【堂場瞬一新刊】『小さき王たち 第一部:濁流』解説(池上冬樹)
『小さき王たち 第一部・濁流』解説
池上冬樹(文芸評論家)
堂場瞬一の小説だから面白いことはわかっていたが、堂場瞬一のミステリ以上に面白い、といったらほめすぎか。何か一皮むけたような大きな構えの物語の片鱗がここにはあり、静かな昂奮に包まれる。ミステリではないので、死体も、殺人事件もない。刑事たちの捜査活動もない。あるのは新聞記者と若き政治家との対立のみだ。それでも充分に面白く、わくわくするし、いつもより頁を繰る手に力が入った。
編集部によると、本書『小さき王たち 第一部・濁流』は、「二つの家系の三世代にわたる物語を壮大なスケールで描く、大河政治マスコミ小説」で、三部作の第一部だという。しかも第二部は7月、第三部は10月の刊行だというが、正直言って、そんなに待たせるのか! という思いである。悠長すぎる。連続刊行でもいいし、無茶をいうなら、三部作を1冊にした弁当箱本、そう藤田宜永の『鋼鉄の騎士』みたいな弁当箱本でも良かった。第二部・第三部は知らないが、この第一部だけ読んでも、第二部以降の面白さは充分に想像できる。売れるし話題になるだろう。
もっと無茶をいうなら、第二部以降を袋とじ・返金保証にして売ってもいいかもしれない。僕なら買うし、第一部を読んだらすぐに、袋とじの第二部をばりばり破って夢中になって読みふけるにちがいない。それほど先が気になるのだ。人物たちはどのように成長して、どのように交錯して、さらに息子・孫たちはどのように対立して、どこに着地するのか。読みながら、これはテレビの連続ドラマに絶対になると思った。僕がプロデューサーならすぐに権利を買う。ドラマティックだからだ。しかも二代、三代と続く物語となれば、山崎豊子的な大きな物語になりそうではないか。
小説の舞台は新潟である。新潟といえば、堂場瞬一の最初の警察小説のシリーズ・ヒーロー、鳴沢了の故郷であり、第一作『雪虫』は新潟を舞台にしていた。父親との確執があり、鳴沢了は新潟を出て、東京で刑事生活を始め、第二作以降は東京が舞台となるけれど、シリーズ第五作『帰郷』では父親の死とともに新潟に帰省し、父親唯一の未解決の事件を追及した。おそらく新潟を舞台にするというのは、堂場瞬一にとっては、原点回帰に近い思いがあったのではないか。しかし繰り返すが、『小さき王たち第 一部:濁流』は、警察小説ではない。
1971年12月。新潟支局に赴任して4年目の若き新聞記者・高樹治郎が、海岸沖で座礁したタンカーをカメラで収めていると、懐かしい顔を発見する。幼馴染みの田岡総司だった。県議や新潟市議会民自党会派の重鎮たちと一緒に視察にきていた。総司の父親、田岡一郎は代議士で、現在民自党会政調会長の要職についており、総理・総裁も狙える実力者だった。総司は生まれも育ちも東京で、小学校から大学まで高樹と一緒だったが、父親は新潟を地盤にしていた。いずれ総司が父親の跡をつぐのだろう。
話をきくと、実際、総司は父親の私設秘書として2年前から働きだしており、翌年の2月に行われる衆議院選挙を、東京で多忙な父親に代わって、新潟で仕切ろうとしていた。折しも新潟の民自党は分裂選挙になりそうだった。新潟一区の定員は3。長年田岡の父親とトップ争いをしてきた代議士が引退して、新潟出身の元大蔵官僚本間章を後継候補としていたが、県連の候補者選びに反旗を翻して、元県議東田が無所属で出馬しようとしていた。官僚的で人間味に乏しい本間に比べ、東田は女性受けも良くて侮れない。総司は将来の自分の選挙も見すえて、本間を当選させるべく買収行為に手をそめる。
