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濱口竜介(『寝ても覚めても』)×松田正隆(マレビトの会)対談――「テキストと身体が出会うとき」(悲劇喜劇3月号)

「マレビトの会」主宰の劇作家・演出家の松田正隆と、『寝ても覚めても』(2018年)がカンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品された映画監督の濱口竜介。演劇あるいは映画でしかなしえない方法論に自覚的に取り組んできた二人の対話から「台詞とは」「演技とは」という問いが浮かび上がる。本誌(『悲劇喜劇』2019年3月号)にはおさまりきらなかった対談部分を特別にnote用に再編集して公開!
聞き手=高橋知由(濱口竜介監督『ハッピーアワー』とマレビトの会『福島を上演する』の脚本/戯曲で参加)

『福島を上演する』(マレビトの会、2018年)[撮影:西野正将]

◎小津安二郎と原節子

濱口  僕が台詞を書くときに期待していることは、俳優との出会いです。台詞が俳優と出会って、あるときまさにこの出会い、このニュアンスだと思う瞬間があるわけです。それはギャンブルみたいなものです。もちろん多くの場合は外れますが、ある時俳優に起こった固有の「いま」という瞬間をカメラに収められたら勝ちなんだ、ということで、その賭けを繰り返しているのだと思います。
 そういうことを、小津は少なくとも原節子に対してだけはやっていたのではないかと思います。『晩春』(1949年)って異常な映画だと思うんですよね。僕には原節子が狂人みたいに見える(笑)。全体としては上手くアクロバティックに父と娘の情愛ものに収めていますが、原節子の示す感情表現は娘の情愛としては過剰です。しかしながら近親相姦的な読みをすればいいかというとそうでもない。どのルートでも解釈が成り立たない永遠に解けない謎が『晩春』の原節子にはあると思う。それは原節子が台詞のポテンシャルを思わぬ形で開いてしまったからだと思います。語弊があるかもしれませんが、原節子はいわゆる「脚本が読める」ような役者ではなく、言われたこと、書かれたことを本当に一生懸命やる役者だったのではないかと言う印象を持っています。一行一行のテキストに書かれていることにその都度懸命に取り組んだ結果、非常に整合性のとれない人物像が立ち上がったが、それこそが小津にとっては「俺のテキストでこの人はこんなに開いてしまうのか」という発見だったのではないか。『晩春』で原節子が示す感情的な深みというのは小津映画の中でも特筆すべきもので、普通の俳優はおそらく、非常に細切れの撮影の中であそこまでの感情に至ることができない。だからこそ小津は原節子に自分の映画の未来を感じたんではないでしょうか。『晩春』のあとで撮られる『麥秋』(1951年)や『東京物語』(1953年)では、どんどん原節子に照準を定めていっている。『東京物語』の話なんて明らかにおかしいですよ(笑)。原節子は全然主役でもなかったのに、最後の最後で急に主役になる。『東京物語』全体が、あの最終部のシーンの原節子のために書かれているような印象が生まれてきます。
高橋 『麥秋』の中に、家族ぐるみで付き合いのあるお医者さんが秋田に引っ越すことになって原節子が挨拶に行くシーンがありますね。そこで医者の母親の杉村春子が「本当はあんたみたいな人にお嫁にきてほしい」と言い出す一連のやりとりがあります。状況がガラッと変わってしまう重要な場面なんですが、あそこはシーン内で局所的に起こさなきゃいけないことのハードルがかなり高く設定されています。今まで奥に潜んでいたものが急にせり上がってくる。そういう、急にせり上がってくる状況が成立するかどうかって脚本的に結構リスキーだから、通常だと伏線とかでしっかりフォローする場合が多いんです。でも、構成的なことでいうと、『麥秋』の脚本はあそこに向けて必ずしも充分な伏線が張られているわけではない。もちろん滞りなく張られてはいるんですが、できるだけ見せないようにしている。ただ、いまの話を聞くと、原節子と杉村春子が二人きりになるシーンとして、演出面の狙いから逆算してあのように書かれた可能性はあるなと思いました。
