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アスリート、マジシャン、刑事……各界のプロに共通する「観察眼」とは? 『観察の力』訳者あとがき(小坂恵理)

「データが絶対だ」と言われるとそれに対抗するのは難しい。しかし、データの分析結果は必ずしも正しいとは限らず、AIやアルゴリズムも無謬ではない。データ至上主義の盲点を補う「観察眼」の重要性を説くのが、新刊『観察の力』(クリス・ジョーンズ、早川書房)
優秀なアスリート、マジシャン、医師、刑事……各界のプロフェッショナルに共通する観察の力とは? 本書の訳者・小坂恵理氏の「あとがき」を特別公開します。

『観察の力』クリス・ジョーンズ、小坂恵理訳、早川書房
『観察の力』早川書房

訳者あとがき

 小坂 恵理

「私たちの生活には、難問や不思議なことが満ちあふれている。こうしたものとの向き合い方は、あなた次第だ」――本書の謝辞の冒頭で述べられている通り、情報が氾濫している今日、正しい判断力を身につけることは以前にもまして重要になっている。本書には、そのためのお手本になる人たちがたくさん登場する。

本書の原書のタイトルは、『The Eye Test』〈アイテスト〉という。聞きなれない言葉だと思われるだろうが、アイテストとは、「データだけでなく、人間の独創性と想像力も駆使して評価を行なうこと」を意味する。統計の数字はいかにも正しそうだが、数字は正しいときもあれば、間違っているときもある。それをじっくり見極め、正しい情報だけを頼りにして、最後は自分の頭で考えて判断を下さなければならない。本書は七つの章から構成され、数字を妄信すると悲惨な結果を招く恐れがある一方、数字と人間の判断力を上手に組み合わせると、意外な結末に感動するときもあることを、様々な具体例で紹介している。

取り上げられる分野は、エンタテインメント、スポーツ、天気、政治、犯罪、マネー、医療と多岐にわたる。最初から順番に読み進めてもよいし、興味のある分野を選んで読んでもかまわない。どの章でも、「なるほど、そういえばこんなことがあった」と思い当たるはずだ。たとえばエンタテインメント業界では、過去にヒットして利益を生んだ映画に注目し、二番煎じを狙って同じような作品を製作しても、期待外れに終わるケースが多い。『ハリー・ポッター』や『アベンジャーズ』(日本ならば『男はつらいよ』)のように、同じ俳優がずっと出演するシリーズものは人気が衰えないが、かつての名画のリメイク版はあまり成功しない。スポーツの世界では、マイケル・ルイスの『マネー・ボール』の影響もあり、アナリティクスに頼る戦略がもてはやされたが、超一流のアスリートにはかならずしも当てはまらない。

あるいは天気予報が伝える降水確率や台風の進路などは、異常気象の時代には外れる可能性も少なくない。そして政治では、アルゴリズムが分析した選挙の勝敗確率が報じられるが、その数字が信頼できないことは、アメリカの2016年大統領選挙でドナルド・トランプが大番狂わせを起こしたことからもわかる。一方、今日の犯罪捜査にはAIが取り入れられているが、その基盤となるアルゴリズムには人間のバイアスが働いており、アフリカ系の市民が誤認逮捕されるケースは少なくない。

とくに第七章の医療は、誰もが身近な問題に感じられるのではないか。新型コロナウイルスが蔓延したとき、感染者や死者の数が連日報道され、それを見るたびに気持ちが落ち込んだ。ワクチン接種が始まって以降は、重大な副反応による死亡が疑われる例が報じられることもあった。その因果関係の有無や、政府の感染防止に関する一連の政策の是非は、今後の検証を待たなければわからない。前代未聞の出来事だったのだから、過去のデータを頼りに分析することはできない。そして問題なのは、感染症対策だけではない。いまや医療の標準化が進んだ結果、診察のマニュアルが出来上がったが、そのため医療は画一的な傾向を強めた。患者ひとりひとりの個性は顧みられず、決められた短い時間内で診察を終える流れ作業が続く。検査の数字だけで治療方針が決められるが、人間の体は数字だけで判断できるほど単純ではない。

