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ヴァージニア・ウルフ「病気になるということ」片山亜紀訳/訳者解説公開

本記事は、20世紀イギリスの作家ヴァージニア・ウルフによるエッセイ「病気になるということ(原題:On Being Ill)」の新訳の解説記事です。

「病気になるということ」本文
セクション1
セクション2
セクション3

訳者解説 片山亜紀

 新型コロナウイルスのパンデミックの中で、過去の感染症の流行についても関心が高まっている。中でもほぼ100年前のスパニッシュ・インフルエンザは、同じように地球規模の大流行だったため、そして犠牲者が多数であったために大きく注目されている。【35】スパニッシュ・インフルエンザが猛威をふるったのは、第一次世界大戦(1914〜18)末期から停戦後にかけての時期だった。1918年春からの第1波、同年秋からの第2波、1919年年明けからの第3波と、3回の流行の波となって人々を襲い、死者数は地球全体で4,800万人とも1億人とも言われている。第一次世界大戦の戦没者数が1,500万人から1,900万人と推定されていることを考えれば、スパニッシュ・インフルエンザの犠牲者数のほうがはるかに多いのだが、戦争という近代テクノロジーによる未曾有(みぞう)の「大量殺戮」の陰になり、その流行の只中においても、その後の歴史研究の中でも、あまり注目されてこなかった。

 最近の研究では、ヴァージニア・ウルフも、おそらくはスパニッシュ・インフルエンザにかかった一人だっただろうと推測されている。彼女はスパニッシュ・インフルエンザ流行の前後にも頻繁にインフルエンザと診断されており、1915年、16年、18年、19年にインフルエンザにかかっていると医者に告げられているが、この19年に罹患(りかん)したものがスパニッシュ・インフルエンザだったのではないかというのである。 【36】このときは家庭医に心臓の異常を指摘され、22年にもう一度インフルエンザと診断されたときには心臓の専門医に診てもらっており、心雑音がするからしばらくは坂道を上るのも控えてほしいと警告を受けている。【37】また同じく22年には、長引く高熱を下げるために歯を3本(!)抜いてもらっている――歯根が「細菌」の病巣になると考えられていたためである。 【38】そして、その後の23年、25年にもインフルエンザと診断されている。

 ここに訳出したエッセイ「病気になるということ On Being Ill」は、ウルフが1925年にインフルエンザと診断され、その療養中に書かれたものである。25年8月、彼女は甥の誕生日会を楽しんでいる最中に気絶してしまい、それから同年12月頃まで、何度も頭痛や吐き気に襲われ、寝たり起きたりの生活を余儀なくされた(いったんは回復したあと、年明けからは風疹にかかった)。当時、43歳だった。評論集『一般読者』を4月に、小説『ダロウェイ夫人』を5月に出版し、次作『灯台へ』も書き始めていたが、集中力を要する小説の執筆は棚上げとせざるを得ない。そんな折に文芸誌『ニュー・クライテリオン』編集長を務めることになった詩人T・S・エリオットから寄稿を依頼されて書かれたのが、このエッセイだった。9月上旬に依頼を受け、11月中旬には書き上げられ、『ニュー・クライテリオン』1926年1月号に掲載された。1930年には、もとのエッセイに若干の変更を加え、夫とともに経営していたホガース・プレスから一冊のパンフレットとして出版している(今回の訳出は1930年版を底本としている)。【39】

 本エッセイのタイトルにはただ「病気」とあり、本文でさまざまな病気――インフルエンザ、チフス、肺炎、虫歯、うつ、坐骨(ざこつ)神経痛、風邪など――が言及される中で、ウルフは繰り返しインフルエンザの話題に戻る。通算すると6回にわたってインフルエンザを名指してはいるものの、インフルエンザだけを焦点化して論じなかったのは、インフルエンザ被害の甚大さを受け止めきれないでいた当時の社会意識を共有していたのかもしれない。しかし、何度か出てくる発熱(「40度の高熱」)や頭痛はインフルエンザの主症状だし、前述のように抜歯はインフルエンザの治療法でもあった。肺炎やうつや不眠も、インフルエンザに関連した病気ないし症状と考えるなら、実質的にはインフルエンザを主軸として語られているエッセイと見なすことができるだろう。【40】

 訳出にあたっては読みやすさのために改行を加えたほか、全体を3つのセクションに区切って番号を振らせていただいた。一見、何がどうつながっているのかがわからない軽妙なエッセイだが、大きく3つの展開を含んでいると考えられるからである。以下、セクションごとの展開をざっとたどってみたい。

