コロナ禍中の生き方をシェイクスピアに学ぶ   河合祥一郎(東京大学教授)
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コロナ禍中の生き方をシェイクスピアに学ぶ   河合祥一郎(東京大学教授)

発売中の『悲劇喜劇』21年5月号では、シェイクスピアを特集いたしました。
なぜシェイクスピアは400年にわたり盛んに上演され続けているのでしょうか? 
愛や憎しみ、苦悩、葛藤、喜び……普遍的な人生の諸相が、ダイナミックな枠組みで活写されている。精神の病や権力構造など、現代に通じる解釈で読むことができる。答えは様々だと思います。

演劇界において、この大作家の名前に匹敵する共通言語はありません。
いまシェイクスピアについて語ることが、誰かにとって新たな発見の窓になることを願い、この特集は企画されました。
本特集より、『ハムレットは太っていた!』などの著作で知られる東京大学教授・河合祥一郎氏の論考を特別公開します。


悲劇喜劇2021年5月号

 シェイクスピアの翻訳で「畜生」と訳されている表現の原語の多くはA plague upon ~(疫病に罹っちまえ)である。

 シェイクスピアの表現に疫病や感染への言及が多々潜んでいるのは、当時、ペストの感染の危険性が常に高かったからだ。
たとえば『十二夜』冒頭のオーシーノ公爵のセリフ──「ああ、この目が初めてオリヴィア姫を見たとき、あたりの空気が清められるようであった」──と私が角川文庫で訳している箇所の二行目は、直訳すれば「疫病の空気が浄化されるようであった」であるし、オリヴィア姫が男装のヴァイオラに惚れてしまうとき「こんなにも急に恋患いに罹ってしまうものなの?」と言うセリフも、直訳は「こんなにも急に疫病に罹ってしまうものなの?」となる。恋は疫病という隠喩である。

『ヘンリー四世』でハル王子がいずれ暗い雲から太陽のようにその姿を現して真価を見せてやると独白するときも、暗い雲は文字どおりには「感染性のある雲」であるし、『リチャード二世』で、大軍を率いて迫るヘンリー・ボリングブルックに対して、劣勢のリチャード二世は「神はわがために、雲の中に疫病の大軍を招集している」と脅す。
リア王は長女ゴネリルのことを「わしの病んだ血から生まれた疫病のできもの、腫れ物」と呼び、『アテネのタイモン』では、友人らに裏切られたタイモンが次のように罵る。

 みな疫病に罹るがいい! 息は病気を移せ。

 人づきあいをすることが、こいつらの友情同様、

 まさに毒となるように!(第四幕第一場)

「人づきあい(ソサエティないしソーシャライジング)が毒となる」というこのセリフの意味を深く噛みしめることになった我々は、今ようやくシェイクスピアと同じ立ち位置に立ったと言えよう。ちなみに「ソーシャル・ディスタンスィング」を「社会的距離」と訳すのは誤訳であり、正しい訳は「人づきあいをするうえで距離をとること」である。

 シェイクスピアは何度もパンデミックを経験していた。彼が一五六四年四月に誕生した数週間後には、故郷のストラットフォード・アポン・エイヴォンに発生したペストのせいで町の人口の一割近くが死亡した。ロンドンでは一五九二年から翌年にかけて爆発的感染拡大があり、二十万のロンドン市民の二万人近くが死亡した。この直後に執筆された『ロミオとジュリエット』が悲劇に終わるのも、ジュリエットは死んでいないという重要なメッセージを伝えるべき修道士が立ち寄った家が感染の疑いをかけられ、修道士がその家に閉じ込められたためだ。感染者が出ると、その家の外から板を打ち付けて封じ込めるという恐ろしいことが実際に行われていた。閉じ込められた者はパニックするしかない。

 一六〇三年には更に大きなパンデミックとなり、ロンドンだけで三万人以上が死亡した。猖獗を極めた八月末には週に三千人の死者が出て、冬になっても死者が出つづけたために劇場は閉鎖されたままとなり、一六〇四年四月の短期間再開を例外として、九月まで閉鎖された。劇団は地方の村々や地方の貴族の屋敷をまわって巡業するよりほかなかった。一六〇五年十月、再び蔓延が止まらなくなり、枢密院はロンドンの劇場を十二月まで閉鎖した。

 疫病の死者が週三十人以上のとき劇場は閉鎖されることになっており、当時の戯曲に「疫病死者四十人と発表があったときの新作の役者みたいに、なえるなあ」などというセリフがある(ローディング・バリー作『ラム路地』)。一六〇六年七月下旬、疫病死者数は四十を遥かに超え、毎週上がっていったため、四カ月間も劇場は閉鎖された。

『政治、疫病、シェイクスピアの劇場』(一九九一)を書いたJ・リーズ・バロルに拠れば、シェイクスピアが『マクベス』、『アントニーとクレオパトラ』、『テンペスト』といった大作を書いていた一六〇六年から一六一〇年までのあいだ、ロンドンの劇場が開いていた期間は合わせて九カ月にしかならないという(これには異論もあるが)。