濱口 『麥秋』の脚本も変なんですよね。あのシーンでは原節子はほとんど「ええ」しか言わない。
松田 びっくりしますよね、急に杉村春子が「あんぱん食べない」って言い出すから(笑)。あれ、あんぱんが家にいっぱい残ってたんじゃないかな(笑)。
濱口 脚本を見るとその「あんぱん」のことを言う台詞の前に、棒線というかハイフン「――」が一つ入っている(「――紀子さん、パン食べない?」」)。杉村春子の役はそれまでずっと話していた結婚話と脈絡なく「あんぱんを食べないか」と急に言い出すのがとても可笑しいのだけど、やっぱりこのモードチェンジは役者に対して負荷が高いという認識が小津にも野田高梧にもあったんではないでしょうか。それまでとは何かモードが違うんだよ、全然違っちゃっていいんだよという含意がこのハイフン一つには込められている気がします。杉村春子クラスの役者にとっても、このハイフンがあるだけでずいぶん演じることが楽になるんではないかと想像します。
 『晩春』の原節子の演技は驚くべきものであるけれど、過剰さがアクシデント的によく働いた部分もきっとあるので、『麥秋』では過剰には決してならないように、全体的にテキスト面での演出をより細かくやっている印象があります。台詞ではなく、原節子の「ええ」という一言がより多義的に見えるようなテキストの配置をしている気がしました。その繊細さが『晩春』とも『東京物語』とも異なる『麥秋』の魅力になっていると思います。
松田 濱口さんの「『東京物語』の原節子」(『ユリイカ』2016年2月号に掲載)は面白く拝読しました。お母さんが死ぬといういわゆる家族的なドラマの核心への、紀子を演じる原節子のポジショニングが、距離感として「いいえ」に表れているわけですよね。ずっと「いいえ」という否定的な立場性で核心に引き込まれないようにしているのに、「でも」という許容するような言葉に変容していく。いわゆる道徳、モラルの距離感でドラマが進行していく中で、「いいえ」や「でも」という文頭の言葉でポジショニングが次第に変容する。小津の映画ってスピノザのエチカみたいなもので、モラルを超えた人間の生態、出来事が連鎖していく世界の圧倒的な有り様を見せつけられる。核心への距離を保持しようとしていたのに最後にはそれに晒されるように泣く原節子の姿を見て、もしかしてこれは自分の姿ではないかと思う関係性が、濱口さんと映画の中の原節子との間に出来上がった。小津の映画は様式的とか言われるけど、人間という動物の世界はこういう風になっているということを見せつけられる。家族という個別的な世界から放り出され、広い世界に包まれるような恐怖を感じますね。ラストの船が行く光景や、ドラマの間に挿入される街路などの外の風景も、原節子の表情と等価な異様なドキュメンタリーを見せられているような気がします。
濱口 そうですね。ポジショニングと松田さんはおっしゃいましたが、「いいえ」はひたすら距離をとりつつも、“私はそういうことではないんです”と自己主張もする言葉です。原節子が「いいえ」でポジショニングをし続ける一方で、紀子と周吉が対面するシーンにおいては笠智衆演じる周吉も「いや」と繰り返す。“自分が言いたいのはそういうことではない”とお互いがやわらかく主張し合うことによって、実はその場での関係性の精度が上がっていく。その関係性の精度が上がり切った瞬間に現れた「でも」という言葉に導かれるようにして、原節子という人なのか紀子という人が出てくる。そこで『東京物語』がフィクションなのかドキュメンタリーなのかわからないような次元に入った印象は受けました。

