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百合と異界は児童小説の……

「ハヤカワ文庫の百合SFフェア」開催を記念して、完売御礼のSFマガジン2019年2月号百合特集からコラム企画を抜粋公開いたします。今回公開するのは、昨年劇場アニメ版が大ヒットした『 若おかみは小学生!』などで知られる児童書作家・令丈ヒロ子さんによるエッセイです。

「劇場版 若おかみは小学生! アートブック」 (一迅社)

「パンプキン! 模擬原爆の夏 」
令丈 ヒロ子/講談社青い鳥文庫

-----以下本文-----

 13歳のとき、女子SF作家になるのが夢でした。そしたら昭和52年(1977年)に、奇想天外SF新人賞が出来ました。これだと思いました。

 この新人賞を中学生、もしくは高校生で受賞するんだ。表紙に吾妻ひでおさんに美少女の絵を描いてもらって、単行本デビュー。そしたら、SFマガジンからも連載の依頼がくるにちがいない。そして最年少SF作家クラブの会員になる。

 完璧だな、私の人生計画。あとはかわいくって読みやすくてめっちゃおもしろくて、でも厳しいSFファンのお兄さんたちも感心するような作品を書くだけだな……などと思っていたら、第1回の新人賞の発表があり、受賞者は当時17歳の新井素子さんでした。

 受賞作「あたしの中の……」を読んでガーンときました。もやもやとイメージしていたもの、いや想像をはるかに超える当時の私の「理想の女子SF作品」が、とても洗練された姿で完成していました。

 掲載されたその作品はキラキラ輝いて見えましたし、同時に圧倒されました。

「これはアカン。この道はもう無理や」とうちひしがれ、それからすっぱり女子SF作家の夢はあきらめました。

 で、いろいろあって児童小説の作家になり、今年でデビュー28年となりました。

 まさか自分が、遠い日の夢と憧れ、SFマガジンに寄稿する日が来るとは。それもSNS上で、勢いで発した「百合と異界は児童小説の伝統」という言葉がきっかけで依頼が来るとは、運命のいたずらとしか思えません。

 百合と児童小説について、語ってほしいというお話ですが、そんなことで本当にいいんでしょうか。SFマガジン読者の方に響くんでしょうか。不安しかないんですが……まあ、始めますね。

 私は、そもそも「百合」という感覚をあまり特別なものと思っていなかったので、ジャンルとしても意識していませんでした(ここで言う百合は、女の子同士の、それぞれの成長につながる深いかかわりという意味です)。百合は「人間関係の基本」であり「女性が成長するのに必要不可欠な要素」という認識でした。

 私がメインで書いている読者対象は、小学3年生から高校1年ぐらいです。そしてその90パーセントが女の子です。

 男の子読者も徐々に増えてきましたが、作品作りの念頭にあるのは「ターゲットの年齢層の女の子に共感してもらえるお話」です。

 そして児童書は、あらゆる方角から、あらゆる手法でもって「登場人物の成長」を描き、読者の成長に伴走するものだと思って仕事をしています。

 そうすると自然に、読者に近い年齢の女の子たちが主要人物で、女の子同士の深いかかわりを細かに描くことで、その成長の過程を描くことが多くなります。

 初めて深くかかわる他人=同性の友だち。キレイな顔に憧れたり、奇妙な様子にとまどったり、関係のきっかけはたいてい容姿や行動に興味をもつところから。ちょっと好きになるあたりまではスムーズですが、一歩お互いの中身に踏み込み合うととたんに大変なことが起きます。なかなか理解できなくて反発したり、ときに大嫌いになったり、でも何度も話したり、感情をぶつけあったりしているうちに、まったくの他人であったはずの相手の感覚がしみこむように理解できたり、絶対に受け入れられない異物でしかなかったものが、いきなり適合して新しい自分の一部となって定着したり。

「その相手」との出会いが主人公の中にいろんな反応を呼び起こし、心も体も変えていく。同時にその主人公も、自分という存在が、相手にどれだけ大きな影響を与えてしまうのかも、知ることになる。