「俺はオヤジの跡を継いで政治家になる。お前は新聞社で偉くなって、世間を動かすような記事を書く。今のところ、その目標に向かって二人とも動いていると言っていいんじゃないか」(本文32頁)と再会した頃は話し合っていた二人だが、道は大きくわかれていく。田岡は政治家秘書として選挙に勝つために買収に走るし、高樹は新聞記者として選挙違反を暴こうとするからだ。高樹は当初、田岡が関係しているとは思わなかったのだが。
おそらく現代の読者は、あまりに簡単に票を獲得するために金をばらまく行為に違和感を抱くかもしれない。だが、2019年の参院選広島選挙区で起きた大規模買収事件(河井克行元法相が、妻の案里氏を当選させるために、地元の自民党の県議や市議ら100人に計2870万を配った事件)をあげるまでもなく、保守政治の土壌が根強いところでは金権選挙が幅をきかせていた時代がある。1971年ならふつうに行われていたかもしれない(ちなみに1974年の参院選で全国区に立候補をした糸山英太郎の陣営からは、142人の逮捕者、1287人の選挙違反検挙者を出した)。
「そもそも誰も、政策になんか注目しないだろう。有権者は、候補者の顔と名前を見て投票する相手を決めるんだ。日本の選挙はそんなものだよ」(本文320頁)とか、「お前も現実を見ろよ。お前たちが取材していたことは、日本の田舎の実情なんだ。どこでも同じようなことがある」(本文322頁)というのは、実際その通りだったろう。
現代の感覚からすれば買収行為をする政治家を悪と見るかもしれないが、何かしなければ選挙に勝てないなら、そして「どこでも同じようなこと」をしているのなら、それに手をつけるだろう。本書が読ませるのは、田岡が決して悪党ではなく、冷えきった父との関係、絶対的な存在の父親を振り向かせるための第一歩の勝利を掴もうとするのである。私生活では、田岡も高樹もまた恋人がいて、その関係が自らの仕事を押し進めることで破綻の危機を迎える。
そのため高樹は「自分の人生を犠牲にしてまでやる仕事があるのだろうか」(本文351頁)と自問し、「一つの記事が人生を変えてしまう。今回の選挙違反の記事では、多くの人の将来が捻じ曲がってしまうはずだ。そしてそれは、書かれた方だけにとどまらない。書いた方も、記事の影響を受けるのだ」(本文349頁)と苦悩を深めていく。
しかも面白いのは、高樹が勤務する新潟支局でも、田岡の選挙区でも、そして選挙違反を取り締まろうと奔走する警察内部でも、様々な確執があり、高樹と田岡の友情と対立以外にも人間ドラマがあることだろう。
繰り返すが、1970年代初頭が舞台である。当然いまとは違い、喫煙率も高く、高樹はショートホープ、田岡はハイライトを吸う。余談になるが、74年に立教大学に入った僕もショートホープを吸っていたし、教室でも吸い、教室の床は吸殻だらけだった(それは映画館でも同じ。ただし辻邦生が教授をつとめる学習院大学の授業に忍びこんだとき、教室に吸殻一本ないのには驚いたなあ)。大学1年から部室で酒を飲み(いまの大学では厳密に20歳になるまで飲んではいけない)、酒盛りはしょっちゅうだった(いまの大学ではキャンパス内での酒盛りは厳禁の所が多い)。作者はさすがに飲酒運転はまずいと思って抑えて書いているが、当時は飲んだら醒ませばいいという感覚で、酒気帯びぐらいならさほど悪くない認識だった(実際酒気帯びでは違反切符を切られる程度で、逮捕などされなかった)。
果たして"おおらか“という表現が正しいのかわからないが、多くの挫折や間違いや失敗に対して寛容だった。その人間の価値判断は、法律や政治的な正しさとは異なるところで、その人の本質を見抜くことで行われた。清濁併せ呑むという言葉がいま以上の重さと深さをもち、人の弱さを一面的に非難することはなかった。