 セクション1で、ウルフは病気に――インフルエンザに――なったときの心象風景を描き出したあと、文学はほとんど病気をテーマにすることがないと述べ、その理由をいくつか考察する(原文ではこれが単一のパラグラフで一息に語られる)。実際のところ、お涙頂戴のストーリーから高邁(こうまい)な悲劇に至るまで、文学は(そしてその後の映画も)さまざまな病気についてたっぷり語っているので、ウルフの主張にはかなりの誇張が入っていると考えてよいが【41】、ことインフルエンザに関しては、第一次世界大戦という惨劇に比べて驚くほど看過されていたという事実に照らせば当たっている。このセクションには「孤独な寝室」での精神と肉体の大戦争をあからさまに第一次世界大戦にたとえている箇所があるほか、出だしの心象風景にも、第一次世界大戦について語る際に一般的だった、終末論的な言葉遣いが散りばめられていると指摘されている。【42】ウルフはインフルエンザ、とりわけスパニッシュ・インフルエンザの闘病は、個人にとって戦争と同じくらい必死の攻防戦になり得ると仄めかしているのである。

 セクション2で、ウルフはインフルエンザをテーマにした文学を自分で実践し、インフルエンザ患者の意識の流れを描写する。キーワードは同情である。ウルフの描写をまとめればこうである。「横臥(おうが)する者たち the recumbent」すなわちインフルエンザ患者たちに対し、「直立人たち the upright」は同情を施してくれることもあるが、所詮はその場限りのおざなりな同情である。確かにふんだんに同情してくれる女たちもいるが、昨今そんな同情は流行らない。けれども「横臥する者たち」にとってみれば、正直なところ同情など「なくてもやっていける」。むしろ無情な自然物、雲や花を見ているほうが慰めになる。天国が慰めになるかもしれないという可能性も頭をよぎりはするが、信仰と死後の世界に救いを求めるよりも、次に生まれ変わるとしたら何になるかという脳内妄想のほうが楽しい――。【43】健康な「直立人たち」のお情けにも、宗教のお情けにもすがらずに心の安定を見出そうとするあたり、隔離されるか自己隔離するかしながら療養しなくてはならない、現代の感染症患者の心性を描き出していると言えそうだ。

 セクション〈3〉では、ウルフは孤独なインフルエンザ患者による文学の楽しみ方を紹介しながら、「直立人たち」vs.「横臥する者たち」という構図を一捻りする。いわく、「横臥する者たち」は気ままに詩の断片をつないだり、お気に入りのフレーズをじっくり賞味したりして楽しむことができる。あるいは専門家の意見など無視し、シェイクスピアを読み飛ばして作品の真髄に迫ることができる。あるいは長い伝記を紐解いて、先人たちの生活ぶりを思い浮かべることができる――。つまりセクション〈2〉では、勤勉で生産的な「直立人たち」に対し、「横臥する者たち」は戦線を脱落した暇人として描かれていたのだが、セクション〈3〉では特殊能力の備わった、活発で能動的な読み手として位置づけられている。さらにエッセイ全体の結びとなる部分で、侯爵夫人が夫の事故死に際してカーテンを「ぎゅっと」摑んでいたことが言及されるとき、そこには「横臥する者」であるインフルエンザ患者から、「直立人」であった侯爵夫人への同情を見て取ることができる。インフルエンザ患者は、言語化しにくい苦しみや悲しみを胸に抱いているからこそ、健常者であった侯爵夫人の言葉にできない苦悶に思いを馳せることができる。【44】彼女ないし彼は隔離中でありながらも、テクストを介して他人と連帯するのである。

 本エッセイは、こうして「病気になるということ」について考察を重ねながら、病気、それもインフルエンザになることの効用を説くものになっている。インフルエンザ関連のパンデミックから数年という時期に書かれたこの作品を、百年後の私たち、別のパンデミックの渦中にいる私たちはどう読めばいいだろうか。

 もちろん読者によって読み方はさまざまだろうが、訳者なりの個人的な感想を言わせてもらうなら、病気の時間が有意義な時間、独特の感性が与えられる特別な時間と捉えられていることは、やはり新鮮である。ウルフがインフルエンザとの診断を繰り返し受けていた頃、インフルエンザにはワクチンも治療薬もなかった――その意味で、当時のインフルエンザは今日の新型コロナウイルス感染症に似ている。幸い、現時点での私に症状は現れていないが、自分が新型コロナウイルスに感染したとわかったとき、ウルフと同じことが言えるのかどうか、感じられるかどうかは心もとない。しかしワクチンも治療薬もない病気にかかったと繰り返し告げられていた人が、まさにその心身をなだめている最中にこういう文章を書いていたのだと思うと、勁(つよ)さがもらえるのは確かである。

