【対談】戦争を書く、世界を書く。『同志少女よ、敵を撃て』逢坂冬馬×『地図と拳』小川哲
独ソ戦を題材とする第11回アガサ・クリスティー賞大賞受賞作『同志少女よ、敵を撃て』で2022年本屋大賞を受賞した逢坂冬馬氏と、第3回ハヤカワSFコンテスト出身で、日露戦争後の満州を描いた大作『地図と拳』が刊行になった小川哲氏。ともに海外・戦争を題材としてきた2氏による特別対談。SFマガジン8月号に掲載された本記事を、『噓と正典』の文庫版発売を記念して特別公開します。
■「伊藤計劃以後」のあとで
小川 僕には今の逢坂さんの心境を推し量りようがないのですが、『同志少女よ、敵を撃て』が本屋大賞もとってこれだけ話題になった以上、二作目はどんなものを出してくるのか皆が気にしていると思います。意地悪なことを言ってくる人がいたとしても、それすらも黙らせるような作品をぜひ。
逢坂 小川さんは『ゲームの王国』を書かれたとき、二作目に本作を書くことを早い段階で決められていたという噂を聞いたんです。デビュー作『ユートロニカのこちら側』のあとで、カンボジアを舞台に書こうと決めたのはいつごろだったのでしょうか。
小川 わりとすぐですね。『ユートロニカのこちら側』は、それまでちゃんと小説を書いたことがなかったので、よくわからないなりに書いたら、そのまま賞をとっちゃった感じで。デビュー後に「既視感がある」と言われて、腹が立ったりしました(笑)。だから既視感のない小説を書きたいというのがあったし、僕が作家として継続していくうえでも課題だと感じていました。当たり前ですけど、小説って読めば作品によって全部違うじゃないですか。でも読者は作品を読む前に、設定やガワだけで「なんとなくこんな感じだろう」「この題材なら読んだことあるな」と思ってしまう。しかも意外と、読み終えたあとに残っているものもそういったガワだけだったりしますから。
逢坂 ハヤカワSFコンテストが再開したとき、版元側に「伊藤計劃に続く才能を」という触れ込みがあったのを記憶しています。実際、初期の受賞作はよく比べられていたような。「伊藤計劃をどうとらえるべきか?」というのが今日小川さんとお話ししたかったことのひとつです。
小川 逢坂さんは『虐殺器官』と『ハーモニー』、どっちが好きですか?
逢坂 難しいですね。構成の要素でいうと『虐殺器官』が好きですが、『ハーモニー』のほうが小説として洗練されているような気がします。共通しているのは、どちらも何かを追いかけていくストーリーで、どんどん展開に引きこまれていくのだけど、最後に価値観・倫理観が大きくひっくり返される場面がある。それは僕には書けないと思ったんです。『2084年のSF』に寄稿した「目覚めよ、眠れ」という短篇で〈不眠社会〉という設定を作ったら、読者の方から「伊藤計劃っぽい」と言われました。
小川 比較されるのは光栄ですね。
逢坂 ただ、伊藤計劃が和製SFの歴史を変えたのは事実ですけど、「伊藤計劃以後」という言葉があったとおり、作家には別の意味でスティグマになっている節がある。僕の「目覚めよ、眠れ」はどちらかというと倫理を守ろうとして書いたのですが、亡き伊藤さんが立ちふさがっているような気がします。
小川 そのスティグマは主に塩澤元編集長のせいです(笑)。どちらにせよ、僕はハヤカワSFコンテスト出身で、伊藤計劃さんがいなければそもそも賞が復活せず、デビューもできていなかったので、頭が上がりません。
逢坂 小説ってこんなことをやっていいんだと学んだ気がします。そういう意味で影響は受けていますね。
小川 あの時期の国内フィクション、SFであれだけ売れるというのはなかったですよね。
逢坂 伊藤計劃を僕らはどう捉えるべきなのだろうという風に考えると、一読者としては非常に大好きなのだけど、自作としては比較されようがないものを作っていかなければ、と常に意識しています。
小川 なるほど。僕は別に、それで買って読んでくれるならかまわないです。比較する人も最近はさすがに減ってきているのではないかと思う。
逢坂 『同志少女』のときも前評判で伊藤計劃の名前が出ていて、それもあってか小島秀夫監督を始めとして、いろんな方がものすごく推してくれた。注目されるありがたさは当然あるなかで、どう向き合うかを考えています。