『福島を上演する』(マレビトの会、2018年)[撮影:西野正将]

◎偶然をどう書くか

松田 芸人さんと演劇の集団がそれぞれ作品を提供するテアトルコントという企画をユーロライブでやっていて、面白いな、いつか僕らも出たいなと思っていたらオファーをもらって、この間『マレビト・コント』というのを上演しました。そうしたら、ちょっと恐ろしいくらいにまったく受けなくて。クスクス笑いみたいなことは起こったんだけど(笑)。『空中犬』というコント作品で、飲み会の帰り、一人の会社員が上司に向かって「僕は実は昔犬だったんです」って打ち明ける場面が笑いどころだったんだけど、お客さんが全然笑わない。やっぱりよくわからなかったんだろうね(笑)。当然ですよね。急に犬だと言われても。空中犬ってカフカの短編に出てくるんだけど、部下の会社員は犬族に属していた頃は空に浮かんでいる空中犬は憧れの的だったんですよというような取りとめのない話を帰宅しながら上司に向かって喋るんですね。その前の場面では上司に居酒屋に連れていかれて、上司と一緒に世間話をして笑っているんだけど、部下が必ず落ち込む。実は打ち明けたいことがあって、それが僕は昔犬だったんです、すみませんということだったんだけど、書きながらおかしくてしょうがなかった(笑)。でも実際に上演したら全然受けなくて。
濱口 稽古場ではどうだったんですか。
松田 粛々と稽古しますよ(笑)。あんまり受けを狙っちゃいけないと思いながら。それがいけなかったのかもしれない。でもね、他のお笑いの人たちは割とシュールなことをしたとしても今何がしたいのか、今何が起きているのかがパッとわかるわけです。僕らがやるのはシュールがシュールのまま。キャッチーなことにはならない。
濱口 演劇で笑いが起きなくても落ち込まないかもしれませんが、コントで笑いが起きないと落ち込みますよね(笑)。
松田 そうなの。落ち込むから、ちゃんとコントの覚悟をしていないと駄目だなあって思いました。私たちは前衛的な演劇してますからって、あぐらをかいていられないわけですよ。コントの現場には即物性、即時性というかライブ感覚がある。ちょっとは歩み寄りが必要だと思った。
 さっきね、休憩中にトイレに行ったら、トントンってドアが鳴ったんですよ。「すいません検針です失礼します」って作業の人が入ってきて、検針が終わったら「どうもありがとうございました」って帰っていった。その間、僕は無言ですよね。誰に向かって言われたことなのかもわからないし、でもその場には自分しかいないし、「はーい」って返事すべきか、返さなくてもいいかのジレンマに立たされました。こういう展開ってあらかじめ想定できないじゃないですか。でもこういうことが起こった時に面白くてしょうがない。こんなことをそのまま出してもつまらないけど、戯曲にもこれに似たようなことを書きたいなと思ってしまうんです。
濱口 予測不可能ですよね。なぜこのタイミングでこの人が来るんだという。
松田 偶然だからね。でもその現実は受け入れるしかないという。検針の人が仕事をしているサイクルと僕のトイレがたまたまぶつかって、僕はどう返したらいいかを問われたということですが。
濱口 ちなみに松田さんは偶然ってどうやって書きますか?
松田 そうそう、そういうことが言いたかったんです。濱口さんの場合はどう書くの?
濱口 ひとつは、人と書くということがありますよね。あんまり意図をはずれたことを書くのは苦手なので、人と一緒に書いている。そうすると、なんだか全然わからないけど思いがけないことが出てきて、でも妙に真実として感じられて残しておくかということになる。
松田 『福島を上演する』はいろんな人が書いた短編がたくさん集まった作品なんだけど、そのうちの一つに「こずえと茂吉」(作・三宅一平)という作品があります。どうしようもない兄が妊娠している妹のところにやってきて、お酒くれとか言いながら日常会話のドラマが展開する。でも途中で、あ、揺れてるっていう小さな地震の起きるシーンが挟まれる。この偶然は僕には書けない。
高橋 さっき濱口さんが他人と書くことで偶然を見つけるとおっしゃっていましたが、最近のマレビトも複数人がバラバラに書いてますよね。あれもやっぱり、自分が書かないものに出会う意図があってそうしてるんですか?
松田 それはあるかもしれない。ただ、偶然を作り手が都合のいいものとして扱ってしまう危険はあります。
濱口 松田さんは他の人と一緒に書くというのはあまりないんですか。
松田 ないかな。シナリオは『美しい夏キリシマ』(2003年)という映画を黒木和雄監督と一緒に書いた。書いたって言っても実際に書いたのは全部僕なんだけど(笑)、でも黒木さんにかなり影響されて、黒木さんに寄り添いながら書いた。ああいう書き方は本当に共同作業だったという感じがしますね。
高橋 今のマレビトの会は複数人で書くって言ってもそれぞれが脚本を持ち寄るスタイルですよね。そうじゃなくて『美しい夏キリシマ』のように、もしくは小津と野田高梧のように、一本のものを複数人で書くような発想はないですか?
松田 あるかもしれないけど、今はあんまり興味が持てないですね。今は僕自身の欲望としては、自分の戯曲作品をとにかく書きたい。
 映画は『ハッピーアワー』のように三人で書いたりしますが、演劇も複数人で書いたりすればいいんだけど、どうしても個人の色合いが強くなっちゃうところがある。
濱口 ドキュメンタリー(『なみのおと』『なみのこえ』『うたうひと』の東北記録映画三部作)で共同監督をやったりしましたが、演劇の場合は共同で戯曲を書けと言われたら悩ましいだろうなと何となく想像します。演劇は演出家の仕事が占める比重もあるでしょうが、何よりもまずテキストという存在が大きい。時代を超えて何度も上演される可能性があるものを、人を迎えて書くのは心理的に難しいものがあるんじゃないでしょうか。
松田 本当はないはずなんだけどね。書く主体が重要という問題が依然としてあるんだと思うし、主体性への批判的な書き方を模索する必要がある。そういう意味で書き手は誰でもいいはずなんだけど。
高橋 逆にどうして映画のシナリオは共同作業が多いんですかね? 残るものがテキストじゃないからなんですかね? つまり、映画の場合、撮影前はシナリオをもとに一旦それをどう実現させるかにベクトルが向きますけど、撮影後は、記録された映像や音をもとに、それをどうやって映画として完成させるかっていうふうにベクトルが変化しますよね。そういう意味で、残るものが映像や音だからですかね?
濱口 そうだと思います。数々スタッフがいて、あくまで最終的な画面作りのための一スタッフという自認がしやすい。きっと心理的な抵抗は戯曲を複数で書くより少ないんですよ。