 そのことによって自分の価値を認め、コンプレックスに悩まされていた子は自信を持てるようになるし、傲慢だった子は異物を受け入れる痛みを知り、そこから思いやりや優しさが生まれる。つまり大人に一歩近づく。

 あらすじとしては「女の子同士が出会って仲良くなる」だけの話なのですが、今までいくついろんな手段でこういう話を書いたのか、もう覚えていません。

 全くタイプの違う小学5年の女の子同士のハートが、呪いの鏡のせいで少しずつ中身が入れ替わってしまい、だんだん身も心も自分じゃなくなってしまう、生理的なホラーファンタジー要素を入れた成長友情物語(メニメニハート講談社)。学校カースト底辺の女子中学生2人が厳しい学校生活を協力し合って乗り切ろうとする。友情ナシの割り切った利害関係だけのつもりが、いつのまにかだれよりも大事な相手になる(かえたい二人PHP研究所・主人公はSF作家の娘で、そのことが彼女のコンプレックスにも、支えにもなるという設定です)。漫才師を目指す中学生女子が天才ボケ少女を相方にスカウトする。その相手には複雑な生活背景があり、万華鏡のように変化する彼女「ボケ姫」に魅了されていく(『あたしの、ボケのお姫様。』ポプラ社)。恋する相手の気持ちに死んでから気がついて相手にとりつき一体化する病み百合ストーリー(短篇「いちごジャムが好き」アンソロジー『好きって、こわい?』講談社)などなどです。

 意識せずにどんどんこういうものを書いているうちに、一部で「百合児童文学作家」と言われているのに気がつきました。百合要素を感じる児童書好きの人たちは一定数いて、ときどき話題にされているのも興味深く思いました。

 女の子が他者と関係をむすんで、人として成長する様は、細かに描けば描く程、新しい星が誕生するような生命のドラマがあり、何回書いても感動的です。

 同性でも異性でも、もしかしたら相手が人間以外でも、生き物同士のかかわりというのは、基本同じなのかもしれないのですが、女の子同士というのは、相手と同化する感覚がとても強く、始めは拒否していても、一度相手を受け入れると、相手との共感共苦が細胞レベルにも及ぶのではないかと思うときがあります。

 こういう部分を強めに描くのが「百合」ジャンルになるなら、私は相当百合成分が高い作家だと思います。

 現在は百合要素を意識的に出すかどうかはその作品によって決めています。ほかに強調したいテーマがあって、意識的にその要素を弱めている場合もありますし、そんなつもりはなくても無自覚に漏れ出ている場合もあるかと思います(映画になった『若おかみは小学生!』の原作の、おっことグローリーさんの描写は無自覚ですね。ノベライズでは映画に合わせて、そこを強化しました)。

 しかし女の子読者のために女の子の成長を描く作品が多い児童書の分野は百合が美しく咲きやすい土壌と言えましょう。

 名作、古典の中にも女の子同士の関係と成長を感動的に描いた作品はいくらでもあります。

 また異界も子どもの成長を描くのに、とても適した設定であるのは言うまでもありません。日常世界から、ちょっとしたきっかけで異界につながってしまう児童向けの作品は昔から数多くあります。例えば洋服ダンスの中から、裏庭から、屋根裏部屋から、勉強机の引き出しから。

 異世界で知り合った友達と冒険したり、あるいは異界からの訪問者がやってきたり。その相手は人外であることも多いですが、異質な相手とともに様々な体験をして主人公は成長します。

 で、話は私の「百合と異界は児童小説の伝統」発言に戻ります。

 そもそもですが、宮澤伊織さんの『裏世界ピクニック』を読んだときに、新しいものの持つ清涼な空気と同時に、良い意味のなつかしさを感じ、(高校生の時に大好きであった、『ダーティペア』シリーズのケイとユリを思い出した)これはよい話だなと思いました。