小川 伊藤さんは一流の作家である以前に、一流の読み手だと思っています。宮内悠介さんや飛浩隆さんもそうですが。逢坂さんもそっち寄りなのかなと。作品を分解して理解するタイプ。
逢坂 たしかに理屈で分からないと不安になりますね。分解して理解することで、自分の中で読書をしたという気持ちになる。もちろんそれは限定的なもので、作品をある論理で解体すると、それ以外の論点が見えなくなってしまう可能性にも気を付けています。
小川 作家には感覚で書いている人と、構造的に小説を作っている人の二つのパターンがあると思います。『同志少女』は作品を読んだだけだとどちらかわからなかったんですが、今日お話ししてみて、逢坂さんは構造的な方なんだなとわかりました。
逢坂 いつも「プロットで九割決まる」と思って書いています。まずはプロットで最初から最後まで全部書く。そうすると必ず脱線するところがあるから、そのときは脱線するほうを優先して。小川さんはどうですか。
小川 プロットは一切作らないですね。だから書くのに三年かかる(笑)。
逢坂 小川さんの長篇って、ものすごく引き込まれるし楽しく読めます。登場人物もめちゃめちゃ多いじゃないですか、にもかかわらず破綻も起きないので、プロットを作っているのかなと思っていました。ただ、それにしては勢いでドーッと流れていく感じもあるので、だからこそ面白いんだなと。
小川 『同志少女』でも起こっていたかもしれないですが、脱線が奇跡を生む瞬間ってあるじゃないですか。最初に考えていた展開だと起こり得なかった要素が繋がったり、計算では絶対に生まれない部分がシンクロしたりして。その瞬間が書いていて一番好きですね。そのために、書いてみてダメそうだったらリセットすることを何度も繰り返す感じです。
逢坂 僕の場合はプロットを一から十まで書いて、あとは本篇を書くだけという状態になってから書き始めるのですが、それでも必ずプロットから逸脱する箇所が出て来て、そこが面白いですね。
小川 あのラストはプロットでは決まっていたんですか。
逢坂 決まっていなかったです。主人公に近いところにいた幼なじみのミハイルも、あんなに重要なキャラクターではなかった。それが小説を書いていて、最後あの場面にミハイルを出したらどうなるだろう、と思いついてしまった。これはやりすぎではないかと一晩悩んだのですが、そちらを選んだほうが作品テーマとして確実に終わらせられると思ったんです。
小川 あれが作品をめちゃくちゃ引き締めていますね。プロットでこのオチを思いつける人間はたぶんいないですよ。書いてきた原稿のなかで、登場人物たちが「こうするべきだ」という選択肢を与えてくれる。創作はそういうことが起きるのが一番楽しい。怖いですけどね。本当にこんなことしていいのか! って。
逢坂 創作者というのはその作品にとっての神というか、邪悪な存在だと思いました。脱線がなぜ楽しいのかというと、作中人物がただの設計されたキャラクターから、この人はこれをやったらこうなる、というのが掴めてくるにつれ、人格をもって自分に何かを訴えるようになるんです。いわゆる、キャラクターが勝手に動き出す感じですね。そういうときは、予定通りに書くよりも脱線していく側を優先したほうが面白いと思います。
■なぜ戦争小説を書くのか
逢坂 小川さんは資料の読みこみ方も半端じゃないですね。『地図と拳』も読んでいる途中から、ものすごく調べているんだろうなと。最後にずらっと並んだ参考文献がすごい。
小川 何しろ三年間の連載だったので、自分で何を参考にしたのかも覚えていなくて、読んだものは全部入れました。
逢坂 『虹色のトロツキー』(安彦良和)が入っていてびっくりしました。
小川 連載を始める前、満州のこういうテーマで書くとなった時に一番最初に読みました。そのおかげで。石原莞爾のあたりを主軸にしないことを決められた。
逢坂 これだけ具体的な時代を書くとすると、たいていの人は石原莞爾や毛沢東を出したがると思ったんですよ。本人たちのキャラクター性が半端じゃないし、そこで歴史のダイナミズムを出せると思うので。『地図と拳』では徹底して出てこないですよね。『ゲームの王国』ではポル・ポトが出てきますけど、今回は歴史上の大人物は出さないと決めていたんですか。
