見出し画像

【緊急刊行】世界健康安全保障指数1位のアメリカは、なぜ最大の「コロナ敗戦国」となったのか? マイケル・ルイスが語る、最新作『最悪の予感』に込めたメッセージ

『マネー・ボール』『世紀の空売り』のマイケル・ルイス最新作、『最悪の予感――パンデミックとの戦い(中山宥訳)が7月8日(木)に緊急刊行。コロナ禍を戦った知られざる英雄たちの姿を通じて、意思決定と危機管理の本質に迫ったノンフィクションです。アメリカでは5月4日の発売直後からニューヨークタイムズ・ベストセラーにランクインし続け、Amazon.comで評価数5300・★4.7という超高得点をマークしています。日本版の刊行に先立ち、本書の「はじめに」を全文公開します。

画像1

はじめに 失われたアメリカ人

 本書の出発点は、あまり褒められたものではなく、なかば義務感、なかば日和見主義だった。トランプ政権の前半、わたしは『The Fifth Risk(第五のリスク)』という本を書いた。そのなかで、連邦政府を「実存するさまざまなリスク(自然災害、核兵器、金融パニック、敵対的な外国人、エネルギー安全保障、食糧安全保障など)の総合的な管理者」と位置づけた。連邦政府は、正体不明の200万人が寄り集まった不透明な集団ではない。国民の意思を無力化するため周到に組織されたディープステート(影の政府)でもない。連邦政府は専門家の集まりであり、本当の英雄(ヒーロー)も含まれている。にもかかわらず、わたしたちは一世代以上ものあいだ、そういった優秀な人々を軽視し、雑に扱ってきた。その悪弊は、トランプ政権で最高潮に達したといえる。わたしは前著でこう問いかけた。各種のリスクを管理する責任者も、詳細を理解している専門家たちも、リスクに関心を持たなかったら、いったいこの先どうなるのか?

 どんな展開が待っているのか、わたしは見当も付かなかった。何かが起きるはず、とだけ予想した。ところが、実際には大きな変化はなかった。任期が始まってから3年間のほとんどのあいだ、トランプ政権は幸運に恵まれていた。その運が尽きたのは、2019年末だ。中国で変異したばかりの新型ウイルスがアメリカへ向かってきた。まさに、わたしが『The Fifth Risk』の執筆中に想定していたようなリスク管理が試される状況だ。立場上、この出来事について書かないわけにはいかなくなった。ところが、この件に深くのめり込むうち、おおぜいの素晴らしい人物に出会い、じつはそういう人々を通じてストーリーをつづるべきなのではないかと考え始めた。トランプ大統領の政府管理のやりかたは、物語の一部分、おそらくあまり大きくない一部分にすぎないことが明らかになってきたからだ。本書の登場人物のひとりは言う。「トランプとはすなわち、一種の共存症だったんです

 トランプ政権が発足して3年が経とうとしていた2019年10月、関係者の誰ひとり新型コロナウイルスにまだ気づいていないころ、非常に頭脳明晰な人々が集まり、パンデミックに対する準備がどのくらいできているかに関して、世界各国をランク付けした。核脅威イニシアティブと呼ばれる団体と、ジョンズ・ホプキンス大学、エコノミスト・インテリジェンス・ユニットが協力し、世界195カ国を対象にランキングを作成したのだ。いわば、大学フットボールのシーズン前に発表される、実力ランキングのようなものといっていい。名付けて「グローバル・ヘルス・セキュリティ・インデックス(世界健康安全保障指数)」。きわめて大規模な調査研究であり、数百万ドルの資金と数百人の研究者が投入された。統計データを作成し、専門家たちにアンケートをとった。その結果、第1位に輝いたのはアメリカだった。なんと、アメリカが1位(2位はイギリス)。

