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不吉な伝奇ロマン『郭公の盤』電子書籍化に際し、紆余曲折にして曖昧模糊な「あとがき」を公開!

2010年の日本は、いろいろとありました。
1月には日本航空の経営破綻が発表され、6月には小惑星探査機「はやぶさ」が7年ぶりに帰還し、8月には記録的な猛暑から熱中症による死者が多数あり、9月には尖閣沖で中国漁船衝突事件が起こり、そして11月には牧野修と田中啓文による不吉な伝奇ロマン『郭公の盤』が刊行されているのです。

同じ年の3月には、建設中の東京スカイツリーが東京タワーを抜いて338メートルとなり日本一の高さの建設物となったとの発表がありましたが、実は『郭公の盤』では、この、現在634メートルと世界一高いタワーである東京スカイツリーを、かなりおぞましい方法で崩壊させてしまっています。

物語は、歴史の闇に隠されていた世界最古の遺物〈郭公の盤〉をめぐって不気味な欲望と忌まわしき陰謀の交錯を描いてゆきます。
〈郭公の盤〉とは何なのでしょうか? また、それをめぐる知られざる争いとは? そしてなにゆえそれは闇に葬られてしまったのでしょうか?

牧野修と田中啓文、二人の鬼才が想像の限りつくした、奇想と怪異の現代伝奇ロマンが、ついに電子書籍で読めるようになりました。
11月19日配信開始です。
この物語の成り立ちを、著者二人が回想する「あとがき」を公開します。
その因縁あざなえる縄のごとき成立過程を確認したら、どうぞ本篇でスカイツリーがどうなってしまうのかを確認してみてください。

※電子書籍版には、フジワラヨウコウ氏の挿絵をカラー版で収録しています。

あとがき 牧野修

 紆余曲折の紆余は川などがぐねぐねと曲がっている様を意味するらしいが、さらにその後に曲がる折れると続くのだから、どれだけ曲がりくねっておるのだ、世の中にそこまで曲がりくねったものなどあるはずがない、そう思われている方もおられるであろう。いや、しかしそれでもなお、それだけ曲がりくねっておったのだよ、と今私は声を大にしていいたいのである。
 何の話かと言うと、『郭公の盤』の話である。
『郭公の盤』は私と田中啓文さんとの合作である。話自体が出たのはもう昔過ぎていつだったか忘れた。とにかくいつもの馬鹿話をしている最中に、合作しましょうかという話が出た。最初のネタは多重人格が絡むSF色の強い伝奇小説だったと思う。それは書かれることなく何となく立ち消えになる。ところがふとしたきっかけで、とんでもないネタを思いつき、私は田中啓文さんに連絡したのである。それは伝奇ネタであり、同時に音楽ネタであり、田中さんのためにあるようなアイデアだった。それならやりましょう、と田中さんの賛同も得て、合作はどんどん現実へと向かい、気がついたらe-novelsという、作家ばかりで起ち上げたサイトで、少しずつ連載を続けることとなっていた。
 だがこれがまた試行錯誤の連続だったのだ。だいたい私は小説を書くとき、書きたいシーンや状況、言わせたい台詞、使いたい小道具、そんなものをかき集めて一つの物語へ載せていく。きちんとしたプロットがあるわけでもなく、ラストが未定のまま書き進むのはいつものことだ。ところが田中さんは綿密なプロットを立て、きれいなオチを考えてからでないと書き進めないタイプだ。今回だって田中さんに任せておけば、詳細なプロットときれいなオチが出来ていたはずだ。
 だがここで、田中さんから提案があったのだ。音楽にかかわる小説なのだから、書くときにもセッションの面白みを出したい、と。つまり即興演奏(インプロビゼーシヨン)というか、メインのアイデアとおおよその方向性だけ出しておいて、後は互いの出方を見ながら次を考えていくというやり方で連載をしてみては、という提案だった。これは田中さんにとってはかなりの冒険だったと思う。
 それでもとにかく、第一回を書き始めることによって連載が開始した。最初のうちはまさしく手探りで、途中何度も電話で打ち合わせを重ねた。打ち合わせと言っても「こいつらは何を目的としてこんなことをやってるんですか」とか「結局だれが悪役でだれが良い方なんですか」とか、映画を見に行った小学生(しかも低学年)が親に訊ねるような質問をたがいに重ねていたのだが。
 そんなことをしていても作業は進むのである。何のかんの言いながらも順調に連載が続いていたその時、突然e-novelsが消滅してしまう。当然のことながら郭公の盤は中断した。もったいないけど、ここで終わりかもしれないな、と諦めていたら、とあるところから救いの手が伸びた。早川書房のAさんだった。月々の締め切りでもなければ書かないだろうことを見越し、Aさんの配慮でミステリマガジン誌上での連載が決定したのだ。
 連載が始まる前にも、ああでもないこうでもないと編集者を交えて話し合った。だが話は途中まで進んでいるのだ。何もないところから作りだしていくよりは、遙かに順調にことは進んだ。我々は交互に書き進めていった。順調に連載は続いた。どんどん続いた。やたら続いた。ものすごく続いた。実はどうやって終わるか考えていなかったのである。そこでふたたびみんなが集結。この話の結末をどうするのか、知恵を絞りに絞り、最後の一滴で、読んだ人ならすぐわかる、このとんでもない結末が決定したのである。斯くして我々は紆余曲折の果てにたどり着いた。ここであとがきのバトンも次に譲りたいと思う。