小川 『ゲームの王国』のときは「カンボジア近代史の小説でポル・ポトを出さないのは、三木道山がライブで『Lifetime Respect』を歌わないのと同じ」と思っていました。ポル・ポトはあまりにもカンボジア近代史の中心人物なので、出さない方が不自然だろうと。その点、満州の話はもういろんな人が書いているし、石原莞爾もいろんな扱われかたをしてきた。何というか、出すことで「俺の石原莞爾観」みたいなものが出てくる。それを求めている方もいるだろうとは理解しつつ、出した方が作品として窮屈になると思ったので、別に出さなくてもいいかなと。でも、絶対出さないようにしている感も出したくなかった。現代史とのリンクのために名前だけ出てくるような感じです。
逢坂 登場人物として出さないことは最初から決まっていたと。
小川 そうです。なので『虹色のトロツキー』は参考文献として非常に重要でした。『同志少女』ではフルシチョフが出てきますが、わかっている人はニヤリとしますよね。
逢坂 結果的に、主人公と歴史上の偉人とのエンカウント率が上がってしまいましたが。
小川 そういったサービスは自分にはできないので、そこが本屋大賞をとれる分岐点なのかもしれない(笑)。いい感じにサービスしてくれますよね。
逢坂 独ソ戦自体が現代の日本人にとってはそこまで有名ではないですしね。ジューコフと言われてすぐにわかる人は一割もいないのではないでしょうか。それに戦争を描くとき、巨大なスケールで状況を見ている人と、目の前の戦場しか見えていないなかで戦わざるをえない人は、両方出さないとダメだと思ったんです。ジューコフはまぎれもなく一番俯瞰的立場から独ソ戦を戦っていた人物で、その視座を提供することで初めて、異なるレイヤーから見た戦争を描くことができる。だから遠慮なく出て来てもらいました。
小川 そもそも『同志少女』の構造として、各章のはじめにドイツ側の視点で大局的な戦争の進行や作戦がどのような状況にあるのかが出てきます。物語と切り分けられている。
逢坂 スターリングラードでは個々の兵士がどういう戦局で戦っているかよくわからないという人たちがたくさんいて、そのまま書いてしまうと何が何だか分からなくなるんです。あるパートは説明に徹して、それが終わってからドラマを書こうと。
小川 めちゃくちゃ親切ですね。僕は『ゲームの王国』では、ほぼ「わからない人はググってください」という意味のことを作中の登場人物に言わせていました。
逢坂 僕は『ゲームの王国』を出版直後に読んだのですが、そのあとすぐに、カンボジアで最大野党が強制解散させられて、事実上の一党独裁に突き進む事件がありました。僕の作品でもそういうことがあったんですけど、作品が現実と重なるときはどう受け止めましたか。それについてコメントを求められて困ったりしたことはありますか。
小川 コメントは求められなかったですね。今回のロシアとウクライナの戦争は世界中に注目されているから、作品も重ねあわせられることが多い。カンボジアの人民党政権が独裁化しているということは、日本のメディアも大きくは扱わなかった。そもそも聞かれても僕は代表できる立場にないので。
逢坂 『ゲームの王国』はものすごく時代性を言い当てていた面があると思うんです。ポル・ポトの大虐殺の時代だけを描く作品であれば前例があるかもしれない。ですがカンボジアにはその前にもひどい弾圧の時代があって、抑圧のなかで颯爽と希望をもって現れるのがポル・ポトだった。けれどまともに民主的な選挙で戦おうとしたら不正選挙で負けてしまい、カンボジア共産党の立場としては、この国ではゲームのルールを握ったものが勝つ、ならば自分たちが支配者の側に立つしかないのかという論点が作中で出される。現代で、最大野党に追い込まれた人民党が、その野党を強制解散させたのもまさにその再現だと思ったんです。カンボジア人民党自体が、ベトナムとカンボジアの戦争の最中に生まれた反ポル・ポト派の包括政党ということもあって、『ゲームの王国』の時代はまだ続いているんだと思ったんです。
