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漱石がLINEスタンプを押す?時事ネタ満載の「日本文学盛衰史」劇評(悲劇喜劇9月号)

演劇界内外から大きな反響を呼んだ、高橋源一郎氏による同名小説原作の青年団『日本文学盛衰史』。『悲劇喜劇』9月号(特集=OH! タカラヅカ)の発売を記念し、同号に寄せられた堀切克洋氏による劇評を全文掲載します。(冒頭写真:座布団に顔を埋め匂いを嗅ぐ田山花袋/撮影:青木司)


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 「現代口語」を歴史的に相対化する ──青年団「日本文学盛衰史」     堀切克洋(演劇批評)

 一月に阪神・淡路大震災、三月には地下鉄サリン事件が起こった一九九五年は、平田オリザが三十二歳で『現代口語演劇のために』というマニフェストを刊行、『東京ノート』で岸田國士戯曲賞を受賞した年でもあった。

 本作の冒頭は、そのおよそ百年前に催された北村透谷の葬儀の場面からはじまる。料亭のような天井吹き抜けの広い一室に、森鷗外、中江兆民、夏目漱石、樋口一葉、正岡子規ら文豪や知識人が次々と集まってきては駄弁を弄する。もちろん、下世話な話も多い。ただし、原作に描かれている九〇年代の風俗は更新され、平田にはめずらしい「時事ネタ」──日大タックル問題、加計学園、LINE、アダルトVR ……──によって、沈痛なはずの葬儀の場面が馬鹿馬鹿しい笑いに満ちたものとなる。一言でいえば、アナロジーとアナクロニズムによる笑いである。

 この作品は、高橋源一郎による同名の小説の演劇化であるが、原作よろしく登場人物たちの話題は明治と平成を自由に往還する。原作に筋という筋はなく、近代文学の旗手たちの私生活や作品世界を織り交ぜて描く群像劇であると同時に、文庫版でも六百頁超の「小説」であるから、そのまま舞台化することはまず不可能であり、台詞も構成も平田による創作であると言ってよい。

 これらの混沌には、明快な秩序が与えられている。平田は、同一の舞台空間を用いつつ、明治から大正にかけての四つの葬儀を描くのである。一場=北村透谷(一八九四年)、二場=正岡子規(一九〇二年)、三場=二葉亭四迷(一九〇九年)、四場=夏目漱石(一九一六年)。注目したいのは、本作の全体が描く時間幅が、一九九五年から現在までのそれとほぼぴったりと重なりあうということだ。

 透谷の文学的な死を切断面として、明治国家が戦争と富国強兵に明け暮れるなかで、子規が提唱した「写生」を虚子が継承し、二葉亭四迷や夏目漱石が小説における言文一致体の実践者となっていく時代は、バブル崩壊にはじまる「失われた二十年」において、ある種の文芸が口語化/大衆化したこととオーバーラップする。それは、平田オリザと同じ一九六二年生まれに歌人の俵万智や穂村弘、あるいは美術家の村上隆がいることを思い起こせば事足りるはずだ。

 このような地殻変動を、百年前に起こった日本語の、そして文学の変容とアナロジカルに語ることこそ、平田版『日本文学盛衰史』における最大のポイントだろう。一場に登場する樋口一葉は『大つごもり』のあらすじを、チェルフィッチュの『三月の5日間』(二〇〇四年)のパロディとして語る。ここには、明治の男性中心社会において一葉が「若く、金をもたない、教育を受けていない女性のリアリズム」を提案したという高橋の見立ても少なからず反映されていよう(『大人にはわからない日本文学史』)。だからこそ、日清戦争前年、借金返済のための盗みをはたらく少女の「だらだら」としたモノローグは、イラク戦争開戦時に渋谷のラブホテルで五日間を過ごしたという「リアル」とも重なりあう。

 大逆事件と現代のデモが往還する場面/撮影:青木司

 では、この作品のどこかに平田の「分身」もまた潜んでいるのだろうか。作品で描かれる二十年余りは、言文一致体が模索され、口語文が完成に至る時期である。もし、平田の「現代口語演劇」の提唱によって、舞台におけるセリフや発話のあり方が大きく変容したと見るなら、比較されるのはやはり漱石ということになるだろう。漱石の死が口々に語られる最終(四)場では、島村抱月と坪内逍遥も登場する。二葉亭が死去した一九〇九年、ふたりは直前に「文芸協会」を創設しているが、二年後の帝国劇場の最初のシーズンに上演された坪内逍遙訳『ハムレット』を見て、漱石は「沙翁に対して余りに忠実ならんと試みられたがため、遂に我ら観客に対して不忠実になられた」と紙上で批判したというエピソードが四場に挿入されているのである。