あとがき 田中啓文

 曖昧模糊の曖昧は暗くてはっきりしない、という意味らしいが、さらにその後に続く模糊というのも同じくぼんやりして不明瞭なさまの意味だから、どれだけはっきりせえへんねん、世の中にそこまでぼんやりした不明瞭なものなどあるはずがない、そう思われている方もおられるであろう。いや、しかしそれでもなお、それだけはっきりしないのだよ、と今私は声を大にしていいたいのである。
 何の話かと言うと、『郭公の盤』の話である。
 人間の記憶は曖昧模糊なものだ。牧野さんから送られてきた「あとがき」を読んで私は驚愕した。さほど前のことではないのに、すでに記憶のすり替え、混乱、欠落などが起こっているではないか。牧野さんのあとがきでは、我々がe-novelsで連載を開始したあと、同サイトが閉鎖になり、そこで早川のAさんが救いの手をさしのべたようになっているが、実はそうではなく、e-novelsで連載を開始する前からAさんはこの作品の担当であり、どこか媒体はないでしょうかと言われて、我々がやっているe-novelsというサイトがありますのでそこを利用して連載するというのはどうでしょう、毎回Aさんにチェックをしてもらってから掲載ということにしましょう、とだんどりが決定したのである。もっと言えば、牧野さんも書いている、『郭公の盤』の前の段階の「最初のネタは多重人格が絡むSF色の強い伝奇小説だったと思う。それは書かれることなく何となく立ち消えになる」という作品の時点で、すでにAさんは担当だったのである。どこかのSF大会でAさんを交えて打ち合わせをしたのを、牧野さん、覚えてませんか?  e-novelsが消滅したとき、途中で中断せざるをえなくなった本作品をどうするか、我々はAさんに相談した。そして、ミステリマガジンでの連載再開が決定したのである。
 さて、e-novelsでの連載の時点では、我々は「牧野修と田中啓文の合作」であることを明らかにせず、「伝奇小説界に突如現れた驚異の新人珠那岐佳乃」という女性名義を使っていた。「た・な・か」と「ま・き・の」を一字ずつ組み合わせて「た・ま・な・き・か・の」としたペンネームだったのだが、だれも気づいてくれず、それどころか連載自体もまったく話題にならず、やむなくミステリマガジン誌上では合作であることを露骨にうたうことにしたのである。
 合作は楽しかった。この作品の根幹となる伝奇ネタを考えたのは牧野さんである。伝奇小説というのは、オリジナリティのあるトンデモ系の大ネタがベースにあり、その謎を本格ミステリの手法で解きあかしていく、という手法の作品である、ということについては牧野さんと私の考えが一致しているのだが、そうであるならば、ミスディレクションも含めて伏線をちりばめ、それが徐々に解明されていき、最後に大ネタが顕れ出る、というカタルシスが読者をひっぱるような書き方をしなければならないはずである。しかし、牧野さんは自分が考えたネタであるにもかかわらず毎回暴走をくり返し、全然謎解きを進めてくれない。しかも、その暴走がめちゃめちゃおもしろいので、とめるわけにいかないのである。自然と、私のほうが「ちゃんと話を進める」というマジメな役割を担うことになり、これは貧乏クジだとは思ったが、合作というのはそういうものである。牧野さんの暴れっぷりとまがりなりにもそれをなんとかきちんと進めようとする私、という構図をおもしろがっていただければ幸いである。
 正直言って、この作品を書いているとき、牧野さんと個人的な打ち合わせを何度も何度もおこなった。これほど作家同士が真剣に綿密に打ち合わせしながら書き進める小説というのも珍しいと思う。また、(我々もそうだったわけだが)原稿料の一切発生しないe-novelsでの連載時からずっとつきあってくれて、執筆を進めるにあたって大きなイマジネーションの源泉となった挿絵のフジワラヨウコウ氏には、二人三脚ならぬ三人四脚のひとりとして、最大限の感謝を捧げるものであります。

『郭公の盤』プロモーション・ビデオ

撮影・美術監督=牧野修/音楽監督=田中啓文
小説作者自ラガ、不気味ナル映像ト忌マワシキ音楽ヲ融合サセ紡ギアゲタ、『郭公の盤』ノ小説世界。二人ノ脳髄ノ裡ニ潜ムイメエジヲ実見セヨ! 実見セヨ!(小説刊行当時に公開されたものです)


牧野 修
1958年大阪生まれ。大阪芸術大学芸術学部卒。高校時代に筒井康隆主宰の同人誌〈ネオ・ヌル〉で活躍後、1979年に〈奇想天外新人賞〉を別名義で受賞。数年の沈黙ののち、1992年に〈ハィ! ノヴェル大賞〉を長篇『王の眠る丘』で受賞、同書にて“牧野修”としてデビュー。1996年、特異な言語感覚に満ちたドラッグ小説『MOUSE』で高い評価を得る。1999年『スイート・リトル・ベイビー』で第6回日本ホラー大賞長編賞佳作を受賞。2002年『傀儡后』で第23回日本SF大賞を受賞。2015年『月世界小説』で第36回日本SF大賞特別賞を受賞。

田中啓文
1962年大阪生まれ。神戸大学経済学部卒。1993年『凶の戦士』が第2回集英社ファンタジーロマン大賞に佳作入選して作家デビュー。ヤングアダルト作品を経て、SF、ミステリ、ホラーなどジャンルを超えて活躍。上方落語に造詣が深く、落語ミステリ『笑酔亭梅寿謎解噺』や、創作落語も手がけている。2002年「銀河帝国の弘法も筆の誤り」で星雲賞短編部門を受賞。2009年「渋い夢」で第62回日本推理作家協会賞短編部門を受賞。2016年「怪獣ルクスビグラの足型を取った男」で星雲賞短編部門を受賞。