小川 「ポル・ポト政権がひどいことをした」というのは歴史の教科書などで知っていたとしても、その政権が誕生する原因があるわけじゃないですか。当時の国民に支持されて政権を握り、期待を受けてトップに立っているわけです。国民もその瞬間は支持していた。その事実を無視して「当時のカンボジア人がおかしかっただけ」と理解してしまうのは、日本が第二次世界大戦に負けたことや、ヒトラーが政権をとったことも、ロシア人がボリシェビキによる革命を支持した結果、後にスターリンが独裁者になったことも、何にでも言えることです。『ゲームの王国』を書いたのは、僕なりにそれをまず理解したかったから。自分たちも同じような状況になったら、同じようにポル・ポトを喜んで迎えいれてしまうのではないか……という想定にもっていくためには、ポル・ポト以前の時代が絶対に必要だった。それは『地図と拳』でもそうです。日本は当時、どうしてアメリカに喧嘩を売ったのか。執筆する前には答えられなかった。自分なりに答えを知りたかったし、自分がその場にいたらどう行動するかというのを考えてみたかった。
『同志少女』を読んでいても思ったんですが、「スナイパーは人を撃ち殺す人です」という情報だけではわからない個人の内面を、フィクションによって考えることができるじゃないですか。
逢坂 追体験ですよね。
小川 もし自分が人を撃ったらどういう思いになるかと考えたり。僕はそれがやりたくて小説を書いているところもあるので、テーマとして現在とは違う時代、外国になったりするのは自然なことなのかもしれない。自分と同じような価値観や立場の人間の考えることであれば、わざわざフィクションにせずとも想像がつくからです。自分と全然違う、一見して想像もつかないような、けれども同じ人間である存在について、フィクションを書くことで知りたいという気持ちがあります。
逢坂 おっしゃる通りですね。たとえば戦争の資料でもエースパイロットが百何十機撃墜したとか、戦車エースで何十両撃破したとか書かれています。さらに狙撃兵の場合は「何十人、何百人を殺害した」と書かれます。そうした人々が実在することに直面したとき、明らかに自分とは異質な、無縁の存在だとたいていの人は考えてしまう。しかしながら『戦争は女の顔をしていない』を読んだときに一番感じたのですが、誰もそういう存在になるため最初から生まれてきたわけじゃない。僕らだってもしかしたら、ある種の条件下にあって訓練を受けたらそういうことができる精神になったかもしれない。逆に現代の僕らですら、訓練すれば誰でも平気で残虐なことをできるようになってしまうから恐ろしいのではないかと思います。それは遠い戦争を舞台にしないと表現できない。そこで題材にしたのが、十代、二十代の女性狙撃部隊でした。
■過ちが歴史を作る
逢坂 当時の人たちがどういうふうに考えていたか、という点で僕が『地図と拳』ですごく印象的だったのは、意思決定を軍隊や政治家ではない人たちがシミュレーションする〈仮想内閣〉というものが出てきますよね。どういう立場から、どういう意見が出てくるのかということを一通りやってみたかったと。
小川 モデルは、『昭和16年夏の敗戦』(猪瀬直樹)の総力戦研究所ですね。この本が試みていたことを作中で表現しているというか。
逢坂 これを見て現実の戦争とどうしても比較してしまう。『同志少女』で描いた独ソ戦もそうですが、ひょっとすると、戦争が起きる時の非現実的なロジック、戦争がはじまるとき特有の没論理的な思考決定に論理って太刀打ちできないのかなと思って。
ドイツがソ連に攻め込んだときの見方も話の筋道の立て方としてめちゃくちゃなんですよ。まず二正面作戦を避けるべくソ連と相互不可侵条約を結び、ポーランド分割ののちに西ヨーロッパを征服し、対イギリスで苦戦して、ドーヴァー海峡の戦いが行き詰まったのはイギリスがソ連からの援助をあてにしているからに違いない。だからソ連を倒せばイギリスの最後の望みが崩れるからまずはソ連を打倒するのだって。後から振り返って理屈で考えたらめちゃくちゃな意思決定をしているのだけど、それによって戦争の歴史が実際におこなわれてきた。