堂場瞬一の新作『小さき王たち 第一部・濁流』がいいのは、まさに当時の(いや現代でも有効な)人の本質を見極める眼差しがあり、そこに人間ドラマを作り上げている点だろう。社会の外側に作られてある価値観をあてはめるのではなく、内なる倫理を作り上げて、そこから人間の成長を凝視していこうとする。だからこそ深く読ませるのだ。
もう一点、三代記という点で、思い出したことがある。鳴沢了シリーズは、実は、祖父、父親、孫三代の警察官の物語であり、海外ミステリ贔屓(びいき)の堂場瞬一は、案の定、スチュアート・ウッズの『警察署長』を念頭においたようだが、鳴沢了シリーズは結局、シリーズ展開が広がり(だからこそ堂場瞬一というミステリ作家の土台が築かれたのだが)、物語がやや拡散した感があったけれど、本書の三部作では、凝縮した物語が期待できるのではないか。
さらに、もう一点。神田を舞台にした『夏の雷音』(2015年)あたりからだと思うが、堂場瞬一の小説には飲食の描写が増えて聖地巡礼したくなるのだけど、それは本書も例外ではない。新潟の日本酒が、洋食が、郷土料理の数々が実においしそうに出てきて、小説に出てきた名物や名産を味わい、名店を訪ねたくなった。それほど魅力的で、新潟の人にはお国自慢の小説として読まれるだろう。
ともかく本書は、最初から最後まで読み所満載であり、人物たちのその後が気になって仕方がない。いったい第二部はどういう物語になるのか。7月まで待たなくてはいけないなんて辛すぎるのだが。
池上冬樹(いけがみ・ふゆき)
文芸評論家。東北芸術工科大学教授。
1955年山形市生まれ。立教大学日本文学科卒。著書『ヒーローたちの荒野』『週刊文春ミステリーレビュー2011-2016 [海外編]名作を探せ!』、編著『ミステリ・ベスト201 日本篇』、共著に『よりぬき読書相談室』ほか多数。訳書にリチャード・スターク『悪党パーカー/怒りの追跡』、ジョゼフ・ハンセン『真夜中のトラッカー』など。長年「山形小説家・ライター講座」と「せんだい文学塾」の世話役を務めている。
堂場瞬一(どうば・しゅんいち)
作家。
1963年生まれ。茨城県出身。青山学院大学国際政治経済学部卒業。新聞社勤務のかたわら小説を執筆し、2000年秋『8年』にて第13回小説すばる新人賞を受賞し、2001年に同作でデビュー。2013年より専業作家に。〈警視庁失踪課〉シリーズなど映像化作品多数。著書に『over the edge(オーバー・ジ・エッジ)』『under the bridge(アンダー・ザ・ブリッジ)』(以上ハヤカワ文庫)など。また熱心は海外ミステリのファンとしても知られる。
〈書誌情報〉
『小さき王たち 第一部:濁流』
堂場瞬一
早川書房 四六判上製単行本
本体価格:2090円(税込)
ISBN:978-4-15-210129-7
ページ数:410ページ
刊行予定日:2022年4月20日
〈内容紹介〉
政治家と新聞記者が日本を変えられた時代――
高度経済成長下、日本の都市政策に転換期が訪れていた1971年12月。衆議院選挙目前に、新潟支局赴任中の若き新聞記者・高樹治郎は、幼馴染みの田岡総司と再会する。田岡は新潟選出の与党政調会長を父に持ち、今はその秘書として地元の選挙応援に来ていた。彼らはそれぞれの仕事で上を目指そうと誓い合う。だが、選挙に勝つために清濁併せ呑む覚悟の田岡と、不正を許さずスクープを狙う高樹、友人だった二人の道は大きく分かれようとしていた……大河政治小説三部作開幕!