©2018 映画「寝ても覚めても」製作委員会/COMME DES CINEMAS

◎『寝ても覚めても』の東日本大震災

松田 偶然といえば、『寝ても覚めても』では東日本大震災が出てきますよね。
濱口 あれこそまさにもう一人の脚本家の田中幸子さんが書いてきて、マジですかと思った(笑)。
松田 そういうとき濱口さんは抵抗あるんですか。
濱口 ありますよ。本当にやる気ですかとプロデューサーにも聞いたら、結構皆やる気だったし、それは「僕がやる」ということが前提だった。でも、外から提案されたからこそ、外から抗いようもなくやってきた自然災害を扱う態度を自分の中で獲得できたような気はしました。
高橋 抵抗するか受け入れるか、具体的にどう判断したんですか?
濱口 今の時点から十年くらいの時間を書くとなるとどうしても東日本大震災の話は入ってきます。それを背景に置くのか前面に出すのかという問題で、田中さんは前面に出すことを選んできた。それは予期していなかったけど、結局この上なく物語自体のテーマに合っていることも理解したし、これ以上にもっといい代案があるのかとなったときに僕には出せなかった。最終的には僕自身の判断としてもそっちの方が潔いと思いました。
 でも、偶然を書ける書けない問題で言うと、自分で書いている限りはフィクションでしかないわけですよね。フィクションでしかないものに偶然を入れてしまったら、かえって作為が目立ってくるのではないかという恐れが常にあります。結局のところお客さんにとっては同じなんだけど、自分の中の生理として他人が書いてきてくれると何か逃げ場がある(笑)。実際のところ、偶然というものがない世界の方が真実ではないわけなので、偶然はむしろ必要だと思っているんですが、自分では物語を進めてしまうような都合のいい偶然をなかなか書けません。「自分が書いているわけではないが」ということが偶然を書く際は必要になる気がします。

※対談全文は、悲劇喜劇3月号でお読みいただけます。

松田正隆(まつだ・まさたか)劇作家、演出家、マレビトの会代表、立教大学映像身体学科教授。1962年、長崎県生まれ。立命館大学文学部哲学科卒業。94年『海と日傘』で岸田國士戯曲賞、99年『夏の砂の上』で読売文学賞を受賞。2003年「マレビトの会」を結成。主な作品に『声紋都市―父への手紙』など多数。16年から長期プロジェクト『福島を上演する』を発表している。

[今後の予定]劇団青年座『東京ストーリー』10月23日~29日=駅前劇場/作=松田正隆/演出=金澤菜乃英〈お問い合わせ〉03-5478-8571。

濱口竜介(はまぐち・りゅうすけ)映画監督。1978年、神奈川県生まれ。東京大学文学部卒業。08年東京藝術大学大学院映像研究科修了。修了制作『PASSION』(08年)が国内外の映画祭に出品され高い評価を得る。『ハッピーアワー』(15年)でシンガポール国際映画祭最優秀監督賞、文部科学大臣芸術選奨新人賞を受賞。最新作の『寝ても覚めても』(18年)は第71回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に選ばれた。他の作品に『THE DEPTHS』(10年)、『親密さ』(12年)、『うたうひと』(13年)など。

[今後の予定] 『寝ても覚めても』Blu-ray&DVD=3月6日発売/監督=濱口竜介/脚本=田中幸子、濱口竜介/原作=「寝ても覚めても」柴崎友香(河出書房新社刊)/発売元=バップ

©2018 映画「寝ても覚めても」製作委員会/COMME DES CINEMAS

高橋知由(たかはし・ともゆき)脚本家。1985年生まれ。日本大学大学院芸術学研究科修士課程修了(映像芸術専攻)。主な脚本作品に『不気味なものの肌に触れる』(濱口竜介監督、13年)、『ハッピーアワー』(濱口竜介監督、15年)、『螺旋銀河』(15年)など。17年・18年のフェスティバル/トーキョー『福島を上演する』にてマレビトの会の上演戯曲を手掛けた。

[今後の予定] 第11回恵比寿映像祭「トランスポジション 変わる術」(映画上映)演出と俳優、その身体――草野なつか《王国(あるいはその家について)》(150分版)2月8日、23日=東京都写真美術館 1Fホール/監督=草野なつか/脚本=高橋知由〈お問い合わせ〉03-3280-0099