今のロシアのウクライナ侵攻も、こんな見え見えの状態でウクライナを攻撃したら奇襲なんて成り立たないし、その間にウクライナは外国からの軍事援助で増強されているとさんざん言われていたじゃないですか。まさに今そうして苦戦しているわけです。ほんの数か月前のことなのに、すべての合理性を投げ捨ててロシアがウクライナになだれ込んだように見えてしまう。
小川 ドイツだって、イギリスと戦いながらソ連の広大な土地に攻めていって、本当に勝てると思っている人はいたのかどうか。ソ連に勝ったところでアメリカが参戦してきますし。けれど軍の専門家でも詰んでいることを予測できなかった。逆に言えば、予測できたときは戦争にならないので、判断の失敗が歴史を作るのかもしれませんが。
逢坂 確かにそうですね。ソ連もドイツ先制攻撃論というのがありましたが、全部途中で頓挫している。それはある意味合理的な意思決定だったのかもしれないのだけど、合理的な意思決定によって戦争を防止した歴史というのは表には出にくい。
小川 そうして最後まで愚かさが勝ってしまった。日本が太平洋戦争まで突っ切ったことは僕なりの理解としては日露戦争に原因があると思っていて、だから小説にも書いたんです。日露戦争に勝ったはいいけど、ものすごく国力を投じて借金してギリギリの状態で、しかも遼東半島や賠償金ももらえなかった。満州のちょっとした権益だけ手に入ったから、戦争で死んだ何十万の命や何億もの金が満州にあるということにしなければ、国民が納得しないという状態になった。だから日露戦争にかけた以上のお金を満州に投資しまくったんです。不良債権としての満州を損切りできなくなった。
逢坂 満州が生命線だと言っていたのは、そうでないと困るから。
小川 そうでなければ日露戦争で自分の息子を亡くした人たちも、貧しい生活を強いられた国民も納得しない。代わりにこんなにすごいものを手に入れた、と言えるようにするため投資をしていったら膨らみ続けていった。それが国家ではないとリットン調査団に言われて、国連は間違いだと言って戦争に向って行った。これはひとつの歴史の見方でしかなくて、もちろん研究者によっても見方が違うんですが、僕は有りうることだと思いました。国にとっての戦争というのは、一度始めてしまうと損切りができない。
逢坂 できませんね。今のロシアもそうです。最初の二週間で「もうやめます」と完全撤退すればよかったのだけど、完全に負けを認めることになってしまう。
小川 意志決定をしている人は負けを認めると責任をとらないといけない。コテンパンにやられるか勝つかしか終わり方がない。
逢坂 そういう意味では、戦争を回避できたほうの歴史に注目したほうがいいのかもしれませんが、難しいですね。キューバ危機回避は何度も映画になっていますが、それこそ米ソ冷戦のときも危うい意思決定はあったし、フルシチョフとケネディがなんとか回避できた。
小川 ただ、あれも本当ならばもっと未然に、核の問題になる前に処理できたはずです。
逢坂 人類の歴史が愚かさの繰り返しのように見えてしまうのは戦争に注目しているからなのだけど、語られざるところでは戦争を回避した歴史もおそらくあるだろうと思います。しかしそこは小説にしづらい。
小川 みんな言ってもピンとこないだろうし、ドラマとしてどうやって盛り上げるのかも難しそうです。ただ、そういう歴史は存在しますね。
逢坂 外交の物語になりますね。
■海外を舞台にする意味
小川 外国を舞台にして書くことというテーマでいえば、こうやって海外の戦争を書けるのは今のうちだけという議論があるじゃないですか。
逢坂 いわゆる文化盗用の問題ですね。ただ、文化盗用は征服/被征服の関係で問題になるんじゃないかと思うんです。日本で海外の戦争を書けない状況が来るより先に、明確に支配/被支配の関係であるアイヌや沖縄について、現地にルーツを持たない人がどう書くかという問題はあると思うし、それは議論されるべきです。
海外の戦争を日本人作家が書く意義について、これは声を大にして言いたいのですが、「当事国だけに任せてはだめ」なんです。ロシアで独ソ戦がどういう扱いになっているのか。「大祖国戦争」が完全に国威発揚のツールになってる現代ロシアで『同志少女』のような話は書けるわけがありません。