 このランキングに異議を唱える人々もいた。ただ、そういった反対意見は、大学フットボールのシーズン前に聞かれる不満の声と大差なかった。テキサス大学のフットボールチームは、莫大な資金力と投票者への影響力のおかげで、長年きまって、シーズン開幕時には上位にランクインし、そのわりに、シーズン終了時になると順位が下がる。つまり、アメリカはパンデミック対策における「テキサス大学チーム」だった。資金が豊かなうえ、才能ある人材と特別なつながりを持っていた。アメリカと良好な関係を持つ専門家たちの投票によって、ランキングが決定されたわけだ。

 そして、ゲームが始まった。シーズン前のランキングはもはや関係ない。言い訳や正当化や責任のなすり合いも、意味を持たない。伝説のフットボールコーチ、ビル・パーセルズがかつて言ったとおりだ。「あなたが何者なのかは、あなたの記録が物語る」。最新の統計によれば、世界の人口の4パーセント強を有するアメリカが、COVID‐19による死亡者数の20パーセントあまりを占めている。2021年2月、医学雑誌『ランセット』が、アメリカのパンデミック対応を批判する長文記事を掲載した。その時点で、アメリカ国内の死亡者数は45万人にのぼっていた。もしCOVID‐19による死亡率が他のG7、6カ国の平均値と同じだったら、うち18万人がまだ生存していた計算になる、と同誌は指摘し、その人々を「失われたアメリカ人」と呼んだ。けれども、その程度の数字はまだ生ぬるいだろう。パンデミックが起きる前、公衆衛生の専門家たちが集まって「アメリカは他のG7諸国よりもパンデミックに対する備えができている」と判断したのではなかったか。ウイルスとの戦いにかけては、ほかの豊かな国々と同水準どころか、どの国よりも健闘するはずだった。

 わたしはふだん、題材のなかに物語を見いだすことが自分の仕事だと考えている。その物語が、わたしの思う以上の真実をつまびらかにしてくれることや、読者がめいめいの感性を活かして物語を整理し、著者が見逃していたような意味までくみ取ってくれることを、つねに願っている。しかしだからといって、わたしがその物語について何の意見も持っていないわけではない。今回の物語は、ある社会のなかの好奇心旺盛な逸材たちを軸に、適切な導きがなければそうした才能が無駄になってしまうことを訴えるストーリーだと思う。また、社会の評判と実績のあいだになぜギャップが生じるのかも描き出している。災厄の時期が過ぎれば、首脳陣が集まって、今後に向けての改善策を検討することになるだろう。この物語が首脳陣に何かを伝えることができるなら、こんなメッセージであってほしい。「誇りに感じるべきことも、いくつかある。人材に不足はない。しかし、わたしたちが何者なのかは、わたしたちの記録が物語る」

マイケル・ルイス『最悪の予感――パンデミックとの戦い』(中山宥訳、四六判並製単行本、定価2310円)は現在予約受付中です。

|| まえがきに続き冒頭の40頁を特別公開中 ||

|| 著者紹介 ||
マイケル・ルイス
(Michael Lewis)
1960年ルイジアナ州ニューオーリンズ生まれ。プリンストン大学で美術史の学士号、ロンドン・スクール・オブエコノミクスで経済学の修士号を得たあと、ソロモン・ブラザーズに入社。債権セールスマンとしての3年間の経験をもとに執筆した『ライアーズ・ポーカー』で作家デビューした。ブラッド・ピット主演で映画化された『マネー・ボール』をはじめ、『世紀の空売り』『フラッシュ・ボーイズ』『かくて行動経済学は生まれり』などベストセラー多数しており、著書累計は1000万部を超える。

|| 訳者略歴 ||
中山宥
(なかやま・ゆう)
翻訳家。1964年生まれ。訳書にルイス『マネー・ボール〔完全版〕』、チャンギージー『〈脳と文明〉の暗号』(以上ハヤカワ・ノンフィクション文庫)、デフォー『新訳 ペスト』、ウィンズロウ『失踪』など多数。