もちろんAIもアルゴリズムも数字も役に立つが、それだけでは十分ではない。どのジャンルにせよ、人間を相手に行動を起こすからには、相手の個性を認め、こちらの出方にどんな反応を示すか考えたうえで、臨機応変に判断を下す必要がある。そこからは斬新な芸術作品が生まれ、スポーツではスーパープレーが披露される。

本書によれば、映画『トイ・ストーリー』は、従来の型にこだわるディズニー幹部の要求に屈せず、チームが独創性を追求したおかげで、素晴らしい作品となって高い評価を受けた。スポーツの世界では、野球殿堂入りを果たしたニューヨーク・ヤンキースのデレク・ジーターは、最新のアナリティクスによれば平凡な選手だったらしいが、華麗なボールさばきを見れば、超一流のプレーヤーであることに疑いの余地はない。大事なのは数字で測れないもの、すなわち光るセンス、情熱、誠実さ、ひたむきさといった要素であり、それが相手から伝わってくれば、深い感動が生まれる。

著者のクリス・ジョーンズは、WIRED、ニューヨークタイムズ・マガジン、ウォールストリート・ジャーナル・マガジン、エスクァイアなど、複数の雑誌でジャーナリストとしての経験を積んだ。ネットフリックスで配信されたドラマシリーズ『Away―遠く離れて―』のプロデューサーでもある。そして特集記事が評価され、ナショナルマガジン・アワードを二度にわたって受賞している。本書が幅広いジャンルを取り上げているのは、そんな裏付けがあるからだ。

本書にも、ビリー・ビーン(アスレチックスのGM)、ライアン・カヴァノー(映画プロデューサー)、ジョン・マケイン(共和党の大統領候補)、ケネス・ファインバーグ(弁護士)、コナー・マクレガー(格闘家)など、興味深い人物へのインタビューが紹介されている。ほかにもマジシャン、クイズ番組の解答者、天文学者、気象予報士、イラストレーター、事故調査官など、登場人物は実に多彩だ。そして著者自身、自閉症の息子を育てており、世界の見方はひとつでないことを、子育てを通じて学んでいる。

本書を読んだあとは、ぜひアイテストに挑戦してほしい。といっても、正しい情報と偽情報や誤情報を区別するのは本当に難しい。そして本書も、見分ける方法を具体的に紹介しているわけではない。先ずは、データを全面的に信じる姿勢を改めることの大切さを強調している。

AIもアルゴリズムも全知全能ではない。内閣支持率、テレビの視聴率、レストランやホテルの評価などをはじき出すが、数字や星の数はあくまでも参考としてとらえ、自分で冷静に評価しなければならない。それを意識的に心がけるのだ。最近では、アメリカの人気歌手テイラー・スウィフトのAI偽画像が拡散し、政権は議会に対し、法整備の加速を呼びかけたこともあった。ツイッター(X)がイーロン・マスクに買収されてから、有害コンテンツの取り締まりが大幅に緩和されたという報道もあるが、生成AIをどのように活用すべきかは、これからの大きな課題のひとつだ。

ちなみに今年からは、大谷翔平選手がドジャースでプレーする。二刀流という未開の荒野をひとりで歩み続けているが、あのレベルに達するまでに、どれだけの努力をしているのだろう。とにかく野球が大好きで、野球にすべてを捧げている。そんな真摯な生き方が、全身から感じられる。これまで二刀流に挑戦したのはベーブ・ルースぐらいで、参考になる過去のデータがない。どんな活躍をしてくれるのか、データ抜きでいろいろと想像するのは本当に楽しい。


既存のデータに頼らず、「観察眼」を磨くコツは? 詳しくは本書でご確認ください。

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記事で紹介した書籍の概要

『観察の力』
著者: クリス・ジョーンズ
訳者: 小坂恵理
出版社: 早川書房
発売日: 2024年3月21日
本体価格: 2,900円(税抜)

著者紹介

クリス・ジョーンズ Chris Jones
ジャーナリスト。エスクァイア、WIRED、ニューヨークタイムズ・マガジン、ウォールストリート・ジャーナル・マガジンなど様々な雑誌に寄稿。ナショナルマガジン・アワードの特集記事部門を二度にわたって受賞。またNetflixのドラマシリーズ『Away―遠く離れて―』のプロデューサーも務める。カナダ・オンタリオ州ポートホープ在住。