 平田は、「日本人はそのようには喋らない」という一言をもって、三島由紀夫や久保栄など、翻訳調の劇言語を批判してきたが、この漱石の発言はそれと重なりあう。というよりも、この一言は〈I love you〉を「月が綺麗ですね」と訳したという漱石のエピソードに多くを負っている。ただ、演劇史という枠組みで言えば、平田が自身を重ねあわせているのは岸田國士の仕事であり、「岸田以降の日本のほとんどの劇作家の文体が、ことごとく岸田作品を手本とする点において、岸田の存在は、小説の世界における夏目漱石に比肩できる」と平田は言う(『演劇のことば』)。

 このような文学=演劇史観において、旧守派として分類されるのは透谷や一葉といった独特の文語文体に固執していた作家たちだが、微妙な位置を占める作家として、森鷗外を挙げることができる。鷗外が四場すべてに登場するのは偶然ではない。鷗外というと保守主義者のイメージが強いが、実をいうと彼は明治二十年代より口語文に魅了されていた。ただ、近代文学の制度として定立するまで傍観を貫いていたのである(山田有策『幻想の近代』)。山内健司演じる鷗外もまた、全場を通じて他の人物に話題を振る「司会」のようなポジションとして描かれている。

 いずれにせよ、明治四十年前後までに口語文体は制度的に確立し、文語文体は深層へと姿を消していった。しかし山田は、「虞美人草」の高度なレトリックから、漱石が口語を採用しながらも記憶の奥底の文語的=漢文的教養に陶酔していた可能性を示唆する。本作の三場でも、朝日新聞主筆・池辺三山が「虞美人草」のヒットを告げるが、この奇妙なねじれは、現代日本語において文語脈が絶滅したわけではなく、むしろ再評価されつつある近年の機運を暗示する。たしかに、短歌では八〇年代のライト・ヴァース以降、圧倒的に口語化したが(穂村弘の『短歌の友人』について論じた文章のなかで、高橋源一郎は岡田利規の小説について触れている)、逆に俳句では季語と十七音という制約から文語体が相変わらず力をもっているし、小説では松浦寿輝『明治の表象空間』(二〇一四年)による北村透谷と幸田露伴の擁護が記憶にあたらしい。

 このような文学=日本語史観は、平田のそれとは一見すると相容れないが、しかし彼もまた三場で漱石の口を借りて、「新しい日本語」がやがて(大逆事件というフレームアップを予見するようにして)国家に仇なすものとなると述べ、また終幕では、小説の読み書きするのは人工知能だけになるという未来を告げてもいる。後者はアンドロイドがランボーや若山牧水の詩を淡々と少女に語りつづける『さようなら』(二〇一〇年)の場面を思い起こさせる。

 ひょっとすると今から百年後、平田オリザの葬式の場面を描く劇作家が出現するかもしれない。もっとも、その劇作家は人工知能なのかもしれないが、そのとき舞台はいったい誰の葬儀からはじまることになるのだろう。そのころの「新しい日本語」に立ち会えないのが残念だが、現在の私たちが言文一致世代の文学者たちを見ているような目で、私たちの日本語は見られることになるのだろう。そのときまで、日本という国家が残っていればの話だが。

『悲劇喜劇』9月号より

堀切克洋(ほりきり・かつひろ)1983年、福島県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。専門はアントナン・アルトー研究、舞台芸術論、表象文化論。2016年7月より「日本経済新聞」夕刊劇評担当。俳人としても活動し、2017年第8回「北斗賞」受賞。共訳に『ヤン・ファーブルの世界』(論創社、2010)、上田洋子・内田健介・永田靖編『歌舞伎と革命ロシア』(森話社、2017)、共著に毛利三彌・立木燁子編『北欧の舞台芸術』(三元社、2011)、共同執筆に大笹吉雄他編『日本戯曲大事典』(白水社、2016)など。『悲劇喜劇』2018年11月号から「演劇時評」の評者を担当。

[今後の予定]2018年9月に第一句集『尺蠖の道』(文學の森)を刊行。他、近刊としてパスカル・キニャール『ダンスの起源』(パトリック・ドゥヴォス、桑田光平と共訳、水声社)、アンヌ・ユベルスフェルド『ポール・クローデル』(中條忍監修、根岸徹郎・大出敦らと共訳、水声社)など。