長篇にあたる『機龍警察 狼眼殺手』が《ミステリマガジン》2017年5月号で連載が完結しており、今年中に単行本化される筈である。この2010年代最高のシリーズを手に取るのは、今からでも遅くない。
※本文は2017年4月に書かれたものです。2021年7月現在、『機龍警察 狼眼殺手』は単行本化、『機龍警察 自爆条項〔完全版〕』『機龍警察 暗黒市場』『機龍警察 火宅』は文庫化されています。