訳注

【35】スパニッシュ・インフルエンザ流行のわかりやすい解説としては、藤原辰史「パンデミックを生きる指針——歴史研究のアプローチ」を参照。

【36】 Elizabeth Outka, Viral Modernism: The Influenza Pandemic and Interwar Literature (Columbia UP, 2019), Ch 4. ただし、ウルフの発熱などの症状(しばしば動悸、頭痛、不眠を伴った)が本当にインフルエンザだったのかを疑う見解もいくつかある。今日でいう躁鬱病ないし双極性障害の症状とも、クロラールなどの鎮静剤の副作用とも、慢性的な熱性疾患あるいは結核性疾患だったのではないかとも指摘されている。Hermione Lee, Virginia Woolf (Chatto & Windus, 1996), p. 176, 184-86.

【37】 Lee, Virginia Woolf, p. 185-86. Elizabeth Outkaは、歴史家の知見を引きつつ、スペイン・インフルエンザが罹患者の肺・心臓・神経などに長期にわたる後遺症を残すことがあったと述べている。Viral Modernism, Ch 1.

【38】 Anne Olivier Bell ed., The Diary of Virginia Woolf, Vol. 2 (Penguin, 1981), p. 176. 歯を抜いたことを記した1922年6月11日の日記には、効果はなく高熱が続いているとある。Lee, Virginia Woolf, p. 186も参照。なお、インフルエンザは細菌性のものというのが当時の通説であり、インフルエンザウイルスが確認されたのは1933年のことである。

【39】 Virginia Woolf, “On Being Ill,” The Essays of Virginia Woolf, Volume 5: 1929-1932, ed. by Stuart N. Clarke (Hogarth Press, 2009), p. 204-5.

【40】 一般にインフルエンザのもう一つの主症状とされる咳が、奇妙なことに本エッセイには一度も出てこない。1925年夏から暮れまでの日記にも、咳をしているという記述は見当たらない。実際に咳が出なかったのか、咳への言及ははしたないことと感じられ記述を避けたのか。

【41】 文学が病気をどう描いてきたかについては、たとえばE・ヘミングウェイ他『病(やまい)短編小説集』石塚久郎監訳(平凡社ライブラリー、2016)を参照。なお、Outkaはウルフの『ダロウェイ夫人』を本エッセイで言うところの「インフルエンザをテーマにする小説」と捉え、主人公クラリッサがインフルエンザにかかっていたという設定に注目する。作者ウルフと同じように、クラリッサもインフルエンザに罹患したあとで心臓の異常を抱える。Outka,Viral Modernism, Ch 4.

【42】 「灯火が消え」は、第一次世界大戦開戦時にイギリスの政治家が語った「全ヨーロッパで灯火が消えた」という言葉を思わせ、「荒野と砂漠」は第一次世界大戦の戦場の緩衝地帯のようだし、「花々の咲き乱れる崖と芝生」は主戦場となったフランダースの赤いポピーが咲き乱れる野を思わせる、など。Outka, Viral Modernism, Ch 4.

【43】 「男として生きたあとで女として生きてみる」などを含むここでの空想は、ウルフの小説『オーランドー』(1928)を予感させる。『オーランドー』のモデルとなったヴィタ・サックヴィル=ウェストへの思慕を、ウルフはちょうどこの時期に募らせていた。本エッセイでウルフは「そこにいない人たち」の訪れを待ちわびると記すが、Hermione Leeによれば、ウルフが療養中のこの期間に、サックヴィル=ウェストがイギリス大使館勤務の夫に同行してテヘランに赴いたことへのあてこすりがここにはあるという(Hermione Lee, “Introduction” to Virginia Woolf, On Being Ill [Paris Press, 2002], p. xv-xvi)。 体調が回復した12月中旬、ウルフは一時帰国中のサックヴィル=ウェストと再会し、彼女の屋敷に泊まり、そこから二人の恋愛は大きく進展する。

【44】 Hermione Leeは、ウルフが頭痛を言語化しようとする人を記述したくだりと、侯爵夫人がカーテンを摑んだという描写において、いずれもcrush togetherという表現を使っていると指摘している。Leeはこの表現に「猛々しい勇気」のイメージが込められていると捉えるが、ここでは苦悩のイメージ、言葉になりにくい思いのイメージと捉えた。Lee, “Introduction,” p. xxxii.

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