 これほど感染症とともに生きていたシェイクスピアが作品内に感染症の様子を描くことはなかった。せいぜい『マクベス』第四幕第三場で死者を弔う鐘の音が鳴りやまぬという次の描写くらいであろう。

 溜め息と、うめきと、叫びが空気を劈くが、

 誰も気にとめぬ。激しい悲しみは

 ありふれた狂気となり、弔いの鐘が鳴っても

 誰が死んだか問う者もない。

 善男善女の命が、帽子に挿した花よりも早く事切れ、

 病でしぼむ暇もない。

 なぜシェイクスピアは日常的に目にしていたはずの疫病の様子を劇に描かなかったのだろうか。それは恐らく、シェイクスピアにとって死ぬのは当たり前のことであり、当たり前だからこそ短い生を大切にしなければならないという思いがあったからではないだろうか。「永遠の眠りにつくとき、人はその命は神に返さなければならない」という考えが当時あったが、これに対してシェイクスピアはフォールスタッフにこう言わせている──「まだ返すときじゃない。期限も来てないのに返したりするもんか」。

 生きていられるうちに必死になって生きなければならないという思いが、シェイクスピアにはあったのだろう。そして、必死に生きるということは、必死に芝居を打つということだ。なぜなら、シェイクスピアに言わせれば、人生は芝居であり、男も女もみな役者なのだから。シェイクスピアは、自分も死んで狭い土のなかに埋められる日がいつやってくるかわからないという思いで人生を見つめていたのだろう。

 影が濃いから光が強く感じられる。

 演劇が不要不急だと言うのは、人生が不要不急と言うに等しい。不要不急というのは、人生がずっとつづくという前提で今これはとりあえず要らないという発想だが、シェイクスピアには「今はとりあえず」という生き方はありえない。生も死も急なのだから。

 劇場が閉鎖されても淡々と芝居を書きつづけたのがシェイクスピアだった。『マクベス』第四幕第三場の名ゼリフ「明けない夜はない」が彼の心にあっただろうか。ただし、この言葉にはもう一つの意味がある。松岡和子さんはこれを「明けない夜は長いからな」と訳す。原文The night is long that never finds the dayに即した訳であり、「マクベスを倒さなければ永遠の夜となってしまう」として、覚悟を促す台詞と解釈するものだ。当時「明けない夜はない」という言い方があったのをシェイクスピアがひねって「明けない夜は長い」としている以上、字義どおりに解釈すべきであるという意見である。

 希望を与える台詞とも解釈できる言葉が、同時に逆の意味にも解釈できるのが、まさにシェイクスピア的なところだ。かつて蜷川幸雄さんは、松岡さんと私の仲のよいのに「同業者で敵同士のはずなのに何で仲がいいんだ?」といぶかっていらしたが、ちがう解釈をしてもどちらもシェイクスピアでありうるという多義性こそがその理由と言えるだろう。

 二度と明けない永遠の夜、つまり死は必ずやってくる。だからこそ、今生きていることのありがたさを痛感してシェイクスピアは必死で芝居に打ち込まざるを得なかったのではないだろうか。覚悟を促す台詞として解釈する魅力はそこにある。「明けない夜はない」(=いつかコロナは終息する)と思いたいが、しかし、「明けない夜」(=死)がいずれくることも忘れてはならない。

 私たちは、そのシェイクスピアの覚悟をもって生命の火を、演劇の火を、灯しつづけなければならない。

 人生は待ったなしなのだから。

                    河合祥一郎(東京大学教授)

    『悲劇喜劇』2021年5月号 特集:シェイクスピアと出会う より

河合祥一郎(かわい・しょういちろう)
東京大学教授。ケンブリッジ大学及び東大からPh.D./博士号取得。主著に『ハムレットは太っていた!』(サントリー学芸賞受賞)など。訳書にシェイクスピアの新訳(角川文庫)ほか。Kawai Project主宰として2014年『から騒ぎ』、16年『まちがいの喜劇』『ゴドーを待ちながら』、18年『お気に召すまま』『ウィルを待ちながら』(新作)、20年『リア王』(リーディング公演)、21年『ヘンリー四世』(リーディング公演)の新訳・演出を担当。


【翻訳児童書】
ハヤカワ・ジュニア・ジュニアブックス
〈五人と一匹見つけ隊〉『見つけ隊と燃える小屋のなぞ

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初めてのミステリにピッタリ!


【次回公演】
Kawai Project Vol. 6ウィルを待ちながら~インターナショナル・ヴァージョン』2021年7月2日(金)~11日(日) こまばアゴラ劇場にて

シェイクスピア全40作品から名ゼリフを集めて1本の芝居に仕立て上げたKawai Projectならではの作品です。
初演の台本に手を入れ直し、ヴァージョンアップしてお目見えします。
初演と同じ田代隆秀さん・髙山春夫さんのお二人でお送りします。
ウィルを待ち続けるふたりの役者が口にする名ゼリフの数々! 果たしてウィルとは何者なのか……?
公式HP https://www.kawaiproject.com/current-productions



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