 無理のないリアルな異界へのいざなわれ方、孤独のにおいのするきれいで清潔感のある登場人物たち。異界の異常さ具合も頃合いで素敵です。自分が今高校生なら、この作品にずぶずぶにはまっていただろうなと思いました。

 そこで、受け持っている朝日中高生新聞の書評コーナーで、ご紹介しました。

 そのとき同時に紹介したのは『飛び込み台の女王』(マルティナ・ヴィルトナー、岩波書店)『九時の月』(デボラ・エリス、さ・え・ら書房)の二冊です。

『飛び込み台の女王』はドイツの体育学校が舞台。飛び込み競技のライバルで親友である女の子二人が主人公のお話です。飛び込み競技の失敗から、微妙なバランスで複雑に支えあっていた2人の関係が壊れます。ぴったりと寄り添っていた2人は、別々に生きることになり、皮膚が引きはがされるような痛みや苦しみを感じます。しかしそれが彼女たちを大きく強くするという正統派ヤングアダルト作品です。

『九時の月』は、1990年ぐらいのイランでのお話です。社会情勢が不安定で、女性の教育も自由でない息苦しい世界の中、女子高生同士が恋に落ち愛し合い、2人で逃亡計画を企てます。しかし同性愛者は処罰される国家での、命がけのこの恋は悲しい結末を迎えました。これは実際にあったことをもとにしたお話で、それが社会への問題提起にもなっています。

 この2冊は児童書の版元、編集部から刊行されています。『裏世界ピクニック』は児童書として出されたものではないにしろ、3冊とも女の子同士の関係と成長が誠実に描かれた良い作品で、中高生にすすめたいと思いました。

 そこで朝日中高生新聞の担当者に「ガール・ミーツ・ガール!」特集を組むことを相談、快諾を得て、そのあらすじとともに三冊を紹介しました。(「テーマdeBooK」というコーナー、2018年1月7日号です)

「女の子同士なのに? 女の子同士だから? その子と出会って、閉じていた扉が開く。知らなかった景色が広がる。人生が動き出す。そんな本を紹介します」という文言とともにです。

「百合を世界に広めよう活動」をことさら心がけているわけではありませんが、児童向け、中高生向けの作品の中の百合要素は非常に大切だし、素晴らしい作品も多くあるのに、その視点で作品を分析したり、紹介したりするものがあまり見当たらない。恋愛に特化した百合の専門誌はありますし、百合要素を感じる児童書好きの人もいることはいるのですが、表立ってそこを研究したり論じてくれる人がいたらよいのにと思ってのことです。

 で、そんな流れの中『裏世界ピクニック』を中高生に推していることを、ハヤカワの百合担当の編集さんに伝えると、「大丈夫でしょうか」とちょっとだけ心配になられたので、勇気づけるつもりで「大丈夫です、百合と異界は児童小説の伝統だと私は思っています」とSNSでレスしたことが、思わぬ拡散。

 それを受けて、どなたの発言だか確認できないのですが「子どものころから読んでいた令丈先生から百合発言が!」「おれたちは英才教育されていたのか。感謝」というような反応がありました。

 英才教育をしていたつもりはないですが、28年もこんな人間がこんな考えで児童書を書いてきたのですから、なんらかの影響を男の子読者にも与えていたのかも……と思い、あたたかい気持ちになりました。

 SFにあまり関係のない話題で、本当にいいのかと思いつつも、いろいろ書いてしまいましたが、個人的には百合SFのファンであり、今後も個人百合SF読書活動は続けていきたいと思います(『最後にして最初のアイドル』収録「暗黒声優」の檜森スズカさんのような老境が今の理想です)。

 それに児童小説における百合要素は、「所詮本当の男女の恋愛を知るまでの疑似恋愛であり、少女の生産性のない戯れ」とその地位を低く見られていた時代がけっこうあったように思うし、今も根深いかもと感じる(個人の感想です)ので、このような特集で「創作物の中の百合の価値」が認められることは、児童小説作家として、うれしく思います。

「ハヤカワ文庫の百合SFフェア」
6月下旬より順次開催