ハヤカワ文庫の初歩から始めるミステリ講座公開!(前篇)
ハヤカワ文庫のミステリフェアで店頭ブックレットでご紹介させていただいた「一緒に学ぼう! ハヤカワ文庫の 初歩から始めるミステリ講座」を大公開します。
ミステリを偏愛し編集してきた先生と、昨年からミステリの編集を始めた生徒、ふたりの掛け合いで、ざっくり基本の4ジャンルとその歴史、そして教科書となるような必読の名作ををご紹介していきます。
各作品については、noteのこちらもご参考ください。
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「一緒に学ぼう! 初歩から始めるミステリ講座」フェア始まりました(前半)
「一緒に学ぼう! 初歩から始めるミステリ講座」フェア始まりました(後半)
クラシック・本格ミステリ講座
*ミステリの歴史
先生 ミステリの歴史は、エドガー・アラン・ポー「モルグ街の殺人」(1841年)から始まります。そして、メルクマールとなるのは、1887年にアーサー・コナン・ドイルが科学的考察で事件を解決する名探偵シャーロック・ホームズを創造したこと。
生徒 150年以上前から始まっているんですね。
先生 さらに1920年代から、アガサ・クリスティーやエラリイ・クイーン、ジョン・ディクスン・カーなどが、それぞれの名探偵をひっさげて華々しく活躍を始めます。いわゆる本格ミステリの黄金期です。同じ頃、ハードボイルドの巨匠ダシール・ハメットやレイモンド・チャンドラー、サスペンスの名手と呼ばれたウイリアム・アイリッシュ、少し遅れて"奇妙な味"のロアルド・ダールなども活動を開始するので、ミステリ自体のゴールデン・エイジともいえます。このあたりまでに出た作品が「クラシック」と呼ばれて、ミステリのガジェットを数多く作ったり周知したりしています。
*ガジェットとフェアプレイ
生徒 ミステリのガジェットって、なんですか?
先生 「密室」「古びた館」「孤島」「見立て殺人」「暗号」「人間消失」「呪われた村」「消えた足跡」「ダイイング・メッセージ」などなど、いかにもミステリが盛り上がりそうな道具立てや仕掛けのことです。たとえばクイーンが広めた「読者への挑戦」は、謎解きの直前に挿入して、それまでの話の中にすべての手がかりが読者に開示されている状態で、同じこの材料を使えばあなたも推理できますよ、と著者が読者に挑戦し、フェアプレイで謎解きをするものです。
生徒 あ! クリスティーの『アクロイド殺し』は、当時フェアかアンフェアかで論争になったんですよね。
先生 手がかりから論理を積み上げて、いかにフェアに謎解きをするかがこの頃の主流で、《ノックスの十戒》や《ヴァン・ダインの二十則》といったミステリを書くための規則が考案されました。
生徒 『名探偵コナン』の「読者への挑戦」のもとはクイーンにあるわけですね。ほかにガジェットが有名な作品はありますか?
先生 カーの『三つの棺』の中には、密室トリックを分類した有名な「密室講義」が挟まれています。ジョセフィン・テイの『時の娘』は、足で捜査するのではなく、その場で推理する「安楽椅子探偵」ものの代表作のひとつです。
生徒 今でいうと、ジェフリー・ディーヴァー作品のリンカーン・ライムみたいですね。
先生 このフェアプレイの本格ミステリは、後年、日本の新本格ブームの果てに、探偵が神のごとく振る舞うことの是非が「後期クイーン問題」として取り沙汰されます。
*本格ミステリってなに?
生徒 本格ミステリというのは難しいですね。何が本格なのか。
先生 私はフェアプレイで論理的に謎を解く話が本格ではないかと思うのですが、実は明確な定義はないんです。みんなの心にそれぞれが愛する本格があって、厳格に追求すると問題も発見される。たとえば『Yの悲劇』や『九尾の猫』は、どちらもクイーンの代表作ですけれど、さっきの「後期クイーン問題」にもかかわるので、また違う視点で読みがいがあります。
生徒 フェアなのかフェアではないのかと語り続けることも、ある種の愛なのかもしれませんね。
*奇妙な味
生徒 "奇妙な味"というのは変わった言い方ですね。
先生 サスペンスに含まれることもありますが、ラストに意外性があったり、全体を通して不思議な味わいのある話を、海外ミステリの紹介者だった江戸川乱歩が"奇妙な味"と名付けました。〈異色作家短篇集〉に収められるような話というほうがわかりやすいでしょうか。ダールの『キス・キス』とか。
生徒 私はスタンリイ・エリンの『特別料理』が大好きです!
社会派ミステリ・サスペンス講座
*サスペンスとスリラーの違い
生徒 サスペンスとスリラーの違いはなんでしょうか?
先生 違いはないです、以上!(笑) どちらも不安や緊張、恐怖といった人間の心理をメインに扱っていて、主人公が逃げたり追いかけたり怯えたりして、ハラハラドキドキします。恐怖に対して受動的=サスペンス、能動的=スリラー、みたいなのはあるかな。でもそれらが混ざることも多いので区別は難しいです。
生徒 サスペンスは先の展開がわからない恐怖心があるというイメージです……。『幻の女』はサスペンスの古典といわれますよね。
先生 乱歩が『幻の女』を初めて読んで評価したのが1940年代。翻訳が出てくるのはそのさらにあとなので、日本でサスペンスが評価されるようになったのは戦後です。しばらくすると、『死の接吻』や『悪魔のような女』、『まるで天使のような』や『暗い鏡の中に』など、サスペンスの名作が次々と日本に紹介され、さらにそのバリエーションとして、『警察署長』『警官嫌い』『アンドロメダ病原体』『レッド・ドラゴン』といった警察や医療などの社会問題を巧みに取り入れた作品が世界的に流行し始めます。日本でも松本清張などの社会派サスペンスが大ブームとなりました。一方で、政府や戦争に対するアンチテーゼ的に描かれたハードボイルドや、世界大戦や東西冷戦を背景にした冒険・スパイ小説も栄枯盛衰していくのですが、これはまたの機会にお話しします。
*社会問題とミステリ
生徒 クラシックから社会派に移行するきっかけはあったんですか。
先生 今説明した通りバリエーションが増えるとともに多くなっていきました。社会派は、現在まで続く、世界のミステリの大きな潮流です。たとえば『制裁』や『東の果て、夜へ』は、虐待や少年犯罪を扱っていますよね。人間がどうして犯罪とかかわるのか、事件の原因は社会問題にあるのではないか、というようなリアリズムの追求です。一方で、名探偵のような存在は非現実的だと思われるようになっていきます。
生徒 探偵より刑事のほうが社会と接していますしね。たしかに社会派サスペンスは実際に起きていることかもしれないと思うことでドキドキ感が増します。少年が直面する社会の悲劇といえば、『ありふれた祈り』は最高です。避けようのない大きな流れのなかで起きたことだけに、つらいけど、ぐっときます。