感情をあらわにしないネコが人と一緒に暮らす理由を解明!『猫的感覚』本文試し読み
私たちにとって身近な存在でありながら、謎に包まれたミステリアスな存在でもある「猫(ネコ)」。めったに感情をあらわにしない彼らは、どうやって人と一緒に暮らすようになったのでしょうか? 動物学者がわかりやすく解説するネコ好き必読の総合読本『猫的感覚 動物行動学が教えるネコの心理』(ジョン・ブラッドショー、羽田詩津子訳、ハヤカワ・ノンフィクション文庫)から本文冒頭部分を特別試し読み公開します。
ネコを理解するために
今日、イエネコは世界じゅうでもっとも人気のあるペットである。世界のどこでも、イエネコは「人間の親友」であるイヌよりも多く、数にして3対1ぐらいだ。多くの人々が都会で暮らすようになり、イヌにとっては理想的な環境ではないが、ネコはライフスタイルにぴったりのペットになった。アメリカの3分の1の家庭は1、2匹のネコを飼っている。イギリスでは4分の1以上の家庭でネコを見かける。オーストラリアでは、イエネコは無害な絶滅危惧種の有袋類を残酷に殺す犯人として悪者扱いされているが、それでも、ほぼ5分の1の家庭がネコを飼っている。
ネコのイメージは世界じゅうでいろいろな商品の宣伝のために利用されている。香水から家具、菓子にいたるまで。ネコのキャラクター“ハローキティ”は100以上の国で5万以上のさまざまなブランドの製品に使用され、開発者たちに何十億ドルもの使用料をもたらしてきた。ごく少数の人──おそらく5人中1人──はネコを好きではないが、ほとんどの人がお気に入りのこの動物に対しては愛情をためらうことなく示している。
ネコは愛情深いと同時に、独立独歩の生き物である。ペットとして、イヌに比べネコは手がかからない。訓練も必要ない。自分で毛づくろいをする。一日じゅう放っておいても、イヌのように飼い主を恋しがることはない。それでも帰宅すると、愛情たっぷりに出迎えてくれる(まあ、大半のネコは)。食事の時間は現代のペットフード会社のおかげで、面倒な作業が簡単になった。ネコはでしゃばることはほとんどないが、愛情を向けられるとうれしがっているように見える。ひとことで言えば、ネコは飼うのに都合がいい。
一見したところ、ネコはやすやすと都会の洗練された動物に変わったようだが、それでも8割ぐらいのネコは野生の原点にしっかりと根をおろしている。イヌの精神は、その祖先であるハイイロオオカミから劇的に変化した。だがネコはいまだに野生のハンターのような考え方をする。二世代もあれば、ネコは1万年ぐらい前の祖先の暮らし方に、すなわち自立した生活様式に戻れるだろう。
現代ですら、世界じゅうの何百万匹ものネコはペットではなく野良ネコで、ゴミあさりと狩りをして暮らしている。彼らは人間のかたわらで生きていても、人間を生まれつき信用していない。しかし子ネコは友人と敵のちがいを驚くほどの順応性で学習する。おかげで、ネコは一世代にして、野良ネコからペットへと劇的にちがうライフスタイルのあいだを移動できるのだ。したがって野良ネコの両親から生まれた子ネコは、何世代にもわたるイエネコの子孫と区別がつかない可能性がある。
逆に飼い主によって捨てられ、新しい飼い主を見つけられないペットはゴミあさりに戻るかもしれない。するとその一世代か二世代のちの子孫のネコは、都会で影のような存在として生きてきた何千匹もの野良ネコたちと区別がつかなくなっているだろう。
ネコの人気が高まり、ますます数が増えるにつれ、ネコをけなす人々はいっそう大きな声をあげるようになっている。この数世紀のうちでも、今ほどその声に悪意がこもっていることはないように感じられる。ネコはイヌやブタにつけられている「清潔ではない」というレッテルを貼られたことはない。
しかし、ネコは世界じゅうで受け入れられているように見えても、あらゆる文化において少数とはいえネコが気にくわない人がいるし、20人中1人ぐらいは嫌悪まで抱いている。たずねられたときに、西洋人でイヌが嫌いだと認める人はめったにいない。そういう人は動物全般が嫌いか、子どもの頃に嚙まれたなどの特別な経験のせいで、嫌悪を抱くようになったかだ。ネコ嫌いはもっと根強い。ただし、ありふれたヘビやクモの恐怖症ほどは多くないが、ヘビやクモの恐怖症は毒を持つ種を避けたいという論理的な根拠がある。しかし、ネコの場合、嫌いな人にとっては、それに劣らぬ非常に強烈な感情なのだ。“ネコ恐怖症”では、中世ヨーロッパで何百万ものネコを殺した宗教的迫害が最たるものだろう。そしてネコ恐怖症は当時も現在も同じように存在している。したがって、ネコの人気が今後も続くという保証はないだろう。