小川 それはそうですね。『ゲームの王国』の舞台のカンボジアだって、ポル・ポト時代に文学者を全員殺してしまったから、カルチャー自体が一度死滅してしまった。日本人が書く意義があるかといわれると微妙だけど、当事者が絶対に書けない視点です。それはどの国のことでも言えて、赤の他人だからこそ書けることってあるじゃないですか。『同志少女』もそうですが、徹底的に戦争を相対化している、ソ連も、ナチスドイツすら相対化する。
逢坂 気持ちとしては相対化したくはなかったのですが、そうですね。
小川 この作品は、ナチスドイツは悪だが、構成員ひとりひとりは個人であると語る。戦争を描くうえでは必須のテーマだと思います。戦争の悲惨さは個人の悲劇によってしか伝えられないと僕は思っているので、それがナチスドイツであろうとも、個人は個人として扱うべきであり、それが『同志少女』では徹底して行われている。
逢坂 そのうえで「だからといって個人が許されるわけではない」というところまで行きたかったんです。個人が犯した罪過を追及するなら、それは敵味方という戦争のスケールではなくて、個人の罪過に人並みの向き合い方をしなければならない。だから小説の最後はああなるのだけど、こういう書き方って当事国からは出てこないですよね。
小川 当事国や、同時代の人には絶対に書けない。『地図と拳』も日本人の話ではあるのだけど、二〇二〇年代だからこそ戦争小説として書ける書き方です。戦時中の日本人の話って、僕にとっては四十年前のカンボジア人の話と同じくらい遠い。書いている側としてはSFと一緒なんです。まったく違った社会的状況で、まったく違った価値観をもった人々を徹底的に相対化して描く。それは赤の他人にしかできないと思うんですが、そういった書き方は、たとえば今のアメリカだと厳しい目が向けられる雰囲気を感じます。当事者じゃなければ書いてはいけない、評価もされない、みたいな。
逢坂 そういう部分はたしかにありますね。オリエンタリズムに陥ってはいけないという問題はあるので、そういった論点からなら成熟した議論になるかもしれません。映画の話でいえばハリウッドではそういう雰囲気もあるなかで、どんな国の話も英語で話されていることのほうがよほど妙だと思うんですが。文学のほうが、日本語で喋っているわけではないという前提も通じるので、文化盗用になりにくい面を持っているはずなんですが。
小川 僕は、現段階ではアメリカで目立っている現象だと思っています。ヒットした作品や評価されている作品を見ても、作り手のルーツに絡んだ話が多い気がする。
逢坂 今のアメリカにおいて文化盗用がそれだけ問題になるのはなぜかというと、過去にやってきたことの反動という面もありますね。アフリカ系アメリカ人に対するミンストレルショーであるとか、西部劇におけるアメリカ先住民へのひどい扱いへの反省が出ている。
日本の小説に関係があるとすれば、やはり歴史的な支配/被支配の関係性にそれらの問題が波及する可能性があるし、議論されるべきだと思います。ただそのことと、外国の戦争を描く意義はだいぶ異なるはずですが。
小川 自由にやれるのは今のうちかもしれないという思いはあります。
逢坂 僕はむしろ逆で、自由にやっていいものだと既成事実として定着させたい。まだまだ海外を舞台にして書きたいことはたくさんあるので、当事国にはできない語りをどんどんやって、それによって、自分たちが注目してこなかった世界に対する想像力を喚起させる。
今回ウクライナで起きてしまったことは自分としては非常に辛いのですが、「いまの戦争について、より実感をもって理解できるようになった」という読者の声が届いたのは唯一の救いでした。海外の戦争を描くことで、自分たちの問題に引き付けて理解してもらう。そういったことが小説には可能だという実例をどんどん作っていけば、文化的盗用の話が小説に波及することを防げますし、「なぜ日本人が海外を書くのか」という文学賞での選評もなくなってくると思います。
(2022年5月30日/於・早川書房)
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発売中SFマガジン8月号には本対談に加えて、小川哲さんによる最新短篇「魔法の水」も掲載されています。