現在、ネコ嫌いの告白に後押しされるかのように、ネコは“罪のない”野生動物を理不尽に不必要に殺すと糾弾されている。その声がもっとも大きいのはニュージーランドのアンティポデス諸島だが、しだいにイギリスやアメリカでも耳障りなほどになってきた。もっとも過激な反ネコの圧力団体は、ネコに狩りを許してはならない、ペットのネコは室内に閉じこめ、野良ネコは撲滅するべきだと主張している。外ネコの飼い主は、家の周囲の野生動物を殺す動物を養っていると非難されるだろう。
野良ネコに去勢と予防注射をほどこし、また元のテリトリーに戻すことでネコの暮らしを守ろうとする獣医は、同業者から攻撃を受けた。仲間の獣医たちは、これは(違法な)捨てネコにつながるし、ネコのためにも周囲の野生動物のためにもよくないと批判している。
この議論ではどちらの側もネコは“生まれつき”のハンターだと認めている。しかし、この行動をどう管理するかで意見が一致しないのだ。オーストラリアとニュージーランドの一部では、ネコは北半球から持ちこまれた“異国の”捕食者と定義され、ある地域では立ち入り禁止に、別の地域では外出禁止か強制的にマイクロチップをつけるかされている。アメリカやイギリスといった何百年もネコが土着の野生動物といっしょに暮らしてきた場所ですら、ペットとして数が増えていることで、口うるさい少数派は同じような制限を求めはじめた。
だがイエネコのせいで野生の鳥やほ乳類が減少しているという非難には、科学的根拠がない、それは野生動物へ他のプレッシャーが増えているせいだ、たとえば生息地が失われることなどのせいだ、とネコの飼い主は反論している。したがって、イエネコに制限を課しても、ネコが脅かしているとされている種を復活させることはできないという主張だ。
人間がもはやハンターとしての能力に価値を置いていないことに、当然ながらネコは気づいていない。ネコにとっての幸福を脅かすのは人間ではなく、他のネコだ。同じように、ネコは生まれつき人間を愛しているわけではない。それは子ネコのときに学ばねばならないことだ。同様に、自動的に他のネコを愛することもない。それどころか、ネコは基本的に遭遇する他のネコすべてを疑い、怖がりさえする。現代のイヌの祖先である非常に社交的なオオカミとはちがい、ネコの祖先は孤独を好み、縄張り意識が強い。ネコが1万年ほど前に人間と関わりを持ちはじめてから、同胞に対する忍耐力が鍛えられたにちがいなく、そのおかげで人間が最初は偶然に、のちに意図的に食べ物を提供してくれる場所で、これまでよりもたくさんのネコ仲間とともに暮らせるようになったのだ。
イヌとはちがい、ネコは仲間と接触することに対してまだ心からの熱意を抱くようにはなっていない。その結果、多くのネコは他のネコとの接触を避けて一生を過ごすことになる。かたや、飼い主はうかつにも、別のネコといっしょに暮らすことを飼いネコに強いてしまう──隣人のネコであれ、“遊び相手にする”ために飼い主が手に入れた2匹目のネコであれ。ネコの人気が高まるにつれ、それぞれのネコが接触するネコも当然ながら多くなる。それによって接触のたびにストレスも増えていくのだ。社交上の葛藤を避けることがむずかしくなると、多くのネコはリラックスできなくなる。そのストレスは行動に、さらには健康に影響を及ぼす。
多くのイエネコの環境は理想にはほど遠い。おそらくネコの幸福はイヌの幸福のようにニュースにならないせいだろう。あるいはネコは抗議をせずに耐えてしまいがちなせいかもしれない。2011年にイギリスの獣医の慈善団体が採点したところ、平均的なイエネコの物理的および社会的環境は100点満点中わずか64点で、多頭飼いの家では点数がさらに低かった。飼い主のネコの行動に対する理解も、どっこいどっこいで66点だった。まちがいなく、飼い主がネコの行動の理由について理解をより深めれば、ネコは今よりもずっと幸せな生活を送れるだろう。